大分県
豊後大野市 三重町にある 真言宗の準別格本山
蓮城寺 。
用明天皇の元へ妃として上がる途中に命を落とした愛娘・
般若姫を
弔うため、真名野長者は大陸から蓮城法師を呼び
臼杵石仏 の
制作を依頼。 その際、蓮城法師の為に建立した寺院だと言われてます

元は
内山寺( 内山観音 )という名で、
蓮城寺と呼ばれ始めたのは
鎌倉期以降。
真名野長者伝説を検証した 『
真名野長者考』 によれば、
内山観音の輪蔵内には
聖徳太子像が祀られており、
蓮城寺と命名した
のは般若姫の遺娘、
玉絵姫の異母弟にあたる
聖徳太子という説も


今回は、切なくもロマン掻き立てられる
真名野長者伝説 縁の地より、
蓮城寺裏山の史跡やオブジェなどをご紹介しながら、般若姫の両親である
玉津姫と
炭焼き小五郎(真名野長者)について物語らせて頂きます

邪馬台国が滅亡し、二百余年後の大和国での話。
当時、天皇一族と密接な関係にあり有勢だった中央豪族の娘、
玉津姫は、年頃を迎えたにも関わらず縁遠い事に悩んでいました

「
私がモテないのは、痣のせいに違いないわ
」
そう結論付けた
玉津姫は、
三輪明神の元へ通いつめ祈願

「
三輪明神様、私は美白美人になりたいのです
どうかこの憎っくき顔の痣を取り除いて下さい
」
連日連夜に及ぶ
玉津姫のモーレツな参拝

に、とうとう根負けした
三輪明神は ある夜、姫の夢枕に現れ次のように告げました

「
豊後国に、お前の伴侶となる炭焼き小五郎が居る。 その者を訪ね、金亀ヶ淵で身を清めよ 」
(豊後大野市消防団 第1分団 第5部詰所シャッター壁画)フットワークの軽い
玉津姫は即刻、家臣を連れ豊後国を目指し出発

しかし、お姫様の我がまま冒険旅行に付き合うほど家臣達も暇では無く、
豊後国の深田に着いた頃には
玉津姫は独りぼっちになっていました。
途方に暮れる
玉津姫
そんな時、目の前に一人の老人が現れ、
姫を森の中の炭焼き小屋へ案内すると 姿を消してしまいました。
( 姫の難儀を救った老人は
楠衛門という実在の人物で、没後
真名野長者により手厚く葬られ、発掘調査で石棺も見つかってます

)

炭焼き小屋の近くに美しい渕を見つけた
玉津姫は、そこで顔を洗い
長旅の疲れを癒し、そして水面に映った自分の顔を見て
びっくり
悩みの種だった痣が跡形も無く、綺麗さっぱりと消えています



飛び跳ねて喜ぶ
玉津姫
ふと炭焼き小屋のほうを見ると、
貧しい身なりの青年が薪を背負い、歩いて来るではありませんか。
「
炭焼き小五郎さんに違いないわ!
」
玉津姫は炭焼き青年の前に躍り出ると名を尋ねます。 が、いきなり
繁みから登場したお姫様に驚き、青年は腰を抜かしてしまいました。
「
そっ、そうやけどが、なんかえあんたは
」
( 訳:そうですが、何なんですかあなたは )
※小五郎は大分弁ネイティブスピーカーな為、以下標準語でお届けします。「
私は玉津姫。 あなたを探してはるばる奈良の
都からやって来たのよ、お嫁さんにして
」
顔の痣がすっかり消え自信満々の
玉津姫。 どや顔で迫るも
炭焼き小五郎は、美しい
玉津姫に鼻の下を伸ばすどころか
「
あなたの様な高貴な人はとても養えません 」
と完全に逃げ腰
玉津姫も負けじと、
「
お金ならあるのよ、おほほほほ 」
(豊後大野市消防団 第1分団 第5部詰所シャッター壁画)玉津姫は懐に持っていた金を取り出し、町へ行って食べ物や着物を
買ってくるようにと小五郎に手渡しました

小五郎は不思議そうな顔で
金を受け取ると出て行きますが、30分も経たないうちに戻ってきます。
「
渕に水鳥がいたので、あなたから貰った光る石を投げてみたが、逃げられてしまったよ
」
(豊後大野市消防団 第1分団 第5部詰所シャッター壁画)「
ハァ? 金を渕に投げたですって!?
あれはお金というもので、様々なものと交換が出来るのよ。 小五郎さんはお金も知らないの
」
「
光る石なら炭焼き小屋裏の渕にいくらでもある 」
そう言うと、
小五郎は 呆れ顔の
玉津姫をその渕へ案内しました。
するとどうでしょう、辺り一面至る所から輝く石が顔を覗かせています

二人はそれを持ち帰り、
真名野原に屋敷を建てて暮らし始めます

『
真名野長者考 』 より抜粋させて頂くと、臼杵~三重は鉱物資源の
大変豊かな中央構造線上に位置。 また、空海を開祖とする真言宗の寺は
水銀鉱脈上に置かれています ( 蓮城寺も、般若姫の菩提寺も真言宗 )。
実は、炭焼き小五郎は金も知らない愚か者ではなく、金を含む鉱物と
硫化水銀に炭焼きの熱を加え、金を精錬する術を既に知っていたのでは
ないか

とも推測されています

裏付けとしては、炭焼き小五郎が
黄金によって富を得た、という噂を聞きつけた輩が山へ入ったものの

、
そこには金塊など無く、ただの石ころがあるだけであった、と

さらには、微量の水銀は皮膚の炎症や美白にも効果があるとされ

、
一昔前は傷薬や中国産コスメの一部にも含有。 小五郎は空海同様、
水銀の有用性も熟知し、玉津姫の痣を治したのかもしれません


(
臼杵市深田地区の
化粧の井戸にも、
金亀ケ渕と同じ由来が )
あっ、あれはもしや炭焼き小五郎さん


感慨深げに炭焼き小屋周辺を眺めているウチのダンナさんでした

そんなこんなで、ボケとツッコミ風のやりとりを日々繰り広げつつ、
仲良く楽しく暮らしていたと推測される
真名野長者夫妻ですが、
あまりにナイスユニットだった為か、なかなか子宝には恵まれず

こちら
長者堂 ( 一寸八分観音 ) に祈願

したところ

気立てもよく、後に稀世の美女と讃えられた
般若姫を授かります
長者堂に祀られている
一寸八分観音像は
般若姫の守り本尊でもあり、
般若姫が
用明天皇の元へ嫁ぐ際、無事に奈良の都へ到着できるよう
母、
玉津姫がお守りとして手渡しますが、般若姫一行が乗った船は
周防灘で嵐に遭遇。 沈没は免れるも自分の為に次々と命を落としていく
従者達に心を痛め、
般若姫は自ら海に身を投げてしまうんですね・・・


大魚のお腹から発見された
一寸八分観音像を、用明天皇の皇子
聖徳太子がこの地へ戻し、長者堂に祀ったと言われています

般若姫像が建つ山頂への登山口にある
山王宮。
般若姫を授かる前にここ、
山王宮の神様が
玉津姫の夢枕に現れ、
「 姫を授けるが前世の報いにより短命である、それでも望むか 」 と
尋ねたといいます。
玉津姫は哀しい別れを覚悟の上で般若姫を産み、
真名野長者(小五郎)と二人で、精一杯守り抜こうとしたと考えられます



真名野長者についての記述がある ( と思われる ) 石碑。
かなり古いです

この石碑の近くに
長者夫婦のお墓があります。
で、もはやトレッキング気分でその先の嶮しい山道を登っていくと・・・


ようやく般若姫像の看板を発見

木立越しに般若姫のお顔がチラリ

こちらが
内山観音の般若姫像
20メートルほどある巨像です。
うすき竹宵まつり後編『般若姫行列と絆の灯』 に拡大画像があります



手前は
真名野長者夫妻(炭焼き小五郎と玉津姫)の像です

般若姫は思い出深い三重の地を、こんな目線で見守っているんですね


●参考 : 真名野長者考 :
http://sence-net.com/manano2.html Wikipedia 真名野長者伝説 ・
般若姫物語※本文中の
下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。
記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます