昨晩、NHK総合・大分で
アンコール放送された正月時代劇

『
大友宗麟物語~心の王国を求めて 』 観ました

群雄割拠の戦国時代を生きた 豊後( 大分県 )のキリシタン大名
大友宗麟公の生涯を描いた1時間半のドラマで、
原作は遠藤周作さんの 『
王の挽歌 』 です。
ウィキによれば、2004年
初回放送時の視聴率は関東で11.4%、
関西では10.8%、地元大分県は30.8%、福岡県においても18%

YouTubeにアップされていた幾つかのシーンも同じく高評価でした

初回の放送は全国ネットでしたが、今回はどうやら大分エリアのみだった
模様です

ご覧になられた大分の皆様、いかがだったでしょうか

先日の記事で関心を寄せて頂きながら、ご覧になれなかったという皆様
すみません

なので今日は、ドラマのあらすじをテレビ画像と
併せ、稚拙ではありますが簡単にご紹介させて頂きたいと思います

イイノカ
源頼朝から 豊後国( 大分県 )の守護職を命じられて以降およそ四百年間、
府内( 大分市 )を拠点に 豊後国主として君臨

最盛期を迎えた21代目
宗麟の時代には、九州6か国を統治していた大勢力
大友氏一族。
大友宗麟により西洋との交易が開かれた16世紀の大航海時代、
ヨーロッパで作られた地図( 画像下

)には
本州を
Japan(
日本国 ) 、九州を
Bungo(
豊後国 ) と、
あたかも日本が二つの国家から成るかのように記されています

これは、西洋人( 当時の言葉では
南蛮人 )にそう錯覚させる程、九州に
おける大友氏の力がいかに強大だったかを示す証だと言われています。

物語は戦国後期、大友氏21代・宗麟が耳川(
宮崎県日向市美々津 )
の戦いで島津軍に大敗し、衰退への道を辿り始めた頃から始まります。
既に嫡男、22代・大友義統に家督を譲った大友宗麟( 松平健さん )は、
御用商人・仲屋宗悦( 大鶴義丹さん )を伴って大阪城へ赴き


千利休の仲介を経て羽柴秀吉に謁見。 薩摩の島津勢力に圧され、
もはや立ち行かなくなった豊後領国の保護と援軍を懇願しますが・・・


(

松平健さん、ここまで宗麟に近づけるんですね、凄い!

)
(

秀吉役は片岡鶴太郎さん、これまたイイ感じです

)

宗麟の願いをふたつ返事で聞き容れるものの、さすがは天下人

近々九州を切り取り、力を持ち過ぎていた大友氏を取り潰す
チャンスを狙っていた様子。 それを知った千利休は驚きます


秀吉の尊大な態度から、その目論みを薄々覚った大友宗麟は、
波乱に満ちた自らの人生を振り返り、様々な出来事に想いを馳せます。
以降、ドラマは宗麟の回想で展開・・・。
21歳にして大友家21代目当主となった
大友義鎮( 後の大友宗麟 ) 。
しかし、その背景には、宗麟の実の父親( 20代大友義鑑 )が後妻と共謀し、
亡き前妻一族( 山口の大内家 )の血を引く宗麟を疎み、廃嫡を企てた挙句、
反発した家臣により暗殺されるという事件(
大友二階崩れの変 ) が。
自分を心から愛してくれた実母を幼少期に亡くし、
自分を愛してくれなかったとはいえ、実の父親を自分の守役だった家臣の
画策で失い、心に更なる深い傷を負う二十歳の大友義鎮( よししげ )。
九州を我が物としていく大友氏の栄華とはまるで正反対の不遇な少年期を
経て、その性格、振る舞いは荒々しく粗暴で、享楽的だったとも・・・。
お家騒動後も、疑心暗鬼から大友一族や家臣達の間では離反が相次ぎ、
争いが絶える事は無く、皮肉にも父が家臣に討たれたことによって21歳で
大友家当主となった宗麟も、領地を護るため隣国との戦に明け暮れる日々。
また、宗麟が幼い頃に他界した母の実家・周防の大内家でも重臣による
謀反が起き、造反者征伐の大義名分を掲げた毛利氏に攻め込まれます。
宗麟は、大内家へ養子に出していた可愛い実弟・大友晴英( 坂上忍さん )の
救出を重臣・戸次鑑連から堅く禁じられ、結果的に見殺しにしてしまいます。
大友家の更なる隆盛を計り、政略結婚した
矢乃( 奈多夫人 )とも心が
通い合わず、宗麟は孤独と苦しみの中で、いつしか心の寄りどころを
求める様に。 フランシスコ=ザビエルと出会ったのはそんな時でした

「
私を呼んだのは南蛮との交易の為ですか?
それとも心の救いを求めての事ですか?
戦は憎しみの連鎖を生むだけで何の解決にも
なりません。 罪とは愛の無きこと。
汝、殺すなかれ、奪うなかれ、騙すなかれ。
人の為に身を尽くし、心を尽くす事こそが愛です 」

自分の胸の内を見透かしたような
フランシスコ=ザビエル神父の言葉に
宗麟は驚きながらも聴き入ります。 すっかり心酔した面持ちの宗麟に
いらだち、ザビエルに噛みつく宗麟の正妻
矢乃( 奈多夫人 ) 。
矢乃役は大分市出身の財前直見さん。 この後も迫真の演技でした

正妻の矢乃と壮絶なすったもんだを繰り広げた挙句、宗麟は家督を
嫡男・
義統に譲り城を出て、ずっと夢見ていたキリスト教の洗礼を受け、
キリシタン大名となります。 そして、かねてから想いを寄せていた正妻の
侍女頭・
露( 宮本真希さん )と新しい生活をスタート

露もすでに
洗礼を受け、ジュリアというキリスト教名を授かっており、宗麟とは
“ 理想郷
ムシカ ( ポルトガル語で
音楽の意 ) ” 建設の夢を共有


宗麟は、これから日向に建設する理想郷の名を、自分の荒んだ心を
慰め、癒してくれた
西洋の音曲に因み、
ムシカと命名したのです。
『 神のもと皆平等に暮らせる国 』 そんな理想郷
ムシカ建設の夢を
露に語る宗麟。 宗麟の生母の面影を湛えた、慎しく控えめな
露と
過ごすうちに、嶮しかった宗麟の表情も次第に柔らかく・・・
このシーンのロケ地は豊後大野市
原尻の滝でした


しかし、誰もが心穏やかに暮らせる平和な世界の実現を夢見る宗麟にも
運命は容赦しませんでした。 『
汝、殺すなかれ 』 という
フランシスコ=ザビエルの教えと、九州制覇に乗り出した島津軍に勝ち、
領国領民を護らなくてはならない乱世の現実の狭間で苦悩する宗麟。
秀吉に援軍を求める半年前。 宗麟は陣中、自分にとって掛替えの
ない存在、重臣の
立花道雪 ( 佐藤慶さん ) を失ってしまいます。
立花道雪 ( 出家前の名は戸次鑑連 ) は宗麟の父、義鑑の代より
大友氏に仕え、宗麟の教育から戦の参謀まで務める一方、家督争いの
騒動からは宗麟を守り、21代目家督を継がせます。 また、宗麟に付き合い
出家。 死の間際も、
わが躯に鎧を着せ島津に首を向け埋葬せよ と
家臣に命じるなど、どこまでも宗麟に優しく忠実で、そして厳しく。
宗麟にとって道雪は、肉親に勝る存在だったに違いありません

豊後国の存亡戦に大敗し、大友氏は22代義統の代で改易となります。
夢かうつつか南蛮船の上で御用商人・仲屋宗悦( 大鶴義丹さん )に
自らの生涯を問わず語りする、恐らく晩年の宗麟。 ラストシーンです。
津久見の庵寺風の教会
で迎えたという最期は描かれませんでした。


この絵、
臼杵城址の宗麟レリーフ を彷彿とさせます

大友宗麟は全く知りません

という方には本当に申し訳ないのですが

今まさに宗麟なタイミングが来ている私には永久保存版のドラマでした
あ~ほんと良かった
昨年12月に書いた大友宗麟関連の過去記事をご覧になって頂ければ、
ドラマの内容も解り易いかと思います。 お時間がありましたらどうぞ


●
アイム・ソーリン ( 2011・12・07 )
●
天然の要塞 『 臼杵城 』 前編 ( 2011・12・09 )
●
天然の要塞 『 臼杵城 』 後編 ( 2011・12・12 )
●
臼杵城(址)登城記おまけ 『 ソーリンくんと立花くん 』 ( 2011・12・14 )
●
今日は墓マイラ~♪宗麟公園 ( 2011・12・27 )
新年早々、長い記事にお付き合い頂き、ありがとうございました


というわけで、今年もどうか宜しくお願いいたします

新年のご挨拶を以下3匹

スリーショットでお届けさせて頂きます。
びっくりさせてごめんなさい
2012年も皆様にとって素敵な年であります様に
「
いっこく堂ニャのか
」

「
いっこく堂さんではなく、右端の人は
まーりたんさんだよ、マンジ君 」
お忙しい中、温かな年末年始のご挨拶を頂き、ありがとうございました

皆様が下さったコメントを熟読し、ゆっくりとお返事を書かせて頂くのが
何よりの楽しみでもありまして、毎度お返事が遅れがちになってしまう事を
どうかお許しください

では、これからコメレスに取り掛かります
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記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます