暑い日が続いてますね

猛暑日和です

暫しの間ぐったりと( 貞子風に )折れ曲がり、そのまま20分間ほど気を失い・・・。
パソコンも夏バテ気味なのか時折り動きが鈍るんですが、団扇で一頻り煽ぐと
サクサクと元気を取り戻します、本当です

ウチのPC



先月30日、トラピスト修道院

別府湾と高崎山

雲が降りてきて、夕刻には層雲と呼ばれる雲海に覆い尽くされ、幻想的でした


日出城、またの名を暘谷( ようこく )城は、秀吉さんの妻おねさんの甥である
木下延俊公が慶長6( 1601 )年に別府湾を臨む大分県日出町に築きます


親兄弟共に秀吉さんに仕えていた木下延俊公。 文禄・慶長の役では名護屋城
最寄りの場所に陣を構えます。 が、関ヶ原では義兄・細川忠興さんに付いて
東軍として戦い、徳川家康公より豊後日出藩3万石を拝領、初代日出藩主に

木下延俊公の奥さんは、細川忠興公の妹・加賀の方です。
また、延俊公の四男 木下延次は、大阪夏の陣を逃れ瀬戸内海を渡り、九州は
豊後大分へ落ち延びた秀吉さんの孫



日出城内に建つ暘谷小学校



お土産

ここでは初代日出藩主・木下延俊公の養子となり、豊後の山香で生き延びた
という秀吉さんの直系子孫・豊臣国松を主人公にした小説も販売してます。
これは史実なのか、歴史ファンタジーなのか、思わず夢中に・・・



あまりに面白く、ついには座り読みしていたところ、相方よりライト級ゲンコツが

楽しませて頂いた分、日出産の緑茶



霧雨の中、暘谷城址の散策もしましたが、登城記はまたの機会に


で、到着したのは国道10号線を挟んだ二の丸の向かい側、日出町佐尾地区の
松屋寺( しょうおくじ )。 日出藩主木下家の菩提寺で、境内には日本一の
大蘇鉄( 国指定天然記念物 )があります

大きな看板も出ているので、殆どの方がきっとご存知のはず


松屋寺へ大蘇鉄を観に行ったという方は、あまりいらっしゃらないのでは



曹洞宗康徳山 松屋寺。
慶長6( 1601 )年、元播州姫路城主・木下延俊( 木下右衛門大夫延俊 )が
日出城三万石に封じられる迄は天台宗の寺院で、その歴史一千年の古刹です。
延俊公は入封翌年に祖母・朝日局( 秀吉の妻おねの母 )の菩提を弔うために
禅宗に改め、康徳山 松屋寺に改号。 以後、日出藩主木下家の菩提寺に


山門をくぐって右手の受付で見学料300円( 大人一名 )×2を払い


「 大名の廟所と大蘇鉄を観るのに二人で600円かあ~

なんとなーく腑に落ちない思いを抱えたまま境内へ足を踏み入れ・・・


豊後守護・大友氏を学び始めてから、ここの大蘇鉄が大友氏縁のものだと知り、
「 一度は観ておかないと


この松屋寺、実はタダの由緒ある古刹では無かったのです、まーりたん的には



あっ、アレですね




南蛮貿易を開いた大友宗麟公が輸入し、もとは旧府内の大友館に植えられて
いたものが、大友氏改易後に府内城に移植され、のち日出藩主の木下氏が
貰い受けて、ここに再度植えたと伝わります

府内から日出までの陸路、140人がかりで担ぎ、一晩で運んだんだとか



そう、小雨の中ソテツの前で傘を差し

ボケーっと眺めていたところ、まーりたん一味を認めた作務衣に草履スタイルの
住職さんが、足元の悪い境内を走ってきて


ちょっぴりダニエル・カールさん似の住職さんは、大友氏縁の大蘇鉄について
熱心に、怒涛の解説をして下さるものだから、まーりたんも釣られてテンションが
あがり

にまで遡り

「 あっ、それはですね、こういうわけなんですね

素朴な疑問にも速やかに、丁寧簡潔に答えて下さるんです


「 宝物殿もご覧になられますか? 珍しいものがたくさんありますよ


ダニエル・カールさん似

導いて下さり、そんなわけで大蘇鉄解説板の撮影は、気が付けば忘却の彼方

天台宗の寺院時代の神仏像から、シルクに描かれた色鮮やかな鎌倉時代の
涅槃図に、木下家代々の図帖や愛蔵品などなど、宝物殿のガラスケース内に
所狭しと並ぶ、レプリカではない現存秘宝の数々

中でも、とびきりの珍品はコチラ



加藤清正公が朝鮮出兵の際に退治し、秀吉さんに献上した虎の骸骨です

それを親戚である木下延俊公が貰い受け、木下家の家宝としたものの様。
宝物殿のガラスケース内には


宝物殿内での写真撮影は出来ない決まりのため、松屋寺の住職さんは
「 パンフレットに写真を載せてますので、宜しければ、どうぞそちらを

仰って下さいました

連れだって参勤交代に赴くほど、仲が良かったのだそうです

ところで清正公の虎退治と言えば、あのトレードマークの片鎌槍の所以ですよね。
なので、住職さんにその旨をお訊きすると、「 伝説では槍ですが、銃です

とのこと。


ほかにも、清正公の死因はやっぱり毒殺なんでしょうか・・・と尋ねると
住職さんは 「 ええ、そうです


経緯についても詳しくお話して下さったんですが、細かい内容は忘れました

また、朝鮮出兵の際に日本へ渡海した唐津焼職人など優秀な技術者の方々は、
「 新天地を夢見て日本へ来たのではなく、○○大名らによる拉致なんですね。
徳川時代に清算はしたものの、今問われている歴史認識はそこなんです 」 と。
他にも黒田長政公の将来を案じ、奔走した父・黒田如水公の話から、筑前と
豊前の間に設置された砦・六端城のこと、豊臣国松生存説まで、知りたい事の
98%は見て来たかの様に答えて下さった、ちょっぴりダニエル・カールさん似の
住職さん


以来の驚嘆と感激で



宝物殿を出た場所に造られた雪舟の庭( 文明二年に豊後の万寿寺を訪ねた
雪舟が、文明八年までの遊学中に手がけた日本庭園 )も見せて頂きました。
その雪舟庭園に建立されている木下家の金色に輝く位牌堂

お参りさせて頂く頃には雨もすっかり上がって、もうじき夕暮れ


住職さんの解説があまりにリアルなんで、魔法の絨毯か空飛ぶ何かに
3人で乗って、戦国絵巻の上を駈けぬけた気分でした

シャロームクッキーの呪文をすっかり忘れてしまったんだわ、納得

山門をくぐる前は、見学料300円は腑に落ちないなんて思ってごめんなさい

というより申し訳ないぐらいです

楽しいひとときを、本当にありがとうございました


※本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。
記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます

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