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まーりたん

Author:まーりたん
大分県で暮らす四十路主婦
“ まーりたん ” の
ブログへようこそ(*^^*)♪

日々を彩る ちょっと素敵な
出来事を我が家の笑導犬?
マンジ君と楽しくお届けして
ます。目下、郷土史に夢中♪
心躍る探訪をご一緒に。

臼杵の富士甚醤油マスコット
キャラ・とっくりこだぬき君が
仲間入りしてからは、嬉しさ
余ってマンジ君の“ 悪がね ”
ぶりもますますエスカレート。

そんなふたり(2匹)の様子も
併せてお楽しみ下さい(*^^*)

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貴重なお時間を割いて拙ブログへ足を運んで下さる皆さま、

温かいコメント、応援を下さる皆さま、いつも心より感謝しています

私事で畏れ入りますが、昨夜に義理の母が体調を崩しまして、

明後日、16日に手術を受ける事になりました

なので暫くの間、ブログの更新が出来ないかもしれません。

お詫び申し上げます 

皆さまのブログへのご訪問&応援は、これまで通り出来るよう頑張ってみます。

コメント欄は連絡用に開けておきますが、お返事が遅くなるかもしれません。

以上の件、どうかご了承ください 








「 皆様、せっかく遊びに来て下さったのに申し訳ありません。

マンジ君が、お詫びのお辞儀をするそうです 」

せっかく来て頂いたのに申し訳ありません






「 ちょっとマンジ君、お辞儀の向きが逆だよ

マンジ君、おじぎの向きが逆だよ






「 という訳ニャのです。 みニャさま、どうぞ健やかにお過ごし下さいニャのだ

そういうわjけで、申し訳ニャいのだ

「 全く調子いいんだから、マンジ君は







行橋市歴史資料館の続編を楽しみにして下さっている皆さまへ。

アップロードまで終了してますので、出来るだけ早くお届けできる様頑張ります



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2014/05/14(水) 14:22 | コメント:41 | トラックバック:0 |


黒田官兵衛さん縁の地、福岡県 行橋市の 行橋市歴史資料館 にて、今年

12月14日まで開催中の特別展 『 秀吉・黒田官兵衛見参~馬ヶ岳城の世界

見学レポを引き続き、お届けしています 前回の記事で、館内2階の廊下に

飾られていた大河ドラマ登場人物のイラストが、あまりにも素敵だったので

ご紹介したところ、いつも拙ブログへ足を運んで下さる皆様から大きな反響を

頂きました。 なので調子に乗りまして、もう2画像ほど掲載したいと思います

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)81

そのハイクオリティさに圧巻と同時に、色鉛筆画の柔らかな印象も加わって、

歴史上の人物と、それを演じられる役者さん方への心遣い、敬愛の念すら感じ、

暫く時間を忘れて見入ってしまった次第です。 心を込めて描かれたんだろうな 

イラストレーターさんのお名前が分からなかったのが、ほんと悔やまれます

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)82

前回掲載した精鋭・黒田武士の面々。 今回の内田お濃姫、江口信長さん、

竹中秀吉さん、黒木おねさんの他にも、谷原半兵衛さん、柴田職隆さん等々、

どの作品も本当に素晴らしかったです 岡田官兵衛さんと中谷てる姫も勿論

いらっしゃいましたが、トップに飾られていたためポカンとなって、そのまま写真を

撮り忘れ・・・。 ただそれだけの理由でここに載せられなかったのです、ハイ 



 

素敵なイラストが飾られた廊下の突き当たりには、広いテラスへ通じるドアがあり、

テラスには芝生の中庭へ降りる階段も付いてます。 テラスからは行橋市街地を

一望。 遠く南西の方角は、行橋市を包んで広がる福岡県 京都( みやこ )町。 

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)86

京都(みやこ)は、黒田官兵衛さんが豊前六郡を領していた時代に、既に在った

地名です。 由来は、悲劇の勇者ヤマトタケルの父・12代景行天皇の九州巡業

話にまで遡り・・・これを始めたら長くなりそうなので、古代行橋編は、また機会

があれば綴ります 京都という地名、要は古代の都 に由来してるんですね。



行橋市歴史資料館のテラスから南西の方角には、黒田官兵衛さんが豊前六郡を

与えられて最初に入った城 馬ヶ岳城址が遺る 馬ヶ岳もばっちり見えるんですよ。

上の画像中央部分を拡大してみると、ふたこぶラクダみたいな山が

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)83

これが馬ヶ岳で、向かって左、標高208mの山に二の丸、右側216mの山に

本丸があり、殿様の居館は北側の麓。 ちょっと見はラクダの背みたいですけど、

その形を、むりくり?神馬の背に見立てて、馬ヶ岳という名前が付けられた様

天慶5( 942 )年築城、神馬に纏わる馬が岳城伝説は、過去記事コチラで。

では、そろそろ特別展開催中の歴史資料館企画展示室の中へ入ります


行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)38

展示室中央に置かれている馬ヶ岳城畝状竪堀群200分の1の模型です。

模型を製作されたのは、なんと京都高校の1年生 昨年実施された馬ヶ岳城

遺構の本格的な測量調査から、その測量図を基に自ら何度も現地へ足を運び

踏査をして 3ヶ月で完成させたのだそう。 いや~素晴らしいです


行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)37

また、麓の館には天正15( 1587 )年3月29日と30日の2日間、秀吉さんが

宿泊
した記録も残されている様。 天正15年の秀吉さんの九州入りといえば

九州征伐です。 秀吉さんの惣無事令を無視して九州制覇を目指す島津軍を

征伐する為、前年の天正14( 1587 )年7月25日に先ず、黒田官兵衛さんが

秀吉さんの命で4千の兵を率いて九州へ。 露払いが済んだところで翌年3月、

秀吉さんと弟の秀長さんが25万とも云われる大軍を率いて、九州入りします。

この時に、豊後鶴崎城では吉岡妙林尼さんの女傑伝説が生まれたんですね~



九州入り早々馬ヶ岳城に2泊した秀吉さんは、4月1日に田川郡添田の岩石城を

落とし、益富城で秋月氏びっくり一夜城大作戦も成し遂げ、島津氏方の城を攻略

しながら、通り過ぎた後には今に受け継がれる伝説も残しながら、更に南下









続いては、馬ヶ岳城模型の隣、こちらも展示室の中央に置かれているものです。

そうです 前回の記事にも登場した黒田長政公の大水牛脇立兜

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)34

どうせまたレプリカでしょ、って いえいえこちらは個人蔵の本物ですヨ

重要文化財・黒田長政所用の黒漆塗桃形大水牛脇立兜は、福岡市博物館蔵の

はずなんですが、なぜかココにも ゆるキャラ ゆくはし官兵衛くんが仰るには、

確かに黒田長政公が使用していた兜との事です。 そういえば、大水牛脇立兜は

福島正則さんと仲直りの証に、竹中半兵衛さんの遺品でもある一の谷兜と交換を

する際、それぞれ写しを作ってはいるし、幾つかスペアが存在してるのかしら   

とにかく、こちらの大水牛脇立兜は正真正銘、レプリカではありません 






さらに本物大水牛脇立兜が納められているガラスケース越しに見えております

この旗指物( はたさしもの )も、実際に黒田藩が使用していた本物

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)30

赤地に白餅柄の旗指物 白餅のは、持ちに通じ、石持は石高が増える=

加増を受けるに通じる縁起の良いものとされ、多くの武家が家紋や旗紋として

用いていた様です。 あっ、そういえば 大水牛脇立兜にも石持ちの飾り

付いてますね。 で、これも本物江戸時代の黒田藩庁の大幟(4m×77cm)。

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)36

ガラスケースの中の本物大水牛脇立兜も、黒田藩庁の大幟も、個人蔵

これらを代々受け継ぎ保管されているお宅は、黒田家臣の末裔?気になる~ 






続いては、行橋に濃い足跡を残されてる後藤又兵衛さんのコーナーです

今回の特別展では、後藤又兵衛さん所用の槍だけでなく、何と

まさかの生活用品まで展示されているんですね~ 

レジェンドカラーが強い武将さんだけに、夢かうつつか、でも現実でした

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)40

金石餅飾り付の又兵衛さんの兜と、壁に掛けられてる槍はレプリカですが、

兜の左に並んでいる品々、又兵衛さんの遺品個人蔵の本物です。

引っ張って申し訳ないですけど続きは次回、後藤又兵衛さん出奔のお話も

交えつつ、心してご紹介させて頂きたいと思います 

ご興味ある方、どうぞお楽しみに









あっ、載せ忘れるとこだった!

先日、mobilewalkさん がご紹介されていたオクラのせ冷やし中華。

すごく美味しそうだったので、我が家も作ってみました

オクラ入り冷やし中華5月9日ばんごはん

盛り付けが微妙に大雑把なのは、いつもの事ですので・・・

これからの暑い季節に向けて、血液さらさらミズノゴトシ

ウチの相方、納豆食べてくれないので、オクラで立ち向かう事にします。

ウケも良かったです、mobilewalkさん、感謝







本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます



2014/05/12(月) 19:55 | コメント:13 | トラックバック:0 |


はっ その凛々しくも切なげなお顔は、大河ドラマ 軍師官兵衛

第五話 「 青山の戦い 」 で、まーりたんをぼろぼろに号泣させた

永井武兵衛殿ではござらぬか~ぶへいさまぁ~

行橋市歴史資料館・母里武兵衛、母里太兵衛画

で、武兵衛様のお隣には、勝手に呼んで 黒田二十四騎のランドマークタワー

もこみち太兵衛さんも、いらっしゃるではあ~りませんかピュア&ワイルド

さらに太兵衛さんのお隣には、濱田善助さんに高橋九郎右衛門さんまで

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)80

ま~、黒田家重臣の方々の何と麗しいこと そして皆、凄く良く似てらして、

手掛けられたイラストレーターさんのお名前を絵の中、近辺探したものの

残念ながら見つけられず・・・orz  作品のみのご紹介となってしまいました





さ、そんな相変わらずのばかご中年 まーりたんは今、どこに出没してるのかと

云いますと、福岡県は行橋市の複合文化施設 コスメイト行橋 2階の廊下

悪さをして廊下に立たされているのではありませんよ、コスメイト行橋の2階は

特別企画展示室を備えた行橋市歴史資料館になっているんです 

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)1

福岡県 行橋( ゆくはし )市は、かつては豊前( ぶぜん )京都( みやこ )郡

一部で、秀吉さんの九州平定後は黒田官兵衛さん( 黒田如水公 )の御領地。 

黒田家が筑前へ移った関ヶ原後は、細川忠興さんの御領地となったところです。

そして、黒田二十四騎の後藤又兵衛基次さんが、黒田如水公の死後、

筑前黒田藩を脱藩して、最初に身を寄せた場所でもあるんですね、行橋は

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)3

脱藩後、故郷・播磨を目指す又兵衛さんは道中、豊前を通らなくてはならず、

前もって細川忠興公に通行願いを出していたんですが、人格と、戦での実力を

名だたる大名達からも認められていた又兵衛さん 通行許可願に添えられた

手紙を読んだ忠興公は、「 いつでも喜んで召し抱える 」と返事を出します。

実際に逃げてきた後藤又兵衛さんを、細川忠興公は自分の御茶屋屋敷

( 行橋の西福寺 )に一時匿い、御用庄屋だった守田家に世話をさせるんです。 




前説が長くなりましたが、こんなわけで行橋市歴史資料館には、

後藤又兵衛さん関連の貴重な資料や、槍などの遺品も展示されてます。 

まーりたん今回はこれ目当てに訪れたんですけど、2階へ上がってみたら

廊下には冒頭の黒田武士ほか登場人物の素敵なイラストが飾られていて

企画展示室では大河に連動した、以下の期間限定展示の最中でした

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)19
  
秀吉・黒田官兵衛見参~馬ヶ岳城の世界 』 と銘打つ

行橋市教育委員会主催の特別展は、今年の12月14日までの模様



官兵衛さんに精通されている方、勉強中の方ならご存知だとは思いますが、

馬ヶ岳城というのは、官兵衛さんが豊前へ入封して最初に入ったお城で、

行橋市にあるんです。 ただ、山城で、城下町を造るには不便だったため、

大分県 宇佐市の時枝城を経て、最終的には同、大分県 中津市の山国川

河口に中津城を造営して、ここが筑前に移るまでの居城となります




しかし墨で書かれた大きな垂れ幕、迫力を感じます。 

その下に3つほど写っている兜、カメラをぐぐーっと引いてみると・・・

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)5

企画展示室入口、雛段の最上段、金屏風の前には、黒田官兵衛さんの

トレードマーク的な 赤漆塗合子形兜( あかうるしぬり ごうすなりかぶと )。 

隣には嫡男で初代福岡藩主・黒田長政公の漆塗桃形大水牛脇立兜

( うるしぬり ももなり だいすいぎゅう わきたてかぶと )。 長っ



そうして、殿と大殿様をガードする様に並んでいるのが黒田二十四騎の方々が

被ってた兜。 黒田二十四騎見参!もとい、黒田二十四騎の兜見参!ですネ

これらの展示兜は勿論レプリカですが、兜師・福田弘氏作の精巧で重厚感ある

逸品揃い こちらは栗山善助( 利安 )さんの兜です左隣は母里太兵衛さんの♪

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)17
 
兜に、それぞれ番号札をつけてあるのは、投票箱に好きな兜の番号を書いて

投票してね、という総選挙も行われてるからの様 面白そうなので投票しました

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)78


ちなみに、中間結果では、トップはやっぱり強そうでインパクトあるもんね

黒田長政公の大水牛脇立兜 2位は官兵衛さんの兜。 3位は官兵衛さんが

有岡城幽閉時、牢番を務めていた加藤重徳の子・黒田三左衛門一成さんの兜。 

01-76行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)74

有岡城の牢番・加藤重徳さんは、栗山善助さんが官兵衛さんに接触するのを

黙認したんだそうです。 官兵衛さんはその恩で牢番の子・一成を引き取り

実子同然に育て、黒田姓を授けたんだとか。 又兵衛さんやら一成さんやら、

官兵衛さんが実子同然に可愛がる男子が続々と増えて、長政公がお父さんに

認めて貰おうと焦って暴走気味になる気持ちも、何となく分かる様な気が・・・



で、中間結果ワースト1は、野村太郎兵衛さんの兜でした。 

この方は、母里太兵衛さんの異母弟ですが、宇都宮鎮房さん謀殺の実行役

だった方です・・・。 豊臣政権に強引に平定された城井宇都宮氏の旧領で

この結果。 もしかして・・・本気なのでしょうか







また、投票箱の壁には、ハンガリーからいらっしゃったお客様のご紹介が 

御本名は見えないようにトリミング&画像も小さめにしました

行橋市歴史資料館、ウェルカム&オープンな感じで、なんだか和みます

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)76

陣羽織に兜師さん制作の展示兜を被られて、ご満悦の様

お願いすれば、まーりたんも兜、被らせて貰えたのかしらんシマッタ

こんな調子で、企画展示室の入口付近で遊んでばかりいて先へ進まない

だって面白いんだもん 次回こそ、行橋市歴史資料館見学編を・・・


 





●参考資料 : 宇都宮靖著 『 鳶の笛~黒田官兵衛と宇都宮一族との戦い

八幡和郎監修 『 軍師 黒田官兵衛~その戦略と生涯 』 

小和田哲男著 『 黒田如水 』 / 行橋市歴史資料館 資料解説フリップボード





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2014/05/10(土) 18:56 | コメント:21 | トラックバック:0 |


遠く沖合に浮州を臨む北浦の背後には、観音崎と呼ばれる高さ40mの断崖が

そそり立っています。 前回、北浦が日没後みたいに暗かったのは、そのせい

観音崎もまた姫島火口のひとつです。 が、長さ120mにも及ぶその崖は何と、

まるごと黒曜石なんですね~ そして、黒曜石で出来た観音崎の断崖上には

今回7つめにして最後の 姫島七不思議 『 千人堂 』 が建てられているんです

姫島七不思議・観音崎の千人堂(解説板)

解説板によると、観音崎の断崖上に建つ二坪余りの小さなお堂 千人堂には、

大晦日の夜、債鬼に追われた善人を千人匿った という伝説が残されてます。

千人も収容出来る御堂が岬のとっぱなに どんな御堂か確かめなくては




では、まーりたんこれより椋鳩十先生が大分県の姫島を舞台に執筆された物語

ふしぎな石と魚の島 』 の世界へ紛れ込み、観音崎の冒険を楽しんでみたいと

思います 拙ブログをご覧下さっているアナタも、宜しければどうぞご一緒に




「」内の台詞は作品より引用、以外の文章は作品を参考にしたオリジナルです。

姫島七不思議・観音崎の千人堂4

「 そら、このあいだ話した山に案内しよう 」

春夫が言う山は、海岸寺から島北側の浜に出た所にそびえる観音崎です。

背丈程のススキをかき分け進むと、頂へ通じるウサギ道のように細く急こう配の

登り坂が。 物語が書かれた当時、画像の階段はまだ無かったんでしょうね

土の窪みに足先を掛け、ちょこちょこと猿の様に登って行く春夫を、都会育ちの

三五は、木の枝や根っこに掴まり、半ば四つん這いになって、追いかけます 

春夫というのは姫島の海岸寺住職の息子さん。 三五は大阪在住の従兄弟で、

この物語の主人公。 夏休み、大阪から初めての一人旅で姫島へ来ています。


姫島七不思議・観音崎の千人堂6

どうにか辿り着いた山の頂は、相変わらずの細道ながら平坦で、三五は一安心。

同時に、じじじーんという蝉の大合唱を耳にします。 崖をよじ登っている最中も

聴こえてたはずなのに。 人間の心というものは面白い、と三五は思うのでした


姫島七不思議・観音崎の千人堂23

足元からは踏みしめる度に立ちのぼる、乾いた落ち葉や、朽ちた落ち葉の匂い。

これが本当の山の匂いかな?遠い昔に嗅いだ様な不思議な懐しさを覚えます


姫島七不思議・観音崎の千人堂10

島西側の海が大きく開けます。 海蝕洞窟が見える斗尺岩を左手眼下に、道は

山の反対側へ降りる急勾配の坂となり、山の中腹でカーブを描き、更に先へ。

姫島七不思議・観音崎の千人堂20

その細い下り道の途中から、岬のとっぱなに建つ小さなお堂が見えました

姫島七不思議・観音崎の千人堂11

姫島七不思議 観音崎の千人堂です。 よくもまぁ、あんな場所にお堂を・・・

お堂の手前は、人が20~30人は座れそうな小さな広場になってはいるものの、

敷地を合わせても千人収容はさすがに無理っぽいですよネ それとも大晦日の

夜は、無限空間へ繋がる異次元お堂? とりあえず、近くまで急げ 足元注意


姫島七不思議・観音崎の千人堂14


「 おい、ここの岩をみてごらんよ 」 千人堂の前で春夫が言いました。

春夫が指差す岩は、ごつごつと灰色がかって、いかにも固そうです。 観音崎も

大昔、海底火山が何度も爆発して、海底から突き上げられて出来た岬です。

姫島七不思議・千人堂の石段、踏み外さないよう注意!

御堂へ通じる石段の隙間から下を覗くと、切り立った崖に打ち寄せては砕ける

白波が見えました。 BGMには、火曜サスペンス劇場のテーマミュージック以外

なさそうな目もくらむ光景に、「 すごい海だなあ 」 三五は思わずつぶやきます。

ついでに、まーりたんも息をのみ、後ずさり

姫島七不思議・観音崎で三五と春夫気分♪目もくらむ崖っぷち!

「 海よりも、この岩に意味があるんだぜ 」 春夫は少し得意げに言います。


「 ここの岩は黒曜石だ。 それも、ちっとばかりの量ではないぞ。 岬は海面から

40mあって、それが全部黒曜石。 露出してる所だけでも、幅120mもあるんだ。

この岩は6千~7千年前、姫島が栄えた港だった事を物語っている証拠の品さ 」


02-37姫島七不思議・観音崎の千人堂15

「 黒曜石がなぜ、古代の港と関係あるんだい? 伝説だろう、そんな話は 」


「 伝説なんかであるものか。  そうだなぁ、縄文時代の俺たちの先祖はまだ

鉄を持たなかったということだ。 あの時代の人々にとって、狩りをするとき

棒で殴ったり石を投げたりするばかりでは、獲物を獲るのは難しいじゃないか。

そこで弓ってやつを考え出したのさ。 硬くて叩けば薄くはがれる黒曜石は、

その矢じりにぴったりだった、つまり宝だったという事だ。 この岬の質と同じ

矢じりは九州、四国、山口、広島、山陰地方からも見つかっている。 古代人は

各地から宝の山、姫島を目指し、次々とこの岬へやってきた、というわけさ 」


姫島七不思議・観音崎の千人堂で大冒険?三五と春夫の気分♪

「 姫島でなく、よそから出た石ということも考えられるじゃないの? 」

三五は言いました。


姫島七不思議・観音崎の千人堂16黒曜石

「 いや、決してよその石じゃないんだぜ。 灰白色で半透明な黒曜石は、九州や

四国や広島や山口や、鳥取、島根には無いのさ。 それに国東半島の岐部という

ところからは姫島の黒曜石の欠片が沢山出て、矢じりの細工場跡だったと学者が

言っているし、速見郡川崎の早水台には、姫島から運んだ重さ4キロの黒曜石も

あって、この辺りにも古代の細工場があったのであろうと、言われているぜ 」



姫島七不思議・観音崎の千人堂21眼下は火曜サスペンス劇場!

都会育ちのせいか、何事にも悲観的で疑り深かった三五も、岬の岩に腰をおろし

春夫の話を聴くうちに、遥か遠く海原の果て、水平線の彼方に、イカダに乗って

姫島を目指す半裸体の日焼けした男達が、ぽつりぽつり現れる様な気がしたり、

ふたりのすぐ傍の黒曜石の崖で、古代の労働歌を歌いながら、カツン カツン

黒曜石を切り出す作業の音が、聴こえてくるような気持ちになるんですネ

姫島七不思議・観音崎の千人堂22黒曜石の崖

この夜、三五と春夫は海岸寺の住職さんから更に詳しい黒曜石の話と、それに

加えて、藍鉄鉱を発見した中学生の話も聴き、ついに冒険心に火が点きます

そして、翌日から二人は古代姫島ミステリーを、自分達の手で確かめるべく、

汗びっしょりになって姫島中を駈け巡り、素晴らしい大人達にも出会います。

結果、三五と春夫が得たものは、古代姫島の謎だけに留まらない掛け替えの

ないもの、これから生きていく上で、心の基盤となる大切なものでした






あっ、千人堂の縁を歩く冒険家がここにも 危ないですよ~

姫島七不思議・観音崎の千人堂でチャレンジャーを見た!

だけど杖を手にしたこの女性、程なく足取りも軽く、飄々と戻って来られました。

つまり慣れていらっしゃるんですね~。 まーりたんは、あんなとこまで行くのは

絶対に無理ですが、黒曜石の岬・観音崎を見物に来ていた特に熟年女性の方は、

国東で峯入り修行でも経験してるのかと思うほどの強者が、ほんと多かったです 


こうして逞しい熟年女性を見かけると、真似は出来ずとも、勇気?を貰えます

と同時に、急こう配の崖を要領よく、ひょいひょいと登って行く春夫を追いかける

三五の気持ちを疑似体験 ということで、時々物語の登場人物気分で楽しんだ

今回の姫島探訪レポ、そろそろ、この辺で、お開きにさせて頂こうと思います

長々と、拙い記事にお付き合い下さった方、心よりお礼申し上げます


姫島港・上弦の月も昇ってます

自転車を ビ・ボーンさんにお返しして、姫島港近くの食堂かのやさんで早めの

夕食を済ませた後、フェリーのりば上空には、あらま上弦を少し過ぎたお月様 

ひめしまジオパーク幟の左上あたりです 

それではこれより第11便、18時発の姫島村営フェリーで、国東の伊美港へ

戻ります。 楽しい思い出と貴重な経験を、今回もありがとうございました







●参考、引用文献 : 椋鳩十全集22 『 ふしぎな石と魚の島 』 ポプラ社



本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます


2014/05/08(木) 08:38 | コメント:7 | トラックバック:0 |


ゴールデンウィーク後半、いかがお過ごしでしょうか

我が家は本日より通常可動ですが、お休み中にも貴重なお時間を割いて

ご訪問下さった方、温かい応援・コメントを下さった方、ありがとうございます



今朝は関東で震度5の地震がありましたね 大分でも3月に同じく震度5の

揺れの長い地震があり、その時の事を思い出しました。 被害に遭われた方、

お見舞い申し上げます。 今後の余震などには、くれぐれもお気を付け下さい 





さて、6つめの姫島七不思議、長らくお待たせしてしまい申し訳ありません

前回の記事でご紹介した5月のアサギマダラ休息地・スナビキソウが自生する

姫島北側の海岸から更に西へ 塩田跡地を利用した車エビの養殖場を通り

過ぎた北浦に来ています。 打ち寄せる波の音が心地よい、静かな浜辺です 

姫島七不思議「浮州」の歌碑と渚と男の子

北浦の浜に、例の七不思議歌碑を発見しました 題字は、浮州の模様。

歌碑の右隣には、姫島七不思議 『 浮州( うきす ) 』 の解説板も。

姫島七不思議・浮州(解説板)

解説によれば、北浦の沖合に浮かんでいるように見える洲がそれ( 浮州 )で、

洲の一角には巖( いわ )が在り、その上には漁業の神様・高部様が祀られ

手前には小さな鳥居が建っているのだそう。 また、高部様を祀った巖と鳥居は

満潮の時も、大時化のときでも 海中へ沈む事はないのだとか・・・ナルホド


姫島七不思議・浮州1

浜で何かを探して遊んでる男の子 割ると青く光る不思議な石藍鉄鉱なら

島西端のス鼻ですよ でも、島北端の岬・丸石鼻ではナウマンゾウの化石が

見つかると云うし、ここはその中間地点の北浦。 何か収獲があるといいね 



02-18満潮時でも沈まない浮洲らしきもの発見

そんな男の子の延長沖合いに今回6つめの姫島七不思議・浮州はあるらしい。

画像右側の岬は、ナウマンゾウの化石が眠る丸石鼻。 その左側にイカダ状の

洲があるのは何となく判るけど、コンデジに収めるにはズームにしなきゃ、と



姫島七不思議・浮洲(ズーム)

あ~確かに洲には鳥居が建ってますネ だけど、これが愛機の限界






よって、姫島村企画振興課発行のパンフレット・おおいた姫島ジオパーク構想に

再び助けを求め、姫島七不思議・浮州の写真をお借りしました 

満潮時の海上に浮かぶ姫島七不思議「浮州」

満潮時も、大時化の時でも海中へ沈むことのない不思議な洲 浮州

浮州は同時に、ジオパーク姫島最大の火口でもあるんですね

その直径は700m。 大昔、直径0.7kmの火口から吹き上がる火柱は

どんなだったろうと思います そして、まーりたんが居る北浦もまた火口...。



姫島の浮洲で三五と春夫に出会う。手前の足は保護者の方

おや、新たにフレームに入ってきたのは男の子のお兄さんか従兄か、お友達 

椋鳩十先生の ふしぎな石と魚の島を、実写化した様な景色に出会いました 


主人公の少年ふたりが登場してくれましたので、次回は不思議な石と魚の島に

准えて、三五と春夫が黒曜石の崖をよじ登り、古代人の石切り場に想いを巡らせ、

冒険プランを練った岬 観音崎をご紹介し、今回の姫島探訪記をお開きにさせて

頂きたいと思います 観音崎には、7つ目の姫島七不思議スポットもあります

どうぞお楽しみに






直方市石炭記念館館長の八尋さんから特別に炭坑関連の冊子を頂きました♪

「 まーりたんさん、田川に続いて昨日は直方( のうがた )市石炭記念館を訪ねた

らしく、ずいぶん感激していたなあ・・・。 ここには世界記憶遺産・山本作兵衛

氏の炭坑記録画の原画が8枚
、常設展示されているなんて、僕もびっくりだ




直方市石炭記念公園には作兵衛さんの炭坑画原画8枚が常設展示されています。おや?マンジ君は、

「 元ぽっぽやさんだった館長の八尋( やひろ )さんからは、炭坑の仕事という

稀少な資料まで分けて頂いたと、まーりたんさん大喜びしていたなぁ・・・。

八尋館長さんは、血眼でがぶり寄るまーりたんさんが怖かったのかもなぁ












「 マンジ君といえば、石炭ボタ( 石炭以外の物 )の選別ごっこに夢中だし・・・

選炭場でボタと石炭を選別ニャのだ!炭坑節でも謡いますかニャ








「 “ 月が~出た出た、月が出た~ヨイヨイ ” に続く炭坑節 のフレーズは、

田川伊田抗と歌うか、三池炭鉱と歌うか、非常にデリケートニャ問題ですニャ 」

炭坑節の一節では、三池炭鉱と唄うか、田川伊田抗と唄うか、デリケートニャ問題ですニャ。三井かおらが炭坑で丸く収めますニャ

「 そこで “ 三井炭鉱 ”と歌い、円満解決ニャ 笠智衆氏は往年の映画の中で

おらが炭坑 ” と歌われたのですニャ。 さすがは名優、天晴れニャのだ












「 ま、炭坑節の生みの親は田川、

育ての親は三池といったところですかニャ 」

マンジ君はまーりたんさんと脳内が繋がっているから仕方ないか・・・

「 マンジ君は、炭坑節についてのウンチク独り言まで呟いているぞ・・・ 

オツムの中身は、まーりたんさんと直結してるので仕方ないけど、心配だな・・・。












「 マンジ君、石炭とボタ、上手に分けられたみたいだね

そろそろ手を休めて、田川のお土産・チロルチョコでも食べないかい

ボタと石炭、上手に分けられたみたいだね、マンジ君




「 あっ、マンジ君 それはもしかして石炭の中でもとびきり上質な・・・

マンジ君それは、もしかしてとびきり上質な!




「 筑豊TAGAWA謹製 黒ダイヤニャのだ、こだぬき君 」

黒ダイヤじゃないか、僕も探してみよう!




「 まさか、マンジ君の玩具の中に黒ダイヤが混じって

いたなんて・・・信じられない

NEW石炭時代ウェルカムニャのだ♪

「 NEW石炭時代、ウェルカムですニャ。 VIVA筑豊ニャ~のだ









・・・というわけで 昨日は北の福岡県 直方市の石炭記念館へ。

館長の八尋さんは、これまた一言二言では語れない大変素晴らしい方でした 

そして一昨日は西の筑後、福岡県 大川市へ。 筑後川に架かり、肥前と筑後を

結ぶ 日本機械学会認定の機械遺産 筑後川昇開橋を見学して来ました

現存する国内最古の昇開式可動橋で日本機械学会認定の機械遺産・筑後川昇開橋

福岡県大川市の花宗( はなむね )水門から撮影 サイレンが鳴ると昇開します


また、佐賀市側の袂・諸富町は、秦の始皇帝に不老長寿の薬を持ち帰る約束で、

九州へ渡来した徐福上陸の地 古のロマンと謎に包まれた場所でもあります

佐賀市諸冨町の徐福像。背景は筑後川に架かる現役可動橋・筑後川昇開橋


姫島探訪レポが終了しましたら、順次ご紹介していきたいと思います

それでは皆さま、どうぞ引き続き楽しいゴールデンウィークを







本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます

2014/05/05(月) 17:19 | コメント:12 | トラックバック:0 |
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