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まーりたん

Author:まーりたん
大分県で暮らす四十路主婦
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日々を彩る ちょっと素敵な
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マンジ君と楽しくお届けして
ます。目下、郷土史に夢中♪
心躍る探訪をご一緒に。

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ぶりもますますエスカレート。

そんなふたり(2匹)の様子も
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JR田主丸駅 カッパ駅舎2階の資料室で、筑後川の河童に纏わる伝説を幾つか

読みました そのひとつ 『 ふるさと伝説探訪・河童と水縄の話 』 には、

田主丸駅裏、久大本線沿いの地区の名 “ 水縄 ” の由来が書かれていました。




水縄と言う地名は、その昔、筑後川の支流・巨瀬( こせ )川が梅雨の大雨で

氾濫した際、「 初なりの胡瓜や果物をいつも川に流してくれる御礼です 」 と

河童たちは川藻で長い長い水縄を編み、それを命綱にして、田主丸の村人を

耳納( みのう )山麓の安全な場所まで避難させた伝説に起源している様です

新馬場橋から中央橋まで続く河童の壁画

しかし、長くて丈夫な水縄を編む為に、河童たちは川底の藻を全て使ってしまい

それから十数年の間、巨瀬川は “ もへ( 藻が生えない ) ” 状態だったそう。

河童と村人とが互いを認め、助け合って暮らしていた時代を物語る “ もへ ” は、

巨瀬川で元気に泳ぐ子どもを指す言葉となり、今も田主丸地域に残っています







それでは、河童目線で対岸の新馬場橋・南側の袂に上陸

新馬場橋・南側袂の河童壁画

凧揚げをしたり愉快に遊ぶ河童たちの壁画は、この先に見える中央橋まで続き、

手前の石段を登った場所は九千坊本山・河童たちの集会所です

九千坊本山田主丸河童族・河童大明神祠と集会所はこの上です

九千坊本山には河童の神様を祀った 九十瀬入道鎮魂の為の祠があります。

九十瀬入道とは、巨瀬川の蛇淵で暮らしていた平清盛の化身と伝わる河伯

( かっぱ )の事で、川の殿様であり水神様です 河童とは別らしいんですね。

河童大明神由来記1

かっぱ駅舎2階・河童資料室の 『 菊池家系譜考~田主丸町郷土会資料

によれば、久留米市 瀬ノ下の水天宮祭神は、寿永4( 1185 )年2月に長門

壇ノ浦の戦いで滅亡した平家一門の安徳天皇、生母の健礼門院、平清盛の妻

平二位尼時子と、別天神の天御中主神。 平清盛は九十瀬入道となって巨瀬川の

蛇淵に棲み、妻に会う許しを 九千坊に請い、年に一度の面会を許されます 


河童大明神由来記2

九十瀬入道河伯が妻に会うため、田主丸を流れる巨瀬川の蛇淵から、

瀬ノ下の水天宮へ向かう時に、筑後川は逆巻き、洪水になるという事です









それじゃ川岸の石段を登って、河童大明神様に御挨拶に行きましょうか 

祠は廃墟のレンガ壁奥に鎮座しています。 あら、祠の扉が開いてるワ

廃墟の隣に赤い扉の祠・河童大明神

河童大明神さんは、九十瀬入道の鎮魂のほか、善男善女がお願いすれば

商売や病気、いじめのいずれにも勝つご利益を下さるそうですよ 

今日は祠の扉が開いているので、オープンマインドモードなのかしら

ここはひとつ大きな声ではっきりと、時には神様におねだりしてみようかな

河童大明神の祠・扉が開いてます♪

祠の正面は大木が根を張り、踏みつけて近づくのは心苦しいので

ズームで一枚だけ、撮らせて頂きますね、河童大明神さん








河童大明神の大祭日、毎年8月8日には、町内の河童たちがここへ集まって

それは賑やかなお祭りが催されるんですって この場所から眺めていると、

木の枝に腰かけてカジカみたいな声で歌ったり、廃墟のレンガ壁にもたれて

気持ちよさそうに酔いつぶれる河童さん達が、なんとなく想像できてしまう 

毎年8月8日に町内の河童がここに集まるそうです

田主丸かっぱ駅舎2階の資料室で読んだ 平成8( 1996 )年8月28日号の 

読売新聞 『 行く夏の妖怪譚 』 では、河童は清流の象徴であり、民俗学の

研究者の間では、河童を龍や水妖の蛇と同じく、水神の裔として論じていて、

実際、福井県の九頭竜川では、上流の鉱山からカドミウムが流出していたのを

河童が現れて報せてくれたという話が、現代民話考に収められているそう


昭和28年から水害を防いでいる河童(ひばり川)

膝を抱えたコチラの河童くんは、巨瀬川の北を流れる ひばり川にいる子で、

昭和28年の大水害の後に造られたと伝わります。 ちょっと年季が入り過ぎて

いるせいか、近づいても直ぐに河童の像だとは判り辛いのですが、彼がここに

鎮座して以降、田主丸地域では大きな水害は起きてないのだそうです


新馬場橋から壁画は中央橋まで続いてます

河童の祠がある新馬場橋の河童壁画は、この中央橋まで続いてます

田主丸には、仁徳天皇の時代にまで遡る元祖・河童伝説が残っていますが、

大体は室町時代に登場し、日本各地で語られる様になるのは江戸時代。




夜窓鬼談 』 にはこんな話が 筑後柳川藩士の妻が寺へ参詣した時に、

途中の茶店に美童がいて、盛んにあいさつをする。 無視して寺へ入ると、

またやってきて、今度は手をとろうとする。 挙句は屋敷にまで現れたため、

主人が怪しみその手を切り取ると指が三本。 ほどなく河童が手の返却を求め

謝りに来て、御礼に秘伝の接骨法や、はり薬の製法を教えたという話・・・。

人間の女性に恋しやすいのが、河童くんのウィークポイントでもある様ですネ 


田口長衛門河童遭遇の碑(中央橋南側袂・行徳酒店前)

中央橋、南側袂の 田口長衛門河童遭遇の碑。 

この場所にも柳川藩士の話に似た 河童切傷全創膏の伝説が残ってます


中央橋・胡瓜を持った河童

心を寄せずにはいられない、愛すべき河童たちの気配が感じられる不思議な

場所や御紹介したい伝説はまだ数多くありますが、この辺でそろそろおひらきに

したいと思います。 お付き合い下さった皆様、本当にありがとうございました





田主丸駅には、24か所の河童史跡が記された“ たのしかっぱめぐりマップ ” も

置いています。 とても分かり易いので、田主丸散策の折には是非ご参考に

たのしかっぱめぐりマップ(田主丸駅に置いてあります)

楽しく生まる幻影の河童たち、遊べ遊べ。

あなたの出会った河童にどうぞ宜しく・・・では










本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます


2013/07/29(月) 17:55 | コメント:5 | トラックバック:0 |
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