大河ドラマ 『
軍師 官兵衛 』、満を持してついに昨日スタートしましたね


御覧になられた皆さま、如何でしたでしょうか


秀吉さんの天下統一を参謀役というポジションから支えた 岡田准一さん扮する
主人公の官兵衛さん( 黒田官兵衛孝高=黒田如水公 )は姫路のご出身ですが、
拙ブログでも度々記事にさせて頂いている通り、大分県にも大変ゆかりの深い
先人さんです。 なので、一昨年の10月に今回の
大河放送が決定してからは、
ハリー・ポッターの誕生を待つかのごとく

、この日を心待ちにしてきました


画面左側の柱

検索フォーム枠内に、「 黒田官兵衛 」または「 黒田如水 」の
キーワードを入力して検索ボタンを押して頂ければ、これまで訪ねた官兵衛さん
ゆかりの史跡紹介記事一覧が表示されます。 ご興味ある方はどうぞ

黒田官兵衛さんは、天正14( 1586 )年7月25日、秀吉さんから
九州平定の
露払い( 先鋒 )を命じられ、翌年その功によって福岡県東部~大分県北部に
当たる
豊前( ぶぜん )6郡12万石を拝領。 大分県中津市の山国川河口域に
豊前
中津城を造営し、初代城主となります

夕べ、ご当地である中津市では
商店街に大型モニターを設置しての鑑賞イベントも催された様で、放送終了後に
メディアのインタビューをお受けになる中津市長さんの

嬉しそうに涙ぐまれた
優しげな笑顔を今朝のニュースで拝見し、胸がじーんとしてしまった次第です
歴史にお詳しい方ならご存知とは思いますが、稀代の天才軍師としても名高い
黒田官兵衛さん

だけど、傍目に映るスマートさや運の良さは、状況を的確に
素早く判断&合理的に処理する能力よりも前に、物事を成し遂げる為には先ず
相手を思いやる心や、全身全霊で臨む覚悟が必須だと知っていたからこそ
大河・軍師官兵衛の第一話は、九州を平定した秀吉さんの天下統一総仕上げ
天正18( 1590 )年6月24日、小田原征伐の交渉シーンから始まります。

小田原城を武力で攻め落とそうとする秀吉さんに待った

を掛けるのは、軍師・
黒田官兵衛さん。 官兵衛さんは小田原征伐の前年に、豊前の宇都宮氏一族を
保身のため滅ぼしたばかり。 黒田家の存亡に関わる のっぴきならない状況下
だったとはいえ、豊前領民に慕われる武将の鑑みたいな
地頭・宇都宮鎮房公を
謀殺した事で、これまでスマート&人命尊重がウリだった自らの戦歴に大きな
汚点をこさえてしまいます。 良心の呵責に苛まれてか、息子の長政へ家督を
譲り、秀吉さんには隠居を願い出ていた官兵衛さん。 心もプライドもズタズタ。
引き籠って自分を見つめ直したい心境の時なのに、これまた秀吉さんに頼られて
九州は豊前・中津から遥々、関東の小田原征伐へ引っ張り出されるんですね

「
人は生かしてこそ使い道があるのでございます 」 小田原の本陣で
そう進言する44歳の官兵衛さんの言葉に、ニヤリと笑う秀吉さんは御年53歳。
このセリフは官兵衛さんが遺した数ある名言のひとつですが、言葉だけを聞くと

何だか腹黒そうで頂けない感じです。 でも、勝手ながら まーりたんが思うには、
今の秀吉さんの心に素早く届き、武力行使を円滑にストップさせられる言葉を
官兵衛さんは真剣に考えて、選んだに他ならない気がするんです。
少し前までは、足りない部分を補い合う兄弟同然に天下を目指した秀吉さんと
官兵衛さん。 でも、この時すでに秀吉さんは雲の上の人

おまけにちょっと
勘違いも起こしかけているし( 小田原征伐の翌年、秀吉さんは朝鮮出兵の為の
軍事拠点・
肥前名護屋城の縄張りを行うよう官兵衛さんに命令します

)、
そんな秀吉さんへ真正面から、或いは啓蒙的に諌めても恐らくダメでしょうし

このセリフ一つとってみても、どんなに振り回されても疎まれても、かつての同志
秀吉さんの胸中や立場を思いやる官兵衛さんの心遣い、品格が伝わってくる様。
北条氏政、氏尚親子に講和を説得するため小田原城へ乗り込むのは、勿論
官兵衛さん。 しかも丸腰

今回、軍師官兵衛の歴史考証を担当なさっている
小和田哲男先生の著書にも、そう記されてます。 ドラマでは、小田原勢から
威嚇の矢玉が交渉人・官兵衛さんへ向けて派手に放たれ、そのうちの一つ

が
彼の頬をかすめ、一筋の血が流れます。 ここはなかなかの掴みシーンですネ

治らない足を引きずってでも、矢玉を浴びせかけられても、信念を持って進む。
人間・黒田官兵衛を演じようとして下さってる岡田さんの気迫を感じたのと同時に
ぎりぎりの演出で、大切な事を幾つも投げかけてくれた場面だったと思います

ドラマのさわり部分を少しお話するつもりが、いつもの如く長くなっちゃいました

御覧になられてない方も多いと思うので、以後の内容は割愛させて頂きます

今回、大河のナレーションは原点回帰を象徴してか、藤村志保さんですね。
凛とした中にも昔話を語る様なふんわりとした癒し感のあるお声で、良いですね

オープニングでは、岡田さんが颯爽と跨る馬が次第に霞を纏った白馬へ変化して
いきますが、官兵衛さんが生まれた時に
姫路城を覆ったという伝説の雲を表現
している風でもあり・・・物語に組み入れてしまうと神話になっちゃいますもんね

最後になりますが、時宗の開祖・
一遍上人が、弘安元( 1278 )年に備前地方
( 現在の岡山県瀬戸内市 長船町 福岡 )を遊業したときの様子を描いた絵巻物
『
一遍聖絵 』 より 「
福岡の市 」 ( 京都国立博物館所蔵 )を



岡山県の
福岡は、官兵衛さんの曾祖父・黒田高政( 黒田重隆の父 )が、
近江から移り住んだ商業集落で、この絵は当時の様子を窺い知る事の出来る
貴重な資料として、
小和田哲男先生の著書にも紹介されています


黒田官兵衛さんの息子で、後に関ヶ原の戦功で筑前52万石の大大名となる
黒田長政は、
福岡城を築城した筑前( 福岡県北部 )
福崎の地を、黒田家繁栄の
出発点である岡山県の福岡の地名をとって、
福岡と名付けるんですね。
別府の鉄輪温泉を開いた一遍さんとも繋がっていた事で、何だか嬉しくなって
ご紹介させて頂いたんですが、ソレ知ってるよ~と言う方、どうぞご勘弁を

大河ドラマ・軍師官兵衛、第二話の放送が待ち遠しいです

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