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まーりたん

Author:まーりたん
大分県で暮らす四十路主婦
“ まーりたん ” の
ブログへようこそ(*^^*)♪

日々を彩る ちょっと素敵な
出来事を我が家の笑導犬?
マンジ君と楽しくお届けして
ます。目下、郷土史に夢中♪
心躍る探訪をご一緒に。

臼杵の富士甚醤油マスコット
キャラ・とっくりこだぬき君が
仲間入りしてからは、嬉しさ
余ってマンジ君の“ 悪がね ”
ぶりもますますエスカレート。

そんなふたり(2匹)の様子も
併せてお楽しみ下さい(*^^*)

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天正10( 1582 )年6月、織田信長さんの訃報を聞き、動揺する秀吉さんへ

今こそ天下を獲る時に ございます 」 と冷徹に言ってのけ、

天のやちまたで道に迷う瓊瓊杵尊( ニニギノミコト )を先導する猿田彦よろしく

天下への道を真っすぐに照らし秀吉さんを導いた如水の逸話は有名です。

来年の大河でも大きな見所のひとつになるでしょう 時に、黒田官兵衛孝高

( 如水 )37歳。 秀吉さんは官兵衛より9つ年上だから、え~っと46歳ですネ 





如水にとってみれば秀吉さんは、信長さんから託された忘れ形見的存在です。 

信長さんに誤解され、人質として預けていた息子松寿丸( 後の黒田長政 )の

命を奪われそうになっても、幽閉中に片足が不自由になっても 決して揺らぐ事の

無い如水の信義は、信長さん亡き後は秀吉さんへと注がれ、如水は秀吉さんの

ために全力で奔走します 秀吉さんにとっても如水は、竹中半兵衛に代わる

頭脳であり、下積み時代を共に過ごした兄弟も同然の必要不可欠な腹心でした。 





けれど、まるで未来人の様な先見の明と合理性。 俗世間の人間が欲しがる

物を本望とせず、自由な発想力を持ち、行動力も人望もある黒田官兵衛という

人物を、秀吉さんは頼りにし手放したくない一方で、泥を被せて困らせてみたい、

どこか愛憎にも似た感情を持っていたのかも知れないなあ、なんて思います

如水が最も苦手とする分野は、軍師を生業にしながらも、欲まみれ血まみれの

泥試合。 宇都宮鎮房さんの一件は、如実にそれを現している様な気がします。


中津川水辺の楽校とびはぜ隊なのだ♪

さて、これから向かう先は、山国川の支流・中津川( 高瀬川 )河川敷公園

自然豊かな中津川には、水辺の生き物がたくさん暮らしているそうですよ

・・・と、水辺の楽校に通う とびはぜ隊 御三方よりお聞きしました

特等席ですね、ニャンコ達♪

あら、解説パネルの下には、ニャンコが二匹 特等席ですね~ 

中津城を訪れたこの日は、梅雨の中休みの清々しい晴天に恵まれました






扇型( 直角三角形 )を描く中津城郭の、いちばん長い辺はこの中津川河川

敷公園( 高瀬川 )に接しています。 長い辺の中央部に、これまた扇形をした

本丸
を置き、川に面した本丸の後方を二の丸、三の丸が取り囲んでいます。

中津川河川敷公園(小祝橋方面)

そしてここ、中津川河川敷公園は、黒田官兵衛が築城した中津城に最も

接近できる場所
でもあるんですヨ 中津城は、黒田氏の後に入封した

細川氏時代に大規模改修されて、ほぼ今の中津城の大きさになりますが、

黒田氏時代の中津城は、高瀬川沿いに建つ、こじんまりとしたお城だった様。 

鉄御門跡と神籠石で築いた石垣解説板

少々ユニークなのは、官兵衛は中津城の石垣を築く際に、古代の山城跡

とも言われる遺跡の石・神籠石( こうごいし )を運んできて使ってるんです。

つまり、リサイクルです





中世のお殿様達と言えば、権力の証として 山から岩クラスの石を運んできては

成形せずに贅沢に積み上げていく野面積がステイタスとされた時代ですが、

42歳で中津城の造営に取り掛かった黒田官兵衛は、権力誇示なんてまるで

興味が無いかの如く、さっさとリサイクルを選びます 古代砦の石垣だけに、

四角くカットされていて、持ってきて積み上げるだけ 手間が省ける上に、

人夫達にも大変な思いを沢山させずに済む、なんて思ったのでしょうか 

画像中央が鉄門跡(金刀比羅宮下)

金刀比羅宮下に積まれた L字型の大きな石が、まさに黒田如水公考案

リサイクル石垣で、西日本に多く残る神籠石( 7世紀頃の古代砦遺跡 )の

一か所、福岡県上毛町の唐原( とうばる )古代山城跡より運んできた物です。

列石の向かって左側、小さな石が詰められて逆台形型に見える部分は鉄門跡

解説板の写真と見比べると、分かり易いかと思います

黄色い部分が鉄門跡・赤線部分が神籠石・唐原山城の石垣


えっ 古代山城の石垣をリサイクルする黒田官兵衛さんって、

単純に ケチなだけなんじゃないの?って、何方か仰いました?


確かに官兵衛は、お百姓さんから大量に頂いた瓜を、家臣に命じて保存食

( 御漬物 )にしたり
、倹約家としても有名だった様。 でも、そうして無駄を省く

ことで貯まった金銀は、どこぞのお殿様方みたいに私的流用するのではなく、

使うべき時を見計らい最大限に有効活用できるのが、黒田如水公の凄いところ

なんですね~ たとえば、九州関ヶ原で中津城から打って出る時とか 

幕末の中津城下絵図に描かれた鉄門

幕末の中津城下絵図には、鉄門横( 右側 )に、もしかすると

天守かもしれない三層の櫓が描かれています。 三層櫓の場所は現在、

金刀比羅宮が建っている所で、唐原古代山城リサイクル石垣の真上です


一辺を断面L字に切り落とした唐原山城の石

これが唐原古代山城のリサイクル石垣。 官兵衛はこの場所に実際に立って、

工事の監督をした事は間違いないでしょう 官兵衛ファンの皆さま、中津城へ

いらした際は、河川敷公園に降りて是非、この石垣にタッチしてみて下さい

神籠石・唐原古代山城の石垣は一辺が削られている


九州関ヶ原( 石垣原の戦 )では、大友宗麟の息子・大友義統( よしむね )が

豊後奪還を賭け、別府へ乗り込んできたため、55歳の如水は留守居を返上、

大友氏との対決に挑みます。 既に家督を譲った息子・長政は大勢の兵を率い

中津城から関ヶ原本戦へ出陣中 如水公は天守に貯めていた金銀で兵を

雇い、即席黒田軍を結成しますが、その内訳は戦経験の無いお百姓さんが殆ど。 

それでも、サラブレッド揃いの大友遺臣団を率いる義統に勝ってしまうんです





この話を最初に知った時は、にわかに信じ難い物語的な印象を受けたんですが、

これは、官兵衛が検地に於いても、見栄を張って石高を高く見積もったりせず、

お百姓さん達の申告制にしていた事や、農家の方と茶飲み話に耽るひと時を

心の底からの楽しみにしていた官兵衛の庶民的な姿勢
が、お百姓さん達から

感謝され、次第に慕われ、心の繋がりが出来ていた事の賜物かもしれません 

宇都宮鎮房さんの一件では、豊前を震撼させてしまった黒田氏ですが、後の

官兵衛の努力により、領民をとても大切にするお殿様として愛された様です

黒田の石垣へ

次回は、中津城模擬天守北側・黒田氏時代の石垣と細川氏時代の石垣が

一目で比較できる場所を、ご紹介させて頂く予定です 








本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます
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2013/06/28(金) 16:56 | コメント:13 | トラックバック:0 |
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