日向灘へ注ぐ耳川河口域の日向市 美々津( みみつ )地区。
日向市観光協会のパンフレット 『 美々津~人と風土が育てた港町 』 に
よれば、瀬戸内様式の弥生土器が町背後の遺跡から出土するなど、ここ
美々津地区は、古くから海の交易拠点だった事が裏付けられています

江戸時代初期には参勤交代の船着き場として番所も設置。
また、木炭など耳川上流地域で生産された特産品を高瀬舟に載せ、
美々津へ集積後、大阪方面へ出荷していたことから廻船問屋も活躍。
明治から大正時代にかけては、美々津千軒と呼ばれるほどの
繁栄ぶりだったそうです

『 美々津渡し場・高瀬舟終着場之跡 』 碑


屋根つきベンチ越しに見えるのは 美々津大橋。
そのたもとを流れる河が 耳川です。
戦国時代、耳川は大友氏と島津氏の軍事境界線でもありました。
高城川の合戦では、形勢が逆転した事から務志賀へ退却を図った
大友軍を島津軍が追撃。 約3千人とも言われる大友軍戦没者の
多くは、ここ耳川で島津軍に討たれて亡くなったと云われています

淡々と海へ注ぐ耳川の流れを眺めていると、弥生時代、戦国時代、
江戸時代、近代と、地層の様に幾重にも積み重なった時の流れの
層のひとつに今 自分も居て、その上にまた時間がさらさらと積もり
後世の人に踏み固められて行くのかな、なんて想いがふと過ったり・・・
おや、いつのまにか屋根つきベンチに人が


ステテコ姿のご年配の男性です。 この地区の方でしょうか。
耳川を眺める背中は、グラン・トリノの佇まいを醸してます

あっ、グラン・トリノをご存知ない方は、すっ飛ばしちゃって下さい


さて、この大きな錨

天照大神を曽々祖母に持つ初代・神武天皇が、この場所から船出
=御東征したという伝説 『 神武東遷 』 に因むオブジェです

日本海軍とは天皇が統師された海軍であることから、神武天皇が
まつりごとを行うにふさわしい国づくりをするために水軍を編成し、
東方へ向け舟出した場所を日本海軍発祥の聖地として定めたそうで、
海軍両爪錨の左側には、古式舟のへさきをモチーフにした様な
『 日本海軍発祥之地 』 碑も


『 日本海軍発祥之地 』 碑 解説板横のミラー

コチラ 白壁土蔵の旧い美々津の町並みです



江戸時代から明治期にかけて廻船問屋が経済を支え、
美々津千軒と呼ばれていた当時の町並みがそのまま、国選定の
重要伝統的建造物群保存地区として、大切に残されています。

まーりたんは、赤い四角の現在地




耳川河口の駐車スペース( 埠頭 )にクルマを停め駆け足散策

夕方5時をまわっていたため、民俗資料館は残念ながら閉館して
ましたが、6本の剣にも見える不思議なオブジェが建つ砂浜からは
神武天皇がお舟出の際、間を通り抜けたと伝わる日向灘沖の
二つの岩礁、一ツ神と七つバエを見る事ができ、ちょっぴり感激

クルマへ戻る頃には、お陽さまもすっかり西へ傾いて
神武天皇を祀る立磐神社の杜に沈みかけてました。
カメラを逆光モードに設定して撮っても逆光になってしまうなか、
日本海軍発祥の地碑に、古式舟らしき模型がくっついてる事に気づき・・・



拡大



神武天皇の舟かしら

さあ皆さま、ここからは
是非とも働かせてお愉しみ下さい


まーりたんは、なんとなく見えてきましたよ


銀河を天の沼矛で掻き混ぜて、最初の国土おのころ島を創造した
イザナミとイザナキを始祖とする カムヤマトイワレヒコ( 神武天皇 )が、
潮の神シオツチの言葉に従い、ひむかの国から勇者の如く
東方オデッセイへと旅立つ光景が


こんな可愛い小舟



自動ドアに可愛い神武天皇お船出の図が描かれたココは、
温泉レジャー施設 日向サンパーク内にあるお舟出の湯

探訪楽し


お昼は道の駅 日向に隣接する日向サンパークで摂りました


太平洋を臨む真っ白な螺旋通路を抜けレストラン潮音へ。
照り返しで目がチカチカ


今年は712年に完成した古事記編さん1300年アニバーサリーイヤーで、
日向サンパークのレストランではそれに因んだフェアが開催されてました。
神話の里ひむかですもんね


ではランチのご紹介を


二人そろって迷わず宮崎の郷土料理をオーダー。
ウチのダンナさんは、冷や汁と麦飯のセット お刺身つき。

まーりたんは、チキン南蛮定食です。
大分県内のファミレスや食堂では、軽くのした鶏胸肉一枚が
カットされて出てくることが多いんですが、チキン南蛮の本場
宮崎では、ごろごろした鶏のモモ肉を使ってました


大分の郷土料理 とり天を甘酢に潜らせたものに、
タルタルソースが添えられている感じです。 衣はカリッとして、
お味は言うまでもなく美味しいの一言です

で、冷や汁は我が家風に言うと・・・。
お鍋の底に残った三日目のけんちん汁を、温めずに
そのまま食べた感じ

麦飯にかけて頂きます

冷や汁の起源はなんと、鎌倉時代に遡るんだとか

伝承されて来たのは、アツアツのお味噌汁ばかり飲んでいられない
南国宮崎の風土に適していたからでしょうか

お土産にも購入しました


実は、パッケージに貼られてたシールに釣られて・・・かな

宮崎県のシンボルキャラクター 『 みやざき犬( けん 』

日向夏を被ったコが 『 ひぃ 』 で、フェニックスを被ったコが
『 むぅ 』 。 地鶏のくちばしをつけたコが 『 かぁ 』 。
全員集合で ひむか ね


「 あっ、起きたのかい


マンジ君

あっ、チョコ大福をつまんでる。 小腹が空いて起きただけの様です

飄々と、おかまいなしにヌイグルミ犬生を謳歌するマンジ君


次なるイタズラ冒険旅行へ向けての お舟出ならぬ 腹ごしらえ

彼の場合はさしずめ、おいた犬


長々とお届けした宮崎レポは、今回でお開きにさせて頂きます。
お付き合い下さった皆様、心よりお礼申し上げます


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記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます

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