1185( 文治元 )年、源頼朝は背反した異母弟の源義経を捕えるため
朝廷の許可のもと、軍事ならびに警察権を持つ武士( 守護・地頭 )を
各国に設置

( 神奈川県 )の御家人で豊後大友氏初代となる能直( よしなお )でした。
後に到来する戦国時代に九州6か国を統治した宗麟の始祖です

今年の1月、大友氏遺跡体験学習館で頂いてきた資料によると


実際に下向( 豊後に移り住む )したのは大友氏3代・頼泰( よりやす )の
頃から。 大友氏初代・能直( よしなお )と 2代・親秀( ちかひで )は
当時、豊後南部を拠点に勢力を奮っていた豪族の大神( おおが )氏に
血縁者を養子として入れながら、徐々に力を固めて行ったんだとか。
資料では、戸次氏、挟間氏、田北氏、一万田氏が代表的な豊後大神氏流
として挙げられていましたが、ウィキペディア大神氏には更に、阿南氏、
臼杵氏、緒方氏、大野氏、稙田氏、朽網氏、大津留氏、橋爪氏、賀来氏、
野尻氏、三重氏、田尻氏、野津原氏、高千穂氏、高野氏、松尾氏、
太田氏などなど、豊後大神一族には37の氏があると記されてました。
「 あら、その姓の人なら知り合いにいるわよ


って方も多いのでは


前回の記事でご紹介させて頂いた佐伯氏も、もちろん例外ではなく
豊後大神氏流 戸次家の庶家( 分家 )と云われています。

高城川原の合戦で亡くなった大友家臣・佐伯惟真の墓標

大神姓の記を発見


佐伯氏13代惟真公のお墓は、左の石段を上がった場所です

大友氏の時代よりも前、平安時代の九州で最大勢力を奮った
そんな大神氏の始祖は、弘仁3( 812 )年に宮崎県高千穂町の
天岩戸神社を再興した大神惟基( おおがこれもと )。
大神惟基は、蛇をご神体とする祖母山大明神と人間の娘との間に
誕生した子

( 祖母山は大分県の竹田、豊後大野と宮崎県の高千穂に跨る霊峰 )
歴史上の人物もここまで遡ると、神話的な匂いがプンプン。
ミステリアスで、探究心を一層そそられます


また、大神惟基の子孫であり 豊後佐伯氏初代・惟康の子
緒方三郎惟栄( おがたさぶろう これよし )は、
背中に うろこの形の痣と、蛇の尾があったとも・・・

大分の地名でもある緒方は、蛇の尾形に由来しているそうです

『 大分県の民話や伝説~パノラマ写真で見る大分県 』 に
緒方三郎物語( 緒方町 )として紹介されてますので、
お時間のある方は、ご覧になってみて下さい


諸行無常・盛者必衰の思想で描かれる平家物語や源平盛衰記にも
登場するという蛇神婚伝説。 そのうち読まなくちゃな~


佐伯氏初代・惟康の子で、伝説では祖母山大明神の末裔と云われる
緒方三郎惟栄は、実際には宇佐神宮の荘園を官理する役人でした。
平家の平重盛と主従関係にあったものの、源義経が頼朝に背いた時には
義経に加担。 瀧廉太郎の荒城の月

源義経をかくまうために、緒方三郎惟栄が築城したと言われています

緒方三郎惟栄は後に処罰されるものの、影響があったのは親子兄弟のみ。
大友氏改易後、一族は藤堂氏や木下氏に仕え現在に至っているそうです。
松山ケンイチさん主演の大河ドラマ 『 平清盛 』 に、蛇神婚伝説の
緒方三郎惟栄が登場する事は極めて期待薄ですが

毎回登場人物の名前を確認しつつストーリーに付いていくだけで
アップアップ

これで吸収スタンバイOKのスポンジオツムになれるかしら・・・

というわけで、ディープで自由すぎる今回の豊後佐伯レポは
この辺でお開きにしたいと思います

龍護寺、緑が深くて美しい場所なので、つい長居してしまいました


そうだ



屋号を見た時から、もう気になって気になって


いつかカットして貰いに行こう


ところで、あなたの周りにいる大神氏一族末裔の方にも、
もしかすると うろこの形の痣や、蛇の尾があったりして

※本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。
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