2011年3月11日の東日本大震災から2年が経ちました。
震災が起きた直後は、一個人でしかない自分の無力さは重々承知で、
だけど、こんな私にも何か少しでもできる事はないだろうかと、
調べた情報をブログ記事にしたり、僅かながら被災地の産品を購入したり、
地元で東北応援イベントが開催されれば、散策を兼ねて足を運んだり。
取るに足らない、そして自己満足に過ぎない支援をしてきました。
また、ご家族と北九州へ疎開されてきたブロガーさんとも交流が始まり、
支援という枠をこえて、すっかり友人になったつもりでいた矢先、
そのブロガー “ みゃおさん ” が、ブログを突然停止してしまい、
どうかお元気でいてくれればいいと願いつつも、やはり自分のやった事は
全て、空回りだったのかと落ち込んだり...。
“ あの日を風化させない ” 近頃メディアでよく見聴きする言葉ですが、
皆さんは決して “ 忘れかけている ” のではなくて、被災地に送ったはずの
義援金が使われるべきところに活かされてない現状や、復興が着々と
進む地域がある一方で依然、故郷を奪われたままの方々、再興どころではない
地域もあり、なにより震災に遭われた方すべての心に刻まれた癒えない傷に
一個人の無力さを痛感し、閉口してしまっているのではないでしょうか・・・。
震災から2年目を迎えた今日、もどかしい気持ちを抱えながら
まーりたんも正直、何を書けば良いのか分からない状態だったんですが、
震災前からブログを通し 交流させて頂いている宮城県 岩沼市在住の
ブロガー “ yossiさん ” が昨日、東日本大震災から2年経った
今のお気持ちを綴った記事を更新して下さってました。
一人でも多くの方にお届けしたく、以下に転載させて頂きます。
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●震災から2年、岩沼市の復興は・・・(1)
今日は2013年3月10日。
明日で東日本大震災が発生した日から2年が経ちます。
亡くなられた方々のご冥福を、改めてお祈りします。
また、この2年間に募金やボランティア、
その他ブログ等様々な形で支援の気持ちを届けてくださった、
日本全国、そして世界中の皆さんに、感謝の気持ちを申し上げます。
今日は久しぶりの更新ということもあり、
ここ数ヶ月の間に僕が感じていたことを、少しだけ書こうかと思います。
最近ブログのことを思い出すたびに、僕が住んでいる宮城県の岩沼市、
その復興の状況に関して書こうと思っていたんですが、
どうしても上手く言い表すことができませんでした。
別に上手いこと書こうとしたわけでもないんですが
正直、こちらに住んでいる者としても、
「 復興がどの程度進んでいるのか、よくわからない 」 というのが
本音なんです・・・。
改めていま考えていたんですが、やっぱりわかりません。
少し休憩してから、続きを書きます。
●震災から2年、岩沼市の復興は・・・(2)
先ほどの続きです。
復興がどの程度進んでいるのかよくわからない、と書きました。
復興といった場合、震災以前の状態に戻る、
という意味合いがあると思うんです。
インフラの面に関しては、ある程度進んでいるのかもしれません。
現在も毎日どこかしらの道路で、
「 地震で壊れた道路( もしくは下水管 )を直しています 」
という看板と、その工事現場を目にします。
なので完全な状態ではありませんが、それでも1年前あたりよりは
だいぶデコボコの道も減ったように感じます。
ただ、道路は直っても、例えば沿岸部の場合、
その道路沿いの土地は家やビルの瓦礫が取り除かれたまま、
土がむき出しになった土地が並び続けています。
そのためインフラに関しては、
とりあえず道路はある程度直っているけど、
家やビルなどの建物は失われたままのところもあります。
新たな住宅やアパートも、だいぶ建設されてきてはいますが、
どうしても沿岸部は震災・津波のイメージもあるため、
あまり入居者が入っているようには見えません。
安心して住むことができるのなら、
徐々に人も住み始め、賑わいも戻るのかと思います。
でもその安心が、一番難しい。
沿岸部でなくとも、そもそも放射線量の面で、
どこにいれば安心なのか、それが最も困難な課題。
このことだけでも、
復興ということがどれほど時間がかかることなのか、痛感します。
●それでも生きていく(岩沼市の復興・3)
前回の記事で、安心という言葉が出てきましたが、
復興に関して一番難しいかもしれないけど、
それでも重要な点は、この安心だと感じます。
心が安らぐと書いて、安心。
もちろん、大きな地震が今後発生しない地域なんて、
どこを探してもないから、
あぁここに住んでいれば地震は大丈夫だ、という意味では、
完全な安心というのはありえません。
僕は、安心とは希望とセットになっているものだと思っています。
自分たちの将来に希望を感じることができないと、
心が安らぐ、安心することはありません。 逆もまた然り。
震災から数週間後、電気やガスが完全に復旧し、
食料もある程度スーパーに並ぶようになり、
放射能や余震の不安は続きながらも、
とりあえず食べ物等に困ることはないという、
僅かな安心とともに 僕たちは少しずつ希望を取り戻してきました。
この先の安心、
つまり放射能や、その食料品に対する影響等を考えた場合、
( 既に影響が出たワカサギ、それを食べた大魚への影響etc. )
とても安心とは言えず、むしろ希望の反対、
絶望という言葉が、時折僕の脳裏をかすめることがあります。
それでも、僕たちは生きていくしかない。
しかない、じゃなくて、生きたい。
どれだけ絶望していて、お先真っ暗に思えても、
誰かに「 じゃあいまこの瞬間にお前を殺してやろうか? 」
と聞かれたら、ふざけんなこの野郎、と思う。
地震だろうが津波だろうが放射能だろうが、
他にも最近もニュースにありましたが、
いじめだろうがリストラだろうが何だろうが、
とにかく自分や家族や友人の命を奪うこと、
命を追い詰めることは絶対に許さない。
できることなら星一徹がちゃぶ台をひっくり返すくらいの勢いで、
そんなネガティブなものを全部追い払って、
僕たちは笑って生きていきたい。
それが、生きたいという気持ちだと思います。
最後に、僕の好きな曲を。
ELVIS COSTELLO/エルヴィス・コステロの 『 smile 』 です。
「 微笑んで 微笑んで どんなに心痛んでいようとも
微笑んで どんなに辛くても
空に雲が立ち込めている時 不安や哀しみの中にあっても
微笑んでいれば きっと切り抜けられるでしょう
微笑んで
そうすればきっとあくる日 太陽があなたを照らすでしょう
喜びに 明るい顔を見せて 悲しみのすべてを隠して
涙が出かかっている瞬間こそは 歯を食いしばりがんばる時なんだよ
微笑んで
泣いたってどうにもならないもの 人生まだまだ捨てたもんじゃないよ
微笑みさえすればきっと分かるはず 」
転載は以上、 yossiさんのブログ
オルゴールCDマニア♪ http://orgelbox.blog129.fc2.com/ より
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復興の原動力となる心の元気、意欲は夢や希望から生まれます。
死んだ目をして意欲をもぎ取っていく煮ても焼いても食えない魚は、
当たり前みたいに養殖場でうようよ泳いでいます。 それもまた世の中。
だけど、拙ブログをご訪問下さった一人でも多くの方が、こんな呆れた中年
( まーりたんの事です! )も実在するんだと笑顔になったり、わくわくしたり、
温かな気持ちになったり、 “ ま、世の中捨てたもんじゃないな ”
そう少しでも感じて頂けるような、ちょっと素敵な出来事を これからも
自分なりに性懲りもなく探し、頑張って綴って行こうと思います。
エネルギーは要りますが、心が喜ぶことでもありますので

もうすぐ東日本大震災の起きた14時46分を迎えます。
震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
そして一日も早く、皆様に心穏やかな普通の暮らしが戻ってきますように。

記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます

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