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まーりたん

Author:まーりたん
大分県で暮らす四十路主婦
“ まーりたん ” の
ブログへようこそ(*^^*)♪

日々を彩る ちょっと素敵な
出来事を我が家の笑導犬?
マンジ君と楽しくお届けして
ます。目下、郷土史に夢中♪
心躍る探訪をご一緒に。

臼杵の富士甚醤油マスコット
キャラ・とっくりこだぬき君が
仲間入りしてからは、嬉しさ
余ってマンジ君の“ 悪がね ”
ぶりもますますエスカレート。

そんなふたり(2匹)の様子も
併せてお楽しみ下さい(*^^*)

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「 2014年の大河ドラマは、初代中津城主・黒田如水( 官兵衛 )を主人公にした

軍師・官兵衛に決定しました 」  昨年( 2012年 )10月10日の夜、何となく

観ていたテレビのローカルニュースで、この鳥肌モノの朗報を聴いてから1年余り。

早いものでというべきか、待ちに待ったというべきか、後ひと月半もすれば放送が

開始されます 豊前中津城の在る大分県中津市は、同年( 2012年 )7月の

九州北部豪雨で大きな痛手を受けており、大河決定の報せが飛び込んできた

瞬間は、領民をとても大切にしていたという黒田如水公が、かつての領地、

豊前国中津へエールを送ってくれたのかもしれない、なんて思ったものです

 




黒田官兵衛孝高は天正15( 1587 )年、秀吉さんの九州平定後に豊前6郡

12万石を拝領して、馬ヶ岳城( 福岡県行橋市 )、時枝城( 大分県宇佐市 )を

経て翌年に中津城主となります。 程なく息子の長政に家督を譲って如水と号し、

関ヶ原の戦い後に、筑前福岡へ栄転するまでの13年間を豊前で過ごします。

まーりたんにとっての中津は、実母の郷里で、小学校時代を過ごした思い出深い

土地です。 郷土史探訪を始めてからは、懐かしい中津城に2011年5月、改めて

登城 以降、黒田如水公ゆかりの史跡を 豊前( 大分県北部~福岡県東部 )、

筑前( 福岡県北部 )を中心に訪ね歩いては、せっせとブログ記事を書き 

その最中での大河決定だった事もあり、嬉しさも一入でした






来年の大河では、中津時代の如水にどれだけ尺をとって貰えるかは全くの未知数

ながら、とりあえずは嬉しいです 更に今月は如水公の誕生月という事で 

先日、如水公ゆかりの史跡を訪ねてきました。 今回は豊前ではなく豊後です


紹運さんの甥・吉弘統幸さんを祀る吉弘神社(別府市)

大分県別府市 石垣西6-6-36番地に鎮座する吉弘神社。 

この神社には 慶長5( 1600 )年9月、豊後( 大分県 )の杵築~別府を舞台に

繰り広げられた 石垣原( いしがきばる )の戦いで、黒田軍と激戦の末に

亡くなった大友軍の勇将 吉弘統幸( むねゆき )さんが祀られています


通りに面した場所に吉弘統幸さんの幟

吉弘(嘉兵衛)統幸さんは、豊州三老の一人・吉弘鑑理( あきただ )さんの孫

( 長男の子 )で、筑前・岩屋城で戦い抜いた高橋紹運さんの甥にあたります。 







少し遡って天正14( 1586 )年7月、秀吉さんの島津征伐軍が九州へ乗り込む

前に筑前(福岡)岩屋城を落とした島津軍は、同年11月に豊後(大分)も侵攻 

秀吉さんが四国から派遣した先発隊・長宗我部&十河軍を、大分市南部の戸次

( へつぎ )川原
で破り、府内南砦・鶴賀城を守る大友家臣・利光宗魚さんを討ち、

島津軍はついに大友氏の本拠地である豊後府内( 大分市 )へ攻め込みます

その際、炎の海と化した府内から大友宗麟の嫡男で主君の大友義統さんを

安心院の龍王城へ逃れさせたのも、この方、吉弘統幸さんと言われています。

吉弘神社拝殿。自由に上がって見学できます♪


九州平定後、かろうじて豊後一国を安堵された豊後大友氏22代・義統さん。

しかし、秀吉さんの朝鮮出兵( 文禄・慶長の役 )での失態を理由に改易となり、

豊後を没収されます。 それでも大友義統さんは関ヶ原の戦いの時に奮い立ち

旧領・豊後を奪還すべく西軍旗を掲げ、別府浜脇へ乗り込んで来るんです 

そこへ大友氏遺臣団の一人として駆け付け、宗麟ジュニアをがっちり支えたのが

これまた吉弘統幸さんなんですね。 主家がどんなに衰えようとも、変わらずに

忠義を尽くそうとする吉弘家が輩出した勇将らの誠実さには、胸を打たれます。






・・・ですが、西軍が圧倒的な九州に於いて、悩んだ末に東軍旗を掲げた如水公

致し方なく、西軍・大友義統軍を迎え撃たなければならない運びとなり・・・ 

大友軍・吉弘統幸さんと黒田軍・井上九郎衛門さんの一騎打ちの画

石垣原の戦いで馬上一騎打ちする大友義統軍の将 吉弘統幸さん( 左 )と、

黒田如水軍の将 井上九郎右衛門元房さん( 右 )。 ふたりは相打ちだったとか。

背景に鶴見岳扇山が描かれているところにも、どうぞご注目を

この画は吉弘神社の拝殿に飾られてます。 拝殿は上がって自由見学可です


吉弘神社の由来(拡大)1

慶長5( 1600 )年9月9日より、石垣原において黒田如水軍8千と大友義統軍

3千が激突
 9月13日、名だたる武将を失った大友義統さんは2日後に降参

石垣原の戦いは終結。 義統さんは、黒田如水の計らいで命を助けられます。


吉弘神社の由来(拡大)2

吉弘神社境内の石碑にも刻まれている吉弘統幸さん辞世の句は、

明日は誰( た )が 草むす屍( かばね )照らすらん

石垣原の今日の月影
」 慶長5年9月12日 石垣原の陣にて。 享年38歳。


吉弘神社境内には統幸さんのお墓(胴塚)があります

吉弘神社本殿奥に在る吉弘統幸さんのお墓にもお参りしました

吉弘統幸さんの墓(解説板)

吉弘神社由緒には、実相寺山に陣を張っていた黒田如水公の命令により、

吉弘統幸さんの首は、郷里である豊後高田の屋山麓・筧の館( 武蔵町 )へと

返され、このお墓には吉弘統幸さんの胴体が、宝泉寺の僧侶や里人たちにより

埋葬された、と記されています。 哀しいほど紹運さんの甥らしい生涯だった様。

統幸さん、どうぞ安らかに 大河では何方が統幸さんを演じられるんでしょうネ。


大宰府が統括していた西海道が残る

吉弘神社と吉弘統幸さんの墳墓の間の道は、かつて大宰府が統括していた

西海道( さいかいどう )の名残だそうです。



吉弘神社由緒1
吉弘神社由緒2

吉弘神社の御神徳は、吉弘嘉兵衛統幸公の義烈さにあやかって、

病気を吹き飛ばし健やかでいられることを願い、病気平癒・心身健康・安産祈願、

家内安全・厄除け・除災招福・交通安全・商売繁昌・心願成就・良縁祈願など

記事2枚目の画像に幟がチラリと写ってますが、七五三の参詣神社としても

地域に根付いている様子。 これはもう、万能の神様ですね・・・

名将・高橋紹運さんに引けを取らない甥御さんの神社に参詣出来、幸せです








石垣原の戦い縁の史跡・吉弘神社の場所は、豊前國中津黒田武士顕彰会の

マスコットキャラ あ!官兵衛くんが指差してくれてます

別府周辺エンジィマップより、吉弘神社はココです
( 観光施設連絡協議会製作・べっぷ周辺エンジョイマップより トリミングさせて頂きました



観海寺温泉方面には、大友義統軍の布陣地南立石( みなみたていし )。

鉄輪温泉方面には、黒田如水軍の布陣地実相寺( じっそうじ )

九州横断道路南側一帯は、九州関ヶ原・石垣原合戦縁の地なのです








本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

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2013/11/15(金) 17:39 | コメント:11 | トラックバック:0 |


湯治をはじめ 地獄蒸し釜での調理、植物の栽培に動物の飼育等だけに留まらず

味噌の製造、製茶、七島イで織った畳表に使う縦糸( イチビ )の加工に至るまで、

古くより大いに有効活用されてきたという別府の温泉( 別府市誌第3巻参考 ) 

石畳から湯けむり。筋湯通りから、いでゆ坂へ

温泉を日々の暮らしや仕事に巧く活かす事で生まれる長閑な別府の湯けむりは、

いわば自然と人との共存の象徴です それが文化的景観の定義にそぐい

昨年、平成24年9月19日、国の重要文化的景観に選定されました

選ばれたのは、湯の花小屋が並ぶ明礬( みょうばん )温泉郷の一部を含む

ここ、鉄輪( かんなわ )地区。 温泉地では全国初だったそうです ほ~ 







そんな鉄輪の いでゆ坂から永福寺境内へ入り、渋の湯、蒸し湯ポケットパークを

抜け、更なる奥地、知られざる秘境( まーりたんにとっては・・・ですけどネ )へ

今回は分け入ってみたいと思います あ、その前にちょっと下の画像を・・・

温泉遺構・旧蒸し湯跡の背景に写り込んでいた建物なんですが、

三十数年前まで衣料品店と貸間を営まれていた安楽屋さんです。

元の安楽屋・商店跡

国の重要文化的景観に選定されるためには、文化的景観を特徴づけるものが

なくてはなりません。 安楽屋さんは、その重要な構成要素の一つなんです

永福寺、そして共同浴場の渋の湯、ポケットパークの旧蒸し湯跡も然り。

 



鉄輪温泉街のメインストリートから一歩脇道へ反れると、そこには旧い町並みに

迷路みたいな極細の路地が縦横無尽に拡がっていて、貴重な建物や温泉遺構が

当時の姿のまま現存し、それらの殆どが文化的景観の重要な構成要素

空襲を免れた別府の街は、まるごと文化ミュージアムと言っても良い位です  







湯かけ上人像がある蒸し湯ポケットパークから、路地は更に二つ( 熱の湯通りと

すじ湯通り )に分かれます。 ここは 熱の湯( ねつのゆ )通りの入り口。

左手には、別府に唯一現存する明治時代、それも初期に建てられた旅館建築の

旧富士屋旅館さん。 石畳の道を含むこの建物も、重要構成要素の一つです。

旧富士屋旅館前は熱の湯通り

紀伊国屋の古書フェアで入手した家宝的文献二豊今昔~志多摩一夫編で、

玖珠の来留島藩領時代末期、鉄輪には8軒の木賃宿( 貸間の前身的自炊宿 )、

明治初期には ときわやほか13軒の旅館があって、そのなかの一軒がこの

富士屋旅館との記述が 手入れが行き届き、築140年近いとは思えません


旧富士屋旅館(琺瑯看板)別府に唯一現存する明治期の建築旅館

旧富士屋旅館のブロック塀に琺瑯看板も発見 気を良くして、緩やかで狭い

石畳の坂をタッタカ下って行くと、突き当たりを左に折れた、そのまた突き当たりに

今度は不思議な遺構が現れた~ 人生史上初の遭遇、なんだコレ

熱の湯・湯元跡(温泉遺構)

画像右側の建物は、下熱作用がある事から名が付けられた熱の湯

左はその洞窟風呂かいなと、格子からおそるおそる中を覗くも真っ暗

アーチの中間には薬師様でしょうか、お地蔵様が祀られてました


熱(あつ)の湯源泉跡

ここにも琺瑯看板を発見 赤煉瓦の洞窟は飲泉場を兼ねた源泉跡でした

そして熱の湯源泉跡もまた、文化的景観を構成する重要な要素のひとつ。





しかし、さっきから背後のトタン風の壁越しに聴こえてくる賑やかな談笑・・・ 

それほど高齢でもない団体さん風で、帰って調べてみたところ ネツノユ・・・っと

どうやら学生さんに人気の温泉らしい 早朝6時半から21時まで開いていて、

入浴料は無料( 要・洗面器 )。 男湯、女湯は分かれてます、ご安心を 

熱の湯源泉跡を振り返る

一遍上人さんらしき旅のお坊様が、ニャンコに先導され噴気の上がる坂を行く

みはらし坂の琺瑯看板は、西福寺看板の右隣に設置されています



それにしても熱の湯周辺の立体交差路地 ここまで凄いとは 

熱の湯の一段上は見晴らし坂、そのまた上は西福寺へ続く坂です

道幅は軽自動車が無理矢理一台通れるぐらい・・・カーブも傾斜もかなりきつめ

ウンウン言わせながら登って行く軽を1台目撃したけど、慣れてないと無理かな


ホワイトタイガーみたいな立派な猫ちゃんに遭遇・昭和ギャラリー前にて

極細の みはらし坂を登り切ったところで、一匹のニャンコに出会う

瞳はエメラルドグリーン、ホワイトタイガーみたいな立派な猫ちゃんでした

もしかして一遍上人さんを導いた猫ちゃんの末裔だったり・・・

それはないか、日本猫じゃないしネ


みはらし坂(琺瑯看板)

ここにも琺瑯看板。 下の画像は、みはらし坂からの眺めです

右手は別府市街地、別府湾に滑り込むような形の山は、お猿の高崎山

この日は中腹に雲が棚引いてました。 別府湾の向こう岸は大分市です。
みはらし坂より、良い眺めです♪


湯のまち別府読本を丁寧に、一頁一頁わくわくしながらめくりつつ

みはらし坂を ゆっくりゆっくり登って 途中で振り返って見た景色

そこにはジモセンならぬ、自家用温泉( ジカセン? )のタンクがありました

坂の下のお宅はジモセンならぬ自家温泉

毎日かんなわ温泉三昧か~、うらやましい






熱の湯まで戻って、建物裏手の洗濯場跡からぐるりU字を描く感じで歩くと

筋湯通りに出ます。 あとは石畳を真っすぐ北上して行けば、いでゆ坂と合流

筋湯通りへ♪井田地区の路傍の仏様みっけ

渋の湯、それに熱の湯源泉跡にも祀られていた薬師様か大師様か、お地蔵さま

ここにもいらっしゃいました 一遍上人の鉄輪には、路傍の仏様が多いです。

一遍上人が開いた筋湯温泉。すじに効くそうです

鉄輪未踏エリア探険もそろそろ終盤 最後の御紹介は、これまた一遍上人が

開いたという名湯 すじ湯温泉 県内では、玖珠郡の九重町にも筋湯温泉が

ありますが、ここは別府市 鉄輪( かんなわ )の すじ湯温泉です 

一遍上人が開いた筋湯。もとは湯田(井田)の湯と呼ばれていた

渋の湯と同様に住民の方が組合制で管理運営して下さってる共同温泉で、

入浴料も同じく100円。 水道が無いため、シャンプーや石けんは使えず

加水も不可。 真っ赤になるまで ひたすら浸かるだけっぽいシステムながら

一遍さんのミラクルパワーで、すじや神経痛に特効がある人気湯との事






鉄輪温泉街のメインストリートから路地裏で遊学、さらに未踏のエリアへと

分け入り、重要文化的景観を構成する建造物や温泉遺構を巡ったこの日

温泉は散策途中に足湯を二か所ほど利用しただけに留まりましたが

これから日増しに秋も深まって、共同浴場の湯舟めぐりにも良い季節 

踏査も済んだし次に鉄輪温泉を訪れる時は、タオルと洗面器持参かな








さて、鉄輪温泉街の路地裏探訪後は、

地獄蒸し卵とは色も風味も異なる 温泉ピータンなるものを試食すべく、

相方を道連れに鉄輪温泉の 地獄の交差点へと向かいました

温泉ピータンを食しに、とある地獄へ

長年大分県人をやらせて貰っていながら、知らないこと、食べたことの

無いものが、これほどまでに多かったとは・・・未知との遭遇は続きます

それに雨模様の週末は、鉄輪温泉のスチームが心地良いのです

鉄輪の地獄へ、二週続けて堕ちてしまった









●参考資料:本文中でご紹介した文献のほか、

別府市教育庁生涯学課発行 『 文化的景観 別府のゆけむり景観 』







本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

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2013/09/08(日) 19:16 | コメント:7 | トラックバック:0 |


「 別府の街を一冊の本に見立て、その一頁一頁が街角に設置されている

イラスト付きの琺瑯看板だったのか なんて素敵で夢のある発想だろう

琺瑯看板で別府の街を一冊の本に見立てるなんて素敵な発想だなあ♪

「 ONSENツーリズム実行委員会と、NPO法人 BEPPU PROJECTの方々が

設置された琺瑯看板は48枚らしいけど、今後頁を増やす予定はあるのかな













鉄輪の西福寺石垣に設置されている みはらし坂の琺瑯看板。

噴気の上がる石坂を歩く旅のお坊さまは、一遍上人だろうか・・・ 」

別府の琺瑯看板は別府の一頁♪全部で48枚設置されてます。想像と景色の融合で散策を一層楽しく

「 想像を掻き立てる琺瑯看板のイラストと、実際の景観とが入り混じって、

これは散策が何倍も楽しくなるなあ 看板のレトロな風合いも趣たっぷりだ 」













「 こだぬき君は琺瑯看板に夢中ニャのだ

成程それで琺瑯看板はブックサイズなのか♪頁をめくるように町歩きか・・・次はどんな看板だろう

「 琺瑯看板がブックサイズな理由も成程、解ったぞ 頁をめくる如く街を歩く

浪漫があるなあ 湯のまち別府読本、次はどんな看板が登場するんだろう













鉄輪地獄の赤鬼さん?いえ、ヤング劇場の役者さんです
















「 ややっ、こだぬき君が仰天してしまったのだニャ 一大事ニャのだ

こだぬき君が仰天してしまったのだニャ!

「 赤鬼さんだ・・・・・鉄輪地獄の・・・・・赤鬼さんだ・・・・・













「 こだぬき君、これはいでゆ坂にある ヤングセンター(※)の看板ニャのだ 

赤鬼さんではニャく、ヤング劇場の役者さんニャ。 しっかりするのだニャ

鉄輪いでゆ坂・ヤングセンターの看板

説明しよう ヤングセンター(※)とは、人生奥義を極めた紳士淑女の社交場

劇場完備のスパリゾートなのだ! それは湯のまち別府、鉄輪温泉街にある。 

因みに私、まーりたんの祖母は生前、ヤングセンターで定例女子会を開いていた。

「 ヤング行ってくる、ヤング 」 出かける時、祖母は嬉しそうに必ずこう言った。












「 うーん・・・ 」

あれはいでゆ坂にあるヤングセンターの看板ニャ。かんニャわの鬼ではニャいのだ

「 気が付いた模様ニャのだ こだぬき君も意外とそそっかしいニャ~













うわごとを言っていて、

こだぬき君は意外とそそっかしいのだニャ~♪

心配したのだニャ~













やっぱり鉄輪地獄の赤鬼だ!

「 本当に無事でよかったニャ、こだぬき君 ややっ、どうしたニャ













「 こだぬき君は、ふたたび仰天してしまいましたニャ 」

引き続き鉄輪路地裏探訪をお楽しみ下さいニャのだ

かまど地獄の赤鬼さん画像と、目の前の景観とが入り混じって

何倍もびっくりできたようニャのだ。 ニャづけて琺瑯看板効果ですニャ 」

別府地獄めぐり・かまど地獄の赤鬼さんと狸くん♪

鉄輪( かんなわ )探訪記 あと何回か続きまーす











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2013/09/05(木) 15:07 | コメント:13 | トラックバック:0 |


踊り念仏で人々を救う遊行( ゆぎょう )途中、一遍上人が豊後( 大分県 )に

立ち寄ったのは建治2( 1276 )年、37歳の時だと伝えられています

一遍さんが初めて踏んだ九州の地は別府 別府大学駅近くの浜に上陸された

らしく、上人ヶ浜( しょうにんがはま )という地名が、今も残っているんです




上人ヶ浜より山手へ上がった 鉄輪( かんなわ )地区は当時、あちらこちらから

高温の噴気が上がり、農地としても使えない、手の付けられない地獄地帯 

困っていた人々を見た一遍上人は、念仏を唱えて地獄を鎮めたと云います





地獄蒸し工房・鉄輪から いでゆ坂を少し下った左手には永福寺

時宗温泉山・永福寺(いでゆ坂沿い)


一遍さんの偉業に心を動かされた豊後守護大友氏3代目・頼泰( よりやす )が

建立した寺院で、大分県にただひとつの時宗( 一遍さん開祖 )の古刹です

豊後守護大友氏3代目・頼泰(よりやす)が一遍上人に帰依し建立・永福寺


ここでは毎年9月、寺に祀られている一遍上人坐像をお風呂に入れて感謝する

湯あみ祭りが催されてます。 琺瑯看板のイラストみたいにして

温泉山・永福寺(琺瑯看板)

ところで、この琺瑯( ほうろう )看板 以前、旧ゼンリン本社跡と羽衣小路

ご紹介した時にも載せているんですが、ちょっと素敵だと思いませんか

まーりたんは、こうした琺瑯看板を見つけながら歩くのが 別府路地裏探訪の

楽しみでもあり さて、この看板、全部で何枚設置されていると思います







答えは、引き続き温泉街 鉄輪の路地裏歩きを愉しみながら、ぼちぼちと

境内には気液分離装置も!(永福寺)

永福寺の境内にも、別府の湯けむり製造マシン在り



境内から石段を下りた場所は 渋の湯です

永福寺境内から石段を下ると一遍上人が開いた渋の湯

渋の湯は一遍上人が開いた温泉の一つ。 江戸時代以降は、貸間に滞在中の

湯治客が利用していた長い歴史を持つ共同浴場です 建物も渋い

一遍上人が開いた渋の湯です


いでゆ坂と並走する路地裏を、渋の湯から更に下ると 鉄輪蒸し湯

一遍上人が築造した当時の面影を残す鉄輪むし湯

ここも一遍さんが開いた温泉で、その歴史800年! 渋の湯同様、古くより

湯治客に利用されてきました。 敷地内には無料の足蒸し湯もあります


一遍上人が開いた鉄輪むし湯(琺瑯看板)

地獄だった鉄輪を、人々を癒す湯治場へと変えた一遍上人さん


そろそろ登場してくださーい










「 ハーイ、ここに居りますよ、ナムアミダブ・・・

一遍湯かけ上人のおわす渋の湯ポケットパーク

あっ、一遍さんだ 

でも、遠くて有難~い御尊顔が良く見えませーん











「 あわてないあわてない。 いっぺんいっぺん

日刊スポーツ2011年10月11日よりウド鈴木「一遍上人」

ウド鈴木さんと 一遍上人さん、やっぱり似てる

一遍上人・優しいお顔です♪

渋の湯と蒸し湯の間に設けられた広場にいらっしゃる一遍上人さん

湯かけ上人様 ” として親しまれてます。 なんて優しいお顔なんでしょう



お参りの際は、湯かけ上人さんを自分に見立てて、

悪いところにお湯をかけると、治るそうです




一遍さんの頭部へ、切羽詰まった表情でお湯をかけていた相方・・・ なんでだ

抜けがけで、ひとりだけ賢くなろうとしているのかしら・・・ まーりたんは永久にばかごでいくもん



むし湯ポケットパーク

湯かけ上人像のある 蒸し湯ポケットパーク

モニュメントが多く、一遍さんと鉄輪温泉についても学べる場所です

解説板は、自身の郷土史料として掲載させて下さい

一遍上人について(むし湯広場解説板1)

一遍上人について(むし湯広場解説板2)


こちらは貴重な温泉遺構・旧鉄輪むし湯跡です( 石室は復元 )

一遍上人が開いた旧鉄輪むし湯跡・背景は安楽屋衣料品店跡


むし湯広場の解説板にも記載されている通り、一遍さんが創った蒸し湯には

驚異的効能があるらしく、ここがその不思議な蒸し湯発祥の地というわけ

旧鉄輪むし湯跡(琺瑯看板)病気が完治して松葉づえを置いて帰る人が多かったそうです、ほんとに

琺瑯看板に描かれている松葉杖は、怪我や病気で鉄輪の蒸し湯へ湯治に

やって来た人達が、完治したため、帰りには要らなくなって置いて行ったもの。




今年2月、BSプレミアムで放送された 新日本風土記・別府編では、

鉄輪むし湯の前に積み上げられた おびただしい数の松葉づえと、

ピンピンに元気になって帰っていく湯治客のモノクロ記録映像も流され、

なんともはや・・・ 相方とふたり思わず絶句&目がテン・・・

散策中にズッコケて足をくじいたら、真っ先に蒸し湯へ来ようと思います

信用度は その程度かい









現地案内板より、地獄蒸し工房・鉄輪から、今回ご紹介した永福寺渋の湯

鉄輪むし湯までのイラストマップです。 次回は、蒸し湯から更に足を延ばして、

これまた一遍さんが開いた温泉の名が残る筋湯通りを歩いてみたいと思います

大谷公園から鉄輪むし湯までのイラストマップ


ここ二週間ほど、雨模様のすっきりしないお天気が続いている大分地方 

鉄輪を探訪した日も、雨には遭わなかったものの今にも泣き出しそうな重い空 

それでも傘を片手に 少し冷えてきたら無料の足湯でぬくもりながら

秋のはじめの鉄輪温泉 路地裏歩きも、なかなか良いものでした

琺瑯看板の謎?は、次回ゆっくりと









本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

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2013/09/03(火) 18:40 | コメント:9 | トラックバック:0 |

この建物は大分県別府市千代町にある 『 旧ゼンリン本社跡 』 です。
 
旧ゼンリン本社跡


ご存じの通り、ゼンリンは住宅地図の最大手です

ウィキペディア によれば、トヨタや日産にも電子地図を提供し、

現在は国内カーナビ地図市場の7割を占有しているんだとか






ゼンリンは1948年、大分県別府市で 『 観光文化宣伝社 』 として

設立。 1950年( 昭和25年 )に商号を 『 善隣出版社 』 に改称。 

別府市千代町9・旧ゼンリン本社跡

4年後、小倉へ移転するまでは この場所に本社があったそうです。 

日本の住宅地図がこの場所から始まったのかと思うと、ちょっぴり

感慨深いものがあります 窓枠など ファサード ( 建物正面 ) に

施されたヨーロッパ調装飾も、なかなかハイカラで見応えがあります 

ファサード


戦火を免れた別府市には、別府市中央公民館( 下の画像 )に

代表されるモダニズム建築、或いはその影響を受けた建造物が多く

残っていて、カメラ片手に訪ねるのも また楽しいものがあります

別府市中央公民館
( 別府市中央公民館 ・ 旧別府公会堂 )













ところで 旧ゼンリン本社跡 の並びには、実は不思議の国への

入り口があるんです 心の準備ができた方からご一緒にどうぞ

電信柱の辺りから路地に入ってみると

不思議の国の入り口は、上の画像中央の電信柱がある辺り。

年配のご夫人が丁度、その入口へさしかかろうとしています












下の画像は不思議の国との境界線。 ま、民家の壁なんですけどネ(笑)

ここから入ります

で、壁の右手から小路へ入ると・・・







姿を現したのは 民家の軒下や庭に飾られた多分、オブジェだと思います。

古いオモチャや装飾品を寄せ集めて作られているモヨウ 

民家の軒先や庭には

このお宅だけではありませんヨ






こちらのお宅のお庭は、庭の草花に混じってカラフルな造花や

ペットボトルの風車で、まるで山車のように彩られています

造花や再利用されたペットボトルの風車

もはや ホッタラケの島 に近いものがあります・・・






このお宅は、流木に鹿やラクダ ( 画像中央部 ) が乗ってます

壇の上部にはサンリオキャラクターのシナモン、頂上にはマリア様

こちらにも

オブジェは雨ざらし陽ざらし状態で、既に良い風合いを醸しています








この小路で出会う皆さんはごくごく普通です。

なぜ? どうして? は、きっと野暮なんでしょうね








小路の奥には、 『 羽衣温泉 』 という地元の方専用の温泉

( 通称・ジモセン )がありました 

ジモセン・羽衣温泉

戦後に建てられたもののよう・・・  











雪駄履きで羽衣温泉へ向かう男性とすれ違いました。


おや? 共同手洗い場の壁に何やら小さな看板が・・・ 

ジモセンへ行く男性とすれ違いました

この小路は 『 羽衣小路 』 と呼ばれているそうですが・・・ん?


描かれてるのは手足がついた古い電話にテレビ、電気ジャーにポット。 

つくも神様が暮しているそうです

“ よく目を凝らしてみてください。 この路地では

たくさんのつくも神が、楽しげに暮らしています ” 



看板にはこう書かれていました












さてさて、まーりたんもこの日は別府駅市場近くの古い蔵の軒で、

つくも神様達が楽しそうに遊んでいるところを目撃?したかもしれません

別府駅市場近くの軒先で

よっぽど上機嫌だったのか、カメラにも写ってくれたようです








下の2枚の画像をよーく見比べてみてください 

薄曇りの空、時刻は夕方です。 怖いものは写っていませんが、

心霊現象の一種かも・・・ 苦手な方はスルーして下さいネ。


楽しそうに遊ぶつくも神様たちが
見えた気がしました

軒先で、輪郭が青にも紫にも見えるシャボン玉みたいな光の環が

何個か上下にふわりふわり、ゆっくりと大きな円を描きながら

楽しそうに動いてました 軒下に入ったり、出てきたり

お分かりになりますでしょうか?





これは属にオーブ現象と呼ばれるものですが、 「 空気中のチリなど

微小な光源がピンボケしたものだ 」 と分析される方もいます。

信じる信じないは自由 怪奇現象ではないですよ、念のため(笑)。




ただ、古い民家や森の木々、川などには “ 精霊 ” と呼ばれる

自然界から生まれた霊体、高エネルギー体が宿っているそうです。

タイミングが合えばどなたでも見る事が出来ますし、オーブとして偶然

カメラに写り込んでいて、びっくりされる方もいらっしゃるようです






オーブは特別な現象ではないし、大半が見間違いかもしれない。

でも、まーりたんはオーブらしきものが見えた日は、沢山の恩恵を

くれる自然、万物に感謝し、畏敬の念を払うよう心がけています

災害が鎮まりますように
( おじぞう天使・広田千悦子さんの作品です )




今朝のニュースでは、台風12号の被害で亡くなられた方は48名、

行方不明者は55名と報道されていました。 画面に映し出される

映像が、5か月前の東日本大震災の惨状と重なってしまいます。

どうか、これ以上悲しい事が起きませんように









本文中の下線付き文字は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます

2011/09/07(水) 12:54 | コメント:16 | トラックバック:0 |

ここは大分県別府市のコンベンション施設 “ B-Con Plaza

( ビーコンプラザ )
 ” のシンボルとして平成7年 ( 1995年 )、 

磯崎新氏の設計により建てられた “ グローバルタワー ” の展望台

別府湾を一望

地上100メートル、別府湾方向へ張り出した板の上からの眺めです










前回の記事で、まーりたんはタワー1階にて展望台入場券を購入し、

エレベーター ( 右側の柱の中 ) をノンストップで展望台まで上昇

エレベーターは右側の柱の中

因みに画像中央、タワーへ真っ直ぐ伸びた道の延長上に居るのはヒト

( ウチのダンナさん ) です 掲示されているグローバルタワーの

図面や解説ボードに見入ってます。 その間まーりたんは、どうにかして

タワー全景をカメラに収めようと、ダッシュでこの位置へ来ました









敷地の外壁ぎりぎりまで来て しゃがんでもこれが精一杯か・・・

仕方ない

しゃがんでもこれが精一杯か

まーりたん一行は、右側の柱の中をぐんぐん昇って・・・









今いるのは高度100m地点、地面と平行な四角いボードの先端です

張り出した板の部分に居ます

ボードの先端 ( 東の方角 ) には、別府タワーがある北浜の街、

そして別府湾。 やわらかな水彩絵の具の世界が広がります 

東側(別府タワー、別府湾)

水色の空に滲んだ雲とまーりたん、同じ高さにいるみたい 

突然ですが画像中央部分に ズームイン! ( 今はジップか )









別府三太郎氏、見~つけたっ♪

別府タワーはココ





「 ここで説明しよう!ニャのだ。 まーりたんは暑さのせいで、

ここで解説ニャ!

別府三太郎氏 と 別府タワーの区別がつかなくなっているのだニャ 」










「 ガラス張りの展望台は屋根がニャい。 天井部分はワイヤーのみニャ 」

屋根はありません、金網のみ

「 真冬と真夏は覚悟が必要ニャのだ 因みに荒天時は入場不可ニャ 」











何だかマンジ君の声が聴こえたような・・・? 空耳かな





さて、今度は高崎山の見える大分市方面、南の方角をどうぞ

南側(高崎山、大分市方面)

地図と見比べながら展望をお楽しみください

南側案内図



続きましては国東 ( くにさき ) 半島へ続く北の方角を

北側(観光港方面)

画像左端は、ちょうど別府国際観光港の辺りだけど・・・

北側案内図


関西汽船さんふらわあ、見つけました!

さんふらわあが見えた!


おや? 展望台の中央に何やらヒミツの階段が・・・

この階段を降りてみると

とりあえず降りてみます









さっきまで居たのは、画像左上に見えるボードの先端ですよ~

さっきまで左上の板の先端にいました

まーりたんは只今、空中を歩いております










振り返ってパチリ 歩いてきた階段のみ宙に浮いてま~す

地上が少し近くなりました

十段余りの短い階段を降りた所には、もうひとつの展望フロア。









ここからは別府湾と反対側、西の方角が一望できます

西側(スギノイパレス方面)

画像中央の山一帯は、別府八湯のひとつ、観海寺 ( かんかいじ )

温泉郷。 左奥の山は堀田温泉、右手はるか彼方は明礬温泉です




上の画像右下に写っている青い半円屋根を持つ建物から

更に手前に引くと、赤煉瓦の何やらアカデミックな建造物が出現

京都大地球熱学研究所

この建物は火山や温泉など地熱に関連した研究や教育を行う施設

“ 京都大地球熱学研究所 ” の別府本館です。 正式名称は

“ 京都大学大学院理学研究科附属地球熱学研究施設 ” まるでジュゲム

平成9年 (1997年 ) 国の登録有形文化財になりました

京都大地球熱学研究所 公式サイト : http://www.vgs.kyoto-u.ac.jp/

京都大地球熱学研究所・拡大

京都大地球熱学研究所は大分県と熊本県に観測所、阿蘇には

火山研究センターもあり、阿蘇中岳火口のライブカメラ画像を

HPから見る事が出来ます。 火山研究センターHPは コチラ です










今回、まーりたんがグローバルタワーに登って右往左往していたのは

以下の図面矢印の場所です  なんだかお腹が空いてきました 

画像中央部で右往左往しておりました♪

西日も強くなってきたことだし、

ささ、そろそろ地上に戻って エレベーターに乗ってね

こんな感じで・・・

おやおや~? グローバルタワーの足元に何やらハデハデなノボリが

実はココ、既に回転寿司屋さんの駐車場内

蒲江港にすでに到着しています

産直回転寿司 “ 蒲江港 ( かまえこう ) ” さんです

回転すし蒲江港

ビーコンプラザ、コンベンションホールの目と鼻の先にあり、

その店名の通り漁業の町、大分県佐伯市蒲江町より直送の

新鮮なネタと、リーズナブルな価格がウリ
の回転寿司屋さんです

大漁旗が賑やかな店内

カラフルで賑やかな大漁旗を見ると、テンションも食欲も








席が空くまで、水槽のアナゴくんでも眺めてお待ち下さい

いけすを眺めながら待ちます

ではカメラはバッグにしまって、流れ来るお寿司に集中させて頂きます!

ご了承下さいませ  ここは生イワシの握りが おすすめですヨ

くさみが全く無く、ほんのり甘みもあり口の中で溶けるようです

新鮮な魚を使ったお味噌汁 “ ぶえん汁 ” なんてのも

あります  “ ぶえん汁 ” は、蒲江独特の呼び名みたいです



●産直回転寿司 蒲江港 ( かまえこう )

所在地 : 大分県別府市 山の手町3264の1

電話 : 0977-24-4400  

営業時間 : 11時~22時 ( 年中無休 )















あら、こだぬき君。 マンジ君にマイコン式扇風機の使い方を

教えてくれたのね どうもありがとう  ところでマンジ君は?

ありがとう、こだぬき君

「 えっ? 」













「 マンジ君、いつの間にあんなところへ 危ないよ 」

マンジ君!

「 マンジ君もタワーに登りたくなったのかなあ 」










グローバルタワーのご紹介は今回でおひらきですが、

悪がねマンジ君の冒険は、まだまだ続くようです・・・

長い記事にお付き合い頂き、ありがとうございました


2011/07/01(金) 14:50 | コメント:11 | トラックバック:0 |

のっぴきならない理由により、新に扇風機を購入する運びとなりました

結婚して19年、その間アイロンや炊飯器なら何度か買い換えたものの、

壊れるなど想定外だったアナログ扇風機を買い換える事になろうとは

扇風機レシート

日曜日、電器屋さんの扇風機売り場は これまで見たことない程の

大盛況ぶり 皆さん節電対策でしょうね、扇風機も飛ぶように

売れていました。 扇風機の種類もプロペラがない空洞タイプや、

冷風が出るタワー式、充電式など様々で、一昔前とは大違い

せっかくなので、浦島太郎気分で扇風機の勉強もして参りました







ウチは取り急ぎ、手頃なオードソックスタイプにしたのですが、

なんとマイコン搭載 リズム風機能まで付いて至れり尽くせりです。

マイコン式です


画像下、右側が今回購入したマイコン機能搭載のお座敷扇風機。

新旧扇風機

そして左側は首を振るのを諦め、頷く事しかしなくなった従来の扇風機









トドメの一撃 を加えたのは多分 

マンジ君も興味津々

クラッシャー・マンジ君








こだぬき君、どうかマンジ君に扇風機の正しい使用法を教えてあげてね












「 今日は凄く暑いね、マンジ君。 まーりたんさんの頭の中が心配だ 」

扇風機の正しい使用法を教えてあげてね

「 煮えたのではニャいか? 」









さて、そんな梅雨の晴れ間 レトロな魅力満載の別府タワー

登った流れで、同じく大分県別府市にあるグローバルタワーへも

登ってきました 世間一般では 「 高い所ばかり登るシ ( ヒト ) は

ナントカっち
 」 とも囁かれるようですが、まーりたんはサル年生まれ。

本能かもしれません。 どうか大目に見てやって頂ければ幸いです










で、こちらがその グローバルタワー 。 ここは別府市山の手です。

流川通りから観海寺温泉方面へ

国道10号線から流川 ( ながれかわ ) 通りを別府湾と反対方向、

西へクルマで数分走ると、別府公園の端っこに 首が長~い草食恐竜、

ブラキオサウルスみたいな建物が現れます 胴体部分は西日本有数の

コンベンション施設 “ B-Con Plaza ( ビーコンプラザ ) ” 、そして

長い首がビーコンプラザのシンボルタワー “ グローバルタワー ” です

因みにこの通りを直進すれば、スギノイパレスもある別府八湯のひとつ 

観海寺 ( かんかいじ ) 温泉。 更に山手は情緒漂う堀田温泉です 



●別府国際コンベンションセンター・B-Con Plaza
 
 公式サイト : http://www.b-conplaza.jp/index.html








平成7年 ( 1995年 ) に完成したグローバルタワーは、

別府タワーよりも35メートル高い 125メートル 。 設計は

大分市出身の建築家、磯崎新 ( いそざきあらた ) 氏。 大分市の

府内城そばにあるアートプラザ ( 旧・大分県立大分図書館 ) は、

磯崎新氏が初期に手掛けられた作品としても知られています








それにしても何と言いましょうか、この 独創的なタワーの形 。

47.jpg

入場券を撮影したんですけどね









グローバルタワー というネーミングから既にお察しかと思いますが、

globe ( グローブ ) の意味は 地球儀 あるいは 球体

球体の左半分

グローバルタワーは、別府公園中央部の海抜0メートル地点を

中心とした、直径1キロメートルの 巨大な仮想球体 の

一部をあらわしているそうなんです ( 現地解説ボードより )

このタワーは仮想球体の一部です

想像してごらん ( 笑 )  ようこそ仮想球体へ 

パンフレットより

( 見学用パンフレットの写真より )










展望デッキは地上100メートルの位置にあります

それでは、いよいよタワー内部へとご案内させて頂きまぁす 

図解・グローバルタワー

クルマは地下一階の駐車場に停めました

ビーコンプラザ駐車場

駐車場からコンクリートの階段を昇り地上へ出ると、

現在地はココ、車を停めたのは地下

展望台入場券の販売所があります。 自販機ではありませんよ、 

インフォメーションレディ が笑顔でチケットを手渡しして下さいます

タワー入り口 ( エレベーターのりば ) は、チケット売り場の隣です。







目指すは360度の大パノラマが広がるグローバルタワーの展望デッキ

画像中央部が展望台です♪


展望デッキまでノンストップのエレベーターの中には・・・

エレベーターの中

グローバルタワーに関連するいくつかのポップ



NIKKEIプラス1 の紙面に大きな丸印を発見

展望台ランキング

専門家が選ぶ展望台で、別府市の グローバルタワー は

なんと 九州1位 にランキングされているようです


全国1位は、やはりの東京タワー、2位は横浜マリンタワー

他にも京都タワー福岡タワー海峡ゆめタワーなど

トップクラスには、錚々たる顔ぶれが名を連ねていました







また、前回の記事で こだぬき君が持っていた亀川夏祭りの

うちわ
にも書かれていたとおり、グローバルタワーからの夜景は、

日本夜景遺産 にも選定されているんです 

日本夜景遺産に登録されました

で、どんな夜景かといいますと・・・




こんな夜景です  公式サイトの写真をお借りしました

34グローバルタワーからの夜景

ぐるりと別府湾を囲むように手前は別府市の街灯り。 

別府タワーもちゃんと写ってますね どこだか解りますか?

右端はお猿の高崎山。 山裾を縁取る光の線は、たぶん別大国道を走る

クルマのライトです 湾の向こう岸には、まーりたんの暮らす大分市の

街灯りも見えてます 夜空には丁度、花火らしきものも写ってますね 








あらあら あっという間に高さ90メートルの別府タワーを追い抜いて・・・ 

高度98メートル、別府タワーを抜きました


地上100メートルのグローバルタワー展望台に到着です

36展望フロアに到着

次回は、ここから眺める 360度の大パノラマ を

たっぷりとお届けします  どうぞお楽しみに

2011/06/29(水) 15:14 | コメント:9 | トラックバック:0 |

「 マンジ君、今度は 扇風機ライド を始めるつもりかな? 」

マンジ君、今度は...

前回の記事では、さんふらわあごっこに夢中だったマンジ君

今度は扇風機によじのぼり、夏季限定の遊び “ 扇風機ライド ” を

始めた様子 ひとりで上手に遊んでくれるのはありがたいんだけど... 

扇風機ライド

「 あとはオシリで扇風機のツマミを押せばOKニャ 」













「 ニャニャ~ン   回転したのだニャ~ 」

マンジ君ゴキゲンです

・・・なんだか危なっかしいこと こだぬき君、悪いけど

ブログの続きを書くあいだ、マンジ君のこと見てて頂戴ね














さて、前編 “ 別府三太郎氏のご紹介 ” に続きまして、後編では

別府タワーの概要や歴史、展望フロアからの眺めなどをお届けしたいと

思います。 お時間の許す限り、どうぞごゆっくりとお楽しみ下さい







湯の街別府のランドマークとして あまりにも有名な別府タワーは、

昭和32年 ( 1957年 ) の3月~5月にかけて、ここ大分県

別府市にて開催された 別府観光事業を国内外にPRするイベント

“ 別府温泉観光産業大博覧会 ” の目玉施設として建築されました。 

別府タワーの軌跡

展望フロアの解説パネル ( 上の画像 ) にも書かれている通り、

当時の地元財界人らが設立した “ 別府観光開発 ” が、2億8千万

もの資金を投じ建造 ( 設計は早稲田大学教授 内藤多仲氏 ) 。


宣伝部隊も結成し、全国へ向けたPR活動にも力を入れたところ、

修学旅行を始め、年間90万人もの利用客で賑わう一大観光スポットに

のぼりつめたのだとか 別府タワーが建設された同じ年、内藤氏により

札幌テレビ塔も建立、更に翌年、昭和33年には東京タワーも完成





タワー建設ラッシュに日本中が湧いた、そんなパワフルで古き良き

昭和30年代 展望フロアでは当時の写真展も開催されていました

別府タワー建設中の写真

建設中の別府タワー ( 画像上 ) に、完成後の式典など数々の

イベント、観光客で賑わう別府タワーと別府の街 ( 画像下 )。

別府タワーオープン後の関連写真集


別府タワーと、北浜を走るボンネットバス や、

古写真・ボンネットバスとタワー


海岸から別府タワーを眺める母子 ( 画像下、左上隅の写真 ) など、

タワーおよび昭和30年代の別府の風景

アート感覚も盛り込んだ素敵な写真も沢山飾られていました








それから五十余年後の別府タワーより見下ろす別府の街です 

トキハ別府店

お猿の高崎山が写るこの画像はタワー南側 ( 大分市方面 ) の眺め。

中央に奔る道路は、大分市から北九州まで延びる国道10号線です 

右側中央ベージュ色の建物は “ トキハ別府店 ” 。

先月、別府ハットウ・オンパクを運営するNPO法人により開催された、

福島物産展の会場となったデパート ( ブログ記事は コチラ ) です。








で、この眺めは陽が沈むと こうなりま~す

高崎山方面の夜景

16階のラウンジへ降りる階段に飾られていた少し古い写真です

海 ( 別府湾 ) 沿いの建物は殆どが温泉旅館。 

年季の入った温泉宿から大きなホテルまで新旧入り乱れ、

「 これぞ別府 」 とも言える情緒を醸しています









今度は反対側、タワー北側の眺め ( 平成23年6月撮影ですよ ) 。
 
スパビーチ・別府湾方面の眺め

波型のビーチは花火大会等のイベントにも使用される通称SPAビーチ

上の写真では解りづらいのですが、SPAビーチの先には前回の記事でも

ご紹介させて頂いた、さんふらわあが寄港する別府国際観光港があります。

うっすら見える半島は国東半島。 このブログに度々登場するハーブ園

“ 大神ファーム ” のある日出町は、国東半島の付け根辺りです。







で、再び陽が沈むと・・・、タワー北側の眺めはこんな感じに

スパビーチ方面の夜景写真

ラウンジへ続く階段に飾られていた古写真をまたしても拝借

画像右上、別府国際観光港あたりにオリアナ号が写っているから、

この夜景はたぶん平成7年より前に撮られたものだと思います 


東京オリンピックの際には横浜で海上ホテルとしても使用されたという

SSオリアナ号。 引退後、1987年 ( 昭和62年 ) から

1995年 ( 平成7年 ) までは、別府市の別府国際観光港で、

マリンミュージアムとして人気を集めていました 懐かしい







タワー東側は、四国まで続く見渡す限りの海 ( 別府湾 ) 。 

反対の西側は別府市街地と山々を一望。 湯けむり風景も楽しめます





展望フロア西側には別府タワー記念メダルの販売機、その右側では

おみくじも販売されていました。 まあ恋みくじですって

おみくじも

天井付近には、別府をはじめとする大分の観光スポットをずらりと

パネルでご紹介。 ご案内役はもちろん別府三太郎

メダル交換機の上には

風流な佇まいの竹瓦温泉 ( 別府温泉 ) に、花菖蒲がちょうど

見頃を迎えている神楽女湖 ( かぐらめこ ) 、水族館うみたまご、

別府近郊・うみたまご
高崎山

お猿の高崎山に海地獄、湯の花小屋や別府海浜砂湯、扇山の火祭り、

海地獄
別府海浜砂湯

湯布院の辻馬車に朝霧、真玉海岸の夕陽、稲積水中鍾乳洞、

由布市・辻馬車
豊後高田・真玉海岸

竹細工伝統産業会館、鶴見岳のミヤマキリシマに久住花公園、

竹細工伝統産業会館
鶴見岳ミヤマキリシマ

九州自然動物公園アフリカンサファリ、国東の両子寺に富来寺、

国東の両子寺
中津・青の洞門

中津の青の洞門に一目八景、豊後大野市の原尻の滝や臼杵の石仏、

中津・一目八景
臼杵市・臼杵石仏

紅葉が美しい用作公園に、姫島村のキツネ踊りまで カワイイ

姫島キツネ踊り

大分の特産品、関アジ、関サバのご紹介パネルもありました








ところで、別府タワーは全日本タワー協議会に所属しています。

加盟タワー名の一覧に、あなたの街のタワーはありますか

全日本タワー協議会・加盟タワー名

あっ、そうそう 別府タワーの高さは、完成時は100メートルでしたが、

現在は避雷針を短くしたことにより90メートルとなってます。





日本気象協会が展望の日 ( 2010年10月1日 ) にリリースした

“ 全国タワーネットワーク ” では、全日本タワー協議会に

加盟するタワーからのライブカメラ映像、お天気、タワーキャラクター、

タワースタッフのコメントなど毎日楽しめる魅力満載の情報を

随時紹介しているそうです タワーファンの方は必見ですね

全国タワーネットワーク2

詳しくは日本気象協会ホームページ コチラ をご覧下さい








地上へ降りる前に、16階の展望ラウンジをちょっと覗き見

18ラウンジを覗いてみました

なんと、これはシブい



『 展望ラウンジ “ CELINE ( セリーネ ) ” は、

宝石箱のように美しい別府市街の夜景を眺めながら

リーズナブルな価格 ( チャージ300円、ドリンクは

300円より ) でお酒や会話を楽しめるお洒落なラウンジ。

展望台が22時で閉館した後も 深夜1時まで営業しており、

別府タワーからの眺めをゆっくりと楽しむ事ができます
 』 

と、別府タワー公式サイト コチラ に紹介されています


もしや タワーもと暗し? 一度利用しなくては








・・・と言いつつ展望ラウンジは営業時間前だったため、

この日は別府タワー南側、セブンイレブンの駐車場に出ていた

こちらの屋台に腰を落ち着けることとなりました

焼き鳥・串揚げ・たかちゃん

その名も “ 焼鳥、串揚げ たかちゃん  ” 





長テーブルのカウンターには、二階堂麦焼酎に いいちこなど

大分の地酒が並んでます。  しっくりくるわ~

たかちゃん店内


・・・と言いながら、オーダーしたのは 梨ソフト なんですけどね

梨ソフト

由布市の庄内梨を使ったご当地ソフトクリームです

ほんのり梨の風味がする甘さ控えめのソフトクリームに、

庄内梨の果肉入りジャムがトッピングされてます。

ざりざりした舌触りが 「 梨を食べてるぞ~っ 」 って感じです









あら、別府三太郎さん、ご自慢の赤いネクタイを締められたご様子


今夜はどちらの飲み屋さんへお出かけするん?

赤ネクタイを締めました

それじゃ私たちも帰って一杯やるとしますか









知られざる?別府タワーの世界は、これにておひらきです。

長い記事にお付き合い頂き、ありがとうございました

2011/06/24(金) 18:28 | コメント:12 | トラックバック:0 |

6月初旬の週末、ふらりと別府方面へ夕涼みついでのドライブに

出かけてきました。 別府市は、まーりたんの暮らす大分市の北隣に

位置する温泉の街 別大国道を走って10分足らずで到着します






ここは関西汽船 “ さんふらわあ ” や宇和島フェリーが寄港する

別府国際観光港のすぐ近く 別府湾から吹く海風が心地良いです 

関西汽船さんふらわあ

数時間後に関西方面への出港を控えたフェリー “ さんふらわあ ” の

前方に見えている山は、日本最大のニホンザルの群生地として知られる

高崎山 ( たかさきやま ) 。 その向こうは大分市です。 

まーりたんは高崎山をなぞるようにして別府市へやって来ました







大分市がある南の方角から今度は別府湾を眺めつつ、体をぐるっと北へ

半回転させると現れるのが、熊本城の西出丸みたいな広~い芝生の広場

今年の3月、別府国際観光港北側に完成した別府国際観光港第4埠頭です。

別府国際観光港第四埠頭

国と県と市が共同で1992年度に着工。 18年の歳月と総事業費81億円を

投じ造成したという大型客船対応の観光ターミナルで、災害時の緊急輸送

など防災拠点としての役割も担っています。 水深10m、長さ280mの

耐震強化岸壁。 平坦な芝生広場はヘリコプターの離発着も可。 

震災の際には資材や物資置き場としても使用されます。 



別府国際観光港第4埠頭が完成したのは奇しくも東日本大震災直後。 

地元紙でも大きく報じられました








海風にあたって涼んだことだし、もう少し別府の湯加減を楽しんでから

帰りたいと思います で、やってきたのは湯の街別府の元祖シンボル

『 別府タワー 』  今は大分のミドルタワー的存在かな?

別府タワースタンプ

って、これは別府タワーで来館記念のスタンプを押したパンフレット

なぜここに













「 さんふらわあが別府タワーに入港ニャ~ 」

さんふらわあニャ

さんふらわあは別府タワーではなく別府の観光港に入港します












「 マンジ君、そのパンフレットは まーりたんさんの大事な資料だよ 」

まーりたんさんの資料だよ

「 さんふらわあごっこが済んだら、すぐに返すんだよ 」











マンジ君が独占しているのは別府タワーの概要が書かれたパンフレット。

タワー展望フロア、スタンプコーナーに置いてあります。

移り気なマンジ君のこと、すぐに飽きて返してくれるでしょう









それでは、これまたウン十年ぶりに登ってきた別府タワーを ボチボチと

ご紹介させて頂きたいと思います 大分県民なら誰もが知っていそうな

別府タワーですが、ええ~ってなコトもあるかも。 私はありました

別府タワー

子供の頃に何度か登った記憶はあるけど、あとはランドマークとして

通りすがりに見上げる事がほとんどだった別府タワーが、なんと

平成19年 ( 2007年 ) で建立50周年を迎え、国の有形文化財にも

登録
されていたそうな しかも別府タワーと まーりたんは、お歳が

十 ( とお ) ほどしか違わなかった事実も今更ながら知り ひょぇぇ~

まーりたんが生まれる遥か昔からここ、別府北浜にあると思ってた・・・








平成7年には別府タワーよりも30mほど高いグローバルタワー

別府市山の手町に建設された事で、今やミドルタワーとなった別府タワー




それを知ってか知らずか、別府タワーのマスコットキャラクターは

別府三太郎 さん。 昭和32年生まれのナイスミドルです

別府三太郎さん

苗字が “ 別府 ” なのは解るけど、お名前が “ 三太郎 ” 

なのはどうしてか、なぜ赤いネクタイを締めているのか、

頭のてっぺんの逆毛は寝ぐせなのか、避雷針なのか、

50年以上も立ちっ放しで足腰に来ないのか、などなど・・・

大分県民の方なら興味を持たずにはいられない?であろう

この男性についての詳細情報は、後程ご紹介させて頂きます








では、あなたが大人であれば200円をこの発券機に投入し、

右側のナゾめいたエレベーターから展望フロアへどうぞ

発券機とナゾのエレベーター


ちなみに展望フロアは17階。 別府市街地や別府湾を一望できる

展望台です ( 営業時間は9時~22時  水曜日は定休 ) 。 


16階は展望ラウンジになっていて、17階の展望台が閉館した後も

深夜1時まで利用できるとか ( 営業時間は18時~ 日曜日は定休 ) 。

フロア案内

4階から下は、アートギャラリーやインターネットテレビ局、

タワーを所有する会社の事務所、イベントスペースになっている模様



5階では別府三太郎さんが寝そべっていらっしゃいますが、

この階に住んでいるわけではなさそうです。 念のため













17階、展望フロアに到着でございま~す

展望フロア

エレベーターが開くと、正面には受付けカウンターがあり、

カウンターの右手は別府タワーグッズや大分限定のマスコットなど

お土産コーナーになってます。 別府三太郎さんをモデルにした

大分限定 麦焼酎 『 三男坊 』 も販売されていました




麦焼酎 『 三男坊 』 には、別府三太郎さんの顔が描かれた

箱上部を切り、ボトルにはめ込めば別府タワー風になるという

楽しい工夫も 詳しくは TOKYOキャラクターフォーラム 

ライセンシーニュース コチラ の記事をご覧くださいませ




・・・と、ここまで書いたなら、別府三太郎氏についての詳細情報も

ご紹介させて頂かなくては 寄り道ばかりのまーりたん、

一体いつになったら景色を眺めるのだろうか







こちらは展望フロアに展示してある別府三太郎さんのご紹介パネル

別府三太郎物語パネル

「 この地に立って52年、雨の日も晴れの日も風の吹く日も暑い日も、

ずーっと別府の街を見続けてきました。 さすがに立ちっ放しで

型 ( 肩 ) が凝ったり、鉄骨も痛かったり。 なので健康のためにも

少し歩いて、全国の皆様へ別府の良い所などをご案内しようかと

思っています。 まずは温泉にでもつかってコリをほぐしてから・・・
 」 

などと哀愁を漂わせつつ語って ( ボヤいて? ) おられます







それと頭のてっぺんは、やっぱり寝ぐせでした

「 気にしないでください 」 ですって

別府三太郎さん紹介・左

居眠り中の寝言は 「 カボス・・・ トリテン・・・ 」 

別府の飲み屋さん や旨いもの には

頭のアンテナ ( 寝ぐせ ) が敏感に反応するようです








別府三太郎さんが三男坊といわれる由縁は、塔博士とも呼ばれた

内藤多仲氏によって、名古屋テレビ塔 ( 昭和29年 ) 、大阪の通天閣 

( 昭和31年 ) に続き、別府タワー ( 旧称・別府テレビ塔 ) は

昭和32年、全国で3番目に設計されたからだそうです




内藤多仲氏は別府タワーを設計した後にも、札幌テレビ塔、

東京タワー、博多ポートタワーを手掛けられ、別府三太郎氏は

このパネルで、 「 個性の強い兄さんたちや出来の良い弟たちに

挟まれてビミョーな存在ではありますが、そんな所も

別府っぽい とよく褒められます
 」 と呟かれています

別府三太郎さん紹介・中央

どうやら赤いネクタイがお気に入りらしい

別府三太郎さん紹介・右

あらあら、昔はヤンチャだったのですね。 やっぱり北浜あたりで?

それにしても愛犬 “ 三平 ” ちゃんの可愛らしいこと

遅くに帰宅してもシッポを振ってくれるんですって










「 まーりたんさん、今回は別府三太郎さんの話で終わっちゃったね 」

別府三太郎さんの事しか紹介しなかったね

「 次回は別府タワーの歴史や展望をお届けしますニャ 

まーりたんは世話が焼けるのだニャ~ 」








次回もどうぞお楽しみに

2011/06/22(水) 20:27 | コメント:10 | トラックバック:0 |
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