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まーりたん

Author:まーりたん
大分県で暮らす四十路主婦
“ まーりたん ” の
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日々を彩る ちょっと素敵な
出来事を我が家の笑導犬?
マンジ君と楽しくお届けして
ます。目下、郷土史に夢中♪
心躍る探訪をご一緒に。

臼杵の富士甚醤油マスコット
キャラ・とっくりこだぬき君が
仲間入りしてからは、嬉しさ
余ってマンジ君の“ 悪がね ”
ぶりもますますエスカレート。

そんなふたり(2匹)の様子も
併せてお楽しみ下さい(*^^*)

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宗麟公はデウスに対し、無条件で自分を愛してくれるはずだった父や

母の姿を重ねていたのかもしれません キリスト教の信仰と保護に

熱心だった宗麟ですが、自国の基本理念にするため、禅宗の奥義も

究めていきます。 また家臣に仏教徒が多いことから仏教についての

勉強も怠りませんでした キリスト教信者か否かにかかわらず、

領民の面倒もよく見、 『 神のもとに皆平等 』 の教えを

素直に実践しようとした臼杵城主でキリシタン大名の大友宗麟 。

日本一大きなモミの木クリスマスツリー

( 宗麟レリーフから数歩の所に立つ城下を臨む大きなモミの木 )





( 日本一大きなモミの木ツリーだそうです 認定証もアリ ) 

認定証も♪

一方で宗麟の妻・奈多夫人は大分県の方なら良くご存知の海水浴場、

奈多海岸のある杵築市は奈多八幡宮司の娘。 

心の傷を癒す様にキリスト教へ傾いてゆく宗麟に不満を抱いていました。 

更にロマンチストの宗麟は女心を掴む人でもあった様で、女性問題

持ち上がる度に、奈多夫人は大激怒 してたんだとか




「 あなたは私ではなくデウスと結婚したのよ 

出て行きなさい この金髪○○野郎!! 」




ここまで凄まじいやりとりがあったかどうかは定かではありませんが

ヒステリックな一面もお持ちのモノスゴパワフルな奥様だったらしく

宗麟は天正6年(1578年)48歳の時、当時二十歳だった嫡男・義統に

家督を譲り臼杵城を出て、城外に新しい屋敷を建てて暮らし始めます


多目的広場から本丸跡へ

( 二の丸と本丸を隔てる空堀に沿い 『 秀吉と利休 』 で

第三回女流文学賞を受賞した臼杵出身の作家・野上弥生子文学碑、

西南戦争で戦った臼杵隊の慰霊塔など、先人功績碑が並んでます )








( 空堀に架かる土橋を渡り本丸へ 臼杵城は戦国時代から近世迄、

各時代の遺構がそのまま残されている事でも注目されてます )

臼杵城址・土橋を渡ると本丸

息子で22代・大友義統に家督を譲り早々と隠居。 

おっかない妻からも解放され、とりあえずは自由の身となった宗麟。  




「 これからは誰にも気兼ねする事なく、

思う存分ライフワークに没頭できるぞー
 」 




と言わんばかりに宗麟は日向国土持( 現在の宮崎県延岡市

無鹿地区 )に、キリスト教信者たちが心穏やかに暮らせる理想郷

『 務志賀ムシカ = ポルトガル語で音楽の意  』 建設に着手。 

しかし、度が過ぎたのと面倒見の良さがたたって、耳川の戦いで大敗。 






島津軍の猛攻撃で多くの優秀な家臣を失い、大友氏を衰退へと向かわせる

きっかけとなった耳川の戦い、別名高城川原の戦いから後は、

家臣の離反も相次ぎ、島津氏と組んで攻撃を仕掛けてくる大友一族も...。

これによって大友氏の領地は蚕食されて行き、天正8( 1580 )年頃の

大友氏領地は、九州6か国のうち、豊前豊後・筑前の一部を残すのみに。 

臼杵城本丸・卯寅口脇櫓絵図

( 空堀にかかる土橋を渡るといよいよ臼杵城本丸です )







( 本丸の出入口を固める鉄門( くろがねもん )跡 )

臼杵城址・鉄門(くろがねもん)跡

天正14年の春、いよいよ島津軍が九州制覇に乗り出します。

大友宗麟は関白秀吉さんの元へ降り、領国の保護と援軍を懇願します 





島津軍は秀吉さんの停戦命令を蹴り、筑前そして豊後南部を侵攻

宗麟は領民を臼杵城へ避難させるとフランキ砲をブッ放し、籠城戦で粘ります

しかし、大分市の大南地区へ先発隊として派遣されていた長宗我部・十河軍が

島津軍に撃破され、利光宗魚が守る大友の支城・鶴賀城も落城( 戸次川の戦 )。

島津軍は府内へ進軍し、宗麟が築き上げた南蛮都市は焦土と化してしまいます。

もと3層4階の天守櫓跡

( かつて3層4階の雅な天守閣がそびえていた臼杵城天守櫓跡。

ここからは見えませんが、天守櫓の石垣は、表面は不揃いながら胴長の

石を選んで積む野面積で、奥の方でしっかり噛み合っているそうです )





( 天守櫓跡の南西角から先ほど通ってきた空堀を臨む。 二ノ丸からの

侵入に備え、天守櫓(跡)は空堀が見下ろせる位置にあります )

臼杵城址・天守櫓西側の空堀

島津軍が九州を完全制覇する直前、ぎりぎりのタイミングで、

秀吉軍が25万の大軍を率いて北九州に到着 

島津派の城を片っ端から攻め落とし始め、その情報を得た島津軍は

大慌てで退散。  ほどなく秀吉さんによって九州は平定されますが、

大友氏の領地は豊後国のみとなり、その後の朝鮮出兵での失態を理由に

大友家は宗麟の子・大友氏22代義統の代で改易となったのでした。






また慶長5(1600)年9月、毛利家に身を寄せていた大友義統は、

関ヶ原の戦いに乗じて西軍として豊後へ上陸。 大友遺臣を召集して

旧領奪還戦を目論みますが惨敗( 石垣原の戦い )、無念の幕引きに
 




ですが、東軍として義統軍を破った初代中津城主黒田官兵衛(如水)

義統の命は奪わず、しかも義統の息子で宗麟の孫・大友義乗を後見。 

徳川家に仕えさせ、三千三百石の大臣旗本へ推し上げます

これにより大友家は再興の夢は断たれたものの、

名門の名は残す事ができ、運の良い一族だった、と語り継がれます。 

宗麟が純粋に信仰したデウスさんのご加護だったのかもネ

臼杵城址・本丸御殿指図

( 江戸時代に入ると藩主が政務を執行する空間 表( おもて )と、

藩主のプライベート空間 奥( おく )としての機能を持つ本丸御殿が

中心的な役割を担います。 おもても奥も書院造りを基本としていました。

絵図(指図)によると、表(茶色部分)には、 『 御広間(おひろま) 』

『 大書院( だいしょいん ) 』 等、政務遂行や儀礼に使われた部屋

が見られます。 御広間等からは御舞台が見える構造になっています

舞台は主に能に使われていたと考えられてます。 一方、奥(青色部分)

には、御座間と呼ばれる藩主の部屋があります。 本丸北側の崖際には

『 御湯殿 』 が設けられ、今でいう展望風呂風の造りになってます )















さて、時は平成。

ここは2011年11月の臼杵湾を臨む臼杵城本丸御殿(跡)

臼杵城址・本丸跡広場

まーりたん、ただいま壮大なる歴史絵巻の上に立たせて貰ってます






キリスト教をファッション感覚で捉え、割と冷めた目で見ていた信長さんや

秀吉さんに比べると、少年時代に負わされたトラウマに苦しみ続けた反動か、

まるで父母を絶対的な存在と信じる子供の様に、キリスト教を盲信した宗麟。





わきが甘かったと言えばそれまでだけど、神のもとで皆が平等に暮らせる

世界の実現を最期まで夢見続けた理想家であり、ロマンチストな大友宗麟 

癒えない傷を抱えながらも心根が優しく純粋で、面倒見が良いと来れば、

モテるのもムリはないですね、奈多夫人にはホント申し訳ないですが・・・








( 臼杵城・本丸跡東端から臨む臼杵湾 )

臼杵城址・本丸跡から東側、臼杵湾を臨む

宗麟は島津軍との籠城戦の際、城内で流行ったペストに感染。

それが原因で翌年の1587年、療養先の大分県津久見市にて 

57年の激動の生涯を閉じます。 

宗麟は親族や家臣を呼びつけてあれこれ遺言を並べる事もせず、

宗麟の記録を残したラグーナ神父に看取られながら

最愛の父であるデウスのもとへ、静かに旅立ったといいます 

宗麟の死に顔は、生前より遥かに安らかだったとか。









臼杵城と宗麟公について、稚拙なレポでしたがお楽しみ頂けたでしょうか

臼杵城址・東南には卯寅口門脇櫓

臼杵城にはもうひとつ、卯寅口門脇櫓( うとのぐちもんわきやぐら )

という、本丸を攻められた際、海へ脱出する為の抜け道があるんです

卯寅口門脇櫓は本丸の南東側、木立越しに見える櫓で、解説板によれば

外観は二層、内部は三重、外壁は漆喰下見板張り、屋根は切妻屋根。










いきなりですが、これより臼杵城本丸から

城下の海へ脱出を試みたいと思います

卯寅口は脱出口なんです

お時間がありましたら、どうぞご一緒に









脱出口・卯寅口門脇櫓に続く 卯寅口(うとのぐち) 

卯寅口へ


無事脱出を祈願 してか、それともカムフラージュのためか、或いは

脱出口の目印か、卯寅口にはド派手な稲荷神社があります

卯寅口稲荷神社


祠の右手から坂を下り、海 ( 船着場 ) へ急ぐのじゃ~

緊急時の海への脱出口


坂を半周すると、今度は急な階段であるゾ。 振り返ってパチリ

階段を降りたところでパチリ


すぐにもつれる中年の足ながら、どうにか転ばず階段を下り終え、

お稲荷さんに感謝 右手頭上には卯寅口門脇櫓 あんな高くに

鳥居と卯寅口門脇櫓

とりあえずは脱出成功











路地の突き当りに見えるのは、先程潜ってきた卯寅稲荷神社の鳥居

脱出成功、昔は海の上です

ここは港町城南地区。 只今、かつては海の上を歩いてます






で、この角を西へ曲がると600mで サーラ・デ・うすき(臼杵観光

総合案内所)
や、稲葉家に縁のある春日局も暮らした二王座地区

臼杵市中心街へ


卯寅口稲荷神社に近いからかな 港町コミュニティーセンター

(港町商店街) には、竹灯篭の他にも大きなお稲荷さんのオブジェが。

港町コミュニティセンター前


港町商店街の通り沿いに現存するレトロな建物。 現役の床屋さんの様

ですが、その名も 『 スピード館 』 右から読んでネ

凄いとこやさん発見

自販機の缶ジュースも嬉しいレトロ価格 100円です










コチラは港町商店街の西端、辻の大井戸 と呼ばれるエリア

臼杵城、畳櫓の真下に当たる大きな広場( =  )で、この場所を

起点に街路が放射状に延び、独特の城下町スタイルを造っています

04-15放射状に延びる街路の起点・辻の大井戸

商家や武家屋敷、寺院、神社が集中している場所でもあり、うすき竹宵の

会場になっているサーラ・デ・うすきも 二王座地区も、目と鼻の先 

 

臼杵城を見学したのは先月、うすき竹宵の日 この後散策した街の

様子は、過去記事 うすき竹宵祭り前編、 後編でお楽しみ下さい

それでは、まーりたんの臼杵城( 址 )登城記はこれにて







●参考:臼杵城址公園内現地解説板、ウィキペディア大友宗麟(義鎮)

     うすきHISTORY-MAP ( 大友宗麟の時代 )

    ( 臼杵市観光協会・南蛮文化研究会・臼杵市教育委員会 )










本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます

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2011/12/12(月) 15:25 | コメント:6 | トラックバック:0 |
コメント

香奈子 : 素敵だなあ~

こんばんは(*^_^*)
宗麟様、モテるの分かりますね!
すごく魅力的!
そして本来なら時代も時代、大戦に負けたのですから家督は衰退を遂げ、
命もそのままとは考えられないのに・・・

最期は心から信頼する存在の、み胸に抱かれて逝かれたねですね。

自分の人生を懸命に生き、自らの苦しみからもひねくれず人々に優しくあった
宗麟様なら、モテないハズはないですね(^_-)

今回も一緒に旅をさせて頂きまして、ありがとうございました☆

Lily : いつもながら

レポートがもうプロです。
真名野長者伝説の記事を拝見した時もそうでしたが、まーりたんさんみたいな人がいて、お話しながら案内してくれると素敵なのにな。。。と説明を読んで見て回るのが苦手は私は思ってしまいました。

まーりたん : 香奈子さんへ

香奈子さん、ようこそ♪
いつも温かいコメントを頂き、心より感謝していますe-446v-238

宗麟公は香奈子さんの仰る通り、モテモテ要素満載e-266の方みたいで
生涯や逸話を調べる内に、私も危うくハートを奪われそうにe-451v-346
不遇な少年時代を送りe-263、荒くれた時代もあったようですが
その分、神様から愛されe-415、ご褒美を沢山頂いた方の様ですねv-410

宗麟公に重ねるのは恐れ多いのですが、私の父も静かに
風のように逝ってしまった人なので、宗麟公の最期を書く時は
父の事を思い出し、泣けてきましたe-264

バーチャル旅行気分を楽しんで頂けて嬉しいですe-446e-343 
こちらこそ地元のお殿様e-496のご紹介にお付き合い下さり、
また素敵なお言葉e-420も頂き、本当にありがとうございますv-421e-414

お風邪の具合はいかがでしょうかv-410e-3どうぞお大事にe-287v-22

まーりたん : Lilyさんへ

Lilyさん、ようこそ♪
いつも温かいコメントを頂き、心より感謝していますe-446v-238

りっ、Lilyさんv-12 あまりおだてないで下さいe-330
すぐ調子に乗るタイプですからv-411

それでも、そんなふうに仰って下さるほど記事を
楽しんで頂けたv-426、と受け取らせて頂きますv-410e-343
ほんと励みになりますe-271e-454

フランスにお住まいのLilyさんにまで届いてe-499
大友宗麟公も真名野長者さんもきっと今頃、大喜びしてるかもe-454
ありがとうございます、Lilyさんe-287e-266

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

まーりたん : 鍵コメントを下さったT様へ♪

丁寧なご挨拶のお言葉を頂き、心よりお礼申し上げますe-446v-238
記事を楽しんで下さっているご様子で凄く嬉しいですv-398
ウチのマンジ君v-286は人様に笑って頂くのが大好きみたいでe-351

こちらこそブログへお邪魔させて頂くたびに、リアルで
貴重な海外情報e-332を知ることが出来、大変勉強になりますv-421
海外で働きながら旅行v-233、もし男性に生まれていたら絶対に
行動に移してただろうなと思いますe-349 この性格ですからv-411

T様もどうぞ素敵なクリスマスをお迎え下さいe-287v-255e-420
そして来年もどうか宜しくお願い致しますv-410e-414

先ほどT様のブログコメント欄にお返事したのですが
『 英数字の比率が大きいe-1 』 とのメッセージが出て
投稿が出来ませんでしたのでe-464e-330、こちらのコメント欄にて
お返事に代えさせて頂きましたv-398e-419
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