戦国時代、主君・大友宗麟公より筑前領を任され、立花(戸次)道雪さんと共に
粉骨の働きをした豊後大友氏家臣・高橋紹運さん、そして愛妻・宋雲尼さんの
幻影を求め、今年9月に訪ねた太宰府市の岩屋城址。 紹運さん御夫妻が
居城としていた岩屋城は、標高410メートルの四王寺山 中腹に建っていて、
山頂には7世紀頃の古代山城跡、西日本に多く分布する神籠石のひとつ
大野城遺跡があります



四王寺山の尾根伝いには、土を突き固めた城壁( 土塁 )が延々と巡らされ、その
全長は8キロ以上に及ぶ壮大なもの


解説板によれば


大野城内に四天王を祀り、仏の力でも国を守ろうとしたことから四王寺山という
今の呼称になったそうです。 古くは大野( おおの )山・大城( おおき )山と
呼ばれていて、太宰府天満宮パーキング領収証に刷られている山上憶良さんの
歌にも詠まれています。 永禄13( 1570 )年、4歳になる長男の千熊丸( 後の
立花宗茂 )を連れ豊後高田・筧の館から、筑前の岩屋城へ着任した高橋紹運さん
ご一家は、きっと大宰府政庁跡や、この大野城跡へも足を運ばれたことでしょう。
とりわけ当時二十歳の戦国女子

息づく古都・太宰府に、胸をときめかせたんじゃないかな~、なんて想います

昨年夏の終わりに柳川の天叟( てんそう )寺を訪ねて以来ずっと、
紹運さん御夫妻の連載記事を書いてみたいと思っていたので、今回その念願が
叶い、凄く幸せです

皆さまのお陰で、稚拙ながら、どうにか最終回へ漕ぎ着ける事も出来ました。
心よりお礼申し上げます


大げさかもしれませんが、高橋紹運さんの事を初めて知った時は、雷に打たれた
様な衝撃を覚えました。 辞世の句の一節 『 雲居の空に名をとゞむべき 』 。
「 流転する雲( 人の心 )に記憶されればそれでいい 」的な意味ではないかと。
まーりたんの勝手な解釈ですが・・・

紹運さんを心から慕い、共に戦って亡くなられた763名の岩屋城兵の方々。
全員のお名前を調べる力量がないのが心苦しい限りですが、紹運さんと一緒に
今は四王寺山の懐に抱かれ、心安らかに眠られている事を願ってやみません




天正14( 1586 )年7月27日 午後5時。 大友軍の大将・紹運さんは亡くなり、
籠城軍も全滅。 岩屋城は陥落します。 が、攻城軍の島津氏にも甚大な損害が
出て、多くの兵が命を落としています。 なのに島津軍の大将・島津忠長さんは
紹運さんの遺骸を前に膝をつき、男泣きに泣いたと云われているんです・・・

続いて島津軍は立花城攻略へ向かいますが、降伏勧告の使者を送る程度で
攻城手段を打てないまま同年8月23日、秀吉さんの先鋒隊が10日に九州入り
( 小早川・吉川・黒田軍7千の門司着 )の報せを聞き、本国へ撤収を始めます

ここで登場するのが紹運さんの長男・18歳の立花城主・統虎( 立花宗茂 )さん。
立花城を飛び出し、島津軍を追撃


島津軍に捕えられ肥後南関( 熊本県玉名郡 )に監禁されていた母・宋雲尼らを、
秀吉方となった龍造寺政家さんの協力を得て、救出する事にも成功するんです

島津軍は11月に豊後へも攻め込むのですが、これはまたの機会に書きます。

翌天正15年3月、秀吉さんも自ら25万とも云われる大軍を率い九州入り



島津氏を降参させて九州国割りを行い、筑後4郡13万2千石を拝領した統虎は
主家・大友家から独立した大名に取り立てられ柳川城へ。 立花宗茂と改めます。
母の宋雲尼は、三池郡1万8千石の大名となった次男・統増( 後の高橋直次 )の
三池の館( 大牟田市大字新町・現三池小学校 )で暮らしたと云います。
秀吉さんの死後、慶長5( 1600 )年に起きた関ヶ原の戦いでは、宗茂さんは
恩義から西軍に付き、母・宋雲尼さんは大坂城で人質生活となってしまいます。
しかし、黒田如水と加藤清正の説得を聞き入れて降伏。 領地を没収されますが、
その後の頑張りで家康さんに認められ、柳川城主へミラクル復帰

なるんですね

ケースバイケース。 家康さんに徹底抗戦を挑めばどういう事になるか・・・

紹運さんも草場の陰で胸をなでおろしてたかも。
宋雲尼さんは晩年を次男・直次の江戸屋敷で過ごします。 慶長16( 1611 )年
4月27日、波乱の60年を頑張って生き、ようやく愛する夫・紹運さんのもとへ

宋雲尼さんのお墓は江戸下谷の広徳寺から、関東大震災後に福岡県柳川市の
高橋紹運さんの菩提寺・天叟( てんそう )寺に合祀。 まーりたんの知る限り
戦国九州一の素敵なご夫婦





今よりもはるかに混沌とした時代に生まれながら、他人のスケールに頼らず
清廉に、賢明に生き抜いた高橋紹運さんご夫妻と、岩屋城の勇士の方々

相手の心を推し量り、自分を信じて歩いていくことの大切さや素晴らしさ、
それこそが希望であることを、427年の時の流れを諸ともせずに力強く
教え続けてくれている気がします


この先もそうして誠実に、心の限りを与え続けていくんでしょうね、紹運さん

あなたに出会えてよかったです。 遅かれでも、本当に

紹運と宋雲尼【17】【18】【1】
●参考:岩屋城[1586年]玉砕覚悟の籠城戦
吉永正春著 『 九州戦国の女たち 』
※本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。
記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます

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