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まーりたん

Author:まーりたん
大分県で暮らす四十路主婦
“ まーりたん ” の
ブログへようこそ(*^^*)♪

日々を彩る ちょっと素敵な
出来事を我が家の笑導犬?
マンジ君と楽しくお届けして
ます。目下、郷土史に夢中♪
心躍る探訪をご一緒に。

臼杵の富士甚醤油マスコット
キャラ・とっくりこだぬき君が
仲間入りしてからは、嬉しさ
余ってマンジ君の“ 悪がね ”
ぶりもますますエスカレート。

そんなふたり(2匹)の様子も
併せてお楽しみ下さい(*^^*)

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まーりたんが物心ついたばかりの頃、実家の三軒先ぐらいに 山中さんという

お宅がありまして、 「 山中のオバチャンとこ行ってくる

親にそう言い残しては、しょっちゅうお邪魔し 入り浸っていた記憶があります。 





山中のオバチャンは品があって、おばあちゃんと呼ぶにはちょっと早い 初老の

ご婦人。 とうの昔に亡くなられて、今はリノベしたお宅に別の方が暮らされて

いますが、当時は 息を弾ませてピンポンを鳴らすと 山中のオバチャンは

いつも直ぐにドアを開け、にっこりと笑顔で迎え入れてくれました 靴を脱ぎ、

暗い廊下を歩いていくと、庭からの陽光が射し込む右側奥に 小さなホール風の

部屋があり、床の間みたいな場所には キリスト様の像がありました。 大きさは

縦横仏壇ほどで、チビッコまーりたんには、自分と同じ位の背丈に感じました

そう、まーりたんが大好きだった山中のオバチャンは、キリスト教の信者さん   

ペトロ・カスイ・岐部神父の資料を収蔵・国見ふるさと展示館

昨年末レポをお届けした ペトロ岐部カスイ神父記念公園に隣接する史料館

国見ふるさと展示館内、ペトロ岐部神父縁の品々が並ぶ窓辺の写真です。

山中のオバチャン宅のイエス様が居る部屋も、ちょうどこんな具合にキリスト像

周辺の装飾品が太陽光に透けてキラキラ輝きそれを見るのも大好きでした





おやつを頂く前には、まーりたんも山中のオバチャンの隣で真剣に イエス様へ

手を合わせます 山中のオバチャンは まーりたんに対し、キリスト教について

説く事は勿論、イエス様への正しいお祈りの仕方を教える事すら一切しない方で、

微かに記憶に残っているのは、いつも穏やかに、ワンパクお邪魔虫まーりたんを

優しく見つめてくれていた笑顔だけ





どうでもいいですよ的なワタクシ事、ついでにもうひとつお話させて下さい

まーりたんの本名は、7つ年上の姉の名と語呂が合うように父が考え、名付けて

くれたものですが、その漢字を考えて下さったのは山中のオバチャンだという事を

随分後になって聞かされました まーりたんは間もなく父の転勤で中津へ越し、

再び大分へ戻った時には当時の事はすっかり忘却の彼方、というかお年頃?で

興味は他の事に移ってしまっていて、山中のオバチャン宅を訪ねる事もせず。 

そのくせ今頃になって、ふと思い出してみたり・・・、身勝手なものですね。 

郷土史探訪は気紛れに、遥か遠い記憶の淵にある想い出も探してくれる様です。







こんな理由で今回は小倉探訪記をお休みして、年をまたいでしまった昨年末の

キリシタン十色・ペトロ岐部神父記念公園の続編を綴らせて頂きます

国見ふるさと展示館・庭園

国見ふるさと展示館は幕末期、下岐部地区の総代庄屋を務めていた

有永三郎氏の母屋、離れ、蔵、庭園、馬屋から成る豪放なお屋敷を保存し、

郷土の先哲・ペトロ岐部カスイ神父に関する貴重な資料をはじめ、国東の

六郷満山文化や民俗文化等を紹介する史料館として一般に公開しています。

六郷満山文化の紹介


17世紀初頭、オランダのカエリウス世界地図( 1609年版 )を基に、

イエズス会画派の手によって描かれたとされる四都図 世界図屏風( 複製 )

ローマへの道程

下のガラスケースには、宣教師ルイス・フロイスが、ペトロ岐部カスイ司祭に

ついて記録した 日本史の一節( 原典はリスボン・アジュダ図書館所蔵 )が。

ルイスフロイス日本史の一節

先週金曜にテレビ朝日でスタートしたコミック原作のドラマ・信長のシェフでは、

ダニエル・カールさんがルイス・フロイス役を演じられていて、和みました

宣教師の中には野心を持っていたり、ミッションを負わされていた方も居た様

ですが、ルイス・フロイスさんは心から日本を愛し、熱心に研究された方の様 




それにしても信長さんに気に入られ、秀吉さんとも面識があり、大友宗麟公が

洗礼を受けた天正6( 1578 )年には豊後の布教長として大分県に居て、

宗麟公の記録も残しているルイス・フロイスさん、凄すぎです


日本報告書(久家の大蔵・壁面アズレージョ)日本史を執筆するルイス・フロイス

臼杵のアズレージョには、天正8年( 1580 )年に大友宗麟の寄与で

臼杵ノビシャド( 修練所 )を開校し、教鞭も執ったヴァリニャーノ神父から

執筆を命じられ、日本史を著すルイス・フロイスの肖像も描かれています。

( タイトル・日本報告書 ルイス・フロイスはヴァリニャーノ神父の通訳も

務めていた、と臼杵市観光協会・南蛮文化研究会発行の資料にありました。








こちらは国見ふるさと展示館内の資料です

ポルトガル人イエズス会宣教師 アントニオ・フランシスコ・カルディム著

日本の精華 1646( 正保3 )年  ローマ刊

日本の精華1646(正保3)年ローマ刊・ポルトガル人イエズス会宣教師アントニオ・フランシスコ・カルディム著

日本人殉教者の事績が収録されています。 ペトロ岐部神父については

肖像の他、インドから聖地エルサレムへの巡礼、ローマ到着、イエズス会

入会、帰国までの行程、長崎における司祭としての活動、江戸での拷問、

殉教についてが綴られているそうです。 国見町の所蔵です

ペトロ岐部神父についての詳細は、昨年末の記事 コチラをご覧ください







 
見事な梁が目を引く母屋の二階はギャラリースペースで、日展の審査員も

勤めた洋画家・江藤哲画伯ほか、国見町出身の陶・工芸家の作品を展示。 

国見出身の芸術家の絵画も展示


国見ふるさと展示館の入館料は、大人200円です。

所在地は、大分県国東市 国見町岐部536

開館時間は、午前9時~午後5時 ( 電話・FAX 0978-83-0321 )




受付の方が、順路と展示物について簡単に説明して下さった後は自由見学。

まるで老舗高級旅館を仮寓とする明治の文豪にでもなった気分で、のんびり

悠々と、築140年のお屋敷( 史料館 )内の散策&見学が愉しめます








茶室がある離れの縁側で、立派なお庭を眺め寛ぐのはウチのダンナさん。

お庭を眺めて寛ぐ人

冒頭のまーりたんみたく、記憶の淵へ心の旅に出掛けているかもしれないので

このままそっとしておこうっと  隠し撮りはしますけどねー










本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます


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2013/01/15(火) 19:57 | コメント:6 | トラックバック:0 |


小さなハッピーをチョコチョコ届けてくれることで定評の( 個人的に? )ある

三毛猫兄弟太郎君&次郎君が鎮座する富来港 マネーき猫公園に続き

訪れたのは、国東半島の北東端・国東市 国見町 岐部( きべ )地区です

西へ少し走れば、大分県と山口県を結ぶ周防灘フェリーが寄港する竹田津港

国見ふるさと展示館・岐部地区案内板

岐部観光マップ( 現地解説板 )によれば、鎌倉期ここは 岐部荘( きべのしょう )と

呼ばれ、豪族・岐部氏が治めていた土地のモヨウ 戦国時代は、豊後守護の

大友氏に仕え、岐部氏は国東の浦辺水軍として海上輸送、交易、警護に活躍 

九州における関ヶ原 石垣原の戦いでは、宗麟の子・大友義統( よしむね )軍と

して戦いますが、黒田如水軍に敗れ岐部一族は離散。 江戸時代に入ると岐部

地区は杵築・松平氏の分領地を経て、幕府の直轄地・天領になったそうです






国東半島は、人々が太古の昔から信仰してきた神様と、6~7世紀に新しく日本へ

やってきた異教文化 “ 仏教文化 ” の両方を認め、大切に崇めましょうという考え

神仏習合文化 )が生まれた場所でもあるんです 後程ご紹介させて頂く

国見ふるさと展示館には、神仏習合文化発祥地とされる宇佐神宮祭神の化身

仁聞菩薩が国東半島に拓いた、山岳での仏教修行( 六郷満山文化 )の紹介や、

国見出身の偉人に関する貴重な史料、芸術家の作品を数多く展示しています







国見ふるさと展示館駐車場の一角には、僅かながら 岐部城の遺構も。

鎌倉時代に岐部成久(1281年の弘安の役で活躍)によって築かれた山城・岐部城址

岐部城は室町時代、岐部成久によって築かれた山城で、現在は城山公園に

なってます。 残されているのは石垣と曲輪、それに家臣さん達の供養塔

築城主の岐部成久は “ 元寇 ” で知られる2度めの蒙古襲来時・1281年の

弘安の役で活躍し、戦功をたてた水軍の将であったと伝えられています

( ※岐部城の築城時期については現地の木標を参考にさせて頂きましたが、

築城主との年代が合わないため、鎌倉時代後期ではないかと思います )
 








山城・岐部城址に建てられた十字架を背に、すっくと立つこの方は、過去記事

マンジ君の大分銘菓レポ 『 ペトロ岐部 』 で、不屈のバテレン( 司祭 )として

御紹介させて頂いた、国見町岐部地区出身のペトロ・岐部・カスイ神父さん。

十字架を背にローマを向くペトロ岐部神父の像

両親は、父・ロマーノ岐部と、母・マリア波多。 父・ロマーノ岐部は、大友氏

重臣・岐部一族で、主君のキリシタン大名・宗麟の影響で夫婦揃ってキリシタン

16世紀の大航海時代、海の向こうの神の国に憧れを抱きながらも果たせず

戦国乱世に翻弄され、志半ばでこの世を去った大友宗麟公の没年( 1587年 )に

奇しくも生まれたのがペトロ岐部カスイでした しかも宗麟が没した2か月後に、

秀吉さんがバテレン追放令を発令 これは大名領地単位で増えるキリシタンが

力を持ちすぎるのを恐れ、日本が西洋に植民地化される事を懸念しての決断。  







また秀吉さんは九州征伐の折り、有馬( 長崎 )の女性にアプローチしたところ、

私はキリシタンだからNOと、長崎女子全員に振られちゃった事も理由の一つ

らしいです 秀吉さんは豊後鶴崎の女傑・吉岡妙林尼さんと、立花道雪の娘で

立花城を守った女城主・立花ぎん千代さんにも迫ったという逸話も残り、これは

いかにも秀吉さんらしいオチャメさと、リップサービスを匂わせる理由ですよね








実際、南蛮貿易に於いては日本人を奴隷として売買することも横行していて

( なかには薩摩軍の捕虜となり、肥後へ送られた豊後の人々もいたとか )、

逆に、西洋からは黒人の奴隷が織田信長に送られ、家臣に迎えられたとも・・・。

当時の西洋では珍しい事ではなかったのかもしれませんが、日本でのキリスト教

布教の妨げになるのを理由に、イエズス会の宣教師たちは1560年代以降、

ポルトガル国王に奴隷貿易禁止の訴えも起こしており、後にこれは叶えられる

ものの、根絶には至らず・・・。( ●参考 : 日本史ブログ しばやんの日々 ) 

しばやんさん、ありがとうございました ニッケイ新聞の記事も読みました。








キリスト教徒への風当たりが次第に強くなる豊後( 大分 )、宗麟没年に生まれた

ペトロ岐部さん。 幸い、個人でのキリスト教信仰は禁止されていなかった為、

幼少期に洗礼を受け、一族の期待も背負い、ペトロ岐部さんは有馬( 長崎 )の

セミナリオ( 神学校 )へ進学。 19歳でイエズス会の同宿( 伝道師 )となります

ペトロ岐部カスイ神父について

しかし江戸時代になり、徳川家康さんが1612年に禁教令を発令

豊後でキリシタンの取り締まりが厳しくなったのは2年後の1614年からで、

この翌年、ペトロ岐部カスイ神父はマカオへ追放されます。 が、偏見、逆境にも

負けず、ついに日本人で初めて聖地エルサレムを巡礼、ローマへ至り司祭に






これには不遇な少年期を経てキリスト教に出会い、父に愛されようと必死になる

子の様にデウスさんを慕い続けた宗麟公の切望、加護もあったのでしょうか...。 

ペトロ岐部カスイ神父記念公園内

岐部山城の麓、ペトロ岐部カスイ記念公園内には、小さな教会がありました


ちょっと中を拝見

ペトロ岐部カスイ神父記念公園内に建つ教会

江戸時代、日本でエスカレートの一途を辿るキリシタン弾圧に心を痛め、

ペトロ岐部カスイ司祭は、帰国を決意します。 もちろん宣教師の日本入国は

禁止されていたため、東南アジア各地をまわり、マニラからようやく日本へ

向かう船に乗り込み鹿児島へ到着 16年ぶりに祖国の地を踏みしめます。

ペトロ岐部カスイ神父の歩んだ道

潜伏し、弾圧を逃れながら布教を続け、隠れキリシタン達を励ますペトロ岐部

カスイ司祭。 しかし、仙台藩( 岩手県 )水沢で捕まり、江戸へ送られます。 

ペトロ岐部カスイ司祭は拷問を受けても棄教せず、同じく拷問に苦しむ仲間を

庇い、励まし続けた罪で極刑に処され、殉教したといいます。







ところで、ペトロ岐部カスイ神父は、有馬のセミナリオで学んだ後は、福岡県の

秋月( 朝倉市 )に移り住んでいた様子。 これは秋月が福岡藩の支藩として

誕生する以前の出来事で、関ヶ原直後の当時は、秋月城督を黒田如水公の

18歳年下の異母弟で重臣 黒田図書( 黒田直之 )が務めており、彼もまた

キリシタン ペトロ岐部神父は黒田直之の庇護下、筑前・秋月のレジデンスで

暮らします。 マンション名は、もしかしてメゾン・デウスじゃ・・・







いつの時代も人の信仰心、純粋さを お金儲けや私欲のために利用する輩は

いるものですが、それとは別次元でキリスト教の愛の精神を心から崇敬する者

たちにとっては、一族を守る為にも棄教するか、或いは棄教したフリをするか。

はたまた全てを犠牲にしても信仰を貫き通すか、いずれにせよ、とても勇気の

要る事。 官兵衛の子・黒田長政が関ヶ原の功績で築城した福岡城にあったと

される天守閣は、実は南蛮風の造りだったため、長政は直ちに取り壊したという

諸説も 東西選ばされた関ヶ原然り、本当に大変な時代だったと思います

岐部地区の庄屋屋敷・旧有永邸跡

上の画像は明治初期に建てられた築140年の庄屋屋敷を史料館にした

国見ふるさと展示館。 次回はこちらをご紹介させて頂きます

一応、主婦業をやってる身の上ですので、多忙につき年をまたいでしまったら

すみません。 続編、どうか気長に待ってやって頂けたら幸いです








●本文中でご紹介した他、参考にさせて頂いたサイト

世界を歩いたパードレ ペトロ岐部カスイ神父

豊前中津國黒田武士顕彰会HPより 『 黒田図書 』

ウィキペディア バテレン追放令・日本人奴隷の貿易









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2012/12/27(木) 15:54 | コメント:15 | トラックバック:0 |


太宰府天満宮の東神苑には、黒田如水公が滞在中に使用していた

如水の井戸 ” が遺されているみたいだよ、マンジ君

太宰府天満宮&九州国立博物館パンフレットより・天満宮境内図
( 太宰府天満宮&九州国立博物館パンフレットより・天満宮境内図 )










「 おや、マンジ君が忽然と消えちゃったぞ さては・・・ 」

おや、マンジ君が消えちゃったぞ。








「 思った通り、またイタズラだ 」 

マンジ君はお利口さんで居られる時間が3分と持たない・・・まさにウルトラマンジ君だ

「 まーりたんさんの留守中をいいことに、堂々と食品庫を物色している













「 マンジ君がお利口さんで居られる時間は、せいぜいもって3分か・・・

マンジ君はある意味ウルトラマン、いや常識超えの正にウルトラマンジ君... 」

こんな時の為に、まーりたんさんから預かっていたアレを試してみよう

「 そうだ まーりたんさんから託っていたアレを試してみよう 」













「 埼玉県行田市の銘菓・十万石ふくさやの十万石饅頭。 5個で50万石だ 」

埼玉県行田市の十万石ふくさや製・十万石饅頭

「 “ 欲深マンジ君に手を焼いた時は、この50万石マニーで操って頂戴 ” と、

まーりたんさんは言ってたけど、マンジ君は欲深ヌイグルミ犬なんかじゃなく、

ただ好奇心旺盛でワンパクなだけだと、僕はちゃんと分かっているからね












「 ややっ、こだぬき君、それは50万石マニーではニャいか

これを手にすれば50万石の領主だよ

「 石高はmoneyではないけど、これを手にすれば50万石の領主だよ。

でも、まーりたんさんに媚びず、見るからに素朴で質素、富貴には興味すら

なさそうなマンジ君は、50万石の所領に眼がくらんだりはしないよね












ニャニャーン!50万石リッチマンジ君ニャのだ

50万石リッチマンジ君ニャ~のだ!


「 ややっ、50万石を枕にバブリー寝も悪くニャいですニャ~

マニーに目を眩ませたマンジ君だけは見たくなかった・・・

「 マニーに眼をくらませたマンジ君だけは見たくなかった・・・













こだぬき君とマンジ君は今頃、十万石ふくさやさんの

銘菓 “ 十万石饅頭 ” で仲良く遊んでるかしら


国東半島の海岸線

厳しい寒さも和らいで、朝からすっきりと晴れた先週末 

大分県の北東部、テルテル坊主みたいにまあるく張り出した国東半島

出かけてきました どこまでも青い伊予灘を右に国道213号線を北上。

只今、国東( くにさき )市 安岐( あき )町を走っております

石垣原の戦いの時には、黒田如水軍も駆け抜けたであろうこのルート


大分空港

1971年に大分市から国東市へ移転開港後、昨年40周年を迎え、

まーりたんと同じ40代になった大分空港に立ち寄ってみました 


大分空港

いかにも仏の里のエアポートって雰囲気 仁王様、おはようございます









あらまなんと、ショッピングフロアの柱には早くも再来年の大河の幟が

大河ドラマ・軍師官兵衛の幟を発見!

これを知ってて立ち寄ったんじゃないですよ~、あくまで偶然です、念のため

大河幟で固められた中津駅周辺の様子は、少し前にニュースで観ましたが

そうですよね、空の玄関口も押さえとかないと 守りを固めよ、じゃなくて

歓迎ムードを高めよかな 大分でのロケ、沢山あるといいな









送迎デッキでは、サンタ帽を被ったダンボールアートのペンギンくんを発見

ダンボールアートのマーシャル君


彼が持っているフリップはコチラ25日までクイズラリー開催中の模様です

大分空港のマスコットキャラ・マーシャル君のクイズラリー開催中

このペンギン君の名はマーシャル 大分空港のマスコットキャラで、

飛行機の誘導職マーシャラーと、マーシャル( 引き寄せる )という言葉に由来。

良いご縁をマーシャル、夢そして幸せをマーシャル 素敵な言葉ですね 









さらに、早めのランチも大分空港のレストランで済ませ・・・

国東半島で水揚げされる銀タチウオの太刀重

国東半島で水揚げされるタチウオ “ 銀たち ” を使った国東名物・太刀重

うな重の鰻が、太刀魚に代わったものだと思って下さい 

あっさりふっくらで美味です。 別府発祥の郷土料理・とり天つきでした









レストランから見える滑走路。 今日は水平線もくっきり

大分空港レストラン・スカイライン

お腹を満たし、軍師官兵衛の幟に嬉し恥ずかし見送られ、安岐町を後に

国東半島を更に北上 緩やかな海岸線ドライブは、のんびり続きます











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2012/12/22(土) 18:33 | コメント:14 | トラックバック:0 |
先週末、国東市のアスト国東( くにさき )ほか大分県下2会場にて、

大林宣彦監督最新作 『 この空の花~長岡花火物語

上映会&監督ご夫妻とゲストを招いてのトークショーが開催されました

この空の花~長岡花火物語チケット


まーりたんは国東会場 アストくにさき 

到着したのは午前11時30分。 正面玄関を入ると、今回の情報を

教えて下さった臼杵・映画の名残館 クランク・インのご主人を発見 

ロビー奥でスタッフの方( かな? )と談笑中でした。 

大林監督のトークショーまで まだ50分程あるので、チケットを購入後

カウンターと上映場所のアストホールへ続く廊下に展示されていた

実物大の花火や 映画撮影風景のパネル写真、太平洋戦争中の

B29大型爆撃機による長岡空襲の惨状を描いた絵などを見学 

アスト国東ロビー

長岡空襲で亡くなった何百人もの人々が一つの火柱となり燃えている

神社の境内で、「 こんなことなら腕一本でもとっておくんだった 」 と

顔を歪め、滝の涙を流しながら嘆く老婆の絵が胸に突き刺さる様でした。 

タッチは有名なムンクの叫びを連想させる感じの・・・。






物語と錯覚しそうなほどの悲惨な光景は全て本当にあった出来事で、

一体いくつの声なき声が時代の波に押し潰されて行ったんだろう

それでも人間が本来持つ心を大切に、助け合い、励まし合い、

度重なる自然災害からも何度も立ち上がってきた新潟県長岡市の

歴史と、そこに生きた人々の魂に、ただただ頭が下がる思いでした。



    

長崎の原爆資料館を訪れたときもそうだったんですが、まだ生温かくて

心が追い付けない歴史に触れると、脱力感に似た疲労感が襲ってきて

まーりたんはロビーに設けられたテラス風のドリンクコーナーで一休み。

未熟中年です・・・






そんなとき、煙草を吸いに建物の外に出ていたウチのダンナさんが

慌てて戻ってきて、小声で 「 監督が来たぞ、玄関から入ってくるぞ

ダンナさんが言い終わらない内に、にわかにロビーがざわつき始め、

スタッフの方々は皆起立して入り口を向き、若い来場者の方々は携帯を

かざし、正面玄関へ真顔でダッシュ 間もなく大林監督、続いて奥様が

拍手に包まれて入場 第一回目の上映時間が終わりに近づき、

トークショー開演まで十数分というタイミング まさにサプライズです

とっくに入館を済まされ控室で寛いでいらっしゃるものだとばかり・・・






それにしても後光が見えそうなほど柔和なお顔に、落ち着いた足どり。 

雑誌や映画のパンフレットでお見かけしたまんまの大林宣彦監督です 

予想外の出来事に心底驚きつつも、このチャンスは逃せん

とばかり、シャッターチャンスを狙う まーりたん( 遠巻きにですけど )

脱力感も疲労感も知らん間に、いずこへ吹っ飛んでました






で、どうにかこうにか大林監督ご夫妻を収めた写真がコチラ

アスト国東ロビーにて。大林監督ご夫妻、猪俣南さんと長岡市長さん

スタッフの方( 左端 )越しにいらっしゃるのが大林宣彦監督

中央が奥様。 右端に写っているお嬢さんは、映画で元木花役を

演じられた猪俣南さん。 その隣の男性は、なんと長岡市長さんです。

ようこそ、大分県へ

他にも数枚撮ったものの、尋常ではない緊張状態の余りブレてたり、

人が前を横切ってたりで、お見せできるのは結局これ一枚きり






さらに大林監督は一呼吸置くと、一人一人に握手を始められたんです

左端に写ってるスタッフの男性の右隣はウチのダンナさん。  次は

まーりたんです直ぐやん 両手で握手せねば失礼だわ

カメラをポケットに仕舞おうとしたところ、幾ら押し込んでも何故か入らず、

おやと見ればレンズが出たまま。 自分の動揺ぶりに吹き出す余裕すらなく

左を見れば、ウチのダンナさんと大林監督がもう握手をしている~ 





  
再びカメラを両手で持ち、レンズを引っ込めようと必死になってるところへ

それほど大きくはないけど、ふっくらとした男性の右手がすーっと

延びてきて、はっと顔を上げると、そこにはサングラスの奥に

穏やかな笑みを湛えた大林宣彦監督のお顔が ぎょえ~。 

まーりたんとの距離、およそ40センチ

レンズが出たままのカメラをあたふたと左手に渡し、大急ぎで右手を

差し出すと、手の甲から先をそっと包む様に握って下さいました






大林監督が風の様に去って行った後、横で一部始終を見ていた

ウチのダンナさんが 「 まだまだやな 」 と、露骨に嘲笑。 

当たり前や 

そりゃ、大友氏遺跡体験学習館の仲町館長さんを びっくりさせるとか

武勇伝は数あれど、素人の中年主婦が大林監督相手に武勇伝紛いの

エピソードを残せるわけないやろ。 お顔の皮はそこまで厚くないわい






・・・とまあ、大林宣彦監督との接近遭遇レポだけで、とんでもなく

尺をとってしまいましたが、映画の内容にも少し触れてみたいと思います。 

辛抱強い方のみ続きをどうぞ






トークショーで大林監督は、想像することの重要性を柔らかな口調で

且つ強く訴えられてました。 映画の中では、元木花という女子高生が

描き下ろす、昭和20年8月1日の長岡空襲を題材にした劇

戦争にはまだ間に合う 』 が上映されるのですが、

その中でも 「 私たちからはB29が見えた。 

でもB29から私たちの姿は見えなかった
 」

という想像力について考えさせられるセリフがあります。 






爆弾を落としたら地上の人々はどうなるか、どれほど苦しむか、

攻撃する側は任務を遂行する事、勝つ事に囚われて自分を見失い

想像できなかった、或いは想像する事を放棄していた、という事です






勿論これは戦時中のアメリカに対してだけ言っているのではなく

私達がよく知らされてないだけで、日本だって隣国を苦しめた歴史を

持っています。 想像力の欠如がどれほどの惨劇、憎しみや悲しみの

連鎖を生むか
。 きっと現代社会にだって通用する普遍的な事です。 

信仰なんて特になくたって、考えれば解る事。 まーりたんはそう思います。






かつての恋人から届いた便りに導かれる様に長岡市を訪れた地方記者

遠藤玲子は、劇中劇 『 戦争にはまだ間に合う 』 を鑑賞する中で、

長岡に生きた人々と時空を超えて出会います。 そうして長岡の歴史と

対話しながら彼女は、自分の進むべき道を見つけ出して行くのです。 

歴史を学ぶことは、具体的であれ抽象的であれ、自分が何者なのかを

知る自分探しの旅なのかもしれません。 それを愉しめればなお良し






映画の中で遠藤玲子( 松雪泰子さん )は、歴史資料館やガイドの方から

どうですか?長岡の歴史感傷旅行は 」 と、揶揄される

シーンもあるんですよ 映画の中で長岡の郷土史を探訪中、物憂げで

心もとない表情を浮かべっ放しの玲子は、長岡の人から親愛ある洗礼を

受けたんですね センチメンタルは多分、間違いではないと思います。

感傷であれ、先人に想いを馳せる事は何よりの弔いであり 鎮魂であり、

未来を築くための一歩になるんだと、この映画を観て改めて感じました






映画 『 この空の花~長岡花火物語 』 は、

「 長岡の花火についての論文を映画にしたような

もので、これまでの作品とは少し違っています
 」 と

大林監督は仰っていました。 松雪泰子さんをはじめとする演者の方々は

純文学みたいな古風で美しい日本語でもって、朗読するように映画を

綴っていきます。 それも、あえて不自然な箇所でその文章( セリフ )を

区切りながら、息もつかせない怒涛の感覚と心地よい居心地の悪さ、

つまり不思議な感覚を観る側に与えます。 後は一種の異様ささえ覚える

独特のファンタジー性を巧みに織り込んで、観る者を現実と幻想が

混ざり合う異次元空間へと引き込む 大林ワールド炸裂です





心が追い付かない程の激しさと、清流のような美しさが溶け合って、

知らない内に涙もこぼれてたりします 喩えて言うなら、この映画は

心臓を打ち貫く音と共に次々と夜空に開く多種多様の花火でしょうか。

ですから、頑張って追い付こうとしなくてもいいのかもしれません。

花火が空へ滲みこんで行ったあとに広がる闇から、それぞれが

何か大切なものを感じ取れれば、それでいいのかも・・・。

筧さん、癒されました(笑)







大林監督は、 「 この作品は一会場で上映が終了しても

またどこか別の会場で上映されるという、少々

不思議な運を持つ映画なんです
」 とも仰っていました。

大分市内の映画館で上映が終了した後に、こうして思いがけず

国東市で鑑賞することができたのも、間違いなくその類です 

大林監督がこの作品に祈りを込め、あえてエンドマークを

つけなかった事に、まるで誰かが感謝し応えているかの様な・・・。 





まーりたんは、この先も何度となく観る機会に恵まれる予感がします。

そしてこれまで観た大林映画の中で、一番好きな映画になりそうです

皆さまも機会がありましたら是非一度、ご覧になってみて下さい











「 長岡の花火は鎮魂であり、恒久平和への願い

であり、力強い復興の象徴でもあるんだなあ・・・
 」

長岡花火は復興と平和の象徴なんだ・・・







「 あっ、マンジ君は、来場者にお土産で配られた新潟県長岡市の 

越後製菓製造・かちわりの種を、しげしげと眺めているぞ 

まさか、2袋とも食べる気じゃ・・・。 ひとつは僕のだよ 」

かちわりの種は長岡の越後製菓製造ニャのだ

長岡花火よりも、長岡のお菓子チェックに余念がないマンジ君でした










本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます

2012/08/27(月) 19:46 | コメント:9 | トラックバック:0 |
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