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まーりたん

Author:まーりたん
大分県で暮らす四十路主婦
“ まーりたん ” の
ブログへようこそ(*^^*)♪

日々を彩る ちょっと素敵な
出来事を我が家の笑導犬?
マンジ君と楽しくお届けして
ます。目下、郷土史に夢中♪
心躍る探訪をご一緒に。

臼杵の富士甚醤油マスコット
キャラ・とっくりこだぬき君が
仲間入りしてからは、嬉しさ
余ってマンジ君の“ 悪がね ”
ぶりもますますエスカレート。

そんなふたり(2匹)の様子も
併せてお楽しみ下さい(*^^*)

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熊野磨崖仏から始まった今年はじめの仏の里・国東探訪。 胎蔵寺、真木大堂、

富貴寺と巡り、今回はその次に訪れ、修正鬼会面お守りを購入した長安寺

長安寺(豊後高田市・ややま)

長安寺は、国東半島の真ん中より少し西寄りの豊後高田市・屋山( ややま )

中腹に建つ、かつての六郷満山惣寺( 総本山 )です 







13世紀頃、寺領を延暦寺へ寄進するなどして、比叡山を中心とする天台宗の

傘下に入った六郷山には100を超える寺院が建てられ、最盛期を迎えます。 

現在の六郷満山総本山は、国東市 安岐町の両子寺( ふたごじ )ですが、

その頃、惣山として六郷山を総括していたのは当時、屋山寺と呼ばれていた

現在の長安寺。 永享9( 1437 )年頃には六郷の一つ・武蔵を本貫地とする

吉弘氏初代・正堅が、六郷山の執行職( しぎょうしき )として屋山寺( 長安寺 )に

入り、六郷山の実質的な支配権は、武士の手へと移って行きます。

大分県立歴史博物館内資料・惣山屋山寺吉弘統幸の郷 参考 ) 

長安寺由緒1

国東の吉弘氏は、戦国好きな方には云わずと知れた九州の名将・高橋紹運

吉弘鎮理( しげまさ )さん、その実父で豊州三老・吉弘鑑理( あきただ )さん、

石垣原の戦い大友義統軍として誇り高く戦った吉弘統幸( むねゆき )さん

などなど、人格器量共に大変優れた武将を数多く輩出している一族です

吉弘氏については、過去記事コチラでもご紹介をさせて頂いてます







そんな吉弘氏に縁の深い金剛山 長安寺は、六郷満山の中山本寺

六郷満山なら何とな~く解る気がするけど、中山なんじゃそりゃ、と仰る

まーりたんみたいなアナタ ここでちょっと整理しておこうと思います

六郷は、むかし国東半島に在った6つの村・来縄( くなわ )、田染( たしぶ )、

伊美( いみ )、国東( くにさき )、武蔵( むさし )、安岐( あき )のことで、

この六郷に設けた、天台宗を学問・修行・布教する拠点が満山。 満山は、

本山( もとやま )、中山( なかやま )、末山( すえやま )とに分けられ、総じて

六郷満山。 長安寺は、六郷満山の中山という位置づけのようですスッキリ?


元寇のとき、異国降伏の祈祷を行った六郷満山寺院。菊の御紋は朝廷から

六郷満山寺院には、屋根の装飾などに菊花の紋章が見られます

これは約七百年前の蒙古襲来・元寇の時、鎌倉幕府より豊後守護職を通して

六郷満山全寺院に異国降伏の祈祷を行うよう命が下され、その恩賞として

弘安8( 1285 )年10月16日、将軍家を経て、朝廷より与えられたものだそう。

( 参考 : 真木大堂パンフレットより菊花の紋章と旧本堂について )。






13世紀後半に起きた2度に亘る北部九州への蒙古襲来

( 1274年の文永の役と、1281年の弘安の役 )の折りに、敵を退散させた

暴風雨 アレは八幡様が、六郷満山のお坊さんたちの願いを聞き容れて

吹かせたんだそうですよ 凄いですね






修正鬼会面御守り

修正鬼会面お守りを買いました 値段ではないけど、手にずっしりと重く

細部にまで拘りが見える素晴らしい民芸品でありながら、何と600円


ほかにも癌封じのお守りがあったので、義母へのお土産に購入

長安寺で修正鬼会面と癌封じ御守りを買いました



国東半島に六郷満山を開いたのは宇佐八幡の化身・仁聞菩薩と伝わります

この方は、国東の山々で70年にも亘り、峯入り という大変厳しい山岳修行を

続けたんだとか 神仏習合コスモポリタン精神で、人々の暮らしと心の平和を

祈りつつ行われる 『 峯入り 』 は、修行僧の方々によって今も続けられてます。

命を落とす危険のない 修行道は、トレッキングコースとして楽しめる模様

長安寺(トレッキングコース標)

長安寺から東へ延びるトレッキング&ウォークの道は、吉弘氏の居城・屋山城が

あった屋山頂を越え、国東市の両子山・両子( ふたご )寺方面へ続きます。

屋山城へ続く道はトレッキングコース



逆方向・長安寺境内西側は断崖絶壁 往時を偲ばせる苔生した石垣が遺り...

長安寺の石垣


長安寺境内西端( 石垣の上 )より、豊後高田市街地方面を望む。

長安寺の東山頂に屋山城、西麓・堀の内・現都甲中学校付近には筧の館があった

屋山城とは別に構えていた吉弘氏の館( 筧の館・筧城 )は、この方角、

屋山の西麓に在ったと云われています 吉弘鎮理( 後の高橋紹運 )さんと

妻の宋雲尼さんが新婚時代を送り、長男・千熊丸( 後の立花宗茂 )が生まれた

筧の館。 千熊丸が4歳になった時、紹運さん一家は主君・大友宗麟公の命で、

大友家臣・高橋氏の名跡を継ぐために太宰府岩屋城へ転勤になるんですね。 

筧の館があった場所は、現時点でははっきりと判ってないそうですが、吉弘氏の

菩提寺・金宗院跡近くの都甲( とこう )中学校辺りだと考えられている様です。



長安寺境内には金明孟宗竹

長安寺境内には、国指定天然記念物・金明孟宗竹の林もあるんですヨ

金明( きんめい )孟宗竹は、その名から想像できる通り、突然変異で生まれた

黄金色の竹です。 節ひとつおきに太い緑色の筋が一本だけ入ったものと、

細く美しい緑色の筋が全体に入ったものとの2種類あるんですが、

この2種類の金明孟宗竹が同じ場所に自生しているのは、大変稀なケースで

まーりたんの知る限り、西日本では大分県南部 臼杵市の岩瀬地区だけだと

聞いております ところが、これまた予想外に国東半島中央部・屋山中腹の

古刹・長安寺境内で、その2種類の金明孟宗竹を発見してしまいました 

長安寺境内・金明孟宗竹1長安寺境内・金明孟宗竹2

元々ここに自生しているのか、それとも、もしかすると大友宗麟公ゆかりの

臼杵から移植したのかしら 御守りを購入する時に訊けばよかったな~

でも、次に長安寺を訪ねる際の楽しみに、このミステリーはキープしておこう





長安寺は花の寺とも言われていて、シャクナゲに白彼岸花、秋の紅葉など

四季折々の風景がとても美しく、何度でもお邪魔したくなるお寺なんです





田染の胎蔵寺で金ピカシールを頂いて、屋山の長安寺で金明孟宗竹の不思議に

遭遇・・・。 なんだかよくわからないけど、今年は年明け早々キンキラキン

ご縁に恵まれております この上、道中もし美輪明宏さんに出くわそうものなら

神仏のおぼしめしだと受け止め、俗世を断ち切り峯入りするしかありません






次回は、豊後高田市の市街地へ下り、桂川河口の城跡を訪ねてみたいと

思います。 黒田官兵衛さんの生涯の友であり同僚・大河では谷原章介さんが

演じられる竹中半兵衛さんゆかりの城跡です どうぞお楽しみに










本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます

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2014/01/17(金) 08:14 | コメント:9 | トラックバック:0 |


「 大分県の国東( くにさき )半島で、古より人々に信仰されてきた鬼は、

苦逃幸来鬼( くにさきおに )と呼ばれているんだよ、マンジ君

修正鬼会面(長安寺にて購入)

「 苦逃幸来鬼の特徴は大きなお耳。 人々の願いをよく聴いて助けたいという

優しい心から、常に耳をそばだてていたらこんなに大きくなっちゃったんだって 」













「 そんな苦逃幸来鬼をモチーフにした鬼面は、国東に伝わる新年の仏教行事

修正鬼会( しゅしょうおにえ )に因み、修正鬼会面と言うそうだよ、マンジ君 」

修正鬼会の由来が書かれているよ、マンジ君

「 田染の胎蔵寺に奉られている修正鬼会面は、国東で一番大きく美しいと

言われているのだニャ。 修正鬼会は国指定重要無形文化財ニャのだ












「 このミニ修正鬼会面お守りは、豊後高田市の長安寺で買いましたニャ 」

吉弘氏の居城がある屋山の長安寺ニャのだ

「 長安寺は、高橋紹運殿と吉弘統幸殿が生まれ育った屋山( ややま )

中腹にありますニャ。 柳川城主・立花宗茂殿も、屋山生まれニャのです












さすが高橋紹運さんが大好きなマンジ君

吉弘氏の居城・屋山城があった豊後高田については、

こだぬき君がびっくりするほど勉強してるみたいね


おりこうさんなふたりにラッキーなお土産を進呈しちゃおうかな

そんなお利口さんなふたりに、お土産があるわよ

豊後高田市の熊野磨崖仏ふもとの六郷満山寺院

胎蔵寺の住職さんから頂いたとっても縁起の良い・・・





国東一のパワースポット・胎蔵寺の金ピカシールよ♪

金ピカ梵字シールを進呈しまーす あら似合うわよ~マンジ君














「 マンジ君の気持ちは痛いほど解るから でも、その梵字シールは国東一の

パワースポットとして有名な胎蔵寺で頂いたもので、本当にラッキーなんだよ

胎蔵寺の金ピカ梵字シールは凄く貴重でラッキーなんだよ

悩みがあるごたぁワシに話しちみんかえ、マンジくんよ by 苦逃幸来鬼














「 マンジ君は苦逃幸来鬼さんに頼らず、屈辱に耐えている模様。 奇跡です

今年も早速、まーりたんさんマンジ君の戦いの火蓋が切って落とされました 」

み仏の里・国東探訪もう少し続きます

「 こんな僕たちですが、皆さまどうか本年も宜しくお願い致します

仏の里・国東探訪、もうすこし続くそうです 」











本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます



2014/01/14(火) 19:15 | コメント:9 | トラックバック:0 |


ここは、豊後高田市 田染( たしぶ )、熊野磨崖仏駐車場から直ぐの場所に在る

六郷満山寺院 胎蔵( たいぞう )寺の境内なんですけど、新年早々またもや

思わぬ繋がりやサプライズに遭遇したりで( まーりたん的にですけどネ )

どういう順序で記事にすればいいか、怒涛の余り若干判らなくなってきてます

ここは豊後高田市田染(たしぶ)平野です


六郷満山( ろくごうまんざん )とは、仏教が伝来した6~7世紀頃に、

異国から来た仏様も、日本古来の神様の どちらも大切にしましょう( 神仏習合 )

という独自の山岳仏教文化( 六郷満山文化 )が花開いた、大分県は国東半島の

6つの村( 来縄・田染・伊美・国東・武蔵・安岐 )の事で、国東半島のド真ん中に

位置する両子( ふたご )寺を総本山に、6村には六郷満山寺院が沢山建てられ、

その一つが今回ご紹介させて頂く胎蔵寺 由緒によれば、養老2( 718 )年に

宇佐八幡の化身・仁聞菩薩が開基。 つまり宇佐神宮が造ったお寺ですね

今熊野山胎蔵寺

この日、年明け3日は、いつもの思い立ったが吉日で、先ずは熊野磨崖仏を訪れ、

予定には入れてなかった古民家風の胎蔵寺にも立ち寄る運びとなり、その後も

国東は豊後高田の仏閣、城跡を周遊 それにしても、さすが仏の里ですね。

これがきっかけとなって、わくわくのラッキーサプライズが沢山起きました 





前回の熊野磨崖仏&熊野神社のご紹介に続き、今回はひとまず胎蔵寺

今熊野山胎蔵寺(解説板)

平安時代、33代目の住職さんが紀州の熊野から権現様を分霊したという

六郷満山霊場 第5番 今熊野山 胎蔵寺( いまくまのさん たいぞうじ )。

由緒に目を通していたら、おや? 胎蔵寺へ参拝して句を詠んだらしき人の中に

佐々木信綱さんのお名前を発見 この方は、鎌倉幕府の御家人で、 

平安時代末期~鎌倉時代前期の武将です。 でも、それがどうしたのって

ピンと来ない方も多いかと思います。 まーりたんもきっとそうだったでしょう、

黒田官兵衛( 黒田如水 )公について、勉強していなければ・・・ 






今夜第二話が放送される大河ドラマ・軍師官兵衛では、竜雷太さん扮する

官兵衛の祖父・黒田重隆が兵庫の姫路で、広峰神社の御師に自社製造の

目薬を託し、霊験あらたかな付加価値を付けて売り歩いて貰う辺りからしか

黒田家のルーツは紹介されません( 浪人だった事もあり複雑ですしね )が、

小和田哲男先生の著書に掲載されている黒田氏略系図によれば、

天才軍師・黒田官兵衛孝高( 黒田如水 )さんを輩出した黒田氏は、

養和元( 1181 )年頃、のちに近江守護を務める佐々木定綱の四男として

生まれた佐々木信綱に始まる近江・佐々木氏の庶流なんですね

胎蔵寺境内には金色シールを張られた石像が何体も

近江国蒲生郡 佐々木庄に居住し、佐々木氏を称していた佐々木信綱さんには

4人の息子がいて、そのうちの一人で京極氏の祖となるのが氏信

氏信の二代後が宗満。 この宗満の時から黒田姓を名乗ったと云います。

宗満→高満→宗信→高教→高宗→高政( 官兵衛の曾祖父 )と、黒田家は存続。

ですが、大河の初回でも描かれていた 互いに功を競い合い、親友のふりをして

同僚を出し抜く様な職場環境の中で、黒田高政は陥れられ近江を去る事に






黒田高政は近江の黒田から備前の福岡へ流れ、更に播磨の姫路へ。 けれど、

ここで高政の後を継いだ息子の重隆( 官兵衛の祖父 )が、人望から目薬屋で

人を雇える程になり、重隆の子・柴田恭兵さん扮する黒田職隆( 官兵衛の父 )は

播磨の豪族・小寺氏に迎えられ身分を得ます。 で、職隆の子・万吉( 官兵衛 )は

主君・小寺氏の御着城の支城・姫路城で誕生、若様として成長するんですね

但し外様の為、戦の度に先陣を切って忠義を示さなくてはならない辛い立場

きらきら輝いている胎蔵寺境内の諸像は・・・

かくかくしかじかで、要は黒田官兵衛さんの根っこに当たる佐々木信綱さん

熊野磨崖仏と胎蔵寺に足跡を残して下さって、ありがとうございます 

八百年以上の時空の差はあれど、思いもかけず同じ場所に立てて感激です







ところで、胎蔵寺境内の石像は、どれもキンピカに光り輝いてます

不思議に思い近づいてみたら、キンピカの正体は金銀の小さなシール

本体が見えない程キンピカシールを貼りまくられたアナタは、弁天様ですか

ピカピカの弁天様

しげしげと眺めていたら、「 ようこそ、お出でくださいました これをどうぞ 」

背後で男性の明るい声がして振り向くと、袈裟姿のにっこり笑顔の住職さん



住職さんから梵字の金ピカシールを頂きました

住職さんから、梵字が載ったキンピカシールを手渡されました 

胎蔵寺境内の石仏に貼れば悪い所が治り、十二支や七福神像に貼れば、

幸運に恵まれるんだとか。 ははん・・・どうりで。

幸運なら既に、境内で由緒を見た時に頂きましたけどねー 

でも折角だから自分の干支にペタ、視力が落ち気味だから石仏のお目々にペタ、

あとはお土産に持って帰ろ~っと








気の済んだまーりたん一味を認め、「 では、コチラへどうぞ 」と住職さん。

案内されたのは災払いのお祭り・修正鬼会( しゅしょうおにえ )で観た事のある

耳の大きな赤鬼面が鎮座する この御堂で、赤鬼面の前に立つよう言われ・・・

修正鬼会面の前で住職さんが晒しを巻いた尺で背中を叩き祈祷して下さいます

御堂の奥から丸顔にメガネがお似合いの住職さんが、これまたにこやかに登場。

御歳の頃は60代前半でしょうか。 境内へわざわざ出てきてキンピカシール

手渡しながら丁寧に説明をして下さった上、ホテルマンの様な物腰でこの御堂へ

案内して下さったやや若い住職さんと、くすっと笑える掛け合い披露された後、

「 はい、それでは合掌して下さい。 では、行きますよ~軽くですからね 」と

さらしを巻いた大きな杓で、背中をビシバシ叩かれるサービスを受けました








「 はい、大丈夫です 」 住職さんお二人から何かしら太鼓判を押され 

何なんだ、胎蔵寺って・・・ そんな思いを胸に、わけのわからない状態のまま

笑顔で見送られながら石段を降り、駐車場へ向かう途中、右手にこんな看板が

とにかく本当に面白かったです!熊野磨崖仏と胎蔵寺参詣♪

熊野磨崖仏と、山頂の熊野神社を拝観して、鬼が築いた石段を下るときに、

【 お帰りの際は国東一のパワースポット胎蔵寺へ是非お立ち寄り下さい 】

って書かれた看板を目にしたので寄ったんですが、今こんな事になってるの

由緒正しい六郷満山寺院で、敷居がやや高い感じがしていた胎蔵寺がねぇ

“ テレビ、雑誌で有名な ” の言葉には、ちょっと引いてしまうけど・・・

住職さんの親切丁寧で、真心を感じるサービスは本当に楽しくて心が和んだし、

ビシバシサービスに意表を突かれ、確かに とにかくおもしろかったです 







そうだ鬼が築いた石段のご紹介がまだでしたね

赤鬼の築いた石段の話(熊野磨崖仏解説板)

熊野神社へ続くサメの歯みたいな石段は昔、田染地区で悪さをしていた鬼が、

熊野権現様と知恵比べをして、一夜で99段まで築いたものだそうです

下って来る熟年ご夫婦に「もう少しですよ」と励まされました♪

鬼の石段の余りの険しさに完全に腰が引けた状態で、手すりに巻きつく様にして

上っていたところ、気の毒に思ったのか、前方から降りてくる熟年のご夫婦から

「 もう少しですよ、頑張って下さい 」と笑顔で励まされました。良い人ばかりだー







で、先日、そんな熊野磨崖仏探訪記事をつらつらと書いてみたら

中津城主・黒田如水公の御領地 豊前育ち繋がりで仲良くなったブロ友さんから

「 まーりたんさん、胎蔵寺に寄りましたか 凄いお寺なんですよ~ 」とゆー

コメントが届き胎蔵寺の公式サイトも教えて下さいました 

コチラです 胎蔵寺ご案内~大分国東のおもしろ観光スポット

彼女のコメントを読んでびっくり、胎蔵寺のHPを観て更にびっくり




胎蔵寺は、別府市の浜脇と大分市の古国府にも分院があるようですから、

はるばる国東半島まで行かなくても、霊験は頂けそうですよ

2014年は更なる躍進をはかりたいというアナタ、参拝なさってみては






あっ あと一時間で軍師・官兵衛 第二話が始まります

BSプレミアムにチャンネルを合わせ、テレビの前で正座にて待機待機

それでは、今回はこれにて失礼つかまつる~








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明日は早朝より出かける予定なので、コメレス遅れます。 ご了承下さい



2014/01/12(日) 17:06 | コメント:8 | トラックバック:0 |


ぽかぽか陽気のお正月から一転、今週末の日本列島は寒波襲来で

とんでもなく冷え込みそうですね 年末年始の疲れも心身に出やすい時です


熊野磨崖仏(心和む豊後高田田染の風景)

今回は、年明け3日に訪ねて来た大分県の国東( くにさき )半島、豊後高田市

田染( たしぶ )に在る熊野磨崖仏のご紹介など、のんびりとさせて頂こうかなと

思います 田染は、田染の庄と呼ばれていた平安期から鎌倉期にかけての

中世集落や水田の形態が現存している地区として、ちょぴり有名なんですヨ

のどかな仏の里の風景 お時間の許す限り、ほっこりとお楽しみ下さいませ



笑ってるみたいな熊野磨崖仏・不動明王像

ふくよかで、微笑んでいる様にも見えるコチラの仏様は、熊野磨崖仏の顔

不動明王像です。 御不動様といえば、カンカンに怒った鬼の形相で 凄~く

おっかないイメージですが、熊野磨崖仏の御不動様は超なごみ系なんです



熊野磨崖仏・大日如来像

なごみ系の不動明王様の右隣は、思慮深げな面持ちの大日如来像

頭部の背面には、円い光背も刻まれています

徳の高いお顔で、年末にWOWOWで観た聖おにいさんに見えてきた






カメラを引いてみるとこんな感じ 曇り空だったので白くとんじゃってますが、

左手にようやく熊野磨崖仏!

不動明王像( 左 )の総高は8m。 大日如来像( 右 )の総高は6.8m。 

不動明王の両脇には童子像、そしてここは紀州熊野神社から分霊した社の境内

なので、家津美御子( けつみみこ=スサノオ・阿弥陀如来 )と速玉( はやたま=

イザナキ・薬師如来 )の二神が御不動様右脇の龕( がん )の中に彫られてます

これらの石仏群が国指定史跡・熊野磨崖仏で、国の重要文化財です

夫須美( ふすみ=イザナミ・千手観音 )は、残念ながら欠損のモヨウ



熊野磨崖仏・不動明王像と休憩中の参拝者

現地解説板によれば、熊野磨崖仏は藤原末期に彫られたものと推定されている

様ですが、一方では全国八幡社の総本宮である宇佐八幡の化身・仁聞菩薩が

養老2( 718 )年に創ったという伝説も残り、悠久のロマンがあります






ところで、国宝・臼杵石仏を始め、石仏がやたらと多い事でも知られる大分県。

なかでも自然の岩盤に仏様を彫った熊野磨崖仏など、磨崖仏と呼ばれるものは

県内に400体ほどあるらしく、これは全国の約八割に相当するんですって

新人物文庫・大分県謎解き散歩によれば、平安時代後半の11~12世紀頃に

国東を中心に仏教文化が花開いたことに加え、太古の阿蘇山噴火で堆積した

溶結凝灰岩が、コンクリート並みの強度で加工しやすかったからだとか

それだけに軟質で風化しやすい臼杵石仏の60体ほどが、千年の時を超えて

現存しているのは、やはり奇跡的。 説明がつかない事も、世の中には沢山 


鬼の石段・もう少し登ります

熊野磨崖仏から、鬼が一夜にして築いたと云われる石段へ再び戻り、山頂へ

うっかり苔に足を滑らせ尻餅をついたら突き刺さりそうなこの乱積石段を

命からがら上ってきたんですよ 派手にコケて後頭部でも強打しようものなら、

そこはヘブンズゲート スリル満点、修険道の山伏気分が味わえます、マジで







紀州熊野からお迎えしたという熊野権現( 家津美御子・速玉・夫須美 )様が

祀られた神社に、すっ転ぶこと無く無事到着しました

鬼の石段を登りきると熊野神社がありました

参拝をした後、御線香と束ねられた蝋燭を一本頂いて、静かに火を灯します。

東日本大震災から半年ほど経った時、瀬戸内寂聴さんがテレビの青空説法で

仰っていた 『 定命( じょうみょう ) 』 について少しの間、考えてみたりして




人は皆、生まれた瞬間から、この世に居られる時間が決まっているんだそうです。

自分の定命タイムリミットは或る日、予告もなく突然やってくるかもしれない。 でも

その時に 「 沢山の経験ができて本当に楽しかった~、ほなさいなら 」 と

笑顔で言える人生を過ごせるよう頑張ろうと、まーりたんいつも思うのであります。







お参りを済ませたら、今度は鬼の石段を麓まで下ります。 しかし・・・ 

一番上に到着。見下ろすとやっぱり怖!

怖っ だけど、登ってきたんだから降りるしかないか・・・。








次回は、熊野磨崖仏名物鬼の石段伝説と、国東一のパワースポットとして今

噂になっているらしい( まーりたん知らずに来たんですが、看板を見てびっくり

六郷満山の寺院・麓の胎蔵寺をご紹介させて頂く予定です


豊後高田市田染平野・熊野磨崖仏(登り口)


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2014/01/09(木) 19:14 | コメント:13 | トラックバック:0 |
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