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まーりたん

Author:まーりたん
大分県で暮らす四十路主婦
“ まーりたん ” の
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日々を彩る ちょっと素敵な
出来事を我が家の笑導犬?
マンジ君と楽しくお届けして
ます。目下、郷土史に夢中♪
心躍る探訪をご一緒に。

臼杵の富士甚醤油マスコット
キャラ・とっくりこだぬき君が
仲間入りしてからは、嬉しさ
余ってマンジ君の“ 悪がね ”
ぶりもますますエスカレート。

そんなふたり(2匹)の様子も
併せてお楽しみ下さい(*^^*)

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1556年、大友義鎮26歳の時、3方位を海に囲まれた豊後臼杵の

丹生島に築城した天然の要塞 臼杵城 以後、義鎮はこの臼杵城を

居城とし、宗麟と号した1562年( 永禄5年 )に、丹生島( 城下 )を整備。

臼杵城絵図・天守部拡大

臼杵城は上下階の平面が同形の、重箱を想わせる総二階造り櫓を特徴と

した31基の櫓と、3層4階の天守を持つ大変雅な佇まいの城だったそう







臼杵城主は 大友家が宗麟( 義鎮 )、義統の2代

 石田三成の妹婿で、後に 府内城を築城する 福原直高 

豊臣氏の家臣で、石田三成や黒田官兵衛(如水)とも親交があった武将

太田一吉 関ヶ原の功績により、美濃国から五万石で入封した

稲葉貞通と受け継がれます( 稲葉氏は明治維新まで続きます )。







廃藩置県後、最後の臼杵城主・15代 稲葉久通が1873年に廃城。 

お城の周囲も埋め立てられ、海は城郭の東(本丸跡)から臨める程度。

現在は石垣と3つの櫓を残す城址公園として市民に親しまれています

臼杵城址

それでは、春は桜の名所でもある臼杵城址を濠と石垣、櫓群が残る

城郭西側( 上の画像左下部分 )から順に ご案内させて頂きます


大手門公園~畳櫓

宜しければ、どうぞ散策気分でご観覧くださいませ












大手門公園。 写真は先月、うすき竹宵の日に撮影したものです

画像右上は 畳櫓(たたみやぐら) 。 宝暦13(1763)年の

大火で焼失しますが、翌年1764年に再建され今に至る現存櫓です

臼杵城下

かつて石垣の直下は海  臼杵城は大分県南の地形の特徴でもある

リアス式海岸の岸壁上にそびえており、海側からの侵入は

ほぼ不可能と言っても良い、まさに天然の要塞だったのです












石垣上の土壁に沿った鎧坂(あぶみざか)を登ると 畳櫓へ到着。

臼杵城を軸に、西の方角へ扇状に広がる城下町が一望できます

大門櫓を潜ると畳櫓

畳櫓は桁行4間(7.92m)、梁行3間(4.44m)の2階建て。

現地解説板によれば、入り母屋造りの屋根を持つ櫓で、正保年間

( 1644~1648年頃 )に建てられたのが始まり 名の由来は、

当時 三の丸があった祇園州( 旧稲葉家別邸、八坂神社方面 )から

畳櫓は辰巳の方角で、たつみたたみに変化したという説が残ります












畳櫓の向かい側、城郭の北西端には時鐘櫓( ときかねやぐら )跡。

時鐘櫓が見えます

櫓跡の鐘は元禄13年( 1700 )年鋳造、寛政2( 1790 )年に改鋳、

原山時鐘( はらやまときかね )と呼ばれていて、

江戸末期迄は、二王座地区の原山時鐘堂で時を告げていたそうです

時鐘櫓

平成20年( 2008年 )、臼杵城跡西ノ丸・鎧坂の土壁復元の折り、

約140年ぶりにもとのサヤ 時鐘櫓跡へ戻されたとか。 おかえり














鎧坂を見下ろす時鐘櫓跡。 うすき竹宵の際は絶好のビューポイントでも

あるんです 先月5日、時鐘櫓跡から撮影した鎧坂の写真がコチラ

臼杵城・時鐘櫓から鎧坂を臨む

壁を挟んで左側が鎧坂、右側は4枚目の画像でご紹介した大手門公園。

いかがでしょう 













畳櫓と時鐘櫓の中間に建つ櫓は、大門櫓。 二の丸への入り口です。

畳櫓と時鐘櫓の中央に位置する大門櫓


この大門櫓を潜った先には、もしや雅な二の丸御殿が

二の丸御殿指図


・・・と思ったら、建物の礎らしきモノが残るのみ

建物の礎石らしきもの

ですが、


うすき竹宵の日、大門櫓寄りの二の丸跡はこの通り竹ぼんぼりや

雅な色のオブジェで彩られ、当時あった御殿の趣が演出されます

大門櫓付近の竹雪洞やオブジェ

あとは想像力を大いに働かせて、ブラ○モリ風にお愉しみ下さい













このほか臼杵城郭中央部、二の丸跡には・・・

二の丸跡(西の丸)


明治10年の西南戦争で、臼杵へ侵入した薩摩軍と戦った臼杵藩士ら

( 臼杵隊 ) を祀る臼杵護国神社。 また、手前は終戦後の

昭和20年、地下から発見された砲弾(レプリカ)を奉納した砲弾記念碑

臼杵護国神社と砲弾記念碑


記念碑の西側には、稲葉家歴代藩主を祀る旧稲葉神社があります

稲葉神社


更にその南側には、大友宗麟公のブロンズレリーフ

大友宗麟レリーフ

宗麟レリーフは臼杵城郭のド真ん中、オヘソ部分に鎮座。




前回の記事でご紹介した他にも、宗麟はポルトガルの青年医師を招き

西洋医学の病院( 日本初の総合病院 )を府内に設立。 領民には

無料で診療を受けさせます また、島津軍に攻め込まれ 臼杵城に

篭城する際宗麟はキリスト教徒もそうでない者も城に避難させ、

自ら握り飯等を配ったのだとか やっぱりお料好きだったのネ
 
宣教師は記録の中で宗麟を 「  」 と記しているそうです





宗麟公の偉業を讃え1937年、朝倉文夫の弟子でもあった臼杵出身の

彫刻家・日名子實三( ひなごじつぞう )氏がこのレリーフを製作。

第二次世界大戦中の1944年、軍事資材として政府に献納されますが、

1982年、京都嵯峨美術短期大学の辻浩氏の手により 昭和57年

12月に復元。 現在に至ります ( 大友宗麟レリーフ解説板より )








暗い少年時代を経て、21歳の時に フランシスコ=ザビエル と

出会い、ようやく自分にとっての真の幸せに辿り着いた大友宗麟

32歳で臼杵城を完成させ 城下に修練所、城内には礼拝所も建て、

キリスト教と信者の為に奔走する中で自らも癒され、深くて大きかった

心の傷も、きっと少しずつ埋まって行ったのではないでしょうか・・・ 

けれども時は戦国


 




「 汝、殺すなかれ 」 というデウス( キリスト )の教えと、

自国を護るため殺生は避けられない乱世の現実に揺れ動き、

キリスト教に理解を示さない妻や家臣たちとの関係に悩み・・・。 隠居後も

宗麟は、武将としての資質がまだ未熟な嫡男・義統のフォローに奔走。

柵や運命に煩わされ、なかなか一筋縄とは行かなかったようです

日本初の大砲・仏狼機砲(国崩)

宗麟により日本で初めて使われた大砲・国崩し(フランキ砲)レプリカ

大友宗麟ブロンズレリーフの隣にあります。










後編では臼杵湾を臨む臼杵城郭東側、本丸跡周辺を巡りながら 

宗麟大友家について、お話してみたいと思います

多目的広場~本丸跡へ

次回もお時間の許す限り、ごゆっくりとお楽しみ下さい









●参考:臼杵城址公園内現地解説板、ウィキペディア大友宗麟(義鎮)

     うすきHISTORY-MAP ( 大友宗麟の時代 )

    ( 臼杵市観光協会・南蛮文化研究会・臼杵市教育委員会 )








本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。


記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます
関連記事

2011/12/09(金) 18:44 | コメント:6 | トラックバック:0 |
コメント

piglet01 :

歴史研究家のブログと思ってしまうほど見事な記事です。♪
個性豊かな宗麟を彷彿させて頂きました。^^
大分に行かねば…。☆

まーりたん : piglet01さんへ

piglet01さん、ようこそ♪
ご訪問、温かいコメントをいつもありがとうございますe-446v-238
お城&戦国王子e-80e-420のpiglet01さんから褒めて頂けて、
こちらこそ凄く嬉しいですe-349本当にありがとうございますv-421e-414

大友宗麟とジュニアの義統、お孫さんの義乗については
上澄みだけですが、ひととおり勉強が終わりましたのでv-410v-426
piglet01さんが今、興味が湧き調べていらっしゃるというv-87e-317
大友氏の重臣、立花一族の道雪についても少し調べてみたらe-337e-266
まるで志村けんのバカ殿様と桑マンさんの筆頭家老みたいな
エピソードが見つかってe-451、大ウケしてしまいましたv-411

ところで前回の記事でご紹介させて頂いた臼杵城本丸の石標に
記されている宗麟の生まれ年v-511、豪快に違ってるみたいですねe-351
ウチのダンナさんも私の記事e-337を見て気が付いたようでv-21
「 今すぐ臼杵市教○委員会へメールをしたためよe-2 」 とv-411
度胸が無いので連絡してませんけどe-257

香奈子 : 目に浮かぶ様です・・・

こんにちは(*^_^*)
いつもながら、本当にまーりたんさんっの記事って引き込まれて行く魅力があり
今回もリアルな映像が目に浮かぶ様で、、、そうだわ!ときづいたことが!
九州地方のことだからというのもあるかも知れませんが、常にレポをされる人なり場所に大きな愛情を注いでいますよね!
だから読んでいて引きこまれるんだなあ~って今日は、つくづく思いました(^_-)
宗麟様の苦難の上の人生、どちらかと言えば不器用な生き方は
まーりたんさんの心に何か感じる所があったのかな・・・
それは私もですが・・・
今回もありがとうございました。次回も楽しみにしています☆

まーりたん : 香奈子さんへ

香奈子さん、ようこそ♪
お忙しい中いつも温かいコメントをありがとうございますe-446v-238

香奈子さん、いつもながらズバリおっしゃる通りですv-411v-219
このテの記事を書く時はe-337人物像や情景が浮かんでくるまで
入り込んでから取り掛かりますe-454 愛情もしっかり注いでますヨe-348

そうすると不思議なほど言葉やビジュアルがポンポン閃いてv-21
慌てて広告用紙の裏に書き留めe-395e-330、整理しながら書いてます。
これはもしや自動書記e-451e-3やっぱりタダの思い込みe-350e-3
どちらにしろ直感人間e-77の本領が発揮できる楽しい時間ですv-410e-343

しかも丁度一昨日v-280、ダンナさんとそんな話をしたばかりですv-411
香奈子さんとのタイミングの一致なら、もう驚きませんけどv-392e-419

で、その夜は相方と自動書記e-395の話題で盛り上がり、宗麟について
浮かんだことをなぐり書きにした紙e-92をダンナさんに見せたら
「 これ宗麟の言葉じゃねえんかe-330 」 みたいな話になってe-257
だったらもっと上等な記事が書けそうなものですけどねe-444

勿論ダンナさんも私も大真面目にこんな会話をしているのでは
なく、8割方はいつもの夫婦漫才風ですi-278 宗麟さんに親近感を
感じる部分は、思い込んだらまっしぐらv-355なところでしょうかv-398
大分の方言でいえば 『 しらしんけん 』 県民性かなv-411e-3

宗麟さんにおいては、恐らく少年時代v-205の人間不信の反動で
キリスト教v-259を思う存分、信じてみたかったのかもしれませんe-284e-266
信じた相手に受け入れて貰えた喜びは計り知れなかったでしょうねv-410

背徳的だけど泥臭い部分もあり、ピュアe-420で面倒見が良かったり。
不器用な部分=考え方次第では愛すべき人間味かもしれませんv-398 
香奈子さんがご自身の中で不器用だe-351と思われている部分が
あるとすれば、きっとそれは人を惹きつける人間的魅力ですe-420
私は他人と規格を合わせたい時期もありましたが、いわゆる不器用な
自分も好きだしe-343、おばあちゃんになっても今のままで良いかなv-411

風邪はひき始めが肝心です(なんか風邪薬のCMみたいだなぁe-351
無理せず暖かくして、どうぞお大事になさって下さいe-287v-22

mozqman歴女バンザイ

 初めてコメントさせていただきます。遠出して、ご当地の歴史を知る楽しさが伝わって来ます。
 小生も3年前に臼杵の歴史散策をしましたが、城内までは足を踏み入ませんでした。拝読してぜひまた訪れてみたくなりました。
丹生島は陸繋島といって干潮時一部砂洲でつながった島で、いわば豊後のモンサンミッシェル。(瓜生島もそうでした)
篭城を成功させたのは地形だけでなく、背後に若林水軍、佐伯水軍がいて薩摩軍は海から攻められなかったからとも。(もっとも薩軍は戸次の鶴我城を攻めるにあたり、背後から宗麟に攻めらないよう丹生城を牽制的に攻撃したようです)
 フランキー砲はその後流転して、今ロシアにあるものがそれではないかと最近の新聞記事で読みました。ぜひ返還して欲しいですね。

まーりたん  : mozqmanさんへ

mozqmanさん、ようこそ♪はじめましてv-410
ご訪問、温かいコメントを頂き、心よりお礼申し上げますe-446v-238

臼杵城の散策記事にお付き合い下さりありがとうございますv-421
恥ずかしながらこの歳になってようやく地元の歴史について
興味が湧いてきましたv-398 というか既にガッツリハマってますv-411
・・・の割には稚拙な記事しか書けずe-444、只今勉強の最中ですv-87e-330

mozqmanさんも臼杵に興味をお持ちでいらっしゃるんですねv-410
知れば知るほど深みにはまりそうな歴史を持つ、凄い所e-420だなと
つくづく感じますe-454 まぁe-266そうですかe-451かつての丹生島は
干潮時、一部陸と繋がる島だったんですねe-255
サーラ・デ・うすきで貰ったパンフレットには「 丹生島は
臼杵七島のひとつe-255 」と書かれていたので、その辺も調べて
みたいなぁe-349と思ってたところです。ありがとうございますv-421

別府湾の瓜生島にはかなり以前から興味がありv-410、30代の頃
ダイビングのインストラクターさんに潜れるか訊いてみたら
即効で無理v-430と言われました。当たり前ですよねe-351

今年の10月、黒田如水ゆかりの富来城跡(国東)を訪ねた際、
戦国時代に活躍した浦辺水軍が富来にあった事を知りましたe-451
水軍についても調べようと思いつつそのままで・・・v-393

宗麟のフランキ砲v-313、そのネーミングからして文句なしに
カッコイイですv-10 ブッ放すシーンを思い浮かべると
身震いしてしまいますv-345(←何と思われても構いませんv-426)。
日本に帰って来てほしいですねe-349切に思いますv-425e-330

mozqmanさんのお話、本当に勉強になりますe-446
当ブログのコメント欄は短文も長文もオール大歓迎e-287e-266ですので
もしお時間がございます時には、宜しければまた色々と
お話を聞かせて頂ければ幸いですv-421 mozqmanさんの豊富な
知識に比べると、年齢的にはオバチャンでもベビー同然v-511
私ですが、今後ともどうか宜しくお願い致しますv-398
後日、こちらからも改めてご挨拶に伺わせて頂きますv-410e-266
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