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まーりたん

Author:まーりたん
大分県で暮らす四十路主婦
“ まーりたん ” の
ブログへようこそ(*^^*)♪

日々を彩る ちょっと素敵な
出来事を我が家の笑導犬?
マンジ君と楽しくお届けして
ます。目下、郷土史に夢中♪
心躍る探訪をご一緒に。

臼杵の富士甚醤油マスコット
キャラ・とっくりこだぬき君が
仲間入りしてからは、嬉しさ
余ってマンジ君の“ 悪がね ”
ぶりもますますエスカレート。

そんなふたり(2匹)の様子も
併せてお楽しみ下さい(*^^*)

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戦国時代に九州六か国の守護( 軍事、警察権を持つ武士 )職、及び

九州の武家を統率する探題職を務めたキリシタン大名 大友宗麟

先週23日は、そんな宗麟公の命日でした 

今年で没後425年になるそうです。





大友宗麟公の死没を、天正15( 1587 )年 5月6日( 6月11日 )と

記しているサイトもある様ですが、宗麟終焉の地 大分県津久見市の

JR津久見駅前に建つ大友宗麟公像横の石碑には、大友宗麟の

没年月日は天正15( 1587 )年 5月23日と刻まれています

JR津久見駅前・宗麟像について刻まれた石碑

『 大友宗麟公、名前は義鎮( よししげ )。 

享禄3( 1530 )年、大友氏20代 義鑑の長子として生まれる。

天文19年( 1550 )年、二十歳で父の跡を継ぎ中九州六か国守護職、

九州探題職、将軍相伴衆となった。 フランシスコ=ザビエルの教えに

感銘してキリスト教を保護し、天正6年 受洗してフランシスコの教名を

与えられた。 同年、日向に キリスト教的 理想王国( ムシカ )

建設しようとして果たせず、同11( 1583 )年頃 津久見へ移り、ここで

夢の実現を期したが同15( 1587 )年 5月23日、志半ばにして昇天。 

享年58歳。 赤河内に葬るという。  渡辺澄夫・文   末広小華・書  』  

宗麟について刻まれた碑(JR津久見駅前)

いずれにせよ今月は大友宗麟の没月ということで、日頃から大友氏ゆかりの

遺跡
等を訪ねては、ブログにて好き勝手研究発表させて頂いてる身の上上

今回は一層の畏敬追慕の念を込めて、豊後( 大分県 )の礎を築いた先哲

大友宗麟公終焉の地に在る 宗麟の晩年を窺い知れる稀少な史跡をご紹介

したい思います ご興味ある方は、どうぞごゆっくりとご観覧下さい







大友宗麟公の墓地公園 『 宗麟公園 』 から、民家の方へ少し下った

引地と呼ばれる場所に建つ 『 民話・宗麟の里 由来碑 』 。

宗麟の里由来碑・津久見

大友氏21代宗麟の 猛々しくドラマティックな半生とエピソードは、小説や

映画、テレビドラマ等でも描かれ、既にご存知の方も多いかと思いますが、

この由来碑に刻まれた 『 民話・宗麟の里 由来記からは、残された

僅かな時間を、自然を愛で心静かに暮らした宗麟の別の顔が窺えます。






宗麟の里 由来記をネット上で取り上げている方は、まーりたんが知る限り

今の処いらっしゃらない様なので、参考までにお役立て頂ければ幸いです

民話・宗麟の里由来記1

宗麟が生涯心に描き続けたキリスト教的 理想郷のイメージは、

フランシスコ=ザビエルが若き宗麟公に語った異国の街並みに倣ったもの。

高山由紀子さんが執筆された 『 国東物語 』 より端折って書かせて頂くと...




『 整然とした石畳の街並み、中央広場、広場を囲んで建つ教会

天文、医学から航海術と 若者達があらゆる知識を学ぶためのコレジオ

病に苦しむ人々が安心して治療を受けられる病院

港には絶えずヨーロッパへの航路を通う船が出入りしている 

そこで父子、兄弟の様に互いを信じ合い暮らす人々

空高く鳴り渡る冴え冴えとした鐘の音 

だが、武治( 肥後の菊池氏の子として国東物語に登場する架空の人物。

幼い頃、人質として大友氏に預けられ、宗麟とは親友であり幼馴染み。 

けれど皮肉な運命がことごとく二人を襲います ) でさえ、敵に回さなくては

ならない戦国の世にあって、理想国とは何か・・・ 』 と言った具合。





実際、宗麟は日本で最も早く現在の大分市に西洋文化都市を築き上げます

が、宗麟の心根の優しさ、行き過ぎた信仰などが仇となり、島津軍による

府内( 大分市 )侵攻の際、ことごとく焼き払われてしまいます

民話・宗麟の里由来記2

宗麟の里 由来記には、宗麟公園周辺の地名の由来についても、大変

興味深い記述がなされてます。 Google Map dataよりお借りした宗麟公園

周辺の地図に記された地名は、その多くが宗麟に由来するもので、僅かな

期間ながら、宗麟がこの土地に馴染み、濃く生きた痕跡が感じられます






宗麟公園( 墓 )がある小高い台地( 津久見市大字津久見4190番地 )は、

キリスト教に由来する 『 身打ち 』 という名で今も呼ばれているそうです。

また、宗麟が朝夕の礼拝所として通い、聖人のように帰天したと云われる

庵寺風の小さな教会天徳寺はその正面にあったとされ、葬儀の際は

宗麟の屋敷まで続く参列者で埋め尽くされたとか。 そのとき宗麟の遺体を

運んで通った場所が 『 引地 』 という地名になり、現在に残ってます

大分県津久見市 (C)2012 Google  Map data (C)2012 ZENRIN
(津久見市 宗麟公園周辺 (C)2012 Google Map data (C)2012 ZENRIN)



『 則近( 野近 ) 』 は、大友氏初代・能直 ( 源頼朝の落し子とも云われて

るんですって )が、鎌倉幕府の信任厚く、側近として仕えた事に準え

宗麟の没後も側近の一人がこの場所に住んでいたという伝説に由来。





宗麟が臼杵城から津久見へ来て以来、畑の大根に虫がつかなくなり

質の良い野菜が収穫できるようになったというお話は以前しましたが、

その御畑のあった場所が 『 尾畑 』 という地名になり現在に至ります。




宗麟の遺体が埋葬されたとされる場所( 現在の津久見高校付近 )は、

かつて宗麟が趣味の狩猟に出かけていた深い森で、『 成り守( 森 ) 』 。

成森から眺める緑山碧海にして四周清浄な景色を宗麟は愛でたそうです





『 宗麟に極めてゆかり深い現在地に立って当時を追想すると、

この台上から祈祷の鐘と共に願寺山( 八戸台 )の夕映えに照り染め

られた宗麟の里は、正に一幅の平和郷であったに違いない。

群雄割拠の戦国時代を精一杯に戦い、且つ精一杯に輝いて、

ついには世界的視野をもったキリシタン大名と云う異名を残した

宗麟の終焉地として、深く淀んだ歴史の重さを感じさせられる所である。

古老に聞く伝説や古い地名は、地域に生きる歴史の遺産であって、

郷土の貴重な文化財である
 』 と、撰文者 近藤正義氏は括られてます。







いかがでしたでしょうか 宗麟の里 由来記には、こうした宗麟の

晩年を窺い知れるエピソードや、大友宗麟に縁の深い地名の事が詳しく

記されてます。 あくまで民話との事ですが、大分の歴史にご関心のある方、

お時間のある方、小さい字ですが是非、読んで愉しまれてみて下さい

大友宗麟公園へ

この日は生憎の曇天だったのですが、宗麟公園に近くなったところで

空から光が射してきました。 歓迎されたようでちょっと嬉しかったです





宗麟が最後に愛した緑山碧海にして四周清浄の地津久見が

どうか、これからも護られますように。 

大友宗麟公の命日によせて










本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます

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2012/05/28(月) 14:17 | コメント:7 | トラックバック:0 |

「 まーりたんの目を盗み秘蔵写真を拝見ニャ 」

秘蔵写真拝見ニャのだ♪

「 それにしてもハンパニャい数だニャ~

適当にひらいてみるとするかニャ ポチッとニャ  」
















つくみん


「 ニ゛ャッ 」
 
ニ゛ャッ!


「 大丈夫かい、マンジ君一体どうしたんだい 」

大丈夫かい?マンジ君!

「 妖怪べとべとさんが出たのだニャ~ 」















「 マンジ君は津久見のファィルを開いたんだね 」

つくみん公園案内図

「 マンジ君が見たのはべとべとさんじゃなくて、

津久見みかんの精 つくみん だよ
 」

津久見みかんの精、つくみんだよ
海遊王国シートピア

「 つくみん公園内にある海遊王国シートピア

遊具には、つくみんが14個隠れてるんだって
  」

海遊王国シートピア遊具

「 一緒に探してみないかい? マンジ君 」















「 まーりたんさんは計3個みつけた様だね 」

二つ目つくみん
三つ目つくみん

「 まーりたんのパソコンは

宇宙人や妖怪べとべとさんの巣窟ニャのだ・・・
 」

まーりたんのPCは宇宙人や妖怪の巣窟ニャのだ

「 つくみんはミカンの精だから、マンジ君 」















「 ちなみに べとべとさんとは・・・

水木しげる先生が描かれる代表的な妖怪で、夜道を歩いている時

背後に気配を感じたら、それはべとべとさんなのだそうです 」

ベトベトさんTシャツです

「 これは、まーりたんさんが6年前に水木しげるロードの

お土産屋さんで購入した べとべとさんTシャツです 」








6年前、ぬりかべさんと境港にて
ぬりかべさんとパチリ
( 証拠写真を発掘 )

















「 ややっ、虹色のウロコを持つスカイフィッシュ ではニャいか 

イカスのだニャ~ 」

スカイフィッシュ

「 “ 遊びを通じて大きな世界観を持てる人へと成長してほしい ” 

という素敵な願いが込められた遊具なんだよ、マンジ君 他にも

ホエールサブマリン、マグロ飛行艇、キャプチャーベンチ、ウミガメ潜水艇

等々、遊具にはそれぞれとっても夢のある名前がつけられているんだ 」















「 スカイフィッシュの後ろには、津久見を余生の地に選んだ大友宗麟

“ 緑山碧海にして四周清浄 ” と愛でた自然も広がっているよ 」

宗麟が愛でた津久見の海

「 空も山も海も青いのだニャ~ 」














「 マンジ君、次はJR津久見駅だよ 」

JR津久見駅

「 JR大分駅前にも宗麟公の像があるけど、津久見駅前にもほら 」














「 大友宗麟公ニャ大分駅のよりオジジニャのだ 」

津久見駅前の大友宗麟像

「 天正7年( 1579 )年 ~ 天正8( 1580 )年まで

使用されていた花押
が刻まれているから、アラフィフの頃だと思うよ 」

アラフィフぐらいかなぁ

「 こだぬき君はもしやトレーダー分岐点の生き字引ではニャいか 」














「 ややっ、続いてはイカさんゴロゴロの

かた焼きそばが登場ニャ
 ウマそうニャ~ 」

しっとり柔らかいモイカがいっぱいのかた焼きそば

「 まーりたんさん達が津久見で食べたモイカ入りかた焼きそばだね。

津久見では今、モイカが旬みたいだよ、マンジ君 」

モイカフェアも開催中

※ 『 期間限定 津久見モイカフェスタ  平成23年11月1日~平成

24年1月31日 』 詳細は津久見市観光協会のサイトをどうぞ












「 マンジ君、長くなったから続きはまたの機会にしようか 」

津久見散策記はまたの機会にお届けしますニャ~

「 という訳で今回はこの辺で失礼致しますニャ 」










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2012/01/06(金) 17:47 | コメント:12 | トラックバック:0 |

おかげさまで昨日の内に急ぎの用事がどうにかこうにか

済みましたので、今日は本題に入る前に我が家ならでは

クリスマス連休中の珍事をお話したいと思います





ここは年1回のペースでお世話になっている歯医者さんの待合室

朝イチで飛び込んだ歯医者さんの待合室

世間の多くの方々がご馳走を心行くまで愉しむであろうクリスマスイブ

その余韻でまだ夢の中にいるであろう一昨日( 12月25日 )の早朝、

まーりたんは何故か歯医者さんの待合室に座っていたのでありました 








事件は24日の夜に発生 中年夫婦ながら我が家もたまには賑やかな

イベント会場でクリスマス情緒を楽しもうと、イソイソ別府方面へ出かけ

鶴見おろしが吹きすさぶ中、半ば意地で毎年恒例のイルミネーションや

花火大会を見物 これがマズかったのか帰宅後、こともあろうに

奥歯の銀がポロリ 強烈なクリスマス寒波が歯の粘着剤にも影響 

イブの夜に銀が外れました

喩えて言うなら、ふざけあっている内に誤って眼球にパンチを食らい

一気にテンションが下がる男子生徒の如く凹んでしまった まーりたん

一方、予測できない妻の珍事に、ウチのダンナさんは気遣って

くれながらも死ぬほど笑い転げてくれまして で、明朝一番で歯医者に

予約を入れるため、イブの宴は程なく円満な幕引きとなったのでした。




 


 
幸か不幸か、普段の休日よりも格段に早起き出来た お天気も上々な

クリスマスの朝 歯医者が終わった後は県南まで足を延ばす事に

津久見市へ

やってきたのは 大分県 津久見( つくみ )市

このブログでは初めての訪問なので、簡単にご紹介させて頂きます

津久見市は、臼杵市の南に位置する海に面した温暖な街で、水晶山から

採掘される豊富な石灰資源により、古くからセメント業で栄えてきました。 

ミカンの産地でもあり、日本最古のミカン先祖木は津久見にあるんですヨ

代表的な郷土芸能は扇子踊り。 戦国の世から続く戦没者供養祭です

つくみオリジナルカントリーサイン?

津久見の標識に描かれている僧侶風の男性は 大友宗麟公

かなりお年を召された姿。 『 民話 宗麟の里 由来記 』 によれば

務志賀( ムシカ )建設の夢に敗れた宗麟は、“ 緑山碧海にして

四周清浄
< ” の津久見に魅せられ、50歳を過ぎて移り住んだそうです。

戦国を生きた宗麟は、ここに最後の平和郷を見たのかもしれません 


津久見は 「 神のもとに皆平等 」 の世界実現を生涯

夢見続けたキリシタン戦国大名・大友宗麟公終焉の地でもあります


宗麟公園へ

恥ずかしながらまーりたん、40歳を過ぎてようやく郷土史に目覚めた様で、

ただいまオツムの中は見る事聴く事スポンジみたいに吸収しまくる

ベビーそのもの なかでも近ごろ気になるのはキリシタン戦国大名

大友宗麟公についての諸々で、このブログにも色々と好き勝手

書かせて頂いてます そのお礼も兼ね、この日はまず宗麟公のお墓が

ある宗麟公園へ。 奇しくもクリスマス 絶好のお参り日和かも


杉林の中に宗麟公のお墓があります

宗麟公園の所在地は、大分県津久見市大字津久見4190番地。

宗麟のお墓はこの石段を上がった台地に在り、かつて天徳寺御林とも

呼ばれていた樹齢百年を超える杉林の中。 天徳寺とは生前、

宗麟が朝夕の礼拝所として通い、聖人のような最期を迎えた寺の名。

『 民話、宗麟の里 由来記 』 によれば 天徳寺はこの辺りに

在ったとされており、庵寺の様に小さな教会所だったと云います
 

宗麟公のお墓

こちらがキリスト教名 DON FRANSISCO( ドン・フランシスコ )

キリシタン大名、大友宗麟公のお墓です

宗麟公のお墓です

大友宗麟公は最初、キリスト教式のお墓に安置されますが、

天正15 ( 1587 ) 年5月23日の宗麟の死から直ぐ、

豊臣秀吉がキリスト教を禁止したため、宗麟の息子で大友氏22代

義統( よしむね )が仏式のお墓に建て替えました。 が、そのお墓も

荒廃し、200年後の寛政年間に臼杵城豊が堂宇を新築

瑞峯院殿前羽林次将兼左金吾休菴宗麟大居士・宗麟法名(瑞峯院殿瑞峯宗麟居士) 

宗麟の法名は瑞峯院殿瑞峯宗麟居士。 この墓石には

瑞峯院殿前羽林次将兼左金吾休菴宗麟大居士 と刻まれています。







しかし、その堂宇も老朽化したため昭和52年、大友宗麟公顕彰会により

キリスト教式のお墓が造られ( 設計は 磯崎新氏 )、現在に至ります。

01-21.jpg

寛政年間に臼杵城豊により建てられた堂宇は上の画像、右端

コンクリートで囲まれた左側が現在の宗麟のお墓です










中学校の頃、修学旅行で長崎を訪れ、確か3人だったかな?幼い子ども

を含む二十六人のキリシタンが見せしめとして処刑された地に立った時、

胸が苦しく、とても哀しい気持ちに包まれたのを今でも憶えています





志半ばとはいえ、そうした悲惨なキリシタン弾圧を目の当たりにする事

なく、この世を去った大友宗麟公。 心からキリスト教を信仰し、信者の

保護に努めた彼にとって、せめてもの救いだったのかもしれません

もしも宗麟が病に倒れることなく、キリシタン弾圧時代を迎えていたら

きっと気が狂うほど嘆き悲しんだのではないかと思います。

古印煎餅をお供え

というワケで、宗麟公様、お供えを持ってきましたの

足利の銘菓、古印煎餅で~す 喜んで頂けそうな気がして

こんな私って、もしかして 墓マイラー















「 コラッ、ワシの墓前で遊びよって 」

大友宗麟公がでた!

わっ、でた!

日名子實三氏作宗麟像

じゃなくて、こちらは 臼杵城址の宗麟レリーフ と同じ

日名子實三氏作の大友宗麟公像。 堂宇の前に建てられてます

名刺受け付き!

なんと、名刺受け付き


石段を上がると

お墓のある台地から遊歩道を通り、更に高台へ登ってみました






楓の葉が敷き詰められた階段はふかふかです

もみじでふわふわ

ひと月ほど前は、きっと真っ赤な絨毯だったんだろうな






宗麟墓地公園、高台からの眺めです

セメント会社の煙突と水晶山

遥か東の方角には、リアス式の津久見湾 西には煙がたなびく

セメント会社の煙突、後ろは石灰石の採掘場 ( 水晶山 ) 。







津久見市街地を一望できるこの高台にも、宗麟( 胸 )像がありました。

かなりおじいちゃん にみえますけど、50代ですよねぇ

大友宗麟ブロンズ像

背後の石垣には、宗麟が使用した花押 ( 印章 ) 

の内、代表的な8枚 が年代別に埋め込まれています
 





独断と偏見で5枚をチョイス&ご紹介してみたいと思います

宗麟の花押・印章(天文21年1552から22年1553まで)

天文21( 1552 )年 ~ 天文22( 1553 )年まで使用

されていた花押。 宗麟がフランシスコザビエルと出会ったのが1551年、

宗麟21歳の頃。 ケープの着いた宣教師の服に見えなくもない様な



宗麟の花押(永禄5年1562~天正3年)

永禄5( 1562 )年 ~ 天正3( 1575 )年まで使用されて

いた花押。 義鎮( 宗麟 )が剃髪して出家、宗麟という法号に改めた

年が永禄5年、32歳の時。 剃髪した宗麟の頭を連想しちゃう?

 

宗麟の花押(天正7年1579~8年1580)

天正7年( 1579 )年 ~ 天正8( 1580 )年まで使用

されていた花押。 宗麟がキリスト教に入信し、ドン・フランシスコという

教名を授かったのが1578年 宗麟にまつわる史跡等の多くに

刻まれていて最も馴染み深く、宗麟を象徴する花押と言えますね


 

宗麟の花押(天正10年1582~14年)

天正10( 1582 )年 ~ 天正14( 1586 )年まで

使用されていた花押。 50歳を過ぎ、津久見で隠居生活を始めた頃の

もの。 宗麟は鷹狩りが趣味だったと言います。 鋭い爪を尖らせ、

大きな翼を水平に広げて翔ぶ鷹の様に見えるのは気のせい?




宗麟の花押(天正14~15年1587)

天正14年( 1586 )年 ~ 晩年の天正15( 1587 )年

まで使用された花押。 津久見の地で自然を愛でつつ、残り僅かな余生を

心静かに送る宗麟の姿がイメージできるデザインだなと感じました

リアス式の津久見湾、その波間から昇る満月の様に私には見えます









さて、次回は宗麟に深い感銘を与えたという津久見の海、自然

そして津久見の旨いものなどをご紹介させて頂きたいと思います 

長い記事にお付き合い下さり、ありがとうございました











ところでウチのマンジ君はアレから・・・

完全に目を回してる・・・

「 マンジ君、まだ目を回してる しっかりしておくれ  」










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記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます


2011/12/27(火) 20:03 | コメント:8 | トラックバック:0 |
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