来年の大河ドラマ 『 軍師 官兵衛 』 で、主役の黒田官兵衛( 黒田如水 )役を
演じられる岡田准一さんが昨日5日、黒田家の廟所・博多の崇福寺に
お参りされたそうですね



黒田如水は慶長9( 1604 )年3月20日、療養先の伏見の藩邸で、
福岡から駆け付けた息子の黒田長政に看取られて59歳の生涯を閉じます。
亡骸は京都の大徳寺に葬られますが、息子の長政は福岡の崇福寺にも
廟所を築き、以後、崇福寺は黒田長政以降の歴代藩主の菩提寺となります。
もともと歴史好きで知られる岡田准一さん。 ザ・プロファイラー、観てましたよ

現在は黒田如水関連の本を片っ端から読破されているらしく、
ボチボチ如水公が岡田さんのところへ降りて来られる頃でしょうか

どうぞお体にお気をつけて、人間・黒田官兵衛を演じ、混沌とした時代に生きる
私達へ、希望と生きる力を与えて下さい。 楽しみにしています


さて、今日は広島に原子爆弾が投下されて68年目の原爆の日です。
昭和20( 1945 )年8月9日には、続けて長崎に原爆が落とされ、
死者10万人以上を出して同年8月15日、日本は終戦を迎えます。
恥ずかしながら広島の原爆ドームは未だ見学した事がありません。 だけど、
長崎の原爆資料館や爆心地には、これまでに3~4回訪れた事があります。
で、今朝ふと思い立ち本棚をゴソゴソしてみたら、中学校の修学旅行で
長崎を訪れた時の文集 『 修学旅行を顧みて 』 が出てきました。

大分市は昨日まで曇り空で、猛烈な暑さもひと段落したかに思えたのですが、
今日は再び朝から強い陽射しが照りつけ、蝉しぐれの猛暑が戻ってきました

大分からそう遠くない広島や長崎も、68年前に原爆が落とされた日はきっと、
こんな朝で始まったのではないでしょうか。 そして今日も昨日と同じように、
夕刻には家族の待つ家に戻り、お風呂に入って一日の疲れを癒し・・・。
皮膚がぼろぎれのようになる熱線に焼かれるなど、誰が想像したでしょう。


読み返してみると、30年前から頭の中身がまったく進化していないのか

文章のクセを含めて、今思ったり感じている事と殆ど変わりがありません。
子どもが真剣な思いでこの様な事を訴えると、世を動かす大人たちは喜んで
くれますが、これまたどういうわけか、世の中は少しも変わらないんですね。
誰もが子ども時代に抱いた素直で、まともな志や信念を実際に行動に移せば、
大衆を操作する姑息な手段で潰され、足元を見られては飼い慣らされ、
そんな現実を理解して受け入れたふりをしなきゃ、青いだの世間知らずだのと
揶揄され・・・。 大人になるとはどういう事なんでしょうか。
躍起になるほど思う壺で、熱意は別の目的に利用され、精根尽き果てるのを
手間が省けてこれ幸いと、死んだ目をして待っている養殖魚もウヨウヨ・・・。
まーりたんも当然ながら凡人女子ですので、高校生活に入ってからは恋愛や
友人関係、中央が仕掛ける流行に、まんまと関心を奪われ、これまた思う壺。
そうした中で、いつしか戦争は遠い遠い昔の出来事で、夏休みの登校日に
学ぶもの、暮らしを便利にする原発と原爆は別、みたいな感覚になってました。
その結果招いてしまったのが、2011年3月の福島原発事故なんでしょう。
他人と同じでなければ不安。
人の心の弱さは、遥か昔から志ある人を滅ぼし、失脚させてきました。
ご存知の方も多いとは思いますが、宮澤賢治の作品 風の又三郎には、
自分の考えの及ばない者への焦燥感が、恐れや不安に変わり集団で疎外、
そうして失って初めて、自分達が疎外して棄てたものが二度と戻らない
掛け替えの無い宝だった事に気づき、その尊い犠牲の上にやっと学びを得る、
そんな人間の浅はかで残酷な部分が、ファンタジックに描かれています。
身勝手な人間の為に犠牲になってくれるものは、無限ではありません。
また、犠牲になるのは人だけとは限らず、美しい海や山や、そこに根付き
心身のバランスを整えてくれる伝説や信仰や、様々な生き物たちだったり・・・。
希望の灯も、片っ端から水を掛けられれば、思った以上に簡単に消えます。
それがどういうことなのか、気づかされるのはもう少し先かもしれませんが。

「 戦国時代に比べたら、戦争も原発事故もついこニャいだの事ニャのだ 」
大分市も68年前、終戦直前の空襲で焼け野原となり、宇佐市には掩体壕や
特攻機が飛び発った滑走路跡など、戦争を身近に感じる歴史や遺産も残って
います。 今日は、30年前の自分や友人が戦争について綴った文集を読み返し、
原爆で人生を奪われた方や、今も後遺症で苦しむ方々を想いたいと思います

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