「 2014年の大河ドラマは、初代中津城主・黒田如水( 官兵衛 )を主人公にした
軍師・官兵衛に決定しました

観ていたテレビのローカルニュースで、この鳥肌モノの朗報を聴いてから1年余り。
早いものでというべきか、待ちに待ったというべきか、後ひと月半もすれば放送が
開始されます

九州北部豪雨で大きな痛手を受けており、大河決定の報せが飛び込んできた
瞬間は、領民をとても大切にしていたという黒田如水公が、かつての領地、
豊前国中津へエールを送ってくれたのかもしれない、なんて思ったものです


黒田官兵衛孝高は天正15( 1587 )年、秀吉さんの九州平定後に豊前6郡
12万石を拝領して、馬ヶ岳城( 福岡県行橋市 )、時枝城( 大分県宇佐市 )を
経て翌年に中津城主となります。 程なく息子の長政に家督を譲って如水と号し、
関ヶ原の戦い後に、筑前福岡へ栄転するまでの13年間を豊前で過ごします。
まーりたんにとっての中津は、実母の郷里で、小学校時代を過ごした思い出深い
土地です。 郷土史探訪を始めてからは、懐かしい中津城に2011年5月、改めて
登城

筑前( 福岡県北部 )を中心に訪ね歩いては、せっせとブログ記事を書き



その最中での大河決定だった事もあり、嬉しさも一入でした

来年の大河では、中津時代の如水にどれだけ尺をとって貰えるかは全くの未知数
ながら、とりあえずは嬉しいです



先日、如水公ゆかりの史跡を訪ねてきました。 今回は豊前ではなく豊後です


大分県別府市 石垣西6-6-36番地に鎮座する吉弘神社。
この神社には 慶長5( 1600 )年9月、豊後( 大分県 )の杵築~別府を舞台に
繰り広げられた 石垣原( いしがきばる )の戦いで、黒田軍と激戦の末に
亡くなった大友軍の勇将 吉弘統幸( むねゆき )さんが祀られています


吉弘(嘉兵衛)統幸さんは、豊州三老の一人・吉弘鑑理( あきただ )さんの孫
( 長男の子 )で、筑前・岩屋城で戦い抜いた高橋紹運さんの甥にあたります。
少し遡って天正14( 1586 )年7月、秀吉さんの島津征伐軍が九州へ乗り込む
前に筑前(福岡)岩屋城を落とした島津軍は、同年11月に豊後(大分)も侵攻

秀吉さんが四国から派遣した先発隊・長宗我部&十河軍を、大分市南部の戸次
( へつぎ )川原で破り、府内南砦・鶴賀城を守る大友家臣・利光宗魚さんを討ち、
島津軍はついに大友氏の本拠地である豊後府内( 大分市 )へ攻め込みます

その際、炎の海と化した府内から

安心院の龍王城へ逃れさせたのも、この方、吉弘統幸さんと言われています。

九州平定後、かろうじて豊後一国を安堵された豊後大友氏22代・義統さん。
しかし、秀吉さんの朝鮮出兵( 文禄・慶長の役 )での失態を理由に改易となり、
豊後を没収されます。 それでも大友義統さんは関ヶ原の戦いの時に奮い立ち

旧領・豊後を奪還すべく西軍旗を掲げ、別府浜脇へ乗り込んで来るんです


そこへ大友氏遺臣団の一人として駆け付け、宗麟ジュニアをがっちり支えたのが
これまた吉弘統幸さんなんですね。 主家がどんなに衰えようとも、変わらずに
忠義を尽くそうとする吉弘家が輩出した勇将らの誠実さには、胸を打たれます。
・・・ですが、西軍が圧倒的な九州に於いて、悩んだ末に東軍旗を掲げた如水公。
致し方なく、西軍・大友義統軍を迎え撃たなければならない運びとなり・・・



黒田如水軍の将 井上九郎右衛門元房さん( 右 )。 ふたりは相打ちだったとか。
背景に鶴見岳と扇山が描かれているところにも、どうぞご注目を


この画は吉弘神社の拝殿に飾られてます。 拝殿は上がって自由見学可です


慶長5( 1600 )年9月9日より、石垣原において黒田如水軍8千と大友義統軍
3千が激突

石垣原の戦いは終結。 義統さんは、黒田如水の計らいで命を助けられます。

吉弘神社境内の石碑にも刻まれている吉弘統幸さん辞世の句は、
「 明日は誰( た )が 草むす屍( かばね )照らすらん
石垣原の今日の月影 」 慶長5年9月12日 石垣原の陣にて。 享年38歳。

吉弘神社本殿奥に在る吉弘統幸さんのお墓にもお参りしました


吉弘神社由緒には、実相寺山に陣を張っていた黒田如水公の命令により、
吉弘統幸さんの首は、郷里である豊後高田の屋山麓・筧の館( 武蔵町 )へと
返され、このお墓には吉弘統幸さんの胴体が、宝泉寺の僧侶や里人たちにより
埋葬された、と記されています。 哀しいほど紹運さんの甥らしい生涯だった様。
統幸さん、どうぞ安らかに


吉弘神社と吉弘統幸さんの墳墓の間の道

西海道( さいかいどう )の名残だそうです。


吉弘神社の御神徳は、吉弘嘉兵衛統幸公の義烈さにあやかって、
病気を吹き飛ばし健やかでいられることを願い、病気平癒・心身健康・安産祈願、
家内安全・厄除け・除災招福・交通安全・商売繁昌・心願成就・良縁祈願など

記事2枚目の画像に幟がチラリと写ってますが、七五三の参詣神社としても
地域に根付いている様子。 これはもう、万能の神様ですね・・・

名将・高橋紹運さんに引けを取らない甥御さんの神社に参詣出来、幸せです

石垣原の戦い縁の史跡・吉弘神社の場所は、豊前國中津黒田武士顕彰会の
マスコットキャラ あ!官兵衛くんが指差して



( 観光施設連絡協議会製作・べっぷ周辺エンジョイマップより トリミングさせて頂きました

観海寺温泉方面には、大友義統軍の布陣地・南立石( みなみたていし )。
鉄輪温泉方面には、黒田如水軍の布陣地・実相寺( じっそうじ )山。
九州横断道路南側一帯は、九州関ヶ原・石垣原合戦縁の地なのです


※本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。
記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます

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