「 この菓子折りの包みには、大分の戦国大名
大友宗麟公が描かれているのですニャ


「 裏側には宗麟の花押も載っているのだニャ。
宗麟公の花押は、どれもイカスのだニャ~ 」

「 これは宗麟がドン・フランシスコというキリスト教名を授かった翌年
天正7年( 1579 )年 ~ 天正8( 1580 )年まで使用していた
花押だね、マンジ君。 JR津久見駅前の宗麟像にも刻まれているし、
キリシタン大名 大友宗麟公のシンボル的花押と言えそうだね

「 ところでマンジ君、宗麟公の隣の人は誰だか知ってるかい


「 宣教師みたいニャ恰好をしているのだニャ

宗麟の相方といえば、ザビエル神父かニャ

「 宗麟公の左側の人は、大分県国東半島出身のパードレ( 神父 )で
ペトロ岐部カスイさんって言うんだよ。 生まれたのは奇しくも宗麟公が
亡くなった1587年


「 ペトロ岐部カスイ神父は、志半ばでこの世を去った大友宗麟公の夢を
継ぐかの様に、日本人で初めて聖地エルサレム巡礼を果たしたんだよ

帰国後はキリシタン弾圧にも屈せず、信徒を守り続け殉教したんだ

「 これは、そんな運命や時代の波にも信念を曲げずに立ち向かった、
豊後の先哲ふたりを偲んで創られたお菓子なんだよ、マンジ君


「 大分県の方には言わずと知れた銘菓で、大きな賞も貰っているんだ。
製造元(株)菊家さんの栞によると、商品名は ペトロ岐部と
ドン・フランシスコ。 ペトロ岐部カスイ神父については、
不屈のバテレン( 司祭職 )と紹介されているよ

長崎の神学校を卒業後、19歳でイエスズ会の同宿( 伝道師 )に... 」

「 そしてマカオへ渡り、苦難の旅を続け、日本人として初めて聖地
エルサレムを巡礼し、更にローマへ


日本ではキリシタン弾圧の真っ最中で、故国の信者を救うため7年かけて
帰国を果たすも、布教活動中に岩手県で捕えられてしまったんだって 」
「 厳しい拷問を受けてもペトロ岐部カスイ神父は “ 転び申さず候 ” と
棄教せず、拷問の最中も隣で吊るされていた信徒を最期まで励まし続けた
そうだよ。 たとえクリスチャンでなくてもペトロ岐部カスイ神父の深い愛や
意思の強さから学ぶことは多そうだね、マンジ君。 そう思わないかい


「 ペトロ岐部は、まんまるお月様みたいだニャ

生地はふんわり、しっとり柔らかですニャ。
ミルクとバターの良い匂いがするのだニャ~

「 ややっ、栗風味のゴールドラム酒とハチミツで
味つけされた白いんげん餡が出てきたニャ


「 フレッシュバターも練り込まれていて、実に
クリーミィーですニャ。南蛮テイストニャ~のだ


「 マンジ君はゴールドラム酒なんて言葉、いつの間に覚えたんだろう

スイーツに限っては、信じられないほど勉強熱心なんだから


「 続いては、大友宗麟公を偲んで創られたコチラの菓子を試食ニャ 」
「 ドン・フランシスコですニャ~


「 りんご味とブルーベリー味があるのだニャ

「 後は上機嫌なマンジ君に任せて、僕もペトロ岐部を食べるとしよう 」

「 続きは次回ですニャ~

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記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます

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素晴らしい先人のお話しを聞かせて頂く度に、今自分が
迫害や争いに関係なく生きていることに心から感謝できます。
いつもながら、本当にありがとうございます。
とっても美味しそうですね!
ちなみに私は以前からずっと周りにはお土産のお菓子類は
九州が一番だと言ってるんですよ!
ほんとにこれまで色々頂いたりしましたが、九州は断然
美味しいものばかりでハズレがないです!
中でも福岡のお土産で“うまかもん”というのを初めて頂いて
食べた時に、余りに美味しくて、ネットで何度か取り寄せてる位。
お菓子って皆似たり寄ったりと思っていたのは間違いでした^^;