高い空と金木犀の甘い香りに誘われて、先週末は国東半島の東端、
大分県 国東 ( くにさき ) 市へ出かけてきました



718年に宇佐八幡神の化身 “
仁聞 ” が六郷満山を開き、
現在も60か所以上の寺院、仏教文化が深く息づく国東半島。
最近は写経など宿坊体験ができるスポットとしても人気です

国東橋を渡りま~す


国東橋の右側には、口を開けた
阿形( あぎょう )像。 左側には
口を結んだ
吽形( うんぎょう )像、二体の仁王様が迎えてくれます。
写真が小さいのでちょっと拡大



国東を巡っていると橋だけでなく、国道脇にも大きな仁王様が
身震いするほどの形相で、まさに
仁王立ち しています

両子寺には国東最大の仁王像があり、所謂仏の里のシンボルですネ
豊後高田市方面へ続く国道213号線を走り、富来( とみく )川を
渡ったところで左折すると、
富来城址 に到着します
竹田の岡城址に比べると石垣も残っておらず、街路樹に覆われていて
富来城跡と書かれた標がなければ、うっかり通り過ぎるトコでした

木々に埋もれた、この小さな城跡を訪ねた理由はといいますと、
下の画像、富来城沿革が記された現地解説板に書かれている通り


かつてここに築かれていた富来城は、豊臣秀吉の名軍師として知られる
黒田官兵衛孝高( 黒田如水 )が九州における関ヶ原、
石垣原の戦いの際に攻略・開城したお城だからなんです

弘長元( 1261 )年に築城された富来城。 富来氏は十二代から豊後守護
キリシタン大名 大友宗麟で広く知られる
大友氏に仕えていました。
大友氏は21代目・宗麟の頃に九州6カ国を統治する栄華を極めるのと同時に
衰退への道を急速に辿ります。 豊臣秀吉の傘下になるものの宗麟の嫡男
大友義統の時、朝鮮出兵での失態を理由に改易させられ富来氏も離散・・・。

そして時は関ヶ原の頃。
当時の城主、垣見一直は美濃大垣で西軍・石田三成の軍に参加。
城代の筧利右衛門が留守を守っている時に、黒田如水軍に攻め込まれます
黒田如水は東軍の幟を掲げ中津城を出発後、九州内で西軍旗を揚げる城を
次々と開城させていきます。 が、その勢いから中央で東軍( 家康軍 )と
西軍( 毛利輝元・石田三成軍 )が争っている隙に、九州を平定する構図を
描いていた、とも考えられており、それが通説になっている様です。
黒田如水軍の攻撃に、籠城軍は全員討ち死にを覚悟しますが


黒田如水( 官兵衛孝高 )は、「
あなた方には何の恨みもない。
黒田に仕える希望があれば召し抱えよう。 なければ帰農するがよい 」
と寛大な扱いをし、家臣の上原新左衛門を城番として配置。
富来城の将士の多くは如水に従い、開城したと言います。
( ●参考 : 日本城郭大系 )
まーりたん、ますます
官兵衛くんのファンになってしまいました


あ~、できるモンならタイムスリップして一目お顔を・・・


それでは、現在は城山子供公園として親しまれている富来城址
( 画像上・左手の坂を登った小高い丘の上 )へとご案内させて頂きます
ささ、これが富来城址( 城山部分 )全景です


写真には写ってませんけど、手前には赤いブランコが2基。
熊本城の壮大なスケールに比べれば本当に小さく、ささやかなお城で
あった事が窺えますが、あの足利尊氏も訪れたという要城です


それに何と、あの
宮本武蔵が黒田軍として参戦していたと言いますから
びっくり

宮本武蔵が富来城の塀を乗り越える際、
籠城軍に足を槍で突かれ負傷した、というエピソードも残っていて、
毎年8月には、宮本武蔵九州チャンバラ大会も開催されます

江戸時代中期に生きた大分出身の医師であり自然哲学者、思想家の
三浦梅園が、この富来城址を訪れた際に詠んだ歌の歌碑

です。

まーりたんは昔、地元の天文チームにちょっとだけ在籍してたことが
ありまして、三浦梅園先生縁の安岐町 『
梅園の里 』 での
星空観察ツアーを企画させて頂きました

その際、梅園先生について
少しだけお勉強しました


梅園先生は天球儀を作るなど、優れた知識
才能を持っていながら、地位や名誉を欲しなかった方だと聞いてます

梅園先生の詩、拡大してみても何て書いてあるのかサッパリ

読めた方、是非教えてくださいませ



生きた時代は違えど、三浦梅園先生と黒田如水( 官兵衛孝高 )には、
相通じるものがあるような気がしてなりません
もしや梅園先生が富来城址を訪れた理由は、黒田如水( 官兵衛孝高 )の
人物像にかなり興味というか、共鳴を感じたからじゃあなかろうか

などと、この歌碑を眺めつつ勝手な空想も楽しみました


歌碑の右側に建てられていた小さな祠、本丸の一部かしら



しっかり手を合わせて、お参りしてきましたヨ


続いては現地解説板・
富来城沿革に描かれていた俯瞰図をご覧下さい


この後は、黒田如水が富来城を開城するまで富来氏が治めていた城下町、
かつて海運業で栄えていた富来港界隈をを訪ねてみたいと思います

現在地( 城山 )から東( 画像上・左 )へ再び車を走らせます


あら、なにやら宝船らしきものが見えてきましたヨ


しかも橋の一部になってます。 実は今や富来地区は知る人ぞ知る
開運スポットとして、全国的にも注目されているんです。
ホントですよ

詳細は
次回以降でご紹介させて頂きます


どうぞお楽しみに

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