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まーりたん

Author:まーりたん
大分県で暮らす四十路主婦
“ まーりたん ” の
ブログへようこそ(*^^*)♪

日々を彩る ちょっと素敵な
出来事を我が家の笑導犬?
マンジ君と楽しくお届けして
ます。目下、郷土史に夢中♪
心躍る探訪をご一緒に。

臼杵の富士甚醤油マスコット
キャラ・とっくりこだぬき君が
仲間入りしてからは、嬉しさ
余ってマンジ君の“ 悪がね ”
ぶりもますますエスカレート。

そんなふたり(2匹)の様子も
併せてお楽しみ下さい(*^^*)

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遠く沖合に浮州を臨む北浦の背後には、観音崎と呼ばれる高さ40mの断崖が

そそり立っています。 前回、北浦が日没後みたいに暗かったのは、そのせい

観音崎もまた姫島火口のひとつです。 が、長さ120mにも及ぶその崖は何と、

まるごと黒曜石なんですね~ そして、黒曜石で出来た観音崎の断崖上には

今回7つめにして最後の 姫島七不思議 『 千人堂 』 が建てられているんです

姫島七不思議・観音崎の千人堂(解説板)

解説板によると、観音崎の断崖上に建つ二坪余りの小さなお堂 千人堂には、

大晦日の夜、債鬼に追われた善人を千人匿った という伝説が残されてます。

千人も収容出来る御堂が岬のとっぱなに どんな御堂か確かめなくては




では、まーりたんこれより椋鳩十先生が大分県の姫島を舞台に執筆された物語

ふしぎな石と魚の島 』 の世界へ紛れ込み、観音崎の冒険を楽しんでみたいと

思います 拙ブログをご覧下さっているアナタも、宜しければどうぞご一緒に




「」内の台詞は作品より引用、以外の文章は作品を参考にしたオリジナルです。

姫島七不思議・観音崎の千人堂4

「 そら、このあいだ話した山に案内しよう 」

春夫が言う山は、海岸寺から島北側の浜に出た所にそびえる観音崎です。

背丈程のススキをかき分け進むと、頂へ通じるウサギ道のように細く急こう配の

登り坂が。 物語が書かれた当時、画像の階段はまだ無かったんでしょうね

土の窪みに足先を掛け、ちょこちょこと猿の様に登って行く春夫を、都会育ちの

三五は、木の枝や根っこに掴まり、半ば四つん這いになって、追いかけます 

春夫というのは姫島の海岸寺住職の息子さん。 三五は大阪在住の従兄弟で、

この物語の主人公。 夏休み、大阪から初めての一人旅で姫島へ来ています。


姫島七不思議・観音崎の千人堂6

どうにか辿り着いた山の頂は、相変わらずの細道ながら平坦で、三五は一安心。

同時に、じじじーんという蝉の大合唱を耳にします。 崖をよじ登っている最中も

聴こえてたはずなのに。 人間の心というものは面白い、と三五は思うのでした


姫島七不思議・観音崎の千人堂23

足元からは踏みしめる度に立ちのぼる、乾いた落ち葉や、朽ちた落ち葉の匂い。

これが本当の山の匂いかな?遠い昔に嗅いだ様な不思議な懐しさを覚えます


姫島七不思議・観音崎の千人堂10

島西側の海が大きく開けます。 海蝕洞窟が見える斗尺岩を左手眼下に、道は

山の反対側へ降りる急勾配の坂となり、山の中腹でカーブを描き、更に先へ。

姫島七不思議・観音崎の千人堂20

その細い下り道の途中から、岬のとっぱなに建つ小さなお堂が見えました

姫島七不思議・観音崎の千人堂11

姫島七不思議 観音崎の千人堂です。 よくもまぁ、あんな場所にお堂を・・・

お堂の手前は、人が20~30人は座れそうな小さな広場になってはいるものの、

敷地を合わせても千人収容はさすがに無理っぽいですよネ それとも大晦日の

夜は、無限空間へ繋がる異次元お堂? とりあえず、近くまで急げ 足元注意


姫島七不思議・観音崎の千人堂14


「 おい、ここの岩をみてごらんよ 」 千人堂の前で春夫が言いました。

春夫が指差す岩は、ごつごつと灰色がかって、いかにも固そうです。 観音崎も

大昔、海底火山が何度も爆発して、海底から突き上げられて出来た岬です。

姫島七不思議・千人堂の石段、踏み外さないよう注意!

御堂へ通じる石段の隙間から下を覗くと、切り立った崖に打ち寄せては砕ける

白波が見えました。 BGMには、火曜サスペンス劇場のテーマミュージック以外

なさそうな目もくらむ光景に、「 すごい海だなあ 」 三五は思わずつぶやきます。

ついでに、まーりたんも息をのみ、後ずさり

姫島七不思議・観音崎で三五と春夫気分♪目もくらむ崖っぷち!

「 海よりも、この岩に意味があるんだぜ 」 春夫は少し得意げに言います。


「 ここの岩は黒曜石だ。 それも、ちっとばかりの量ではないぞ。 岬は海面から

40mあって、それが全部黒曜石。 露出してる所だけでも、幅120mもあるんだ。

この岩は6千~7千年前、姫島が栄えた港だった事を物語っている証拠の品さ 」


02-37姫島七不思議・観音崎の千人堂15

「 黒曜石がなぜ、古代の港と関係あるんだい? 伝説だろう、そんな話は 」


「 伝説なんかであるものか。  そうだなぁ、縄文時代の俺たちの先祖はまだ

鉄を持たなかったということだ。 あの時代の人々にとって、狩りをするとき

棒で殴ったり石を投げたりするばかりでは、獲物を獲るのは難しいじゃないか。

そこで弓ってやつを考え出したのさ。 硬くて叩けば薄くはがれる黒曜石は、

その矢じりにぴったりだった、つまり宝だったという事だ。 この岬の質と同じ

矢じりは九州、四国、山口、広島、山陰地方からも見つかっている。 古代人は

各地から宝の山、姫島を目指し、次々とこの岬へやってきた、というわけさ 」


姫島七不思議・観音崎の千人堂で大冒険?三五と春夫の気分♪

「 姫島でなく、よそから出た石ということも考えられるじゃないの? 」

三五は言いました。


姫島七不思議・観音崎の千人堂16黒曜石

「 いや、決してよその石じゃないんだぜ。 灰白色で半透明な黒曜石は、九州や

四国や広島や山口や、鳥取、島根には無いのさ。 それに国東半島の岐部という

ところからは姫島の黒曜石の欠片が沢山出て、矢じりの細工場跡だったと学者が

言っているし、速見郡川崎の早水台には、姫島から運んだ重さ4キロの黒曜石も

あって、この辺りにも古代の細工場があったのであろうと、言われているぜ 」



姫島七不思議・観音崎の千人堂21眼下は火曜サスペンス劇場!

都会育ちのせいか、何事にも悲観的で疑り深かった三五も、岬の岩に腰をおろし

春夫の話を聴くうちに、遥か遠く海原の果て、水平線の彼方に、イカダに乗って

姫島を目指す半裸体の日焼けした男達が、ぽつりぽつり現れる様な気がしたり、

ふたりのすぐ傍の黒曜石の崖で、古代の労働歌を歌いながら、カツン カツン

黒曜石を切り出す作業の音が、聴こえてくるような気持ちになるんですネ

姫島七不思議・観音崎の千人堂22黒曜石の崖

この夜、三五と春夫は海岸寺の住職さんから更に詳しい黒曜石の話と、それに

加えて、藍鉄鉱を発見した中学生の話も聴き、ついに冒険心に火が点きます

そして、翌日から二人は古代姫島ミステリーを、自分達の手で確かめるべく、

汗びっしょりになって姫島中を駈け巡り、素晴らしい大人達にも出会います。

結果、三五と春夫が得たものは、古代姫島の謎だけに留まらない掛け替えの

ないもの、これから生きていく上で、心の基盤となる大切なものでした






あっ、千人堂の縁を歩く冒険家がここにも 危ないですよ~

姫島七不思議・観音崎の千人堂でチャレンジャーを見た!

だけど杖を手にしたこの女性、程なく足取りも軽く、飄々と戻って来られました。

つまり慣れていらっしゃるんですね~。 まーりたんは、あんなとこまで行くのは

絶対に無理ですが、黒曜石の岬・観音崎を見物に来ていた特に熟年女性の方は、

国東で峯入り修行でも経験してるのかと思うほどの強者が、ほんと多かったです 


こうして逞しい熟年女性を見かけると、真似は出来ずとも、勇気?を貰えます

と同時に、急こう配の崖を要領よく、ひょいひょいと登って行く春夫を追いかける

三五の気持ちを疑似体験 ということで、時々物語の登場人物気分で楽しんだ

今回の姫島探訪レポ、そろそろ、この辺で、お開きにさせて頂こうと思います

長々と、拙い記事にお付き合い下さった方、心よりお礼申し上げます


姫島港・上弦の月も昇ってます

自転車を ビ・ボーンさんにお返しして、姫島港近くの食堂かのやさんで早めの

夕食を済ませた後、フェリーのりば上空には、あらま上弦を少し過ぎたお月様 

ひめしまジオパーク幟の左上あたりです 

それではこれより第11便、18時発の姫島村営フェリーで、国東の伊美港へ

戻ります。 楽しい思い出と貴重な経験を、今回もありがとうございました







●参考、引用文献 : 椋鳩十全集22 『 ふしぎな石と魚の島 』 ポプラ社



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2014/05/08(木) 08:38 | コメント:7 | トラックバック:0 |


ゴールデンウィーク後半、いかがお過ごしでしょうか

我が家は本日より通常可動ですが、お休み中にも貴重なお時間を割いて

ご訪問下さった方、温かい応援・コメントを下さった方、ありがとうございます



今朝は関東で震度5の地震がありましたね 大分でも3月に同じく震度5の

揺れの長い地震があり、その時の事を思い出しました。 被害に遭われた方、

お見舞い申し上げます。 今後の余震などには、くれぐれもお気を付け下さい 





さて、6つめの姫島七不思議、長らくお待たせしてしまい申し訳ありません

前回の記事でご紹介した5月のアサギマダラ休息地・スナビキソウが自生する

姫島北側の海岸から更に西へ 塩田跡地を利用した車エビの養殖場を通り

過ぎた北浦に来ています。 打ち寄せる波の音が心地よい、静かな浜辺です 

姫島七不思議「浮州」の歌碑と渚と男の子

北浦の浜に、例の七不思議歌碑を発見しました 題字は、浮州の模様。

歌碑の右隣には、姫島七不思議 『 浮州( うきす ) 』 の解説板も。

姫島七不思議・浮州(解説板)

解説によれば、北浦の沖合に浮かんでいるように見える洲がそれ( 浮州 )で、

洲の一角には巖( いわ )が在り、その上には漁業の神様・高部様が祀られ

手前には小さな鳥居が建っているのだそう。 また、高部様を祀った巖と鳥居は

満潮の時も、大時化のときでも 海中へ沈む事はないのだとか・・・ナルホド


姫島七不思議・浮州1

浜で何かを探して遊んでる男の子 割ると青く光る不思議な石藍鉄鉱なら

島西端のス鼻ですよ でも、島北端の岬・丸石鼻ではナウマンゾウの化石が

見つかると云うし、ここはその中間地点の北浦。 何か収獲があるといいね 



02-18満潮時でも沈まない浮洲らしきもの発見

そんな男の子の延長沖合いに今回6つめの姫島七不思議・浮州はあるらしい。

画像右側の岬は、ナウマンゾウの化石が眠る丸石鼻。 その左側にイカダ状の

洲があるのは何となく判るけど、コンデジに収めるにはズームにしなきゃ、と



姫島七不思議・浮洲(ズーム)

あ~確かに洲には鳥居が建ってますネ だけど、これが愛機の限界






よって、姫島村企画振興課発行のパンフレット・おおいた姫島ジオパーク構想に

再び助けを求め、姫島七不思議・浮州の写真をお借りしました 

満潮時の海上に浮かぶ姫島七不思議「浮州」

満潮時も、大時化の時でも海中へ沈むことのない不思議な洲 浮州

浮州は同時に、ジオパーク姫島最大の火口でもあるんですね

その直径は700m。 大昔、直径0.7kmの火口から吹き上がる火柱は

どんなだったろうと思います そして、まーりたんが居る北浦もまた火口...。



姫島の浮洲で三五と春夫に出会う。手前の足は保護者の方

おや、新たにフレームに入ってきたのは男の子のお兄さんか従兄か、お友達 

椋鳩十先生の ふしぎな石と魚の島を、実写化した様な景色に出会いました 


主人公の少年ふたりが登場してくれましたので、次回は不思議な石と魚の島に

准えて、三五と春夫が黒曜石の崖をよじ登り、古代人の石切り場に想いを巡らせ、

冒険プランを練った岬 観音崎をご紹介し、今回の姫島探訪記をお開きにさせて

頂きたいと思います 観音崎には、7つ目の姫島七不思議スポットもあります

どうぞお楽しみに






直方市石炭記念館館長の八尋さんから特別に炭坑関連の冊子を頂きました♪

「 まーりたんさん、田川に続いて昨日は直方( のうがた )市石炭記念館を訪ねた

らしく、ずいぶん感激していたなあ・・・。 ここには世界記憶遺産・山本作兵衛

氏の炭坑記録画の原画が8枚
、常設展示されているなんて、僕もびっくりだ




直方市石炭記念公園には作兵衛さんの炭坑画原画8枚が常設展示されています。おや?マンジ君は、

「 元ぽっぽやさんだった館長の八尋( やひろ )さんからは、炭坑の仕事という

稀少な資料まで分けて頂いたと、まーりたんさん大喜びしていたなぁ・・・。

八尋館長さんは、血眼でがぶり寄るまーりたんさんが怖かったのかもなぁ












「 マンジ君といえば、石炭ボタ( 石炭以外の物 )の選別ごっこに夢中だし・・・

選炭場でボタと石炭を選別ニャのだ!炭坑節でも謡いますかニャ








「 “ 月が~出た出た、月が出た~ヨイヨイ ” に続く炭坑節 のフレーズは、

田川伊田抗と歌うか、三池炭鉱と歌うか、非常にデリケートニャ問題ですニャ 」

炭坑節の一節では、三池炭鉱と唄うか、田川伊田抗と唄うか、デリケートニャ問題ですニャ。三井かおらが炭坑で丸く収めますニャ

「 そこで “ 三井炭鉱 ”と歌い、円満解決ニャ 笠智衆氏は往年の映画の中で

おらが炭坑 ” と歌われたのですニャ。 さすがは名優、天晴れニャのだ












「 ま、炭坑節の生みの親は田川、

育ての親は三池といったところですかニャ 」

マンジ君はまーりたんさんと脳内が繋がっているから仕方ないか・・・

「 マンジ君は、炭坑節についてのウンチク独り言まで呟いているぞ・・・ 

オツムの中身は、まーりたんさんと直結してるので仕方ないけど、心配だな・・・。












「 マンジ君、石炭とボタ、上手に分けられたみたいだね

そろそろ手を休めて、田川のお土産・チロルチョコでも食べないかい

ボタと石炭、上手に分けられたみたいだね、マンジ君




「 あっ、マンジ君 それはもしかして石炭の中でもとびきり上質な・・・

マンジ君それは、もしかしてとびきり上質な!




「 筑豊TAGAWA謹製 黒ダイヤニャのだ、こだぬき君 」

黒ダイヤじゃないか、僕も探してみよう!




「 まさか、マンジ君の玩具の中に黒ダイヤが混じって

いたなんて・・・信じられない

NEW石炭時代ウェルカムニャのだ♪

「 NEW石炭時代、ウェルカムですニャ。 VIVA筑豊ニャ~のだ









・・・というわけで 昨日は北の福岡県 直方市の石炭記念館へ。

館長の八尋さんは、これまた一言二言では語れない大変素晴らしい方でした 

そして一昨日は西の筑後、福岡県 大川市へ。 筑後川に架かり、肥前と筑後を

結ぶ 日本機械学会認定の機械遺産 筑後川昇開橋を見学して来ました

現存する国内最古の昇開式可動橋で日本機械学会認定の機械遺産・筑後川昇開橋

福岡県大川市の花宗( はなむね )水門から撮影 サイレンが鳴ると昇開します


また、佐賀市側の袂・諸富町は、秦の始皇帝に不老長寿の薬を持ち帰る約束で、

九州へ渡来した徐福上陸の地 古のロマンと謎に包まれた場所でもあります

佐賀市諸冨町の徐福像。背景は筑後川に架かる現役可動橋・筑後川昇開橋


姫島探訪レポが終了しましたら、順次ご紹介していきたいと思います

それでは皆さま、どうぞ引き続き楽しいゴールデンウィークを







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2014/05/05(月) 17:19 | コメント:12 | トラックバック:0 |


ひょろりと長い茎の頂に、淡紫色をした房状の花をつけるフジバカマ( 藤袴 )

姫島の山間に自生する中国原産の帰化植物で、毎年10月に花を咲かせます。

姫島・フジバカマ畑

「 優しい思い出 」「 ためらい 」「 あの日を思い出す 」。 なんとも詩的な花言葉に

惹かれ近づいてみると、ローズヒップティーに似た甘酸っぱい香りがしました 







このフジバカマが咲く頃の姫島は、もうじき冬を迎える北の国から温暖な南の島へ

日本縦断 最大2千キロの旅をする蝶 アサギマダラの休息地となるんです。

姫島・アサギマダラとフジバカマ畑

影絵のように薄い羽根で海原を渡るんですよ、この方は

針の手足と可愛い水玉ボデェの一体何処にそんなパワーが隠されているのか、

それとももしやフジバカマの蜜に、製鉄マンを支えた八幡餃子に勝るスタミナが





空へ向かって真っ直ぐ、しなやかに伸びる逆柳を後に、県道・稲積姫島港線を

更に西へ 登り坂ハードな長尾トンネンル手前では、足漕ぎ前進がお手上げ

となり自転車を押してエッチラオッチラ そうして辿り着いた場所は、原生林に

囲まれたフジバカマ畑。 逞しきアサギマダラ御一行様の休息地でございます

姫島・フジバカマ畑で乱舞状態のアサギマダラ

フジバカマ畑の上すれすれを浮遊している ぼやけた水色の小さな物体は、

乱舞するアサギマダラです。 3 匹程なら、どうにか判別して頂けるでしょうか






調査の為、蝶の羽根に印をつけることをマーキングと云うのですが、

( 一般の方が勝手に蝶を捕まえてマーキングをすることは厳禁です

このマーキングをして姫島から飛び立ったアサギマダラが、1200キロ先の

北海道上ノ 国町で、道南虫の会の方々によって確認されてるんだそうです

姫島のアサギマダラ移動分布図

また、フジバカマ畑に設置されていた案内板には、雄雌の見分け方 

羽根の下半分に大きな黒い班が一つ有るのがオス、無いのがメス。

あっ、このコは男の子ですネ 分かりやす~い

姫島・フジバカマ畑とアサギマダラの雄


ときに、こうして蝶を眺める度に浮かんでくる言葉があるんです。

幸せは蝶の様なものである

19世紀アメリカの小説家 ナサニエル・ホーソーン氏の名言なんですけど、

それを知ったのは最近で、ずっと前に雑誌か何かでこの言葉を目にして、

あまりの鮮烈さに、前後の文章がすっかり抜け落ちた状態のまま記憶

ナサニエル・ホーソーンさん曰く、捕まえようとすればするほど逃げて行くのが

幸せだから、幸せになりたいのなら、それとは逆のスタンスで いなさいという事。





だけど、幸せが蝶だとするならそれは生き物であり、生き物なら寿命があります。

肩にとまってくれていた蝶も、プラスチックではないから何時までも同じ状態では

居てくれないし、或る日突然 折りからの風に乗り 飛び立ってしまうかもしれない。 

その時に自分はどうすればいいのか。 ここからが肝心な気がするんです。


姫島・10月のアサギマダラ

幸せ、つまり蝶にとって居心地の良いフジバカマ畑を、自分の中にも造ってみる。

そうすれば、やがてそこに世代交代した蝶や、以前と姿形は違っても、また

必ず蝶がやってきます。 それに気づくこと、同じ様に迎え入れる事ができれば、

幸せはいつでも傍にいてくれるし、無くなりません。 それどころか増えていく




開発や護岸工事で生育できる場所が年々減少し、絶滅危惧種になりかけという

フジバカマの畑で、過酷な旅の疲れを癒し、安心しきって美味しそうに蜜を吸う

アサギマダラにカメラを向けていたら、アレコレ物思う中年になっておりましタ





アサギマダラを休ませて元気にする姫島の花は、フジバカマだけではありません。

毎年5月には、10月とは逆ルートで、南から涼しい北国へ向かうアサギマダラが

姫島で休息を取ります。 その際、幸せさん御一行様を迎え入れる姫島の宿泊

保養施設は、北側海岸のスナビキ荘。 あ、違った スナビキソウです。

スナビキソウ畑を乱舞するアサギマダラ(5月)

こちらスナビキソウの上を乱舞するアサギマダラの写真は、

姫島村企画振興課発行のパンフレット・おおいた姫島ジオパーク構想より拝借

そういえば、明日から5月です 

スナビキ荘、今頃は団体様の受け入れ準備に大忙しの頃でしょうかネ



つらつらと綴っていたら長くなりましたので、6つ目の姫島七不思議は

次回とさせて頂きます 


 



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2014/04/30(水) 20:02 | コメント:21 | トラックバック:0 |


今年もゴールデンウィークがスタートしましたね、いかがお過ごしでしょうか

まーりたんが今お邪魔しているのは、筑豊炭鉱で坑夫として働く伊吹重蔵(仮名)

さんのお宅ですといっても、ここは福岡県の田川市石炭・歴史博物館の中庭 

昭和期の坑夫社宅・伊吹重蔵さん(仮名)宅にお邪魔中♪田川市石炭・歴史博物館

昨日の日曜日は、念願だった山本作兵衛さんの炭坑記録画を、ついに鑑賞して

きました 筑豊炭坑史の真実をありのままに描き、その重みは充分に伝わって

くるのだけど、同時に物語の様なファンタジー性も漂い、絶妙なさじ加減と品性に

救いを感じる、不思議な魅力に溢れていました。 また、初めて拝見した作兵衛

氏の近影は、どこか名優の故・笠智衆さん似 原画展は同館にて 明日の29日

より開催されますが、もし原画を観ていたら、本当にフランダースの犬の最終回

みたいな事になってたかも...複製で良かった そして幸運にも、館内を案内して

下さった元炭坑夫のガイド・矢田さんが、これまた作兵衛さん的スピリットをお持ち

の素晴らしい方で、石炭歴史博物館で過ごした時間は気が付けば4時間半

念願のチロルチョコ宗家・福岡県田川川宮の松尾製菓さんに到着♪

チロルチョコ宗家・松尾製菓と、セブンイレブン田川 川宮店も訪ねました~

・・・これ以上は長くなりそうなので、また追って探訪記事にさせて頂きます









それでは前回に続き、大分県は国東半島沖の姫島村探訪レポに戻ります

拍子水を後に島の北側海岸線を離れ、今度は姫島の中央を東西に貫く県道

稲積姫島港線を西へ向かっていると、山の中に鏡の様な美しい池が出現

姫島七不思議・さかさやなぎ4

池のほとりには、またもくずし字の立派な歌碑が建っており、その右後方には

幹の根本から大きく二股に分かれ、そのまた先で均等に二股に分かれ、

そうして細長く伸びていく不思議な木 なんじゃこの木は・・・

姫島七不思議・逆柳6

なんとも奇妙な生え方、さらに成長の仕方をしているコチラの木々は、

今回4つめの姫島七不思議 『 逆柳( さかさやなぎ ) 』 です

姫島七不思議・逆柳1(解説板)

セレブライフより、小さな島で心温かな島民の方々と穏やかに暮らす道を自分の

幸せとした比売語曽の女神さま 晴れた日は、この池のほとりでピクニックでも

楽しまれる事があったのでしょうか 楊枝として使った柳の枝を、土に挿した

ところ芽が出て、さかさまに伸びる柳の木=逆さ柳になったんだとかアラマア







均等に分かれた枝からは吹けば風にそよぎそうな、確かに柳に似た葉っぱが

空に向かって元気に伸びてます。 この木いったい何の木やっぱり 逆柳か?

姫島七不思議・逆柳5可愛い新芽が出ています

独り小舟に乗って逃げ出したのは さすがに無謀だったけど、

柳の様に たおやかな心があれば、流れに逆らう事が必ずしも

破滅につながるとは限らないのよ
」 


そんな比売語曽の女神さまの声が、どこからか聞こえてきそう



姫島七不思議・かねつけ石2

また、逆柳から少し北へ行った森の中には、比売語曽の女神さまのメイクルーム

も在るんです 上の画像、縁石で囲まれた中央の平たい石 がそれらしく、

今回5つめの姫島七不思議スポット 『 かねつけ石 』 と呼ばれています。

姫島七不思議・かねつけ石(解説板)

女神さまがおはぐろをつける際、猪口と筆を置いたらその痕が残ったそうな・・・

猪口と筆の痕は、平たい石の右上部分に残されている模様ズームでチェック

姫島七不思議・かねつけ石4

画像中央部に形、その下に横文字が確かにありますが...如何でしょう

○の上にもうふたつ、横並びの○があれば面白かったのに...と独りにやける




意思が強く少々無鉄砲 島民の方々への恩も忘れない勇敢で義理堅いお姫様

ですが、こうして伝説の軌跡を辿っていくと、同じぐらいご自分の事も大切にして、

しっかりとケアなさってた姿が浮かび、ホッ どんな自分にも愛想を尽かさず、

最後まで付き合ってくれるのは自分自身ですもんね、さすがは比売語曽の神様




姫島・アサギマダラ10月の休息地1

次回は、大分県姫島から北は北海道の上ノ 国町まで、およそ1200キロの

旅をする事が確認されている渡りの蝶アサギマダラと 休息地の花畑、そして

6つ目の姫島七不思議をご紹介させて頂く予定です。 どうぞお楽しみに

それでは皆さま、引き続き楽しいゴールデンウィークをお過ごし下さい






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2014/04/28(月) 15:47 | コメント:8 | トラックバック:0 |


白亜の燈台が建つ姫島東端 柱ヶ岳鼻を後に、今度は島北側の海岸線を西へ

折り返し、暫く走っていると 左手にスロープが取り付けられた淵を発見

本日3つめの姫島七不思議スポット・拍子水

背後は陽光を完全にさえぎる原生林で、淵の畔には、くずし字で歌が刻まれた

上等な石碑。 所々しか読み取れないけれど、お題は “ 拍子水 ” のモヨウ




人一人分幅の細いスロープを恐る恐る下って行くと、その先には小さな水槽が

あって、中ではシュワシュワごぼごぼ 勢いの良い音と共に何やら水が湧出

姫島七不思議拍子水。スロープを降りて行くと

ここは、今回3つめの姫島七不思議スポット 『 拍子水( ひょうしみず ) 』 です



時は垂仁天皇の時代。 高飛車な王子の求婚を逃れるため、独り小舟に乗って

大陸から姫島へ漂着し、そのまま姫島で島民の方々と末永く幸せに暮らしたとの

記述が日本書紀に残る 勇敢で心優しく美しいお姫様 = 比売語曽(ひめこそ)神。 


姫島七不思議 拍子水は、その比売語曽の女神様が、メイクの際お水が必要で、

とりあえず手を叩いたら湧いちゃった、というミラクル冷泉なんですネ

姫島七不思議・拍子水解説板


お姫様こと比売語曽の女神さまは、この拍子水の近くにお屋敷を建てて、日々

拍子水を飲み、拍子水の温泉に入り、そのお陰でいつまでも元気で若々しく

美しいまま年を重ねられたんだそうです 拍子水の伝説は、椋鳩十先生の

ふしぎな石と魚の島にも登場します。 どうぞ近づいて、よーくご覧下さい

姫島七不思議・拍子水です

シュワシュワごぼごぼ地底から絶え間なく、こんこんと湧き出る拍子水は、

黄土色をした炭酸水素塩冷鉱泉で、源泉は24.9度。 冷たい温泉です




姫島七不思議・拍子水が湧く淵の傍には、源泉と、源泉に温水を加えた

41度の温泉の両方を愉しめる施設 姫島村健康管理センターも完備 

炭酸水素塩泉・姫島拍子水温泉は、ふしぎな石と魚の島にも登場

椋鳩十先生が、姫島を舞台に ふしぎな石と魚の島を執筆された当時は

こんな立派な温泉施設はまだ無かったんでしょうね、主人公の少年・村岡三五と

春夫は、海岸寺の住職さんの指南で、あせもの治療のために拍子水を訪ね、

セルフでお風呂を焚く湯治場みたいな拍子水温泉で、3日間を過ごします



三五と春夫は、自分達で沸かしたお風呂に入り、その後は、道路ひとつ向こうの

海へドブン。 そして、地元のオジサンに はまぐりを焼いてもらい、島の話を聴き、

あせもが治ったのは勿論、心も蘇る様なオマケがそれは山程ついてくる訳です







では、アンチエイジングにも凄い効果がありそーな拍子水温泉へ、まーりたんも

いざ ん?なになに? 『 不思議の拍子水~拍子水石鹸とローション

拍子水温泉石鹸とローション?比売語曽神の美の秘密ここに?

ひょっとして、アレが比売語曽神の普遍美の秘密なのだろーか

これは何としても買えるだけ買って帰らねばっ

あっ、その前に源泉に ふやけるまで入らんと すいませーん 受付の方

いらっしゃいますかぁ~ おかしいな、どうしてこんなにひっそりと静まり返っ・・・

姫島拍子水温泉は本日島の体育祭でお休み!欲をかくとこういう顛末になります。

て、ええ~っ 今日は島の体育大会のため休業・・・ orz








そういえば・・・

姫島運動公園では村の運動会開催中

姫島港を出発して直ぐの矢筈岳西麓、姫島運動公園で体育祭、やってたなぁ...

伊美港発姫島行チケット

日付も確認 まちぐゎいない







さては比売語曽の女神さまに、穢れ多きわが胸の内を見透かされたのか・・・

そうだ まだ女神さまに御挨拶してなかったぁ~・・・

姫島・比売語曽社表参道

で、あたふたしながらやってきた拍子水温泉裏手の比売語曽社

参道手前の由緒記には、日本書紀のお話が紹介されています

姫島・比売語曽社の由来

由緒記によると、お姫様は摂津の難波を経由して、姫島に辿り着いた様

聴くところでは摂津の難波 = 現在の大阪市東成区 東小橋にも、実際に

大分県 姫島と同一の女神を祀った神社 比売語曽社があるんだそうですね 

記述上だけならまだしも・・・不思議です。 そのうち訪ねてみたい  


姫島・比売語曽社鳥居の扁額

かなりの年季を醸す比売語曽社の扁額・・・


鳥居を潜ると、解放された拝殿があって、比売語曽社の詳しい紹介

( プリント )を自由に持ち帰れるようになってます 

姫島・比売語曽社鳥居と拝殿



拝殿の裏へまわると比売語曽社の本殿。

キュートな印象のお姫さまらしく、小ぶりでシンプルな社です

白い石の化身でもある比売語曽の女神さま、御挨拶が遅れてすみません

姫島・比売語曽社神殿

本殿の更に奥、左手原生林と境内の境目に大きく裂けた岩があり、

その岩の裂け目に奥の宮が鎮座しています。 奥の宮は、古い石造りの本当に

小さな祠なんですが、たぶん比売語曽の女神さまの現・お屋敷だと思うので、

撮影は控えさせていただきました 拝殿で頂いたプリントによれば、奥の祠の

白い石に現れた模様が、お姫さまの横顔に見えるんだそうですヨ

比売語曽社を訪ねられた折には、そっと御尊顔をご覧になられてみて下さい 







次回は、海岸線を離れ、少し山手に入った美しい池のほとりの姫島七不思議を

ふたつほど、ご紹介したいと思います。 どうぞお楽しみに

姫島七不思議・さかさやなぎ



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貴重なお時間を割いて訪問下さる皆さま、いつもありがとうございます

GW中はご訪問、コメントのお返事が遅れるかも知れません。

どうかご了承くださいませ 


2014/04/24(木) 15:56 | コメント:14 | トラックバック:0 |


『 島を愛し、島の人びとを愛した人が、この島を魚の宝庫として

わしらの手に渡したのだから、あらゆる手段をこうじて、つぎにくるものの手に、

魚の宝庫としての姫島を渡さなければならぬ義務が、わしらにはあるという事さ 』




大分県の姫島が舞台の物語 ふしぎな石と魚の島では、海岸寺の住職さんが

“ 百年先も、豊かな海の恵みで島民が幸せに暮らせることを常に視野に入れ、

島を愛する人々が、遠い昔から心血を注いできた歴史 ” を 線香の灯に喩え、

主人公の少年・村岡三五と春夫へ、ユーモアも交えて語り聞かせます 




海岸寺は姫島に実在する名刹です。  椋鳩十先生の取材に対し、住職さんが

実際に線香の灯に準えて、お話をされたのか、それとも椋先生のアレンジかは

謎ですが、何故リレーのバトンや蝋燭の炎でなく、線香の灯に喩えたんだろう

やっぱりお寺だから線香なの それとも・・・。 そんなことを考えながら、姫島

七不思議・浮田
を後に、自転車を漕ぎ 到着した次なる探訪先 姫島燈台

姫島18・明治37年に点灯された姫島灯台


姫島の東端、柱ヶ岳鼻 57メートルの断崖上に建つ姫島燈台の歴史は古く、

関ヶ原の戦いから5年後の慶長10( 1605 )年、小倉藩主の細川忠興公

領国姫島に、かがり火を用いた和式燈台を設置したのが起源だそうです

姫島19・慶長10年に小倉藩主・細川忠興公が篝火灯台を設置した事に始まる

関ヶ原合戦後、細川忠興公は豊前一国と豊後国東郡一円、それに速見郡の

一部を継嗣 細川忠利と共に30万石で拝領し、大分のお殿様になったんです 

そして慶長5( 1600 )年12月、こちらも同じく関ヶ原の功で豊前中津を離れ、

筑前福岡へ移った黒田如水( 官兵衛 )&長政親子と、入れ替わりで中津入り。




慶長7( 1602 )年より豊前小倉城の造営を始めた細川忠興公は、居城を

小倉へ移し、豊前中津城は継嗣・細川忠利公のお城になります・・・が!

大坂夏の陣で豊臣家が滅亡した元和元( 1615 )年、徳川幕府が発布した

一国一城令により、中津城は破却の危機に直面

ここで頑張って下さったのが細川忠興公 中津城を自分の隠居城として

残して貰えるよう幕閣中心人物に掛け合って見事、残置が認められるんです

今日、中津城で官兵衛さんが築いた石垣を見れるのは 忠興公のお陰 感謝




因みに継嗣・細川忠利公は元和6年、父・忠興公隠居後に小倉城へ移った後、

寛永9( 1632 )年、改易された肥後の加藤家に代わって熊本城主に忙し~


姫島17・57m高の断崖・柱ヶ岳鼻の姫島灯台

では、お話を近代の姫島へ戻しまして 徳島産の花崗岩で造られたという

眩しいほどに白く美しい姫島燈台 解説板によると、その高さは12メートル。

姫島灯台

建設は明治35( 1902 )年に始まり、2年後の明治37年3月20日に完成。 

以降、瀬戸内海、豊後水道、関門海峡三航路の合流点で海上交通要衝の地

姫島沖合を航行する船の安全を守り続けて、百年以上にもなるんですね

姫島20・姫島灯台北面、記念撮影用の踏み台も

解説板の終わりには、次のような言葉が添えられていました


この灯台が、点灯以来数多くの船人の命と貴重な財貨を人知れず

救って来たであろうことを想う時、これからも夜ごと美しい光を

沖き行く船に投げ続ける様、祈念するものであります
。 』


まるで姫島燈台に心があるかのように綴られた、慈しみを感じる文章です。

小さな島の燈台から投げ続けられる、暗い海上を照らす美しい光 

受け取って航行する沖合の船は、その光にほっとしたり、望みを感じたり。

この燈台も、島の方々にとっては大切な線香の灯なのかもしれないなぁ

姫島21・姫島灯台南面から眺める周防灘・国東半島

線香って、ほんの少しの心無い力を加えただけで、簡単に折れてしまいます。

だけど、その灯は蝋燭の炎とは違い、少々の風が吹いたぐらいでは消えません。

弱さを知っている強い心には、慈しみや想像力、色んなものが詰まっている。
 
だから椋先生は、蝋燭でもバトンでもなく、線香の灯と表現されたのかしら






そう、姫島燈台が建つ この岬・柱ヶ岳鼻の下には、3つの大きな海蝕洞窟が

あるんですけど、海側からしか見れないのでパンフレットの写真を拝借。

姫島22・周防灘から柱ヶ岳鼻の姫島灯台を見ると崖下に海蝕洞窟

海蝕洞窟の中、海面から2メートルほど上の辺りには、阿弥陀三尊の姿に似た

不思議な形の牡蠣が群生しているらしく、それは海水に浸かることがなく、

姫島七不思議 『 阿弥陀牡蠣( あみだがき ) 』と呼ばれてます

姫島23・姫島七不思議・柱ヶ岳鼻海蝕洞門の阿弥陀牡蠣解説板

珍しいからといって獲って食べちゃダメですよ、お腹が痛くなるそうですから









というわけで、島の東端より、走ってきたひめしまブルーラインを振り返る

姫島25・姫島東端の柱ヶ岳鼻より、姫島ブルーラインを振り返る


今度は島の北側の海岸線に出て、西の方角へ折り返しです

西へ折り返し。姫島北側の海岸線を奔って3つ目の七不思議へ♪

次回は姫島の女神さま御用達鉱泉と、お屋敷跡へご案内しまーす









●参考資料 : 豊田寛三・後藤宗俊・飯沼賢司・末廣利人著 『 大分県の歴史 』

大分県姫島村 企画振興課発行パンフレット 『 おおいた姫島ジオパーク構想 』






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2014/04/22(火) 04:40 | コメント:11 | トラックバック:0 |


崖の屏風にダイナミックに描かれた姫島誕生物語 “ 層内褶曲 ” を過ぎて、

更に東を目指していると、左手に何やら立派な祠あらわる 灘見大師

層内褶曲を過ぎると左手に灘見大師さま現る

そういえば、姫島には弘法大師さまの祠が88か所ある、と聞きました

灘見大師さま。 本日最初で、姫島で初めて遭遇するお大師さまの祠です。 

自転車を降りて、お参りお参り お賽銭も忘れずに 10円だけど


解説板・読みづらいけど弘法大使の御野宿所

解説板、ちょっと読みづらいですが 弘法大師御野宿所と記されてます。 

末尾には、『 弘法大師が姫島に来たのは鯖の釣れる時期でした。

あれから鯖は何処へやら
』  何だかユニークです ここに野宿したんだ、空海さん♪




確かに姫島産の鯖は聞いた事がないけど、姫島近海は海の幸の宝庫で、今も

沿岸漁業だけで島の方々が充分暮らして行ける、全国的にも稀な島なんです




勿論、そうなる迄には姫島の先人さん達の努力があってこそ、なんですけどね

海岸に木を植えて魚が集まる木陰( 漁附林 )を造ったり、密漁船を監視したり、

安易に開発の波に呑まれない賢さと地元愛、優しく強い心を育て、本当の豊かさ

とは何かを全力で、疎まれ憎まれても示し続けた先人さん達の歴史があってこそ。

椋先生が自ら取材されたこうした実話も 『 ふしぎな石と魚の島 』で語られます



姫島の水産業を見守る御大師様・祠は88か所

松枯れて 魚路とぼしき この島へ 幸恵わかし 大師の御影

椋先生の本では、先覚者は中條石太郎さんですが、9世紀まで遡れば空海さん

調べてみたら、お大師様こと空海さんは惜しいかな 讃岐国( 香川県 )生まれ。

が、幼名は 佐伯真魚( さえき の まお )。 やっぱり大分っぽいと思いきや、

姓は、古墳時代に中央佐伯氏が播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波の5か国に設置した

佐伯部 讃岐佐伯氏からの様。 でも、お魚に縁深げな名前。 発想元が気になる


姫島9・姫島の基幹産業・車エビ養殖場

その昔、姫島へ海の幸をもたらし、鯖とともに去りぬ空海さんの御野宿所

灘見大師を過ぎると、右手には現在、姫島の基幹産業である車エビの養殖場。

車エビ養殖場の先に見えている岬は、姫島の東端 柱ヶ岳鼻です。






姫島灯台が建つ柱ヶ岳鼻の断崖下には、3つの海蝕洞があるんですけど、

ここからでは、うーん、何となく判るような判らないような・・・

姫島11・島の東端・柱ヶ岳鼻

とりあえず、自転車を飛ばせば後ちょっとの柱ヶ岳鼻まで行っちゃいましょう

っと、その前に少し寄り道 

左手民家の路地を通り抜けたところには確か・・・



姫島に88あるお大師様の祠と姫島ニャンコ
 
あら、先客が居ました お大師様の小さな祠の前で、おくつろぎ中の猫ちゃん。

なにやら怪しげに喉を鳴らし・・・

申し訳ない、ちょっと前を失礼しますよ~





で、路地を北側へ抜けると、目に飛び込んできたらしき物体

姫島七不思議・浮田2


こっちにも

姫島七不思議・浮田4


ここは、姫島七不思議のひとつ 『 浮田( うきた ) 』です

姫島七不思議・浮田1

わけあって大陸から姫島へ逃げてきたお姫様が、自分を助けてくれた恩返しに

島民の方々へ布の織り方や穀物の作り方を教えるんですが、農地を造る際、

誤って大蛇の夫婦が住む池を、雌の大蛇ごと うっかり埋めてしまったんだそう

以後、この田んぼは大蛇の怒りで揺れるんだとか


姫島七不思議・浮田5

田を揺らす元気があるという事は、お亡くなりにはなってないんですね、ひと安心。

まーりたんが仁王立ちで浮田を凝視している間は、何故か静かだったけど・・・

まさか、逆に怖がられている






とにかく、まぁこうして島の暮らしを豊かにしたお姫様は、亡くなられた後、

その徳を慕う島民達により、比売語曽( ひめこそ )の神として祀られます。 

が、浮田の伝説を知ると、おっちょこちょいなところもあったみたいですネ 

かわいいひとだったのかも 





また、お姫様は島での暮らしがよほど楽しかったのか、それとも食べ物が

美味しかったのか、随分長生きしたんだそうです しかも美しいままで

そんなお姫様のお屋敷近くに湧き、元気と美貌を保ったと思われる

『 ふしぎな石と魚の島 』 の中でも、海岸寺の住職さんがそう語っている

鉱泉と名水も、姫島七不思議のひとつになっているんですよ








次回は島東端・柱ヶ岳鼻の姫島灯台と、この岬の七不思議をご紹介します

姫島東端の柱ヶ鼻岳、灯台下の海蝕洞窟には七不思議の・・・

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2014/04/18(金) 19:02 | コメント:9 | トラックバック:0 |


「 姫島が舞台のふしぎニャ石と魚の島、ジオパーク認定後に

読み返してみると、感慨深さもひとしおニャのだ

ふしぎな石と魚の島、すなわち姫島は2013年ジオパーク認定されましたニャ

「 マンジ君、マンジ君 まーりたんさんが大変だよ













「 どうしたニャ カラアゲ食べ過ぎてハラでも壊したかニャ ザマミロニャ

マンジ君、ちょっとコレをみておくれ

「 そうではないんだよ、マンジ君












「 ご本を眺めて遊んでいるところ悪いけど、

ちょっとコレを見ておくれ・・・ 」

まーりたんさんの夢の中にこんな妖怪が登場したらしいんだ・・・









え~、コチラお気楽中年主婦 まーりたん、まーりたん

姫島港を レンタサイクルで出発後、只今 ひめしまブルーライン

東の方角へ快適に走行中 もうじき ハイタテノ鼻を通過しまぁーす

姫島2・矢筈岳南もうすぐ南端のハイタテノ鼻。鷹巣が見えてきました!ここは姫島ブルーライン

ハイタテノ鼻は、国東半島に向かって大きく張り出した矢筈岳裾野の南端。

つまり 姫島の最南端です。 進行方向には、緩やかな左カーブが待ってます 







姫島港や姫島海水浴場など、島の西寄りから眺める矢筈岳は、緑に覆われた

美しい山でしたが、ハイタテノ鼻から東側にかけては山肌も露わな断崖絶壁

姫島3・矢筈岳南端ハイタテノ鼻近くの鷹巣

小さく突出した部分が点々とあり、まるで鳥の巣が幾つも掛けられている様な

崖面は、自然の浸食作用によって偶然創られた芸術作品 鷹巣( たかのす )。 








さらに、ハイタテノ鼻の左カーブを過ぎて、矢筈岳の東側へ回ると現れるのが、

姫島が誕生した30万年前の地殻変動の様子を、目の当たりにできる地層

姫島6・層内褶曲(矢筈岳東側の絶壁)

一見、山の斜面を削った時に現れる普通の地層に見えなくもないですけど

これは層内褶曲( そうないしゅうきょく )、専門用語では コンボリュートラミナ

( 大分地質学会 )と呼ばれる、姫島の誕生工程を窺い知れる地層なのです






画像中央部分を拡大してみると、コンクリートの様に整然としたぶ厚い地層に、

レース編みや唐草模様を思わせる薄い地層が挟まれているの、解りますよね

姫島6・姫島誕生に関わるダイナミックな地層のうねり層内褶曲

太古の海底で、後に姫島になるこの地層が造られる時、硬い泥岩層に上下から

挟まれた軟らかい地層が地滑りを起こし、それが何度も何度も繰り返され

終には、まるで人工物のような模様が出来上がってしまった、というワケです


姫島5・唐草模様の層内褶曲


壮大なる姫島誕生絵巻は、この横縞の地層部分だけじゃないんですよ

今度はカメラを手前に ぐぐーっと引いてみると・・・

姫島6・層内褶曲

同じ崖面でも、陽の当たっている所は手前へ張り出し、日陰になっている所は

後退し、つまり大きなアコーディオンカーテンみたいに畝っているんですねオォ



上下だけでなく、横からも力が加えられて、それこそ大地は元来ぐにゃぐにゃの

泥粘土だったんだなあと・・・  考えも及ばない、途方もない時間の中で、

神様たちが粘土を捏ねて伸ばしてデザインした図画工作の賜物、という感じ 

これぞまさしく神々の遊び




イザナギとイザナミの兄妹神が、銀河を天の沼矛で掻き混ぜてオノコロ島

創った、という古事記に綴られる国生み神話、案外本当だったりしてね



姫島7・唐草模様を想わせる層内褶曲、アップ

それにしても層内褶曲の唐草模様、数日前の夢に出てきた土壁妖怪くんに

似てるなぁ・・・ どこかの城下町の古い土壁と瓦の間に挟まって棲んでいて、

ショベルカーで土壁ごと今にも崩されかけていて、「 助けて~ 」と泣いていて




あまりにリアルだったので早朝、起き抜けに絵、描いてみました こんなコ

重機で壊されかけの土壁に棲んでいて、泣いてたんです


「 泣いていたので可哀想で、頼まれもしニャいのに救援に行って それで

まーりたんは迷子にニャった、というのだニャ 姫島七不思議以上に奇想

天外ニャ上、夢の中まで世話が焼けるのだニャ。 つきあいきれニャい

その土壁妖怪を助けに行って、城下町で迷子になっちゃったって・・・

「 だけど、この土壁妖怪くん、どうか無事だといいねぇ・・・マンジく


まーりたんは夢の中まで世話が焼けるのだニャ

ややっ、こだぬき君が仰天してしまったのだニャ

ん!












ブログ既出の姫島キツネ面ではニャいか、

こだぬき君はびっくりしすぎニャのだ・・・ 」

ブログ既出の姫島キツネ面ではニャいか・・・





次回は姫島七不思議編、行きます・・・









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2014/04/16(水) 18:47 | コメント:12 | トラックバック:0 |


『 海岸の切り立った岩山は、すべて、古代人が矢じり石などに使った黒曜石。

また、その海の底では、新しい石が生まれているのです。 

そうです。 石が成長しているという不思議な島があるのです。

この島は、九州にある島なんですよ。 さあ、この島のお話をしてみましょう 』

椋鳩十・ふしぎな石と魚の島は姫島が舞台。 ス鼻の藍鉄鉱石のお話

大分県の国東半島沖に浮かぶ姫島を舞台に描かれた 素敵な冒険物語

椋鳩十先生の 『 ふしぎな石と魚の島 』 は、冒頭の文章で幕を開けます







見た目は中年主婦 頭脳は少年( 推定精神年齢13、4歳 ) まーりたん

真実求め毎度妄想世界へ迷い込む 大切なものは目には見えないんだヨ



更に何かのアニメと童話のごちゃ混ぜキャッチコピーみたいなノリへもつれ込み、

始まってしまいました今回の だいぼうけん 探訪先は、お察しの通り 昨年

9月24日にジオパーク認定された 東国東( ひがしくにさき )郡の姫島です

GO!GO!ジオパーク姫島へ!


国選択無形民俗文化財の姫島盆踊り 『 キツネ踊り 』 見物コースの某団体バス

ツアーに初参加して、ウン十年ぶりに姫島へ渡ったのが昨年のお盆休み

愛くるしいキツネ踊りと 言葉を交わした島民の方の温かさにすっかり魅了され

姫島はここです♪

そのふた月後、今度は姫島名物 七不思議スポット探訪、そして毎年5月と

10月に姫島で休息をとる渡りの蝶 アサギマダラに会うべく再度姫島へ   

このレポートを楽しみに待っていて下さった方、大変長らくお待たせ致しました

昨年2回目の姫島探険は、レンタサイクルでのんびり、ゆるゆると巡りましたので、

そんな感じのペースで  ぼつぼつと綴っていきたいなと思います


待合室の時計は11時55分。12時10分に伊美港発で何時に戻って来れるかしら♪

それでは、国東の伊美港を午後12時10分発の姫島村営フェリー第6便

第二姫島丸に乗船して、姫島港までおよそ20分の船旅でーす

第二姫島丸接岸中、コレの乗って約20分の船旅です



太古の火山活動によって生まれた 東西に長い姫島。 

古事記では、イザナギとイザナミの兄妹神が、オノコロ島に始まる国生みで

12番目に生んだ女島が、姫島だと云われているんです。

姫島(姫島村役場 水産・観光商工課発行パンフレットより)

姫島の名は、日本書紀に記される大陸から逃げてきた女神に由来する説と、

後に聖徳太子の父となる池辺皇子に嫁ぐ般若姫一行が、豊後臼杵を発った後で

この島に立ち寄った事に由来する2つの説があります。 伝説と詩情の島、姫島



また、冒頭の文章で、椋鳩十先生が “ 海の底で生まれる新しい石 ” と仰るのは

藍鉄鉱( らんてっこう )。 青く光る不思議な石で、島の西の岬( 上の画像左端 )

洲鼻の海底に眠るナウマンゾウやオオシカの燐と、砂鉄から生まれているとか


姫島ブルーラインより国東半島を臨む

胸躍る冒険旅行の余興には丁度良い20分の船旅を終えて、ここは姫島 

島の南側海岸線を奔る眺望抜群な道路 ひめしまブルーラインから、遠くに

国東半島の山々が見えてます。 どうぞ、案内パネルと見比べてみて下さい

姫島1・案内パネル~国東半島の山々

てっぺんが尖った仏舎利塔みたいな形の山は、小説・国東物語にも登場する

標高606mの千燈岳。 六郷満山の総本山・両子( ふたご )寺のある標高

721mの両子山の向こうは、吉弘統幸さんや高橋紹運さんの故郷、屋山です。

姫島ブルーラインより望む国東半島

六郷満山を一望できて、何だか有難や~気分 とりあえず拝んどこ


 







「 おーい、置いてくぞ~ 」 

ビ・ボーンさんのレンタサイクルで姫島七不思議巡りへ出発

じゃーん、姫島港そばのお土産屋 ビ・ボーンさんで借りたレンタサイクルです

ジオパーク認定されてまもない週末、その上、好天だった為か、この日の姫島は

観光客で大賑わい。 電動アシストタイプなど、最新鋭の?レンタサイクルは全て

出払っており、残っていたのは、なかなかのクラッシックタイプ3台のみでした

それでも残り物には福ありで、よく走ってくれましたよ~ しかも2台4時間半程

借りて千円でした、安っ お店の方も丁寧な 感じの良い方で、旅気分も上々



矢筈岳と姫島海水浴場

ひめしまブルーラインは、姫島港や姫島海水浴場から良く見える ソフト帽の形を

した姫島のシンボルマウンテン 矢筈( やはず )岳南麓に沿って、奔ってます。

姫島の山々はすべて火口で、標高266mの複合溶岩ドーム・矢筈岳の東南側

には、姫島の誕生に関わる複雑でダイナミックな地層が露出しているんです


姫島4

次回は ジオパーク姫島を体感できるポイントへ、ご案内しまーすゆるりとね



 




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2014/04/14(月) 20:58 | コメント:8 | トラックバック:0 |


昔むかし、古墳時代よりも前の、神話が歴史へと移り変わる黎明期 

美々津よりお舟出した初代・神武天皇から数えて11代目の垂仁天皇の時代

当時、新羅( しらぎ )と呼ばれていた朝鮮半島に、それはそれは美しいお姫様が

いたそうです。 お姫様が庭へ降り立つと、あたりは光り輝くほどに明るくなり

姫が歌い、楽器を奏でれば鳥たちが集まってきて、嬉しそうにさえずるほど 

噂はたちまち国中に広まり、まもなく新羅の王様が、金銀の飾りを付けた輿と

大勢の家来を連れて、お姫様を后に迎えるためにやってきました。 ところが、

お姫様は王様の尊大な態度を嫌い、その夜ひとり小舟に乗って逃げ出します






お姫様は何日も何日も波に揺られて、周防灘の小さな島に漂着します

弱り果て、浜辺に倒れて ぐったりしているお姫様を見つけた島の人々は、

大急ぎで民家へ運び、温かい飲み物を飲ませ、一所懸命に介抱を続けました。 

お姫様は島の人々の優しさ、心の清らかさに感激し、この島で暮らす事を決心。

穀物の作り方や機織りの方法を教え、島の人々の暮らしを豊かに潤していき、

島の人々は姫に感謝して、自分達の暮らす島を 姫島と名付けたのでした






椋鳩十先生のふしぎな石と魚の島では、姫島の名の由来はこういった具合に

語られ、姫島村役場発行のパンフレットでは更に詳しく、日本書紀の記述より

朝鮮半島から大分の姫島へ逃れてきたお姫様は 比売語曽( ひめこそ )の神、

お姫様に結婚を強いた新羅の王様は 都怒我阿羅斯等( つぬがあらしと )

今の韓国南部に当たる意富加羅国( おほからのくに )の王子と紹介されてます






福岡県の田主丸( たぬしまる )には、今から約1600年前の仁徳天皇の時代、

九千坊伝説に反映される大陸からの移民説も残されてますし、大陸と九州は

大昔から繋がりがあるので流れ的には頷けるものの、少し不自然に感じたのは、

お姫様が朝鮮半島から九州の西側ではなく、東側の姫島へ漂着した事です 






これは古代の人々が、大陸から狭い関門海峡をわざわざ通ってまで周防灘を

目指す理由があった事の象徴でしょうし、姫島はその際の要所だったのかも...

と思い、調べてみたところ 『 山立て 』 というキーワードに遭遇しました 









ね、バッハ犬( けん )     

姫島ご当地キャラ?バッハ犬(けん)


国東半島の空間性研究ノートによれば、『 周防灘は内海でありながら

外洋や朝鮮半島、大陸とのつながりを想わせる流動的かつ壮大さがある。 

事実、外洋から関門海峡を通って周防灘へ入った船は、姫島の観音崎を

山立て ” の対象としてきた歴史があり、姫島の観音崎は瀬戸内航海の

重要な目印だった。 観音崎から見る周防灘は日本列島弧の海洋文化や

原始古代における姫島の重要性、文化的先進性を象徴する地点 』 との事






航海上の目印のほか、見え方により天候の予測等にも使われていたという

山立て。 なかでも姫島は、海原の中に突如現れる山の塊といった感じ 

その複雑な入江は船の係留や防衛に便利だし、高い山は津波や外敵からの

避難場所としても使えるため、単なる山立てとしてではなく、姫島は古くから

海洋民の生活拠点としても選ばれ、海洋信仰も根強かった
のだそうです









そうよね、バッハ犬( けん ) 

こりゃ!イタズラしよるのは誰か、バチあたりめ!大帯八幡社の狛犬くんです♪

ワシは大帯八幡の狛犬なのだ、バッハ犬ではないわ









だってヘアスタイルが・・・


やっぱり姫島は、古えより注目されていた島だったんですね・・・

古代、武器材料として用いられた黒曜石が採れる貴重な島でもあったし


大帯八幡の境内には18の神様が祀られています

さて、ここは姫島港から近い大帯( おおたらし )八幡社

姫島村の産土神( うぶすながみ )、土地神様です

祀られているのは、陣痛を抑えるために石を入れた帯をお腹に巻き朝鮮へ出兵、

後に無事、第15代・応神天皇を出産した、凄すぎる神功( じんぐう )皇后。 

そして神功皇后の夫で第14代・仲哀( ちゅうあい )天皇のロイヤルご一家




大帯八幡境内・これはもしや参勤交代の御座船?

境内には江戸時代の参勤交代船、杵築藩の御座舟・八幡丸の雛型が

展示保存されています。 名工・木野村亀太郎翁作。

御座船・八幡丸・木野村亀太郎作・慶応年間(1865~1867)奉納。ヤンマー商会も木野村だけど関係あり?

木野村亀太郎さんは御座船を造った名工だった様。ヤンマー商会も木野村だけど縁があるのかしら?



そういえば、車エビかりんとうの製造元も “ 木野村ヤンマー商会 ” ・・・

散策中に会社を発見しました

車エビかりんとうの製造元・木野村ヤンマー商会を発見!現在は水産加工業にも進出され経営革新

姫島には木野村さんが多いのか、それとも名工と縁がおありなのでしょうか?

もしそうなら、なるべくして? ちょっと気になりまーす







御座舟・八幡丸の雛型が展示保存されている場所近くには、

御神木の大きな楠があるんですが、それに纏わるこんなお話が・・・

御座船模型の解説板を発見


『 大帯八幡社の境内に今なお残る一本の大楠がある。

杵築藩では御座舟の建造に際し、この楠の大木を船の象徴として

水押しに用いたい、との意向があった。 船奉行筋からの達しであったろう。

しかし木野村亀太郎は島民の信仰を思い、神木である境内の大楠を伐る事に

堪えられなかった。 そこで 「 この楠の幹の内部には空洞があり、

船材には適さない
」 と上役に説き、境内の大楠を救ったという 』

大帯八幡社境内の楠

これは、木野村亀太郎翁より数えて4代目の木野村棟太氏の聞き書きで、

国東半島の空間性研究ノートより、抜粋させて頂きました


姫島港フェリーのりばには木野村亀太郎氏の子孫・船大工木野村益由作の御座船模型を展示。どこにあるか探してみて下さい♪

姫島港フェリーのりばにも御座舟の模型が どこにあるか探してみてネ









島の人々が古より心の支えとしてきた大切な信仰、目に見えないものまでも

威力に屈せず、それも円満な方法で守り抜き、島民の真の幸いを願う心意気

そして才覚 今回姫島を訪れ、こうしたお話を決して求めて歩いた訳では

ないんですが、島をひとめぐりする間に、いったい幾つ耳にした事でしょう  






椋鳩十先生の著書の中でも、魚の産卵場所をまもるため自費で用心棒を雇い、

山の木々の伐採を食い止めたり、水産会社を創設し悪徳仲買人をギャフン

言わしめた方など、ほかにも二人の姫島の先哲のお話が挙げられていました。






島民が困った時に抜群の知恵で切り抜けるリーダーが出現する不思議な島、

それは困った人を放っておけない島民の方々の古よりの気質、心の反映かも


藍鉄鉱の生まれるス崎の方角に沈む姫島の夕陽、綺麗です♪

青く輝くふしぎな石が生まれるス崎の方角に夕陽が沈んでいきます。

盆坪のベンチ席最前列も確保したし、あとは夕暮れの潮風に吹かれながら

姫島名物の盆踊りが始まるのを待つだけです

噴水の池から姫島港フェリーのりばを見下ろす♪

ちょっと失礼して・・・あー快適快適♪ 

そうそう、ここの泉には自分の心が映るそうです

な~んてネ、これはウソ






そういうことで、今回の姫島探訪記はこれにてお開きとさせて頂きます。

拙いレポにお付き合い下さった皆様、本当にありがとうございました








ちょっとピンボケしてますが、おまけ画像を

おまけ♪愛くるしさにKOされます注意!


本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます


2013/08/26(月) 19:43 | コメント:10 | トラックバック:0 |
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