全国的に厳しい寒さが続いてますね、皆さまいかがお過ごしでしょうか

大分県も今季一番の寒気に見舞われているらしく、明日にかけて雪の予報も

さて、今回は福岡の 秋月郷土館レポの続きはお休みさせて頂きまして、
昨日8日、大友氏遺跡体験学習館をメイン会場として、豊後府内( 大分県
大分市 )で開催されたイベント 『 フェスティビタス・ナタリス in Bungo
~ 戦国クリスマス 大友宗麟公まつり


“ フェスティビタス・ナタリス ” とはラテン語で “ クリスマスのまつり ” の意。
1530年の府内に豊後守護大友氏21代目として誕生、戦国時代の九州に覇を
唱え、アジアは元よりスペインやポルトガルなど西洋( 南蛮 )との交易も開き

豊後府内へ西洋の医療技術や文化を日本で最初に導入したキリシタン大名
大友宗麟公。 その偉業を讃え、キリスト教

宗麟公の面影を偲び、後世へ伝えましょうという目的の下企画。 今回が初めての
開催で、主催は市内のボランティアチーム おおいた応援隊大友歴史保存会。
画像


夜の部のメインステージでは、戦国時代の府内で開かれていたクリスマスの催しを
再現すべく、演劇や大友宗麟公がこよなく愛したムジカ( 西洋の音曲 )演奏


そして大分少年少女合唱団の皆さんをはじめとする歌声の披露を中心に、
厳かに、また可愛らしく元気いっぱいに執り行われました



会場には、大友宗麟が居城を構えた大分県臼杵市に伝わる竹宵祭りの演出も
施されていました

用明天皇に嫁ぐ途中で命を落とした般若姫の御霊を慰め、お迎えするために
開催される臼杵の竹宵。 市を挙げての恒例イベントとなったのは近年ですが、
その起源は古墳時代に遡りますから、もしかすると宗麟公も、真名野長者縁の
領民らが灯す竹雪洞を 臼杵城から何度か眺めた事があるかもしれません


あいにく間に合わなかった日中の部では、豊後大友宗麟鉄砲隊の演武

はじめ、大友家の重臣・戸次鑑連( 立花道雪 )さんが、屈折した少年期を
送り荒みきっていた若き大友宗麟公の心を癒す方法をアレコレ考えあぐね

京都の舞妓さんを府内へ招き踊らせた事が発祥とされる、大分市鶴崎地区に
伝わる “ 鶴崎おどり ”

“ 扇子踊り ” などが催されたようです

同じく郷土の歴史継承のため、大阪は堺で鉄砲隊を編成&活動されている
方々も、わざわざ駆けつけて参加して下さったとか



さらには昼間、大分市中心街では、16世紀の大友宗麟時代、南蛮船に乗り
海を越え豊後へやってきた西洋人( 南蛮人 )スタイルの子ども達による
パレードも開催されました。 まーりたんはローカルニュースで観ましたが

まさしくこんな感じのルックスで



ポッカコーヒーオリジナル・戦国BASARA缶・大友宗麟Ver.
宗麟時代の南蛮装束を画像検索していて見つけたんですけど


こんなの出してたんですね~、初めて知りました


フェスティビタス・ナタリス in Bungo ~ 戦国クリスマス 大友宗麟公まつり
ラストを飾ったのは戦国花火大会。 江戸期以降現代まで、各時代の代表的な
花火が打ち上げられました。 画像は江戸時代の復刻版花火

橙色をした小ぶりの枝垂れ柳だった様です


しかも何と、この花火を贈って下さったのは、かつての宿敵・薩摩の島津とか

戦国ロマンも煽って下さるナビゲーターの方のお話によれば、花火を民間の
娯楽として愉しんでいる国は日本を含め、世界で15か国しかないそうです

火薬はあくまで戦争の道具として位置づけている国が圧倒的に多いということ
でしょうか...。 こうして花火大会を楽しめるのは、平和の証なのかもしれません。
よって、これは豊後と薩摩の和睦&友好の証ですね


鹿児島の花火師さん、関係者の皆さま、ありがとうございます


きっと宗麟公、澄んだ夜空の上からニンマリ満足げに見物してるだろうな


豊後の戦国大名 大友宗麟を松平健さんが演じた 遠藤周作原作のテレビドラマ
“ 大友宗麟物語~心の王国を求めて ” のワンシーンです。
16世紀、豊後府内( 大分県大分市 )の教会で、修道士サンチェスと日本人の
少年たちが奏でたムジカ( 西洋の音曲・ミュージック

演奏会は国内初の出来事とされていて、それを楽しんだ大友宗麟公は、
日本で西洋音楽の演奏会を聴いた最初の人物だと伝えられています

※本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。
記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます

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