ご説明するまでもありませんが、こちらのセレブなお二方は、舞台版
『 大奥第一章 』 公演で現在、全国ツアー中の お江さんと春日局さん

ちなみに大分公演は今月25日・いいちこグランシアタの予定だそうです


( 画像は、舞台版 『 大奥第一章 』 オフィシャルサイトより )
織田信長の妹・お市の遺娘( 浅井三姉妹 )の末っ子で、
後見人の秀吉によって徳川二代将軍・秀忠と政略結婚させられたのち、
三代将軍となる家光を授かる お江( 於江与 )役に若村麻由美さん( 左 )。
父親は明智光秀の重臣( 斎藤利三 )で、母は光秀の妹。 美濃国の名門に
生まれながら、本能寺のあと秀吉によって父を滅ぼされ、兄弟とも引き離された
過去を持ち、後に家光の乳母に抜擢される 春日局役は松下由樹さん( 右 )。
女性同士のバトルはどちらかといえば苦手な分野なんですが

衣装に目の覚める様な美貌


前回、記事の最後でご紹介した稲葉家土蔵内の史料 『 ウスキ人物遺産 』

人脈図中央部に巫女さん風スタイルで微笑んでいる女性は春日局さんです。
拡大図はウィキペディア春日局より拝借



春日局( 斎藤福 )さんは、明智光秀の縁者でしたが、女性であることから
父兄弟の様に極刑に処されたり、国を追われることはなかったそうです。
最初は母方の親戚・三条西家( 公家 )に預けられ、そこで作法教養を身に
着けた後、伯父・稲葉重通( しげみち )に養女として迎えられます。
さらに重通の娘婿で美濃国の大名・稲葉正成の後妻へ。
お福さん( 春日局 )は、3人の子宝にも恵まれるものの・・・


舞台版 『 大奥第一章 』 オフシャルサイトの物語あらすじによれば、何と
稲葉正成公は、お福さん( 春日局 )を泣かせてばかりのダメ亭主だったとか

で、お福さんはある日ついに刃傷沙汰を起こし、正成から離縁を言い渡されます。
3人の子とも離れ、傷心で京へのぼったお福さんは、そこで将軍家の乳母募集を
知り・・・。 徳川将軍家入りは “ 自薦 ” という設定ですね

そんなお福さん( 春日局 )、 実は稲葉正成さんと離別後、
美濃より豊後( 大分県 )へ入封していた稲葉家を頼り、臼杵に滞在した時期が
あったのだそう。 福さんの母親は稲葉一鉄( 良通 )の姪で(

稲葉一鉄( 良通 )は、臼杵の稲葉藩主初代・稲葉貞通のお父さんなんです。
あまつさえ臼杵の稲葉家には、徳川三代将軍・家光の実母は、江ではなく
お福さん( 春日局 )であるという記録も残されている様なのです



お福さんが、後の三代将軍・家光の乳母に任命されたのは慶長9(1604)年。
公家の作法を身につけた名家の娘であること。 夫の稲葉正成も関ヶ原の戦いで
家康に大貢献したことがお福さん抜擢の理由だとされていて、離婚については、
お福さんが乳母として将軍家入りすることを命じられたため、だったとも


一方、徳川二代将軍・秀忠に嫁ぎ、秀吉の側室( 茶々=淀 )を実姉に持つお江。
姉の為に、豊臣の影響力を徳川方に残す為に、三代将軍となる家光を授かる事は
江にとって悲願だったかもしれません。 でも徳川にとってはどうだったんでしょう。
表向は別に、豊臣を憎む完全徳川派のお福さんの方が都合が良かったのかな

仮に、徳川三代将軍・家光がもし本当にお福さん( 春日局 )の実子だった場合、
我が子を豊臣の匂いがするお江には指一本触れさせたくない



という態度に出るのも頷ける気が・・・( ドラマの観すぎ

国松( 次男 )を授かったことで家光が要らなくなり、廃嫡を企てようものならば、
鬼にも蛇にも、モンスターにもなりまする~




家光の乳母として将軍家に入る前のわずかな期間、お福さん( 春日局 )が
暮らしたと伝わる二王座地区です

お福さんと稲葉家との間に一体、どんな会話( 会議 )が交わされたんでしょう

お福さんは自薦ではなく、やっぱり特命だった気がするな~

臼杵ではこの様に、家光の実母は春日局さん説が定着しておりますが、
さて真相はいかに

なんだか今月の舞台、観に行きたくなってきた~

※本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。
記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます

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