散策には生憎のお天気だった日曜日

県立図書館 『 豊の国情報ライブラリー 』 へ出かけてきました

・・・とはいえ、到着した午後2時頃には青空が戻り...


いつも屋外をほっつき歩いてばかりなので、たまには図書館に籠って
面白い事を考える以外に使わない脳を活性化させねば蜘蛛の巣が...


大分県立図書館、県公文書館、県立先哲史料館として使用されている
上の建物

アートプラザ( 旧・県立図書館 )をはじめ、グローバルタワーを
シンボルとする別府のコンベンション施設 『 B-Con Plaza 』 や
由布市のJR由布院駅、津久見市にある 大友宗麟公のお墓などを
手がけられた大分市ご出身の建築家磯崎新( いそざきあらた )氏。
この小冊子



大分県以外では、群馬県立近代美術館、北九州市立近代図書館、
岐阜県の神岡町役場、茨城県の つくばセンタービル、なら100年会館、
兵庫県の西脇市岡之山美術館、京都コンサートホール他。 海外では
ロサンゼルス現代美術館、スペインのサンジョルディ・スポーツパレス
等々、掲載されているだけでもその数 国内外43点にのぼります

地元の皆様からは 「 そんなん誰でん知っちょん 」 って
声が聴こえてきそうですが、拙ブログは大分情報を発信するカテゴリに
登録させて頂いちょるけん、そこんとこどうか大目にみちょくれナ

磯崎新氏は、今年2月には大分合同新聞の地震関連インタビュー記事
にも登場されていて、とてもお元気そうでした

よれば、磯崎新さんのご先祖は、かつて幻の瓜生島があったとされる
沖の浜の庄屋さんだったとか



ご紹介の冊子 『 アートプラザ 磯崎新建築展示室 』 16ページより
お借りした豊の国情報ライブラリーの館内(左)と外観(右)写真です


楕円下部 中央は

見学するのは、入口ホール左端奥1F県立先哲史料館です

ここでは、大分県の先哲20人を近世( 江戸時代 )と近代( 明治、
大正、昭和 )に分け、貴重な資料とともに紹介、常設展示しています

県立先哲史料館入り口には 小、中、高校生向けの展示人物解説書
( パンフレット )が積んでありました。 もちろん頂きます

因みに 県立先哲史料館HP

撮影は事前に届ければOKみたいですが、所蔵者の承諾書が必要な
ものに関しては来館の1か月前申請とか



展示は江戸期から近代でも、絶対にハズせない方の直筆書がココ


豊後の歴史を知る上では、ですけどネ

県立先哲史料館入り口付近にチラリと見えている立体ケースの中には、
戦国時代に 九州6か国( 豊後、豊前、筑前、筑後、肥前、肥後 )の
守護( その国の軍事、警察権を持つ武士 )および 九州探題職
( 九州の武家を統制する職 )に就き、さらには南蛮との交易により
西洋文化や医療技術を導入、豊後国( 大分県 )を国際都市として
発展させたキリシタン大名大友宗麟公が部下に宛てた感謝状を展示

『 ※ 大友宗麟感謝状( 自筆 )は、永禄11( 1568 )年、
筑前の立花城( 現在の福岡県糟屋郡にあります )7代目当主だった
大友氏一族の立花鑑載( たちばなかんさい )が、安芸の毛利氏と通じ
謀反を起こしたため宗麟は兵を筑前へ派遣、合戦となった際



大友軍の一員として活躍した真那井の 「 渡辺六郎 」 へ、その手柄を
誉め讃え、感謝の気持ちを宗麟自ら綴り贈った文書( 感状 )です 』
( ※宗麟感謝状の解説板参考 )
立花城はその後、宗麟の命で戸次鑑連( 立花道雪 )に任されます。
感謝状には、永禄5( 1562 )年~天正3( 1575 )年まで
宗麟が使用していた印章も捺されてました。ココ


この方は

大友宗麟といえば剃髪したツルピカ頭に

それに眉毛を釣り上げた厳つい表情

ここの宗麟は珍しく、物憂げで直向きな表情を湛えた美男子です

しかも若っ



宗麟の画像は、県立先哲史料館ホームページよりお借りしました

しかし、展示されている大友宗麟 直筆感謝状の達筆なこと

それとも昔の人って、みんな字が上手かったのかしら

昔に生まれなくてヨカッタ



今年の1月、大友氏遺跡体験学習館で頂いた歴史教室資料にも、
『 宗麟は戦功のあった多くの家臣達に感状を贈っていた 』 と
書かれてました。 このあと、2階の県立図書館で閉館時間ギリギリまで
読みふけった 『 大友宗麟物語~心の王国を求めて 』 の原作本
遠藤周作著 王の挽歌( 上巻 )の中には、宗麟は晩年、羽柴秀吉に
援軍を要請しに大阪城へ出向いた際、大阪城の豪華絢爛さなどを
豊後への手紙にしたためた、とのくだりも。 もしや宗麟は筆まめ


全国の戦国時代ファンの皆様、豊の国情報ライブラリー
( 大分県立図書館 )へ お越しの際は、1階・県立先哲史料館内の
宗麟の直筆文書 『 感状 』 ( 渡辺家所蔵品 ) は必見です

さて、目下興味津々の 大友宗麟公のことばかり喋ってますが、
県立先哲史料館には、宗麟が志半ばで没した年に豊後に生まれ、
宗麟の夢を継ぐかのようにキリスト教の聖地を巡礼

最中も信仰を貫き、最後まで信徒達を励まし殉教した国東出身の神父、
ペトロ岐部カスイ縁の絵画や、これまた自筆の文書等も展示。

上の画像は、ペトロ岐部カスイ神父がイエスズ会に提出した身の上書

勿論コピーです。 館内に置いてあり、資料として自由に持ち帰れます

ほかにも、杉田玄白らとオランダ語を翻訳し解体新書を記した中津出身の
前野良沢、竹田出身の日本画家・田能村竹田、身分を問わず学べる学校
咸宜園の創設者 日田出身の広瀬淡窓、代表作 『 秀吉と利休 』 など
99歳まで執筆活動を続けた臼杵出身の女流作家・野上弥生子、朝地町
出身の彫刻家・朝倉文夫、大分市出身の画家・福田平八郎等々、館内には
そうそうたるメンバーの貴重な資料がぎっしり


まーりたんには、どれもキラキラ輝いて見えました

ぎゅうぎゅうに綴られた手帳等からは、息遣いすら伝わって来そうでした

そして今、ちょうど 宇佐風土記の丘で展覧会が開催されている
豊後高田出身の医師、賀来飛霞( かく ひか )が描いた
水墨画の魚や野草の絵も、県立先哲史料館内に展示されていました

白黒なのに緻密で、しかもどこかユーモラスで温かく可愛らしいタッチ

瑞々しい感性、賀来飛霞の人柄が窺える・・・そんな風に感じました


コレは

とまぁ、こんな具合に先哲史料館にて地元史探訪を愉しんだ日曜日、
お留守番してくれたマンジ君と こだぬき君へのお土産は・・・


はい


豊の国情報ライブラリーのドリンクコーナーで
買った府内南蛮王とかぼかぼうすきいろよ


「 これはどういう飲み物ニャのだ


「 “ それは次回のお楽しみ

ところでマンジ君、帽子の向きが何だか変だよ 」
※本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。
記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます

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