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まーりたん

Author:まーりたん
大分県で暮らす四十路主婦
“ まーりたん ” の
ブログへようこそ(*^^*)♪

日々を彩る ちょっと素敵な
出来事を我が家の笑導犬?
マンジ君と楽しくお届けして
ます。目下、郷土史に夢中♪
心躍る探訪をご一緒に。

臼杵の富士甚醤油マスコット
キャラ・とっくりこだぬき君が
仲間入りしてからは、嬉しさ
余ってマンジ君の“ 悪がね ”
ぶりもますますエスカレート。

そんなふたり(2匹)の様子も
併せてお楽しみ下さい(*^^*)

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黒田官兵衛さん縁の地、福岡県 行橋市の 行橋市歴史資料館 にて、今年

12月14日まで開催中の特別展 『 秀吉・黒田官兵衛見参~馬ヶ岳城の世界

見学レポを引き続き、お届けしています 前回の記事で、館内2階の廊下に

飾られていた大河ドラマ登場人物のイラストが、あまりにも素敵だったので

ご紹介したところ、いつも拙ブログへ足を運んで下さる皆様から大きな反響を

頂きました。 なので調子に乗りまして、もう2画像ほど掲載したいと思います

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)81

そのハイクオリティさに圧巻と同時に、色鉛筆画の柔らかな印象も加わって、

歴史上の人物と、それを演じられる役者さん方への心遣い、敬愛の念すら感じ、

暫く時間を忘れて見入ってしまった次第です。 心を込めて描かれたんだろうな 

イラストレーターさんのお名前が分からなかったのが、ほんと悔やまれます

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)82

前回掲載した精鋭・黒田武士の面々。 今回の内田お濃姫、江口信長さん、

竹中秀吉さん、黒木おねさんの他にも、谷原半兵衛さん、柴田職隆さん等々、

どの作品も本当に素晴らしかったです 岡田官兵衛さんと中谷てる姫も勿論

いらっしゃいましたが、トップに飾られていたためポカンとなって、そのまま写真を

撮り忘れ・・・。 ただそれだけの理由でここに載せられなかったのです、ハイ 



 

素敵なイラストが飾られた廊下の突き当たりには、広いテラスへ通じるドアがあり、

テラスには芝生の中庭へ降りる階段も付いてます。 テラスからは行橋市街地を

一望。 遠く南西の方角は、行橋市を包んで広がる福岡県 京都( みやこ )町。 

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)86

京都(みやこ)は、黒田官兵衛さんが豊前六郡を領していた時代に、既に在った

地名です。 由来は、悲劇の勇者ヤマトタケルの父・12代景行天皇の九州巡業

話にまで遡り・・・これを始めたら長くなりそうなので、古代行橋編は、また機会

があれば綴ります 京都という地名、要は古代の都 に由来してるんですね。



行橋市歴史資料館のテラスから南西の方角には、黒田官兵衛さんが豊前六郡を

与えられて最初に入った城 馬ヶ岳城址が遺る 馬ヶ岳もばっちり見えるんですよ。

上の画像中央部分を拡大してみると、ふたこぶラクダみたいな山が

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)83

これが馬ヶ岳で、向かって左、標高208mの山に二の丸、右側216mの山に

本丸があり、殿様の居館は北側の麓。 ちょっと見はラクダの背みたいですけど、

その形を、むりくり?神馬の背に見立てて、馬ヶ岳という名前が付けられた様

天慶5( 942 )年築城、神馬に纏わる馬が岳城伝説は、過去記事コチラで。

では、そろそろ特別展開催中の歴史資料館企画展示室の中へ入ります


行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)38

展示室中央に置かれている馬ヶ岳城畝状竪堀群200分の1の模型です。

模型を製作されたのは、なんと京都高校の1年生 昨年実施された馬ヶ岳城

遺構の本格的な測量調査から、その測量図を基に自ら何度も現地へ足を運び

踏査をして 3ヶ月で完成させたのだそう。 いや~素晴らしいです


行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)37

また、麓の館には天正15( 1587 )年3月29日と30日の2日間、秀吉さんが

宿泊
した記録も残されている様。 天正15年の秀吉さんの九州入りといえば

九州征伐です。 秀吉さんの惣無事令を無視して九州制覇を目指す島津軍を

征伐する為、前年の天正14( 1587 )年7月25日に先ず、黒田官兵衛さんが

秀吉さんの命で4千の兵を率いて九州へ。 露払いが済んだところで翌年3月、

秀吉さんと弟の秀長さんが25万とも云われる大軍を率いて、九州入りします。

この時に、豊後鶴崎城では吉岡妙林尼さんの女傑伝説が生まれたんですね~



九州入り早々馬ヶ岳城に2泊した秀吉さんは、4月1日に田川郡添田の岩石城を

落とし、益富城で秋月氏びっくり一夜城大作戦も成し遂げ、島津氏方の城を攻略

しながら、通り過ぎた後には今に受け継がれる伝説も残しながら、更に南下









続いては、馬ヶ岳城模型の隣、こちらも展示室の中央に置かれているものです。

そうです 前回の記事にも登場した黒田長政公の大水牛脇立兜

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)34

どうせまたレプリカでしょ、って いえいえこちらは個人蔵の本物ですヨ

重要文化財・黒田長政所用の黒漆塗桃形大水牛脇立兜は、福岡市博物館蔵の

はずなんですが、なぜかココにも ゆるキャラ ゆくはし官兵衛くんが仰るには、

確かに黒田長政公が使用していた兜との事です。 そういえば、大水牛脇立兜は

福島正則さんと仲直りの証に、竹中半兵衛さんの遺品でもある一の谷兜と交換を

する際、それぞれ写しを作ってはいるし、幾つかスペアが存在してるのかしら   

とにかく、こちらの大水牛脇立兜は正真正銘、レプリカではありません 






さらに本物大水牛脇立兜が納められているガラスケース越しに見えております

この旗指物( はたさしもの )も、実際に黒田藩が使用していた本物

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)30

赤地に白餅柄の旗指物 白餅のは、持ちに通じ、石持は石高が増える=

加増を受けるに通じる縁起の良いものとされ、多くの武家が家紋や旗紋として

用いていた様です。 あっ、そういえば 大水牛脇立兜にも石持ちの飾り

付いてますね。 で、これも本物江戸時代の黒田藩庁の大幟(4m×77cm)。

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)36

ガラスケースの中の本物大水牛脇立兜も、黒田藩庁の大幟も、個人蔵

これらを代々受け継ぎ保管されているお宅は、黒田家臣の末裔?気になる~ 






続いては、行橋に濃い足跡を残されてる後藤又兵衛さんのコーナーです

今回の特別展では、後藤又兵衛さん所用の槍だけでなく、何と

まさかの生活用品まで展示されているんですね~ 

レジェンドカラーが強い武将さんだけに、夢かうつつか、でも現実でした

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)40

金石餅飾り付の又兵衛さんの兜と、壁に掛けられてる槍はレプリカですが、

兜の左に並んでいる品々、又兵衛さんの遺品個人蔵の本物です。

引っ張って申し訳ないですけど続きは次回、後藤又兵衛さん出奔のお話も

交えつつ、心してご紹介させて頂きたいと思います 

ご興味ある方、どうぞお楽しみに









あっ、載せ忘れるとこだった!

先日、mobilewalkさん がご紹介されていたオクラのせ冷やし中華。

すごく美味しそうだったので、我が家も作ってみました

オクラ入り冷やし中華5月9日ばんごはん

盛り付けが微妙に大雑把なのは、いつもの事ですので・・・

これからの暑い季節に向けて、血液さらさらミズノゴトシ

ウチの相方、納豆食べてくれないので、オクラで立ち向かう事にします。

ウケも良かったです、mobilewalkさん、感謝







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2014/05/12(月) 19:55 | コメント:13 | トラックバック:0 |


はっ その凛々しくも切なげなお顔は、大河ドラマ 軍師官兵衛

第五話 「 青山の戦い 」 で、まーりたんをぼろぼろに号泣させた

永井武兵衛殿ではござらぬか~ぶへいさまぁ~

行橋市歴史資料館・母里武兵衛、母里太兵衛画

で、武兵衛様のお隣には、勝手に呼んで 黒田二十四騎のランドマークタワー

もこみち太兵衛さんも、いらっしゃるではあ~りませんかピュア&ワイルド

さらに太兵衛さんのお隣には、濱田善助さんに高橋九郎右衛門さんまで

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)80

ま~、黒田家重臣の方々の何と麗しいこと そして皆、凄く良く似てらして、

手掛けられたイラストレーターさんのお名前を絵の中、近辺探したものの

残念ながら見つけられず・・・orz  作品のみのご紹介となってしまいました





さ、そんな相変わらずのばかご中年 まーりたんは今、どこに出没してるのかと

云いますと、福岡県は行橋市の複合文化施設 コスメイト行橋 2階の廊下

悪さをして廊下に立たされているのではありませんよ、コスメイト行橋の2階は

特別企画展示室を備えた行橋市歴史資料館になっているんです 

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)1

福岡県 行橋( ゆくはし )市は、かつては豊前( ぶぜん )京都( みやこ )郡

一部で、秀吉さんの九州平定後は黒田官兵衛さん( 黒田如水公 )の御領地。 

黒田家が筑前へ移った関ヶ原後は、細川忠興さんの御領地となったところです。

そして、黒田二十四騎の後藤又兵衛基次さんが、黒田如水公の死後、

筑前黒田藩を脱藩して、最初に身を寄せた場所でもあるんですね、行橋は

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)3

脱藩後、故郷・播磨を目指す又兵衛さんは道中、豊前を通らなくてはならず、

前もって細川忠興公に通行願いを出していたんですが、人格と、戦での実力を

名だたる大名達からも認められていた又兵衛さん 通行許可願に添えられた

手紙を読んだ忠興公は、「 いつでも喜んで召し抱える 」と返事を出します。

実際に逃げてきた後藤又兵衛さんを、細川忠興公は自分の御茶屋屋敷

( 行橋の西福寺 )に一時匿い、御用庄屋だった守田家に世話をさせるんです。 




前説が長くなりましたが、こんなわけで行橋市歴史資料館には、

後藤又兵衛さん関連の貴重な資料や、槍などの遺品も展示されてます。 

まーりたん今回はこれ目当てに訪れたんですけど、2階へ上がってみたら

廊下には冒頭の黒田武士ほか登場人物の素敵なイラストが飾られていて

企画展示室では大河に連動した、以下の期間限定展示の最中でした

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)19
  
秀吉・黒田官兵衛見参~馬ヶ岳城の世界 』 と銘打つ

行橋市教育委員会主催の特別展は、今年の12月14日までの模様



官兵衛さんに精通されている方、勉強中の方ならご存知だとは思いますが、

馬ヶ岳城というのは、官兵衛さんが豊前へ入封して最初に入ったお城で、

行橋市にあるんです。 ただ、山城で、城下町を造るには不便だったため、

大分県 宇佐市の時枝城を経て、最終的には同、大分県 中津市の山国川

河口に中津城を造営して、ここが筑前に移るまでの居城となります




しかし墨で書かれた大きな垂れ幕、迫力を感じます。 

その下に3つほど写っている兜、カメラをぐぐーっと引いてみると・・・

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)5

企画展示室入口、雛段の最上段、金屏風の前には、黒田官兵衛さんの

トレードマーク的な 赤漆塗合子形兜( あかうるしぬり ごうすなりかぶと )。 

隣には嫡男で初代福岡藩主・黒田長政公の漆塗桃形大水牛脇立兜

( うるしぬり ももなり だいすいぎゅう わきたてかぶと )。 長っ



そうして、殿と大殿様をガードする様に並んでいるのが黒田二十四騎の方々が

被ってた兜。 黒田二十四騎見参!もとい、黒田二十四騎の兜見参!ですネ

これらの展示兜は勿論レプリカですが、兜師・福田弘氏作の精巧で重厚感ある

逸品揃い こちらは栗山善助( 利安 )さんの兜です左隣は母里太兵衛さんの♪

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)17
 
兜に、それぞれ番号札をつけてあるのは、投票箱に好きな兜の番号を書いて

投票してね、という総選挙も行われてるからの様 面白そうなので投票しました

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)78


ちなみに、中間結果では、トップはやっぱり強そうでインパクトあるもんね

黒田長政公の大水牛脇立兜 2位は官兵衛さんの兜。 3位は官兵衛さんが

有岡城幽閉時、牢番を務めていた加藤重徳の子・黒田三左衛門一成さんの兜。 

01-76行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)74

有岡城の牢番・加藤重徳さんは、栗山善助さんが官兵衛さんに接触するのを

黙認したんだそうです。 官兵衛さんはその恩で牢番の子・一成を引き取り

実子同然に育て、黒田姓を授けたんだとか。 又兵衛さんやら一成さんやら、

官兵衛さんが実子同然に可愛がる男子が続々と増えて、長政公がお父さんに

認めて貰おうと焦って暴走気味になる気持ちも、何となく分かる様な気が・・・



で、中間結果ワースト1は、野村太郎兵衛さんの兜でした。 

この方は、母里太兵衛さんの異母弟ですが、宇都宮鎮房さん謀殺の実行役

だった方です・・・。 豊臣政権に強引に平定された城井宇都宮氏の旧領で

この結果。 もしかして・・・本気なのでしょうか







また、投票箱の壁には、ハンガリーからいらっしゃったお客様のご紹介が 

御本名は見えないようにトリミング&画像も小さめにしました

行橋市歴史資料館、ウェルカム&オープンな感じで、なんだか和みます

行橋市歴史資料館(コスメイト行橋2F)76

陣羽織に兜師さん制作の展示兜を被られて、ご満悦の様

お願いすれば、まーりたんも兜、被らせて貰えたのかしらんシマッタ

こんな調子で、企画展示室の入口付近で遊んでばかりいて先へ進まない

だって面白いんだもん 次回こそ、行橋市歴史資料館見学編を・・・


 





●参考資料 : 宇都宮靖著 『 鳶の笛~黒田官兵衛と宇都宮一族との戦い

八幡和郎監修 『 軍師 黒田官兵衛~その戦略と生涯 』 

小和田哲男著 『 黒田如水 』 / 行橋市歴史資料館 資料解説フリップボード





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2014/05/10(土) 18:56 | コメント:21 | トラックバック:0 |


大河ドラマ・軍師 官兵衛の放送を記念して、黒田官兵衛と宇都宮一族との戦いを

描いた歴史小説 『 鳶( とび )の笛 』 が、平成26年4月9日に発行されました

著者は郷土史家の故・宇都宮 靖氏。 中津市のHPによれば、宇都宮 靖氏が

文化総合誌「 邪馬台 」に連載していた作品を中津市が取り纏め、発行したもの

宇都宮靖著・鳶の笛
( 書籍の画像は Nakatsu City Official Siteより お借りしました )



定価は1,000円(税込)です。 販売は、昨日4月10日( 木 )より大分県の

中津市歴史民俗資料館、小幡記念図書館他にて( 詳しくは中津市HPに記載 )。




まーりたんは昨朝のローカルニュースで知り、慌てて詳細を調べた次第です

発行日の9日には、ご遺族の方へ書籍と花束の贈呈式が行われたそうです

この度は誠におめでとうございます そして奇遇にも鳶の笛発行・贈呈式が

行われたこの日、自身も丁度、宇都宮鎮房さんを偲びながら記事を書いていて、

このタイミングに、またも勝手に 何かしらのご縁を感じてしまった次第です



不老山正光寺3

こちらは、智恵の文殊菩薩様と 白い彼岸花まつりで知られる、かつての豊前国

福岡県は築上郡 築上町大字 伝法寺1357に在る 不老山 正光寺の境内。

昨年、秋のお彼岸にお邪魔した時の写真ですが、当時の記事では3枚ほどしか

写真を紹介できなかったので、今回ささやかながらお祝いのしるしを兼ね、豊前

宇都宮氏初代信房公開基の正光寺を、ご案内させて頂きたいと思います



不老山正光寺2

また昔、この一帯は城井( きい )谷と呼ばれていて、鎌倉時代に源頼朝の命で

下野国( 栃木県 )から下向して以降、豊臣政権が樹立し豊前6郡が官兵衛さんに

与えられる
までのおよそ四百年間、豊前を治めてきた地頭・宇都宮氏の本拠でも

ありました。 正光寺から車で程ない所には菩提寺・月光山 天徳寺もあります 



不老山正光寺1

宇都宮氏の守り本尊 文殊菩薩は、仏教のあらゆる教えを説き、智恵を司る仏様。

右手には智剣、左手には経巻、光背に宝冠を被り、力強い獅子に跨った姿です。

智恵も勇気もあり、獅子の如く高潔 まるで宇都宮鎮房さんのイメージです。



不老山正光寺4

そして毎年お彼岸の頃になると、正光寺の境内を埋め尽くすのが白い彼岸花

もとは半世紀程前、伝法寺地区の田んぼの畦に生えていた白彼岸花の球根を

正光寺境内に移植し、地元の方々が肥料を与え草をむしり、大切に育て続けて

今はその数4千本と言われています  日陰では青白く見え、月の光の様 

( ヒガンバナ名所案内 http://www.hanazakura.jp/higannbana/syoukou.html



不老山正光寺6

これを頂くとお利口さんになれる 正光寺境内には、湧水・智慧の水





傍には何と、プレミア付きの手造り手洗い鉢 塚本高史さん

不老山正光寺5

豊前・豊後の伝説では、黒田長政公と仲たがいし黒田家を出奔後、豊臣秀頼の

直臣となった黒田二十四騎・後藤又兵衛さんは、大坂夏の陣を落ち延びた事に

なっているんです。 耶馬渓には又兵衛さんのお墓、玖珠には隠棲した洞窟も。

歴史ロマンか、はたまた真実か 後藤又兵衛さんはそれだけ民衆にとっての

ヒーロー的戦国武将であり、亡くなって欲しくない人だった事は確かでしょう



不老山正光寺8

覆水盆に返らず。 だからこそ過ぎた事を知れば 未来を切り拓くヒントが掴める

そんなふうに思います。 今年、正光寺に白い彼岸花が咲く頃には、大河ドラマ

軍師官兵衛の舞台は、そろそろ九州へ移っている頃でしょうか 楽しみです




不老山正光寺で頂いた資料

不老山 正光寺で頂いた宇都宮氏関連資料の数々 アリガトウゴザイマシタ








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2014/04/11(金) 19:06 | コメント:9 | トラックバック:0 |


大河ドラマ・軍師官兵衛の放送に先駆け、時代考証家として知られる

静岡大学名誉教授 小和田哲男氏らによる歴史シンポジウム

豊前宇都宮氏と豊臣政権 』 が、宇都宮氏縁の福岡県築上町で

昨日、開催されました 黒田如水( 官兵衛 )に造詣の深いブロガー

猛獣遣いさんが参加され、ご自身のブログでご報告下さってます。

是非、ご覧下さいませ ●猛獣遣いのブログ 該当記事はコチラ 

http://ameblo.jp/liens12/entry-11572422137.html



小和田哲男著・ミネルヴァ日本評伝選・黒田如水

まーりたんのバイブル、小和田哲男氏著 ミネルヴァ日本評伝選

黒田如水~臣下百姓の罰恐るべし 』 です

( 大切に読んでるのですが、本の角っこが傷んできちゃいました
 



この本でも、小和田哲男さんは、城井宇都宮氏について、

公平で、心ある素晴らしい考証をして下さってます 

それが購入を決めた大きな理由のひとつでもありました

このお話の続きはまた後日にでも・・・。






依然、暑い日が続いていますね 皆さまどうぞ

お体に充分お気をつけて、素敵な海の日をお過ごし下さい 

貴重なお時間を割いてのご訪問、温かい応援、メッセージを頂き、

いつも心より感謝しています











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2013/07/15(月) 05:17 | コメント:6 | トラックバック:0 |


前回の記事で少しだけご紹介させて頂きましたが、古事記< 壱 >に続き、

今年5月末に満を持して発売された第二弾、巨匠・里中満智子先生が描く

マンガ古典文学 古事記< 弐 >、先日購入しました今回も素晴らしかった  

マンガ古典文学・古事記(弐)里中満智子著・小学館

これには古事記の中つ巻と下つ巻が収録されていて、表紙中央を飾るのは

第12代・景行天皇の御子で、父に疎まれ 終わりのない征討の旅に出される

ご存知、悲劇の勇者 倭建( ヤマトタケル )。 鎧をまとい弓を携えた女性は、

身重の体で朝鮮へ出兵し、百済に御料地を置いた 神功( じんぐう )皇后

八幡様の御祭神としてもお馴染みの 第15代・応神天皇のお母さんです





古事記は史実重視の方には今一つの、一見つじつま合わせのファンタジー風

歴史書でありながら、実は才智ある無名の人々の存在や業績を語っていたり、

皇位継承の真実を遠回しに示唆していたりと、編纂古事記を読むであろう後世の

人達へ向けられた “ 想像力のトレーニングブック ” の様にも思えてきます



 

過ぎたことはどうにもなりません。 ですが、想像力を働かせるという作業は、

人の気持ちや状況を推し量る能力を鍛えてくれますよね 古事記のお話は

時に残酷で、愛憎に満ちていながらも幻想的で、読み物として凄く面白いです

それが、馴染み深く感慨深い里中満智子先生の世界観と一緒に楽しめるなら、

まーりたん的には二度美味しい 常に傍に置き、暇あらばページを繰ってます。

ここに記録されている不毛で悲惨な歴史を繰り返したくないのなら、

あなたが一番楽しめる方法で、想像力をうんと鍛えなさい
」 

そう語りかけられているような気がするんですね









というわけで、さてコチラ

昨年夏の終わりに、福岡県築上町にある宇都宮氏の居城跡・城井ノ上城址

訪ねた足で同県、行橋市の 御所ヶ谷 神籠石( ごしょがたに こうごいし )へも

行ってみました 黒田官兵衛が豊前で最初に入った馬が岳城の西側です。

御所ケ谷神籠石のぼり口まで行ってみたものの・・・杖が?

神籠石については、中津城の記事でも少しお話させて頂きましたが、

北部九州~瀬戸内海沿岸にかけての西日本に分布する 7世紀頃に築かれた

古代山城跡
だと云われていて御所ヶ谷神籠石は、その一か所( マーク )。

西日本の古代山城分布図


で、木標奥の古道を登って行くと・・・

中門までは到達できず撤収


花崗岩の切石を積み上げて排水溝を設けた、巨大な石塁遺跡が出現

御所ケ谷神籠石遺跡・中門(ちゅうもん)行橋市みやこ町

ここは、御所ヶ谷神籠石遺跡の中門と呼ばれる場所ですが、時間の都合で

途中で引き返した為、中門の写真は行橋市役所発行のパンフレットより拝借


行橋市みやこ町の御所ケ谷神籠石。上が南です

現地解説板によれば、御所ヶ谷神籠石は 山中に3~5m高の土塁( 城壁 )を

2キロメートルに亘って巡らせた外周約3キロの大規模遺跡で、土塁が谷を

渡る部分には石造りの水門が築かれており、城門は全部で七か所も在るそう 


御所ケ谷神籠石(行橋市)解説板


古事記では、三世紀半ばに神功皇后( 大和 )が神様のお告げにより、西国

( 朝鮮半島 )を攻めます で、朝廷の馬を管理する所を新羅( しらぎ )に、

外地の御料地を百済( くだら )、任那( みまな )には日本府を置くのです。 




古事記における神功皇后のお話は、実際に四世紀半ば、日本が朝鮮半島に

軍事拠点を置いていた事の反映だと云われています しかし、その後

七世紀半ばに日本と百済の連合軍は、唐と新羅の軍に大敗し、百済は滅亡。





御所ヶ谷神籠石の現地解説板には更に詳しく、 『 663年、百済救済の為に

朝鮮半島に派兵した我が国は、白村江( はくそんこう )で、唐と新羅の連合軍に

敗退してしまいます。 敗戦後、唐、新羅軍の侵攻に備えて防人を配置すると共に

大野城、金田城などの山城を築き、国防体制を強化。 神籠石タイプの山城も

この戦いの前後に、国土防衛手段として築かれたと考えられます。 こうした

御所ケ谷神籠石現地解説板より出土品と土塁築造の図

西日本の古代山城のなかでも御所ヶ谷神籠石は、大規模な石塁や土塁に象徴

される様に、城としての完成度が高く、当時中央政権が 京都( みやこ )平野を

九州北東部の防衛の要として重視した事を示しています 』 との記述が

行橋市・御所ヶ谷神籠石

やっぱり神功皇后のお話と、西日本に遺る古代山城跡(神籠石)は繋がってる 







更に興味深いのは、ウィキペディア白村江の戦いに書かれていた次の行。

『 7世紀まで九州北部に日本列島を代表する王朝があったとする

古田武彦らの九州王朝説の主張によれば、

白村江で戦ったのは畿内ヤマト王権( 日本 )軍ではなく、

大宰府に都した九州王朝( 倭 )軍であるとする。 

しかし、日本古代史の学界からは、史料批判などの

歴史学の基本的な手続きを踏んでいないとみなされている 』 ・・・だそうです 

そういえば、11日のBS歴史館は古代史ミステリーだったナ楽しみ







里中満智子先生の古事記< 弐 >、息長帯比売( 神功皇后 )のお話、

今晩眠る前にもう一回読んでみようっと










本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

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2013/07/05(金) 19:47 | コメント:8 | トラックバック:0 |


ここは福岡県 築上町 寒田( さわだ )地区にある 牧の原キャンプ場

耶馬日田英彦山国定公園内に位置し、築城町ガイドマップによればフムフム

福岡県森林浴100選にも選ばれている場所なんだそうです

モクモクとクスクスがお出迎え・牧の原キャンプ場入口

入り口で迎えてくれるのは、可愛い森の妖精 クスクス&モクモク



この写真を撮影している まーりたんの背後には管理棟・まこちの里があって、

ここでは、築上町の主な観光スポットをイラストマップで分かり易く紹介した

築上町ガイドブックをはじめ、民話 寒田ばなしが掲載された寒田滝マップ

( 寒田地区には何と15もの滝があるんです )。 更には、かつてこの地に

居城を構えていた豊前の地頭・宇都宮氏の出自から縁の地探訪モデルコースまで

それは親切に記された 来て見てふるさと 築上町散策ガイドマップなどなど、

寒田散策をライトにもヘビーにも楽しめる各種パンフレットが入手できます 

築上町ガイドマップ


昨年、耶馬渓光円寺の住職さんから教えて頂いた唐揚げ屋さんを探す途中、

国道212号線沿いに栃木という地名を発見 その地区に建つ学校の名や

神社名から、宇都宮氏のルーツは栃木県宇都宮( 下野国 )ではなかろうか

と睨んでいたんですが、どうやら間違いなかったようです  

築上町のできごと。やっぱり宇都宮市は栃木の方でした♪
( 来て見てふるさと 築上町散策ガイドマップより “ 築上町のできごと ” )




秀吉さんの天下統一に大貢献した名軍師として、また大分県中津市に在る

中津城 初代城主としても知られる黒田官兵衛孝高( 黒田如水 )。

秀吉さんに最も頼りにされた部下( 腹心 )でありながら、その才覚と人徳故に

「 その気になれば直ぐにでも天下を獲れる奴だ 」 と、ついには警戒され、

九州平定後は、都から遠く離れた豊前国( 福岡県東部~大分県北部 )へ

左遷されるという皮肉な運命を辿った、播磨( 姫路 )生まれの戦国大名です





豊後守護・大友氏と同じく、藤原氏の流れを汲む名門一族・宇都宮氏は、

1187年に豊前国の地頭職を命じられ、宇都宮氏初代信房が豊前へ下向。

それからおよそ四百年後の戦国時代、九州を平定した秀吉さんは、宇都宮氏に

豊前国から退去するよう命じます が、当時の地頭・宇都宮氏17代目の

宇都宮鎮房は秀吉さんの命に背き、黒田氏によって中津城内で討たれます

城井谷( 寒田 )の居城・城井ノ上( きいのこ )城に居た一家13人も処罰

城井ノ上城址周辺

土地、家族、一門を守るためには、力のある者を見極めて、素早く主従し、

時には上司の泥さえ被らざるを得なかった戦国大名たちの哀しい宿命。

えっ、平成企業戦士の皆さんもそうなんですか? 

拙ブログをご覧のアナタは、もしや今を時めくサラ忍マン 

殿様方には頭が下がります

牧の原キャンプ場

牧の原キャンプ場トイレ横のベンチに腰かけて、パンフレットをめくりながら

暫し休憩 足元から数メートル先の眼下には、城井川の渓流が流れてます。


城井谷を流れる城井川

城井川に沿った城井渓谷遊歩道を更に上流へ歩いていくと、

三丁弓の岩と呼ばれる断崖絶壁が現れます。 

兵三人が三丁の弓をもってすれば、眼下を通る敵を全員倒せるという事から

名づけられた、城井ノ上城の天然要害のひとつ。 つまり、お城へ近づくに

つれ、山道が大人数では通れない道幅へと細く、険しくなって行くのです 

軽装で来たので、ここから先は無理(泣)城井ノ上城址登山口

城址登り口から先の道幅は本当に狭く険しく、まるでけもの道 右側は崖です

この日は、相方共々山城を完全にナメた軽装で来ていたため

緊急家族会議の結果、城井ノ上城址への登城はここ迄にしました

ハチやヘビくんと万が一戯れても大丈夫な厚手の長袖、長ズボン、それに

根っこに躓いて転んだ時の為に、軍手もあったほうがいいかもしれません 





宇都宮さん一族の碑には、心して手を合わせてきましたヨ

宇都宮一族の碑もありました

パンフレット記載の 宇都宮氏歴史散策コース( 記事2枚目の画像参照 )は、

源義経が緒方三郎惟栄( 岡城の築城主でもありますネ )に命じて築かせ、

大友家臣・賀来氏の居城を経て宇都宮氏の城となった宇留津城址をスタート



豊前・宇都宮氏17代鎮房が修復し、出城とした広幡( ひろはた )山城址

炭鉱で財を成した宇都宮氏の末裔・旧蔵内氏邸宅 宇都宮氏初代信房が

下野国より本尊勧請した岩戸見神社 宇都宮氏初代信房が豊前入国時に

開基、毎年9月には四千本の白い彼岸花が境内に咲き誇る 不老山正光寺

宇都宮氏の菩提寺・月光山天徳寺 で、ここ城井ノ上城址がゴールです





また、中津城内と福岡城内には宇都宮鎮房さんを祀った神社があります

やむなく滅ぼしたものの、黒田氏が代々居城郭内に神様として祀るほどの

存在でもあった宇都宮氏。  黒田如水・長政親子も、宇都宮鎮房さんも、

大変な時代を懸命に生きて、今はゆっくりと休まれているでしょうか










宇都宮氏、ルーツは、やっぱり栃木で

U字工事5ミニッツ・パフォーマンスより

どうしてもU字工事さんが脳裏をかすめる・・・









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月曜にかけて多忙の為、コメレスが遅れるかと思います。

応援には伺わせて頂きます。 何卒ご了承ください 


2013/03/16(土) 15:23 | コメント:13 | トラックバック:0 |


福岡県 行橋市と豊前市の間を奔る椎田道路・築城( ついき )インターから

県道32号線を南西へ30分程走ると、京都( みやこ )町に隣接する築上町

寒田( さわだ )地区に到着します ここには宇都宮氏の城井ノ上城址

北九州エリアドライブガイドマップより♪
( 北九州地区観光協議会発行・北九州エリアドライブガイドマップより )



また天正期には、秀吉さんの九州征伐後 豊前6郡( 京都、仲津、築城、

上毛、下毛、宇佐 )を与えられた黒田官兵衛孝高( 如水 )が、領内で催した

桜狩りの際、和歌を詠んだという求菩提( くぼて )山もあります 

そんな寒田地区に伝わる ズレ漫才 民話をひとつ、ご紹介させて頂きます 

お時間のゆるす限り、ごゆっくりとお楽しみ下さい








寒田ばなし  “ フロをたてろ、茶の実を出せ ” 

( 築上町発行・さわだ滝マップより )
 



宇都宮の殿様が天正17( 1589 )年に滅びまして、

江戸時代、豊前の寒田は小倉藩主・小笠原公の支配になったわけなんです。

年貢の取り立ても厳しゅうなって、それで小倉藩のお役人が寒田へ調査に

行くから風呂をたてておけって・・・。 そこで、池永かえいの助という

庄屋さんが “ ふろ ” っちゅうて、鍬ぶろを道端にずらっと立てよったんです。

農作業に使う鍬( くわ )の柄部分は、 “ ふろ ” とも呼ぶんですな。



しますと役人が 「 おい、池永、風呂はどこにたっておるか? 」

「 ハハッ、寒田の牧ん原まで立ててございます 」

「 なんだこれは、鍬ぶろではないか、こんなフロに入れるか! 」

「 はぁ、わたしはふろっていいますから、鍬ぶろのことかと思いました 」



「 まぬけなやつめ! まぁ仕方がない。 では茶の実は あるか? 」

「 もちろんです。 茶の実は寒田の特産でございますんで 」

「 それでは今すぐ 茶の実を出せ



「 これが寒田きっての 茶飲みでございます 」

「 何? これが茶の実だと? こんなものから茶が生えるか! 」

「 へぇ、年はとってますが這えます



そう言って庄屋の池永さんは、お茶を注いだ湯呑みを持ちニッコリと微笑み

小倉藩のお役人を翻弄した挙句に、すっかり呆れさせたんですって

寒田ばなし(さわだ滝マップより)
( 築上町発行・さわだ滝マップに掲載 “ 寒田ばなし ” )



生かさず殺さずという名文句?さえ生んだ江戸時代の厳しい年貢の取り立て。

読んでお解りの通り、無知と惚けで自己防衛した民が役人を愚弄する話であり、

同時に、民側から見た豊前小倉藩を窺い知れる大変貴重な史料でもあります。

もちろん民話ですから、おおよそ創作であるかもしれませんが...。




ところで庄屋の池永さんたら、お役人さんに 「 茶飲み友達にならんで?

なんて言ってますね。 まるでイルカみたいなフレンドリーさ エレガントです 

お役人さんも、これじゃあ刀は抜けませんね。 池永さんはもしや名策謀家?   

ん?池永氏? そういえば豊前国人領主一揆について調べている時に

お名前を見かけたような憶えも・・・  






ユーモアでしか憤りを紛らす手立てが無かった当時の民衆の悲哀を感じさせる

一方、面従腹背の強かさと度胸、それに機知をも兼ね備えた、何とも頼もしく

痛快な寒田のお百姓さん( 民 )。 きっと心豊かな方々だったんだろうな





“ 寒田ばなし ” が掲載されていたパンフレット さわだ滝マップを入手したのは

昨年の初秋、牧の原キャンプ場管理棟・まこちの里です。

まこちの里キャンプ場

記事冒頭のイラストマップ・黄色いテントの場所です

まこちの里で頂いた築上町観光パンフレットには、ずっと知りたかった豊前の

地頭・宇都宮氏のルーツ、更に縁の地探訪コースまで紹介されていました





今回ご紹介させて頂いた民話にもその名が登場しましたが、宇都宮さんは

豊臣政権が樹立するまでの約四百年間、この地を拠点に豊前を治めていた

地頭一族で、領民からも大変慕われていた素晴らしい領主だったそうです 

秀吉さんの転封命令に背いたことで、黒田氏によって滅ぼされるという悲運を

辿るものの、黒田氏は豊前から筑前に移った後も代々宇都宮氏を手厚く祀り、

宇都宮氏家臣の末裔は、筑豊炭坑の経営者として名を残しています。

長くなりましたので、続きはまた次回にでも







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2013/03/14(木) 13:24 | コメント:10 | トラックバック:0 |


戦国疾風伝・二人の軍師 』 待望の再々放送、かじりつきで観てマス

第一話は、九州を平定した秀吉さんが天正16年の春 超ゴージャスな政庁

兼邸宅・聚楽第に御伽衆を集め、 「 次の天下人は誰だと思うか? 」 なんて

半ば本気のお戯れで問いかける、有名な逸話シーンでの幕開けでしたね





黒田官兵衛はこの時43歳。 九州征伐の論功行賞という名目で秀吉さんから

拝領した豊前国( 福岡県東部~大分県北部 )に入り、中津城築城の最中 

同時に、以前は兄弟の様に力を合わせ、戦の無い国づくりを目指したはずの

秀吉さんに疎まれ始めた時期でもあり・・・ あまつさえ、九州内に於いては、

にわかに樹立した豊臣政権に反発する土豪らが肥後国で反乱を起こしており、

21歳の嫡男・黒田長政に豊前国の留守を任せて土豪の説得にも奔走する中、

黒田官兵衛が翌年隠居を願い出る理由となった事件が起きた年でもありました。 

 





それはさておき、初代中津城主として知られる黒田官兵衛( 如水 )ですが、

豊前へ入封して最初に居城としたのは、みやこ郡( 現・福岡県行橋市 )の山城

馬ヶ岳城なんだそうです。 下の写真は昨年夏の終わりに、豊前の地頭

宇都宮氏の城跡を訪ねた後、京都( みやこ )町の県道から撮影した馬ヶ岳。 

馬ケ岳

馬ヶ岳は上の画像中央部分 向かって左側の尖った東山と、

右側の平らな西山から成るラクダの背みたいな山で、標高は218m。 

山頂の馬ヶ岳城は、942年に源経基が大宰府へ下向した折り、

神馬に乗った愛宕神が現れ、そのお告げにより築城したといいます。 



仁平元年( 1151 )年には、岩扇山から角埋山の石を射ぬいた伝説を残す

源為朝がこの城を攻め、文治元( 1185 )年には、蛇神婚伝説で知られる

大神惟基の子孫・緒方三郎惟栄一族が平家に反旗を翻し、この城に籠城。 



その後も菊池氏、大内氏、大友氏、毛利氏など、馬ヶ岳城は古より神がかり的な

強者らによる争奪戦が繰り広げられてきた山城らしく、云われてみれば今にも

天から神馬に乗った神様が駆け下りて来そうなカンジに見えなくもない様な...




そんな荘厳なる馬ヶ岳の城も、典型的な山城のため城下町が築き難く、何かと

現実的に不便。 位置的にも豊前国の北寄り過ぎな事から、黒田官兵衛孝高は

宇佐市の時枝城を経て、最終的に中津の地に居城を構える事を選びます

中津市役所発行の中津市勢要覧2009によれば、 『 天正16( 1588 )年

黒田如水は、中津江太郎の丸山城を補修し、中津城築城を開始 』 とあります。






着工後、黒田官兵衛は京町 中の辻( 中津市立南部小学校辺り )の町屋

伊予屋弥右衛門方に滞在して工事を督励したそうです。 が、それよりも前に

官兵衛が仮寓としていた場所がコチラ 福岡県築上町の法然寺です。

黒田官兵衛仮宮の寺・法然寺(福岡県築上町)

法然寺のある築上町は、福岡県の行橋市と豊前市の中間に位置し、

先月上旬、北九州市の小倉へ向かう途中に訪ねてみました 

法然寺由緒記


法然寺由緒の後半に、黒田官兵衛孝高についての記述がありました。

法然寺と黒田官兵衛孝高について

天正15( 1587 )年7月から8月の1ヶ月間、黒田孝高は築上町の

法然寺を仮の館としていた
旨が記されてます 小和田哲男さんの

ミネルヴァ日本評伝選・黒田如水
によると、黒田官兵衛が秀吉さんから

豊前6郡を貰ったのが天正15( 1587 )年の7月3日
ですから、豊前へ

入封して直ぐの一ヶ月間を この法然寺で過ごした、という事でしょうか


法然寺の東南には徳光池、その向こうには中津街道

法然寺の東南には徳光池があり、池の向こうには小倉を起点とする

中津街道が奔っています。 敷地の西には築城中学校

西には築城中学校

昨年、大分市歴史資料館のテーマ展示 『 学校の下にねむる遺跡 』 を

見学した時、“ 学校は好立地を選んで建てられる事が多く、それは昔の人も

同じ。 学校の下には有力者の屋敷や公的機関、繁栄を極めた町や村など、

様々な時代の主要な遺構・遺跡が積み重なる様にして眠っている ” と教わり

ました。 秋月城や杵築城、大宰府など、城跡や政庁があった場所に学校が

建っているケースは確かに多いけど、この辺りもやはり只ならぬ土地




時間があれば、法然寺の住職さんにお話も伺ってみたかったんですが、

小倉探訪へ向かう途中で、大急ぎで写真だけ撮らせて貰いイヌりました







豊前12万石の大名に配された直後、42歳の官兵衛孝高( 黒田如水 )の

足跡が残る法然寺。 とても閑静な場所で、景観も昔とそう著しくは

変わってないんじゃないかなぁと思います 地図はコチラです 

黒田如水仮寓の寺・法然寺地図
( 築上町役場発行・見て来てふるさと築上町散策ガイドブックより )



周辺には、九州征伐の際、豊後戸次へ派遣された豊臣先発隊・長宗我部軍

同様に、先鋒隊として九州北部へ送り込まれた黒田如水と小早川隆景

攻め落とした香原岳( かわらだけ )城の支城・宇留津城址などもあります






いつもながら熱の入った長いご紹介になりましたが、郷土史探訪や

黒田官兵衛( 如水 )ゆかりの地めぐりの 参考にでもなれば幸いです










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2013/02/01(金) 21:27 | コメント:10 | トラックバック:0 |
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