臼杵の総合観光案内所 『 サーラ・デ・うすき 』 のホールには、
16世紀に臼杵とポルトガルとを行き来した南蛮船 ナウ号の模型が
展示されています

帆船で、三百人程が乗船でき、片舵には砲



中国や東南アジアからは絹糸や絹織物、陶磁器などを、日本からは
主に金、銀、銅等の鉱物を積みだしていたナウ号。 大友宗麟の時代、
臼杵は南蛮船が往来する国際貿易港として大変賑わっていたそうです

ナウ号、サーラ・デ・うすき なぅ



壁には、四百年に亘り豊後国を治めた大友氏21代目で臼杵城の築城主
大友宗麟公、そして宗麟の名代としてローマ教皇のもとへ派遣された
宗麟の姪子 伊東ドン・マンショの功績などが紹介されたパネル


臼杵の歴史、南蛮文化との関わりが一目で解るように書かれています

また、パネル下のガラスケースの中には、臼杵城の時鐘櫓跡から
発掘されたクルス刻印瓦を展示。 クルス( 十字架 )を
造る際の鋳型として使用されていたようです。 しかし、この瓦が
造られた時期は16世紀末、刻印が彫られた時期は宗麟の没年で
豊臣秀吉や徳川幕府による厳しいキリシタン弾圧が始まった
1587年以降と考えられており、大変興味深い遺物とされています


ちなみに刻印された十字架の縦長は5センチ、横長は3センチです

同じくキリシタン関連の遺物で、INRI碑という石碑の砕片も

解説板によれば、INRIとは Iesusu Nazarenus
Rex Iudaeorum( ユダヤの王 ナザレのイエス )の略で、
キリストが十字架にかけられた際、頭上に掲げられていた罪状札に
この文字が書かれていたとか。 つまりキリストの受難の象徴ですね


九州のキリシタン達が迫害に耐えるため 心の支えにした崇拝物の様で、
大分県臼杵市 野津町 下藤地区 から発掘されたそうです。
この下藤地区には大友宗麟の実父、大友氏20代義鑑の
お墓や、岩盤を伏せた状態で発掘された 磨崖クルスなども
在る為、このあと訪ねてみました



クルス刻印瓦やINRI碑から、臼杵では厳しいキリスト教弾圧の中でも
信仰を続けた人、新しく信者となる人も大勢いたことがわかります

サーラ・デ・うすきのホール中央には、東日本大震災で被災した
石巻市立大川小学校の写真が。 校庭には銀河鉄道の夜の壁画も。

3月10日の夜に宮城県気仙沼市波路上牧の地福寺で行われた
震災メモリアル鎮魂の夕べに、臼杵市民有志の方々が うすき竹宵の
竹雪洞や竹のオブジェを運び、祈りの広場に並べ参列されたそうです。

ボードには、それについての報告と有志の方々への お礼の言葉、
被災された方々への想いなどが、写真とともに掲示されていました。

被災地から遠い九州に暮らす私たちに出来る事は本当に僅かですが、
それぞれが被災された方々を想い、出来る事をしんけん頑張っています。
ですから、希望の灯をどうか護って下さい。 お願いします。 まーりたん
おや


抱き杏葉( ぎょうよう )紋に筆十字クルス

この馬印はもしや


豊後大友宗麟鉄砲隊です

サーラ・デ・うすきのパティオで出陣式が始まってました


勇ましく刀を振り上げ、「 いやさか 」 と叫ぶ隊長さん。
カチャッという甲冑の音がして、隊員さん達は暫し直立不動の体勢に。
大きくはためく宗麟ジャック。 カメラのシャッターが切られ、中庭はやや
張りつめた空気に包まれますが、やはり日本人だからかな、ハートは

豊後大友宗麟鉄砲隊は、戦国時代に九州6か国を統治し
キリシタン大名として西洋文化や医療技術をいち早く導入した
大友宗麟公の偉業を讃え、史実に基づく火縄銃の演武で当時を再現、
大友氏の歴史や古式火縄砲術武道の伝承と保存などの活動を目的に
結成されました。 メンバーは、バンドマンからボーイスカウトの指導や
高崎山自然動物園のボランティア説明員をライフワークにされている方、
剣道や居合いなど日本古来の武道家や古式銃研究家の方、大友氏の
有力武将 鶴賀城主「 利光宗魚 」の流れを汲む方まで様々です

●豊後大友宗麟鉄砲隊 ( 豊後火縄銃保存会 )公式サイト参照
http://bungohinawajyu.giving.officelive.com/default.aspx

再び太鼓とほら貝の音が鳴り響き

余興で、町内を甲冑姿で練り歩く武者行列がスタートしました

よーし、先回りダ


ここからはサクサクっと行きまーす

で、やってきたのは中央商店街、八町大路。

安土桃山時代から続く歴史ある商店街で、メインストリートです。
うすき竹宵の 般若姫行列


コチラはフジジン醤油さんのアンテナショップ 富士屋甚兵衛


しょうゆソフトなるものも堪能できます


そしてカウンターには今日も・・・

居ました

富士屋甚兵衛の看板ボーイ、とっくりこだぬき君


ウチのこだぬき君のご兄弟です。 しっかり店番をしていますね

やっぱり ひたむきで可愛いとっくりこだぬき君

マンジ君も少しはこだぬき君を見習いなさい



ブォォ~、かすれたほら貝の音に乗って
豊後大友宗麟鉄砲隊 甲冑武者行列現わる


「 地球が征服されるぅ~

嬉しそうに叫びながら、まーりたんの周辺で駆け回るボクが約1名

多分、ダースベイダーかなんかと いっしょくたにしているのでしょう

ああ、良かった

大分んばかごは、まーりたんを最後に絶滅したかと思いよったけん。
「 ばかごよ、大志を抱け


・・・とは言ってません。
各商店を回り、景気づけサービスをして下さっているのです

あらら

よく見たら、麗しい女武将さんもいらっしゃいました


さては島津の大軍を酔わせ、鉄砲隊を指揮して一網打尽にしたという
鶴崎城主の妻、吉岡妙林尼


凛とした佇まいの とてもお綺麗な方です

もしや、妙林尼や ぎん千代は おんなおいさんの祖


八町大路から八坂神社へと、甲冑武者行列は更に練り歩き・・・

臼杵城址 大手門公園に到着


すでにギャラリーで犇めいてます

清めの儀式が行われ、火打ち石を用いた種火の着火です


意外と早く点火するのにはびっくり

「 これより演武を開始する

鉄砲隊配置につけ~。 陣形をとれ 」

「 撃ちかた用意。 火ぶたを切れ

「 放て


最初は、片手で撃てる短筒火縄銃でのソロ演武

短い銃は手軽そうに見えますが、扱い難いんだそうです。
「 続いて後列部隊、放て


花火大会のような爆音が轟きます


子供さんは耳を塞いで下さいとの注意も

で、見た目標準サイズの火縄銃を一斉に放った後列部隊の中に、
一人大きくのけ反ってる方がいらっしゃいます。 麟の旗の所

その方が撃ったのがコチラ、
大分県に一丁しかないという大筒火縄銃


口径は3cm、重さは何と20キロあるそうです。
これより大筒火縄銃でのソロデモンストレーションをして下さいます

ドーン



凄まじい威力で、やっぱりこんな感じにのけ反っちゃいます

大筒火縄銃を扱えるのは、この隊員さんだけなんだとか。
撃った後も次の準備に大忙しです


ところで女武将さんは、もう一名いらっしゃるモヨウ

お顔は写っていませんが、藍色ベースの甲冑姿の方、女性ですね。
ふたりの女武将さん、やはり吉岡妙林尼と ぎん千代かしら

豊後大友宗麟鉄砲隊 火縄銃空砲演武の終盤では連隊を組み、

戦さながらの迫力で、間髪をいれず連射




まるで花火大会のフィナーレみたいな炸裂音


まーりたんがもし戦国の世に兵隊さんとして生まれていたら、
実際に撃たれなくても音だけでひっくり返ってしまうでしょう

450年前、この場所で大友軍は島津軍とこんな風に戦ったのかしら

なんてコトを考えていたら・・・





火縄銃演武のラストは、大友宗麟がフランキ砲をブッ放したのと同じ
石垣の上でデモンストレーションして下さるとのこと



ただ、ラスト演武は島津軍への攻撃の再現ではなく・・・
「 火ぶたを切れ~ 構え!
これより東北の方々へエールを送る! 」

「 放て! 」 でした


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