豊の国情報ライブラリー館内で購入した2本の ご当地ドリンク。
大分市津守 (株)シーアールコーヒーの 府内南蛮王
大吟醸珈琲

うすき製薬株式会社の かぼかぼうすきいろ


南蛮船ナウ号が、ポルトガルと豊後( 大分県 )の臼杵港とを
往来していた16世紀の大航海時代、臼杵に居城を構え、豊後を拠点に
九州6か国を統治していた 府内( 大分市 )出身のキリシタン大名
大友宗麟公は、ポルトガル商人たちから 『 府内南蛮王 』 と
呼ばれていたとか

の際には領民たちを城内に避難させ、宗麟は自ら握り飯

振る舞ったというエピソードもあり、宗麟の傍で記録を続けた宣教師

手記には、 「 宗麟は王であった 」 と綴られているそうです。
『 府内南蛮王 大吟醸珈琲 』 は、戦国時代の九州に
覇を唱えた大友宗麟公を偲び、その当時ポルトガル商人たちが嗜んで
いたとされる アラブ産の南蛮茶( アラビカ種の生豆を研磨し、
風味を引き出した深煎りコーヒー )を復刻、現代に甦らせたもの





要は海の向こうへ夢を馳せた大友宗麟や、実際に大海原を命がけで渡り
布教活動を続けたフランシスコ=ザビエル、南蛮文化を豊後へ搬入した
貿易商人ら、冒険者たちの浪漫に酔いしれて下さいという事でしょうか

それともアラビア語でワインを意味する 「 カフワ( Qahwah ) 」 が
珈琲の語源だと言われているのに準えて

と思い



日本における珈琲についての最初の記録は1804年、江戸の文人・大田南畝
( おおたなんぽ )によるもので、 『 珈琲は18世紀末にオランダ人により
日本へ持ち込まれた 』 と記されているのだとか。 なので、16世紀に
生きた大友宗麟が珈琲を嗜んでいたとは、残念ながら考え難いですネ

それでも、もしかすると公的な記録に残ってないだけで、
ポルトガルの貿易商人たち


『 南蛮のお茶 』 として、コッソリ献上されていたかも

宗麟はスペイン料理 パエリアの作り方もマスターしてたと言うし

大分県臼杵市の郷土料理、『 黄飯 』 は、イスパニア( スペイン )の
宣教師が作るパエリアを大友宗麟が模したのが発祥とも言われています。
サフランの代わりに、クチナシの実でご飯を黄色くするんです

( 美味しんぼ71巻 日本全国味巡り 大分編でも紹介されてます

大友宗麟は、実は料理研究家でもあった


夢は果てしなく広がります


で、話も果てしなく反れてしまいました

をば...。 芳香は缶を開けた瞬間よりも、口に含んでゴックンと飲み込んだ後に
ふわっと鼻に抜ける感じで広がります。 強い苦味やクセは無く、濃さも程々

府内南蛮王 大吟醸珈琲は、すっきりとして飲みやすく、品のある味でした

そうそう



府内南蛮王 大吟醸珈琲の隣は、宗麟が居城を構えた臼杵市の特産品
『 うすきいろのかぼす 』 を使用した ハチミツ入り かぼすウオーター
その名も 『 かぼかぼうすきいろ 』 。 かぼす果汁10%とは
思えないフレッシュなカボスの味と香りが楽しめます

控えめ。 散策中のリフレッシュにお奨めの爽やかで、円やかな味です

「 おや、それはAyana’さん手織りのコースター
だね。 ぼくに貸してくれるのかい


「 かぼかぼうすきいろは、こだぬき君の古里の
飲料ニャ。これを敷けば一層美味しくニャるのだ 」
「 マンジ君、いいとこあるなぁ


「 マンジ君の厚意に感謝して、ふるさと臼杵を
懐かしみつつ、ゆっくり飲ませて貰おう・・・ 」
「 こだぬき君、悪いがAyaニャさんコースターに
くれぐれもジュースをこぼさニャいよう頼むのだ 」

「 分かってるよ

マンジ君じゃないんだし、まったく・・・

「 わっ、 まだ何か用かい


「 心配で仕方がニャいのだ・・・ 」
「 マンジ君

コースターを貸してくれるんじゃなかったのかい


「 やっぱり大事なものはレンタルしニャいのだ

・・・というわけで

ココで飲んだら、より一層美味しく味わえるんじゃないかな~

オススメの場所をご紹介させて頂く予定です




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