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まーりたん

Author:まーりたん
大分県で暮らす四十路主婦
“ まーりたん ” の
ブログへようこそ(*^^*)♪

日々を彩る ちょっと素敵な
出来事を我が家の笑導犬?
マンジ君と楽しくお届けして
ます。目下、郷土史に夢中♪
心躍る探訪をご一緒に。

臼杵の富士甚醤油マスコット
キャラ・とっくりこだぬき君が
仲間入りしてからは、嬉しさ
余ってマンジ君の“ 悪がね ”
ぶりもますますエスカレート。

そんなふたり(2匹)の様子も
併せてお楽しみ下さい(*^^*)

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大分県中津市と福岡県とを隔てる山国川上流の岸辺に、垂直にそびえる

鋸歯状の奇岩群。 明和4( 1767 )年、江戸浅草寺の金龍和尚さんが、

この岩峰を 競秀峰( きょうしゅうほう )と名づけ、文政元( 1818 )年に

来渓した 頼山陽( らいさんよう )翁が、耶馬渓図巻にて 世に紹介しました。 

以来、競秀峰は 耶馬渓( やばけい )第一の名勝として知られています

禅海和尚が挑み福澤諭吉が守った名勝・競秀峰

また、明治27( 1894 )年には、中津市へ帰省していた福澤諭吉が

競秀峰の一部が売りに出されている事を知り、樹木の乱伐などによって

景観が損なわれることを危惧 私財を投じて3年がかりで競秀峰一帯を

買い占めます。 諭吉の行動は、市民環境保護運動の先駆けと云われ、

競秀峰は ナショナルトラスト運動発祥の地なのだそうです










競秀峰登山会のパンフレットによれば、約1キロに亘る競秀峰の奇岩には

北( 下のイラスト・左 )側から、一の峰二の峰三の峰恵比寿岩

鬼面岩妙見岩大黒岩等々、それぞれ名前も付けられておりまする 

頼山陽が耶馬溪図巻にて世に紹介した競秀峰

でもって、競秀峰の裾に沿い途切れ途切れに続くトンネルが、今回ご紹介

させて頂く 禅海和尚さん手掘りの青の洞門( あおのどうもん )です









さて、そんなまーりたんは今、どこに居るのかといいますと・・・

青の洞門・競秀峰登山口の共同駐車場上に架かる 青の禅海橋

青の禅海橋の上に居ます♪

禅海( ぜんかい )和尚さん、見っけノミと槌で洞門掘削中の図です。









絶好の競秀峰ビューポイント青の禅海橋を渡った対岸には、

レストハウス洞門レトロなロゴに吸い寄せられるように入店

青の禅海橋を渡ったレストハウスで資料入手

中津観光に役立つ無料パンフレットやイラストマップも充実してます

まーりたん、資料としてゴッソリ頂戴して帰りました









再び青の禅海橋を渡り、青の洞門・競秀峰側へ戻ります

青の禅かい橋の下は山国川の自然水族館です

青の禅海橋の袂は、山国川を利用した自然水族館になっていて

秋の陽光が降り注ぐ中、鯉やアヒルくんが気持ちよさそうにスイスイ 











お待たせしました 

それではいよいよ 青の洞門へご案内しま~す

禅海和尚手掘りの洞門へ

今からおよそ270年前、禅海和尚さんによって競秀峰の裾にトンネルが

掘られる迄は、宇佐の樋田( ひだ )方面から、中津の青( 本耶馬溪町 )へ

抜けるには、競秀峰中腹に拓かれた鎖渡しと呼ばれる崖道を通らなくては

ならなかったそうです これがなかなかの難所で、足を踏み外しては

断崖絶壁から直下の山国川へ滑落する人馬が後を絶たなかったのだとか。


前方右手に見える階段を降りると洞門入口

車道脇の階段を降りた場所が、禅海和尚さん手掘りの洞門入口です。



階段から眺める山国川の流れと青の禅海橋

禅海和尚さんハンドメイド洞道は、山国川の水面とほぼ同じ高さのため、

改修工事後の現在は、車道の下に潜り込む形の 半地下トンネル風。 

禅海和尚と青の洞門物語・始まり始まりです♪

では、耶馬渓・青の洞門物語とともに、洞道探検と参りましょうか








江戸時代中期のお話です

幼い頃に相次いで両親を亡くした越後国高田藩士の子、福原市九郎

( 後の禅海和尚 )は、浅草田原町の旗本、中川三郎兵衛のもとで

雇われ人として働いていましたが、主の妾( めかけ )にそそのかされ、

ある日、主の三郎兵衛を殺めてしまいます。 江戸を逃げ出した市九郎は

慈悲深い住職のもとで僧・禅海となり、贖罪行脚の旅に出たのでした





九州は宇佐八幡宮に参拝し、続いて樋田から中津の羅漢寺へ向かうため

耶馬渓に差し掛かった折り、青へ抜ける鎖渡しの話を耳にした禅海は

意を決し、高くそびえる岩山( 競秀峰 )の裾で独り、のみをふるい始めます。






( ノミの痕が今も生々しく残る洞道  欠損した壁は補修されてます )
のみの痕が今も残る洞門内部(右側の壁)欠損部は補修


みつき経ち、半年が過ぎ、髭も髪も伸び放題。 雨が降り、雪が積もり、

季節が巡っても、経を唱えながら 唯ひたすらノミをふるい続ける禅海の頬は

既にこけ落ち、ぼろ布の様な姿に。 村人達は気味悪がり、子ども達は嘲り

石を投げ、それでも禅海は手を止めることなく掘削を続けるのでした 

更に洞門の内部へ・段々暗くなりカメラ限界
( 青の洞門内部。 光が届かなくなりカメラ限界 )






18年が過ぎ、禅海の掘削する穴が少しずつ洞道の形を成してくると、

この坊様は立派なお方だ 」 「 加勢させて下さい

村人が一人、また一人と集まり、禅海を手伝うようになりました。

それから更に8年が過ぎたある日、一人の武士が禅海のもとを訪れます。

奥で穴を掘っている僧の名は禅海ではないか?

岩屑を運び出していた村人が頷くと、武士は刀を手に岩穴へ駆け入り

禅海に突き付けて言いました。 「 父の仇!覚悟せよ





この武士は、禅海が殺めた主・中川三郎兵衛の子、実之助だったのです。

当時は3歳の子供でしたが、13歳の時に父が死に至った話を聞かされ

敵討ちの為に27歳まで諸国を巡り剣の修業をし、福岡城から中津城へ

来た折、市九郎とおぼしき僧がここにいるとの噂を聞きつけたのでした。







お父上の命を奪った罪に、この40年間私は苦しみ続けてきました。

岩壁の掘削作業は、その罪の償いでもあったのです。 

無論、これで許されるとは思っておりません。

しかし、あと少しでこの洞道は開通し、村人たちは難所を通らずに

済むようになります。 どうかもう少しだけお待ちください。 

青の洞門が開通したら、私は喜んであなたに討たれましょう



禅海は実之助の足元に手をつくと、深々と頭を下げ、懇願しました。

この崖っぷちから滑落する人馬を見て禅海和尚は一念発起します
( この崖っぷちから滑落したらひとたまりもなさそう・・・







石工の頭領の説得もあって、実之助は洞道の完成まで庄屋の家に留まり

禅海を見張る事にしました。 既に60歳を超え、痩せ衰えていた禅海ですが

これまで以上にノミをふるう腕に力を込め、開削作業に励むのでした。

青の洞門は途切れ途切れ続きます
( 半地下から地上へ。 青の洞門は、途切れ途切れに続きます )






( そして再び半地下状の洞門へ降ります。 ここには確か・・・ )
再び階段を降りて洞門内へ


( 居ました!身なりも栄養状態も特に問題なさそうな禅海さん像です
あっ、禅海和尚さんだ♪で、陰の落ちている当たりが堀り違えたところだそうです


( 右奥の角は、掘り間違えた箇所なのだとかアナログで素敵です
あの角のついてゐるところが堀りちがひをしたところであります

一日でも早く父の仇をとりたい一心から、実之助もいつしか禅海の隣で

掘削作業を手伝うようになっていました 何度も血が滲んでは固まり、

干からびた土塊の様な手になってもなお、黙々とノミをふるう禅海を日々

目の当たりにするうち、実之助は心の変化を覚え始めます。 




禅海が一心不乱に打ち続ける槌の音には、不思議な穏やかさがあり、

実之助は、そこに禅海の真心を見た様な、そして寛容で偉大な父の姿を

重ねたのかもしれません。 禅海への憎悪が少しずつ癒され、小さくなって

いくのを感じた実之助は、洞道を開通させることだけに専念するのでした。




禅海さんが開けた明かり窓はアレでーす

実之助が来てから3年が過ぎ、禅海が洞門の掘削を始めてから30年目の

ある秋の夜更け、禅海が打ったのみの先に赤子の拳程の小さな穴が開き

そこから青白い光が差し込んできました 穴の向こうには月影を映した

山国川の豊かな流れ。 禅海は獣がうめくような声をあげ、涙を流しました。

埃泥まみれの頬に白い帯が幾筋も出来ては、月明かりに溶けて行きました。

禅海さんが開けた明かり窓から山国川を臨む
( 禅海さんが開けた明かり窓から山国川の流れを臨む





中川様、ようやく青の洞門が開通しました。 

これで人々はあの鎖渡しを通らずに済みます。

さあ、どうぞ私をお討ち下さいませ



禅海は、実之助を真っすぐに見つめると深く首を垂れました。

実之助は、乾土の様な禅海の手を取り、しっかりと握りしめると 

何も言わず、実之助もまた同様に、幾筋もの涙を流すのでした。






こうしておよそ30年もの歳月をかけ、禅海和尚がノミと槌だけで掘りぬいた

342メートルにも及ぶ青の洞門は開通し、人々は危険な鎖渡しを通らずに

安全に行き来できるようになったのです。      おしまい 

青の洞門いかがでしたか?

大分の民話と菊池寛さんの小説を参考に、まーりたん節も盛り込んでの

禅海和尚と青の洞門物語、愉しんで頂けたでしょうか

禅海さんが発起人となり、ノミと槌だけで30年かけ掘り抜いたトンネルには

違いないのですが、実際のところ 禅海さんは広報活動を兼ねた托鉢なども

並行して行って掘削の資金を集め、それで石工を雇い、トンネル工事を

完成させたそうです。 更に、開通後は通行人から通行料を徴収していた

らしく、青の洞門は日本最古の有料道路と云われています。 

禅海さん、ちゃっかりしてますネ





あっ、そうそう 禅海さんが人を殺めた部分は、大分の民話にも、

菊池寛さんの 『 恩讐の彼方に 』 にも描かれていますが、創作です。

禅海さんが出家した理由は、両親を相次いで亡くしたショックだったとか。

したがって、青の洞門の掘削も贖罪の為ではなく、純粋に困っていた人々の

助けになろうと頑張ったわけで、どちらにしても立派なお坊さんなのです





 





●参考:中津市役所発行 『 中津市勢要覧2009~ススメ薦・奨・勧・進 』

偕成社発行・大分県の民話 ( パノラマ写真で見る大分県 民話や伝説 )

中津耶馬溪観光協会発行 『 歴史と文化息づく緑と渓谷の町・本耶馬溪 』

中津耶馬溪観光協会発行 『 青の洞門・競秀峰探勝道マップ神秘の古道 』

菊池寛 『 恩讐の彼方に 』   ウィキペディア 『 禅海 』








本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

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2012/10/09(火) 19:00 | コメント:9 | トラックバック:0 |

耶馬渓イラストマップを手に、国道212号線を 地図左下の 柿坂地区から

光円寺 ご住職お奨めの唐揚げ屋さん2軒めを目指し、緩やかに北上中

光円寺の住職さんから頂いた耶馬渓マップ

やばの駅を過ぎた辺りで再度マップに目をやり、ふと心に留まったのは 

栃木という地名 この先には九州平定後、豊臣秀吉に退去を命じられて

挙兵するものの、黒田氏の奸計により滅ぼされた豊前の地頭一族18代目で

城井( きい )城主宇都宮鎮房氏に縁あり気な名を持つ神社や小学校も





もしかすると中津市耶馬渓町の中に今も残る 栃木という地名は、諸説では

豊前の地頭・宇都宮氏の出所とされる 栃木県宇都宮市に由来してるとか

ナンチャッテ郷土史研究家 まーりたん説ですので、頼りにはなりませんが

それでも思いがけず、また一つパズルピースがはまった感じで少し嬉しい






ただいま 城井( きい )小学校前を通過中

城井小学校前を通過

合元寺事件で幕閉じとなる官兵衛・長政親子の宇都宮氏鎮圧について、

黒田官兵衛の大河小説 播磨灘物語の中で、著者の司馬遼太郎先生は

『 戦場での仕事をなりわいとしているくせに、人を殺す事を好まなかった

官兵衛にとって、生涯の汚点と言っていい 』 と綴られてます





才覚があり、人格者としても知られる官兵衛くんとはいえ、戦国時代だし

例外は無いのかななんて思いつつも、それがずーっと引っかかっていて、

ついに 明野まつりの日、紀伊國屋書店に入り浸り、まーりたんの後ろを

何度も通り過ぎる おのこの視線を背中に受けながら、そのテの話が

書かれた本を読み漁りました。 相方はゴルフ書のコーナーで同じく熟読





そうしたら、結構あるもんですね色々と諸説が 

ある本では黒田官兵衛と秀吉の共謀説、またある本では 黒田長政が

父・官兵衛からの 「 鎮房以外は送還する様に 」 との命令を聴き入れず

ワンマン鎮圧、やむなく官兵衛くんも息子に協力する形になった
とか。 

同様に豊臣政権樹立への反発から肥後で起きた一揆を鎮圧できず、

秀吉さんから厳罰に処せられた佐々成政公の二の舞を避けるためだとか。

面白いのは 秀吉さんの名門コンプレックスに起因しているという説。






地頭・宇都宮鎮房の始祖は、藤原道兼の曾孫説が有力なんだそうです。

宇都宮氏と同様に藤原氏の流れを汲み、初代が源頼朝の命で豊後守護に就いた

大友宗麟耳川の戦い後、直々に秀吉さんの傘下へ入る事を申し出たにも

関わらず、九州5か国を没収。 挙句には、秀吉さんの朝鮮出兵の際、宗麟の

息子で22代目の義統が、敵の前から逃げた事を理由に本領・豊後も奪います。 






その点、支城の家老職から才覚と人望のみで這い上がった黒田官兵衛を、

秀吉さんは恐れる一方で くゎんと呼んで頼り、弟の様に可愛がり、また

秀吉さんの朝鮮出兵に気乗りしなかった官兵衛くんのエスケイプ事件

官兵衛の息子・黒田長政の武功に免じて赦したと言います。

こうした類の事が、この日購入を決めた本 小和田哲男さんのミネルヴァ

日本評伝選 臣下百姓の罰恐るべし・黒田如水
に記されてました





本のタイトルでもある 臣下( しんか )百姓の罰恐るべし

これは黒田如水( 官兵衛 )が息子の長政へ遺した黒田家心得の一節で、

臣下( 主君に仕える者 )や 百姓( 民衆一般 )からの罰は免れ難い。

臣下百姓に疎まれれば、国家を失うことになる
” という意味合のもの。





民衆一般属の まーりたんは正に、官兵衛くんの仰る通りだと思います。

今、日本のトップにいらっしゃる方々も、そう思っていて欲しいなあ、なんて。











光円寺ご住職お奨め唐揚げ屋さん、2軒目に無事到着しました

耶馬溪町戸原・からあげくりちゃん

中津市耶馬渓町 戸原地区にある 『 若鶏からあげ・くりちゃん

営業時間は、11時~19時。 定休日は水曜と、お正月3ヶ日










串に刺して売ってる唐揚げも美味しいんですよ 」 

確か、住職さんがそう言ってたような・・・あっ、これかしら

からあげくりちゃんでは砂ずりと骨なし♪

砂ズリ串からあげ 1本50円 焼き鳥サイズって書いてます 

2本もらおうっと あと骨なし唐揚げも200g下さ~い












じゃん 若鶏からあげ・くりちゃんの 砂ズリ串からあげです

国道212号線もまだ片側通行の箇所があるものの、手旗誘導してくれるし

信号もついてます 県道の片側通行箇所は、かなり怯みましたけど

光円寺の住職さんお奨め・くりちゃんからあげ

一口食べてみて、しっかり滲みこんだ下味とスパイシーさにびっくり

ごりごりと歯応えもなかなか これはビールのお供向きです~








天正7( 1579 )年10月16日。 冤罪で一年余り有岡城の牢獄に幽閉

されていた当時34歳の黒田官兵衛を肩に担いで救出した、という

黒田家重臣 栗山四郎右衛門利安( 幼名・栗山善助 )が城督を任され、

その息子 栗山大膳利彰も生れ育った 平田城址

若鶏からあげ・くりちゃんから程ない場所にあります 

( トップ画像の耶馬渓マップ右上をご覧ください

屋号の くりちゃんは、やっぱり 栗山善助さんに因んでるのかな






もしそうだとしたら、柿坂地区の おきなといい、さすが光円寺の住職さん

郷土史絡みの屋号を持つ唐揚げ屋さんを 押っさえてるぅ~

またもや謎が解け、パズルのピースがいっぺんに2個はまった気分




 




耶馬渓の有名観光スポット菊池寛の小説でも知られる青の洞門です。

本耶馬溪・青の洞門に到着

こちらを観光&ご紹介してから、中津からフェス会場へと向かいたいと

思います というわけで、続きは次回に・・・ あっ、くりちゃんの

骨なし唐揚げを ほうばろうとしてたら、もう駐車場に着いちゃった

くりちゃん唐揚と青の禅海橋

くりちゃんの 骨なし唐揚げは粒子の細かいサクサク衣で、竜田揚げ風。

仄かに甘~いカップケーキみたいな香りも。 スナック系の唐揚げかな

砂ズリ串とは対照的に下味は控えめ。 お肉はとても柔らかいです





次回は、フロントグラス越しに見えてる青の禅海橋から臨む 競秀峰

その下を貫くハンドメイドトンネル・青の洞門をご紹介する予定です

今度こそホントに、次回へ続きま~す









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2012/10/05(金) 18:17 | コメント:6 | トラックバック:0 |

「 あっ、あれは リュリュママさんが送って下さった舶来品のクッキー

光円寺の住職さんから頂いた双葉堂のビスマンまで独り占めしてる

今夜美味しいお茶と一緒に、皆で仲良く頂くお菓子だよ、マンジ君

あっ、あれはリュリュママさんに頂いたクッキーだ!

リュリュママさん、先日は素敵な贈り物をありがとうございました

こんなカタチでのご紹介になり、スミマセン













「 ソファの背に隠れて何をしているかと思えば、またイタズラだ。

まーりたんさんに見つかったら大目玉なのに、懲りないよなあ・・・

今日という今日は言おう。厳しさも友情だ!

「 もしかするとマンジ君は鳥頭なんだろうかワンちゃんだけど... 」














「 ようし、ともかく今日という今日はマンジ君にお灸をすえるぞ。 

厳しさも友情だ

手荒なマネはしたくないけれど、僕にとっての戦でもあるんだ

「 手荒なマネはしたくないけど、マンジ君の親友である以上、心を鬼に。

これは僕にとっての戦でもあるんだ














マンジ君、召し獲ったり

マンジ君、召し獲ったり!

「 まーりたんさんのネジネジを拝借しての投網作戦、大成功だ













あっ、捕まったのはマンジ君じゃないぞ

あっ、マンジ君じゃない!

「 誰だい君は とぼけた感じはマンジくんと少し似てるけど














それは影武者ニャ~のだ 甘いニャ、こだぬき君 」

それは影武者ニャ~のだ♪甘いニャこだぬき君

「 まっ、マンジ君、いつの間に・・・











ちょっと




私のネジネジで何遊んでるの こだぬき君


こだぬき君、しっかりして頂戴ね!

イタズラ好きなマンジ君と一緒に居るのは

大変だろうけど、こだぬき君までマンジ君の

悪影響を受けてどうするの・・・ 











ホントにもぅ、

しっかりして頂戴ね、こだぬき君


こだぬき君にイクサは似合わニャいのだ

こだぬき君にイクサは似合わニャいのだ














ということで、ここは 格天井の光円寺から 中津城方面へ更に北上した

国道212号線沿いの 本耶馬渓( ほんやばけい )町

柿坂地区
のバス停 耶馬渓支所前です

中津市・耶馬渓支所前

中津市 耶馬渓支所 ” の看板下に見える黒い看板には、




擲筆峰( てきひっぽう )の景

山陽翁曽遊記念碑
”と書かれてます

柿坂の中心、町役場裏の山国川に臨み擲筆峰がある

ここは、江戸時代後期に耶馬渓を訪れた大阪生まれの漢詩人

頼山陽( らいさんよう )が、現在の耶馬渓支所裏から臨む風景

山国川の渓流と岩峰を見て、その余りの美しさに 表現することを諦め

筆を投げたという言い伝えから、擲筆峰の景と呼ばれています。





耶馬渓ン景色は、偉いシも おっとろしやっち

驚いて )、筆を投ぐるごと見事なんやら
」 




中津で暮らしていた頃、祖母からこうした擲筆峰の言い伝えを指すであろう

噺は度々聞いていましたが、その偉いシ頼山陽さんについては全く

知らず・・・ で、ウィキペディア頼山陽でちょっと調べてみたところ

『 幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーとなった

“ 日本外史 ” を主著 』 とありました。 頼山陽さんは、江戸時代後期に

活躍された歴史思想家であり、セレブな文人でもあったんですね








そんな 頼山陽翁に因んで付けられたであろう屋号の唐揚げ屋さん

おきな。 店舗は、バス停耶馬渓支所前から目と鼻の先。

光円寺の住職さんオススメの唐揚げ屋さん、1軒めに到着です

光円寺住職さんお奨め唐揚げ店・耶馬溪町柿坂おきな

おきなさんの営業時間は、9時~19時。 火曜が定休です。

メニューは、若鶏からあげ骨付きと、砂ずりの唐揚げ串のみですが、

店構えから地元密着型の老舗と見えて、入れ替わり立ち代わりに常連らしき

お客さんがやってきます まーりたん一行は若鶏からあげを200g注文。 

今回の唐揚げ行脚は先が長い為、まずは一人当たり100gと少量で


耶馬溪柿坂・おきなのからあげ200g350円でした♪

油はねのパチパチという音に郷愁と癒しを感じつつ、待つこと数分

出来上がりましたおきなさんの 若鳥からあげ骨付き200g 350円也。

にんにく醤油の滲みこんだ中津からあげの代表選手・からあげ大吉さんの

唐揚げを基準にすると、おきなさんの唐揚げは、お醤油の香ばしい匂いが

しっかり漂ってくる割には、衣の色は薄め。 中津唐揚げは冷めても美味しい

けれど、アツアツの揚げたてを食すのが流儀なのです なんちゃって









まいどありなのだワン ” 

まいどあり♪おきなのワンちゃん・眠そうに見送ってくれました

おきなさんの看板ワンちゃんが、ショボショボ眠そうに見送ってくれました。

かなりのご高齢とお見受けします 元気で長生きしてね










早速、車中でパクッ 骨片が混じるブツ切り肉です、ワイルド~

おきなの唐揚げ(骨片が入ったブツ切りです)

少々食べ難さは感じるものの、骨なし唐揚げに比べ旨みは格段にアリ

味は、どちらかといえば醤油よりも塩味メインの あっさり系かしら。

赤いつぶつぶは一味ですね、ピリッとして一層、食欲をそそられます

耶馬渓の唐揚げ、美味しい











光円寺住職さんオススメの唐揚げ屋さん、2軒めを求め国道212号線を更に

北上 耶馬渓支所を過ぎた柿坂地区の交流プラザ施設 やばの駅がある

場所は、今年7月初めの北部九州豪雨災害で水没したエリアです  

やばの駅・北部九州豪雨では看板辺りまで水没

やばの駅の黄色い看板の下スレスレを、濁流がごうごうと流れる

映像が全国ニュースで繰り返されましたので、記憶に残っている方も

いらっしゃるのではないでしょうか。 ご覧の通り国道は復旧しているものの、

やばの駅に入っていた飲食店や雑貨屋さんは、移転・再開になるとか・・・。

やばの駅には 肉のはねという屋号の唐揚げ屋さんも入っていました。 

どうぞ充分な補助が受けられ、早く再開できます様お祈り申し上げます






次回は、光円寺ご住職オススメの唐揚げ屋さん2店舗目です

どうぞお楽しみに







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2012/10/03(水) 18:21 | コメント:6 | トラックバック:0 |

元和元( 1615 )年、大阪城が落城し、豊臣家が滅んだ大阪夏の陣。 

そのさなか、豊臣秀吉の遺児・秀頼を護衛し、大阪から瀬戸内海を渡って

大分県へ落ち延びたとされる伝説の武将 後藤又兵衛基次さんのお墓へ

念願のお参り達成  その後で立ち寄ったのは、県道702号線を

中津城方面へ少し北上した場所に在る 浄土真宗の古刹 光円寺 

浄土真宗・光円寺

このお寺の本堂には、大分県立先哲資料館の常設展示コーナーで、

近世の先哲10人に数えられている竹田出身の日本画家 田能村竹田や

日田出身の教育者 広瀬淡窓などが手がけた 江戸末期の天井書画230枚程

( 有形文化財 )が収められていて、格天井の光円寺としても知られます


光円寺格天井書画について(解説板)

以前、別府湾サービスエリア玄林館で入手した 中津耶馬渓観光協会発行の

大分県中津市まち歩きコースブックで 光円寺の格天井のことを知って、

機会があれば是非、拝見したいと思ってました 今回はチャンスだゾ  

それにしても、楼門の年季の入り具合から相当な古刹ではないの

解説板を読むと、建立は何と454年前の 元禄元( 1558 )年

大友宗麟公がまだ義鎮( よししげ )公と呼ばれていた28歳の時じゃないの

中世の郷土史にどっぷりハマっているだけに、益々興味が湧いてきます








文政二( 1819 )年に再建され、今に至る 光円寺の本堂。 

文政二(1819)年に再建された光円寺本堂

築193年です。 

ひとの気配が無く、引き戸も閉まっていたため、擦りガラスと鴨居の間の

透明ガラス部分から、どうにかして天井書画が見えないものかしら

腰をかがめたり背伸びをしたりして覗いていたところ...( 明らかに不審者


あら。 今、お堂を開けますね。 どうぞ中へ


住職さんの奥様らしき女性が、本堂左手のお縁づたいにニッコリ笑顔で現れ

( そういえば左側にお宅が隣接今頃写真を見て気づくなんて )、


あっ、勝手にすみません お邪魔してます 」


最初は毎度のパターンで、まーりたん一行は恐縮しつつ本堂の中へ。

外にお賽銭箱があったら入れようと思い、掌に握り締めていた百円玉を

本堂内お賽銭箱に入れて手を合わせ、笑顔の奥様に見守られながら

格天井の書画を眺めていると、続いて住職さんも朗らかな笑顔で、

しかもカジュアルスタイルで颯爽と登場 

アラフィフかしら?お二人ともお若いです


光円寺格天井書画(現地解説板より)
( 光円寺の天井書画・撮影は原則として出来ません。画像は現地解説板より )





ところで今日は大分市から、わざわざ格天井を見に

耶馬渓の山奥まで、お出でになられたんですか?




お寺の歴史と天井書画についての解説をひと通り話して下さったあとで、

少し不思議そうな表情の住職さん。 住職さん、まーりたんはイタズラ狸や

河童ではありませんよ で、ここは正真正銘の?人間であることを証明

しておかねばと覚悟を決めると、ウチのダンナさんの心配顔をよそに




「 実は、黒田官兵衛さんのファンで、今日は

黒田二十四騎・後藤又兵衛さんのお墓を探して

伊福の里へ来たんです、先程お参りも済ませました。


その後で このお寺の前を通りかかって、書画の事を思い出して・・・




少々尻窄み気味にはなったものの、正直に潔く話してみるものですね~ 




そうだったんですか、 それなら 」 と、住職さんは

後藤又兵衛さんの肖像を見せて貰える民宿や、又兵衛さんを匿ったという

お豊さんに似た岩の事、そして格天井画の中に、又兵衛さんをイメージできる

絵がある事等々、又兵衛さん情報を大変好意的に、詳しくご教授頂き感激

光円寺の住職さんも、もしや戦国史好きなのかしら






あまつさえ それだけに留まらず、まーりたん達が中津の唐揚げに目がない

ことを知った住職さんは、「 少しお待ち下さいネ 」 と

何かひらめいた様子で、一旦お宅へ  その間、

入れ替わりに中学生位のお嬢さんがお茶とお菓子を出して下さいました





それから1分経ったか経たないかの内に、住職さんは耶馬渓のマップを手に

半ば駆け足で戻ってきて、耶馬渓地区でオススメの唐揚げ屋さんを2店舗

教えて下さいました そして、まーりたん達が、おいとまする時には、




また近くをお通りの際は、どうぞいつでも

お気軽にお立ち寄り下さいね




住職さんご一家は本堂のお縁から手を振り、笑顔のお見送りまで 

光円寺さん、有意義で素敵な時間を本当にありがとうございました









お土産に頂いたお饅頭 中津銘菓・双葉堂ビスマンです

光円寺で頂いたお菓子・ビスマン

郷土史ファンの皆さま、後藤又兵衛基次さんのお墓を訪ねられる折りには、

光円寺に立ち寄ると 耳より情報を入手できること間違いナシです 

この日は予定が詰まっていたために先を急ぎましたが、後藤又兵衛基次さん

縁の史跡はお墓を始め、この裏耶馬渓と玖珠エリアにはまだまだあります 

又兵衛さん史跡巡りツアー・リターンズ催行の際には、

光円寺住職さんのお言葉に甘えて、また是非お邪魔させて頂きます







最後に、記事の冒頭でも触れた 気になる光円寺の楼門について少し...。

住職さんのお話だと 196年前の火災で本堂は焼失、建て替えと

なりましたが、楼門だけは類火を免れ、焼けずに残ったと云います。 

ただ、建立年がハッキリしないほど古いものだとか・・・もしや現存 

しかしながら老朽化が著しく、今秋中に取り壊さざるを得なくなったとの事 

それまでに見る事ができたのも、幸運だったのかな 写真にも収めたし♪

天井書画で知られる光円寺


長くなりましたので、光円寺住職さんオススメの有難~い

唐揚げ屋さんのご紹介は、次回にしたいと思います








本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます

2012/10/01(月) 18:59 | コメント:6 | トラックバック:0 |

関西汽船さんふらわあが寄港する別府市の 国際観光港前を起点に

別府八湯のひとつ 鉄輪( かんなわ )温泉郷の地獄地帯を貫き、西は

長崎まで延びる九州横断道路( 国道500号線 )を只今、まーりたん一行は

日田湯布院方面へ向けて走行中 次の交差点を左折すると、同じく

別府八湯のひとつで、スギノイホテルが建つ 観海寺( かんかいじ )温泉郷。 

右折すれば、これまた別府八湯のひとつ 亀川( かめがわ )温泉郷です。 

九州横断道路を日田方面へ

本日は2012年9月23日( 日曜日 )。 時間は午前9時を廻ったところ

目指すは、第5回 中津からあげフェスティバルの会場・イオンモール三光。

いつもなら大分自動車道と宇佐別府道路を通り、つるっと大分方言です

中津市入りするのですが、今回はワケあってコチラのルートを選択








ブログを通して仲良くさせて頂いている京都在住の奥様で、

今年の夏、マイカーにて大分県の別府市へ家族旅行された ぱとさん

お子様が 「 抹茶アイスみたい 」 と、絶賛された お山

もしかすると、前方右側の 扇山( 太平山 )じゃありませんか

九州横断道路を奥別府・安心院方面へ

そんな美味しそうな扇山の麓に小さく見えている 坊主地獄の茶色い

看板の先を右折して、別府八湯・明礬温泉郷を抜け、宇佐市方面へ。








稲刈り間近の黄金色の田園風景がどこまでも続く安心院( あじむ )町。

( 稲刈り間近という事は、安心院葡萄酒工房の新酒祭ももう直ぐだワ

稲刈り間近の田園

院内( いんない )町に入ったところで、国道から 県道27号線へトランジット。

龍岩寺と岳切渓谷に挟まれた峠道を暫く走ると・・・ 









山の頂に不思議な形の切り立った岩が見えてきました

深耶馬溪を通過中

一目八景の秀峰で知られる深耶馬渓( しんやばけい )へ入ったみたい

場所的には玖珠郡 玖珠( くす )町寄りですが、もう 中津市です








おやおや、ここからの眺めもなかなかでゎないかい

深耶馬渓の七福岩

ウチのダンナさん曰く、この奇岩群は “ 七福岩 ” という名前なんだゾ、と。

ふーん七福神の姿かぁ、なるほどネ 中津育ちなのに知らなかった










気分よく再びクルマに乗り込んだ傍から、土砂崩れ現場に遭遇

土砂崩れ!!

おそるおそる通り過ぎ、さらに少し走ると・・・










今度は走行車線が塞がれてました

こちらも土砂崩れです!

とりあえず片側だけは通れる様になってますが、今年7月に起きた北部九州

豪雨被害の復旧工事、県道27号線はまだ充分に手が回ってない様子 

外灯も無い山奥だし、特に夜間、宇佐市 院内町方面から県道を通って

中津市内へ入るのは、暫くは危険だと思います お気を付け下さい










そんなこんなで宇佐市安心院の野畑を越え、院内の岳切渓谷を越え、

土砂崩れ多発地帯の峠道・県道27号線を どうにか無事に走り切り

ようやく辿りついた最初の目的地 裏耶馬渓地区・伊福の里

裏耶馬渓地区・伊福の里

裏耶馬渓は、深耶馬渓地区の西隣に位置しています

同時にここは中津市の南の端っこで、玖珠郡玖珠町との辺境です。










切り立った岩山の間に、ぽっかりと拓けた のどかな山里の風景。

ぐるり見渡すと、道路脇の台地にお墓らしきものがポツンと建ってます。

のどかな風景の中にお墓らしきものが

きっとアレですね 

裏耶馬渓へのルートが復旧したら、一番にお会いしたかった人のお墓は










ほらね、やっぱりそうだった

後藤又兵衛(基次)さんのお墓へ
 
後藤又兵衛、諱(いみな)は 後藤基次( もとつぐ )。 

初代中津城主 黒田官兵衛孝高( 黒田如水 )と、嫡男で初代福岡城主

長政2代に仕えた戦国武将で黒田家重臣・黒田二十四騎の一人です

お墓が見えました

後藤又兵衛さんの実父は、織田信長の支配に反旗を翻したため 秀吉軍が

兵糧攻めにした三木城主・別所氏の家臣。 城主・別所長治に従って命を絶ち、

幼くして父親を亡くした又兵衛さんは、秀吉の軍師・官兵衛に引き取られます。





黒田長政と後藤又兵衛は兄弟の様に育てられますが、この二人はどーも

ソリが合わなかった様子 黒田如水公( 黒田官兵衛孝高 )が亡くなると、

後藤又兵衛さんは黒田家を出奔し、豊臣家直属の家臣入りを果たします。

後藤又兵衛基次の墓・解説板1


徳川家康が大阪城もろとも豊臣氏を滅ぼした大阪夏の陣で、又兵衛さんは

討ち死にしたとされてますが、一説によるとそれは影武者で、豊臣秀吉の

遺児・秀頼を護衛し、九州は大分県へ落ち延びたとも言われてるんです

後藤又兵衛基次の墓・解説板2


又兵衛さんは、関西汽船のルートでもある瀬戸内海を、大阪から大分県の

日出( ひじ )町( 別府国際観光港から少し北上した別府湾に面した町で、

豊臣秀頼の子 豊臣国松が養子に入り身を隠したとも言われる木下氏の

日出城址
もあります )へ渡り、秀頼一行には薩摩の島津氏を頼る様手配し、

大分県の日田で再会を誓い合った後、又兵衛さんは、かつて仕えた主君

黒田官兵衛ゆかりの地・中津へ向かいます そして山深い裏耶馬渓の

ここ 伊福の里に隠棲し、豊臣家再興のチャンスを待ったと言います。

後藤又兵衛さんのノボリと祠


しかし、豊臣秀頼が病死したとの知らせを受けた又兵衛さんは、失意の中

この土地で自ら命を絶ちます 最初、又兵衛さんのお墓は村人たちにより

建立されました。 が、荒廃したために伊福氏によって建て替えられ、

この土地の方々の手で、今も大切に守られ続けているのです。

後藤又兵衛基次さんのお墓


義に厚く武勇に長けていた又兵衛さんは、戦の司令塔としての才能にも秀で、

当時の武士達が信仰していた 太陽や月を神格化した摩利支天の化身と

噂される程の人物だったとも 墓石には、義又智光居士と刻まれている

様に見えます 名前がはっきり入ってないのは徳川家に遠慮をしたとの

説も。 けれど、義烈の、通称・又兵衛の、才智の、天体を表す

でしょうかね、まさしく伝説の又兵衛さんを指している様に思えました

後藤又兵衛さんのお墓(義又智光居士)

又兵衛さん、どうか安らかに

そして、ここまで無事に導いて下さってありがとうございます







後藤又兵衛さんのお墓から道路を隔てた山側斜面には・・・

又兵衛さんのお墓を振り返って


着物を纏った女性の彫像が建ってるんですが、もしかして

後藤又兵衛さんを かくまったという お豊さんかしら

伊福の里を見つめる女性の像(県道702号)


さらに、お豊さんらしき女性像の背後に見える民宿・渕の上さんには

又兵衛さんの肖像が所蔵されてるらしいのです

民宿・渕の上


この情報は、次に立ち寄った 光円寺の住職さんから聴いたので、

天井書画で知られる光円寺

肖像を見せて頂きに、引き返すことは残念ながら叶わなかったものの

( 民宿・渕の上は、彫像を撮影した際かろうじて写り込んでました )、

裏耶馬渓地区から玖珠町にかけての一帯には、又兵衛さんが使用していたと

いう食器類や、又兵衛さんが里の子ども達に勉強を教えていたとされる

教室代わりの洞窟など、又兵衛さんの体温すら伝わってきそうな貴重な品や

古跡が今も遺り、まことしやかな言い伝えが脈々と息づいているんです

興味のある方は、どうぞ探索なさってみて下さい










本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

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2012/09/26(水) 21:16 | コメント:9 | トラックバック:0 |

7月3日の大分県北西部豪雨ならびに、11日の豊肥水害で

被害を受けられた皆さま、謹んでお見舞いを申し上げます。

県外の皆さまには度々ご心配を頂き、心より感謝しています





大分市は今日も朝から雷を伴った激しい雨が降り続きました。

午前中には中津市の山国川と、日田市の花月川が氾濫。

福岡では柳川市の矢部川で堤防が決壊する被害が出たそうです。

路肩も弱くなっていると思います。

車を運転される方、どうかくれぐれもお気を付け下さい





大分県のホームページより、豪雨災害に関連する情報を

以下の通りピックアップしましたので、必要に応じてお役立て下さい。

( が付いたタイトルをクリックすると別窓で表示されます )





竹田市への災害救助法の適用について

災害援護資金の貸し付けについて

7月3日からの大雨災害に伴う義援金の受付について

災害被害者の方に対する県税の減免措置について

大分県災害被災者住宅再建支援制度について


※この他にもトップページにて随時、新着情報が更新されています。 

大分県ホームページ ( http://www.pref.oita.jp/ )






防災・安全安心情報より


大分県土砂災害インターネット提供システム

土砂災害危険度情報 状況図 ( 大分県内 )



市町村別避難所一覧 ( 大分県内 )




現在、避難の必要が無い地域の皆様も備えをどうか万全に


・停電に備えて懐中電灯や携帯ラジオを準備する。

・避難に備えて貴重品など非常持ち出し品の準備。

・断水に備え、飲料水を確保。

・浸水の恐れがある場合は食料品、衣料品、寝具など

 生活用品を2階あるいは高い場所へ移動させておく。
 


『 我が家の風水害対策 』 より抜粋







大分、熊本では、亡くなられた方が20名を超えたそうです。

これ以上の犠牲を出すことのない様、河川や土砂災害危険区域に

近づかないのは勿論の事、皆様出来る限りの対策を心がけましょう





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2012/07/14(土) 17:02 | コメント:5 | トラックバック:0 |

このたびの九州北部の集中豪雨により被災された皆様、

謹んで心よりお見舞いを申し上げます

また、大分県内の被害を心配してコメントを下さった皆様、

お忙しい中、温かなお気遣いを本当にありがとうございました





大分県では、ニュース映像等でご承知の通り、由布市は土砂崩れ、

日田市と中津市では河川の氾濫により、特に大きな被害がでました。 

大分市は今の処、お陰様で生活に支障を来す被害は出ていませんが、

空模様は今日も不安定で河川も増水しており、地盤も緩んでいるため

充分気を付けたいと思います。  皆様、ご心配をおかけしました






今日( 7月5日 )の大分合同新聞 朝刊からの情報です

大きな被害に見舞われた大分県日田市と中津市には現在、

避難所設置や炊き出しにかかった費用に関しては、

国と県から補助が受けられる災害救助法が適用されています。

日田、中津に災害救助法を適用

これを受けて、金融機関や保険会社でも柔軟な対応が執られており、

金融機関では預金通帳を喪失しても、本人確認ができれば払い戻しに

応じるほか、融資の迅速化や貸出金の返済等についての相談にも

乗って下さるようです。  生命保険会社では、申し出に応じて

保険料の払い込み猶予期間を最大6か月まで延長。 保険金などの

支払いも手続きを一部省略し、速やかに対処して下さるそうです


【 問い合わせ先 】 ( ※大分合同新聞掲載 )

生命保険協会県事務局 097-534-2130 

もしくは同協会広報部 03-3286-2714





豪雨で家財道具、貴重品等に被害が及んだ ご家族ご親戚、

お知り合いが中津、日田にいらっしゃる方、是非教えてあげて下さい。







県北集中豪雨で被災された中小企業についても低利融資など、

制度資金の適用対象となっており、特別相談窓口も以下の通り

設けられていますので、ご参考までに。


【 問い合わせ先 】 ( ※大分合同新聞掲載 )

県経営金融支援室 097-506-3226

県信用保証協会ほか各地商工会議所、商工会、

商工中金大分支店に設置。



桔梗の花

豪雨被害に遭われた皆様が少しでも早く、

通常の生活に戻れます様、心よりお祈り申し上げます








記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます


2012/07/05(木) 09:36 | コメント:15 | トラックバック:0 |
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