プロフィール

まーりたん

Author:まーりたん
大分県で暮らす四十路主婦
“ まーりたん ” の
ブログへようこそ(*^^*)♪

日々を彩る ちょっと素敵な
出来事を我が家の笑導犬?
マンジ君と楽しくお届けして
ます。目下、郷土史に夢中♪
心躍る探訪をご一緒に。

臼杵の富士甚醤油マスコット
キャラ・とっくりこだぬき君が
仲間入りしてからは、嬉しさ
余ってマンジ君の“ 悪がね ”
ぶりもますますエスカレート。

そんなふたり(2匹)の様子も
併せてお楽しみ下さい(*^^*)

ブログランキング参加中
↓下のランキングバナーを クリック応援して頂けると、 更新の励みになります。 いつもありがとうございます(*^^*)
ブログをお持ちの方は、訪問履歴 orコメント欄にURLを 残して頂ければ幸いです。 こちらからも応援に伺います♪
最新記事
カテゴリ
検索フォーム
入力したキーワードを含むブログ記事を検索できます。
リンク
Page View Ranking
FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

QRコード
QR
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--/--/--(--) --:-- |


天下人・秀吉さんの夢の跡、佐賀県唐津市 東松浦半島の名護屋城址

名護屋城跡の位置と玄海灘の島々
( イラストマップは、唐津観光協会発行 『 特別史跡 名護屋城跡ご案内パンフレット 』 より )





伊達政宗公が青葉城( 仙台城 )へ移築したという伝説が残る 幻の本丸大手

潜り抜け、ついに本丸へやってきました ここは名護屋城本丸北西隅に遺る

天守台跡 玄海灘に浮かぶ島々、遠くは壱岐、対馬まで見渡せます。 

名護屋城跡天守閣より玄海灘を臨む

今から420年前、秀吉さんの朝鮮出兵で知られる文禄・慶長の役の頃。

この場所には5層の瓦葺き屋根と千鳥破風、漆喰塗りの白壁が施され、

最上層には炎形装飾の火頭( かとう )窓と、高手摺りが設けられた

5層6階、地下1階から成る7階建ての望楼型天守がそびえていたとか
 
名護屋城図屏風より天守閣

最上階からの眺めはどんなだったでしょうね( 屏風図は現地解説板より ) 








天守台跡の更に北西端にきてみました 

西側に張り出した一段低い場所に在る曲輪は、遊撃丸です。

名護屋城並びに諸大名陣屋跡図

文禄2( 1593 )年に講和使節として明より来日した沈惟敬( チン ウェイチン )

が宿泊した場所で、彼は遊撃将軍と呼ばれていた事からこの名が付いたそう。





ただ、この講和交渉は戦争を早く終わらせるために 沈惟敬小西行長とが

共謀し、明側には秀吉が降伏したと伝え、秀吉側には明が降伏したと伝える

欺瞞工作だった事で交渉は決裂 慶長の役へと、もつれ込む事になります 


名護屋城天守跡より壱岐対馬方面の諸大名陣跡

東出丸で見た名護屋城跡陣跡位置図にも、そうそうたる戦国大名の名が

連なっていましたが、西側・遊撃丸の方向にも、戦国時代の九州における

最大の合戦・高城川原の戦いで大友軍を壊滅させた 薩摩は島津3兄弟の

島津義弘さん、織田信長の水軍として毛利軍を撃破するなど、海賊大将の

名を轟かせた志摩の九鬼嘉隆さんの字兜の妻夫木くんがまだ記憶に

新しい直江兼続さん黒田如水とも親交が深かった知性派小早川隆景さん、

名護屋城天守跡より馬渡島方面陣跡図

などなど、これまた書き出したらきりがない戦国大スター殿様がいっぱい







文禄・慶長の役の折り、全国から160人余りの大名が肥前・名護屋城へ集結、

城周辺に陣屋を構えたと云います。 この日道の駅・桃山天下市で入手した

陣跡巡りパンフレット
によれば、説明板設置の陣屋跡は40か所ほどで、

その中の23か所が国の特別史跡に指定されているんだそうです。 

02-03あなたの街のお殿様は居る?諸大名の陣屋跡

番号をふってある所です。 お名前は以下の通り。

あなたの街の戦国大名さんは居ますか


特別史跡指定の諸大名陣跡23か所

字、デカくてごめんなさい!










再び、名護屋城天守跡碑の場所まで戻ってきました

名護屋城天守後より貯水池の在った水手曲輪を見下ろす

青いビニールシートで覆われた斜面下は水手( みずのて )曲輪です。

城内には井戸も沢山掘られてますが、水不足に備え雨水を溜める貯水池

して機能していた模様。 で、まーりたんが今居るのは赤い丸印の場所

名護屋城跡・本丸天守台解説板

方位は、上西、下になります






ココが赤い丸印天守台跡で、その東南には本丸御殿・・・

肥前名護屋城図屏風(本丸天守台)が描かれた方向

御広間・対面所・・・秀吉が大名らと対面儀式をするところ

御台所・・・調理場 書院・・・秀吉が政務などを行う所

御座間・御殿・・・居間や寝所などの居室部分




・・・などが往時はあった様なんですが、

現在は石塔ポツンで、後はガランドゥ

名護屋城跡・玉石で囲まれた本丸(天守台)東西145m、南北125mの西北隅に天守閣が在った

ですが、石塔の周りには工事告知の立て看板や、コーンが見えますよね

本丸御殿跡の遺構表示を目的とした整備工事を、平成20年度から実施中

なんだそうです “ 遺構表示を目的とした整備工事 ” というのは、

発掘調査で見つかった玉石敷や礎石などの遺構を盛土して保存し、盛土上の

同じ位置に、明らかになった御殿の建物や中庭の範囲を再現し表示する事。





なんで掘り当てた遺構にわざわざ、また盛土するの?って

腑に落ちないお顔のアナタ、それはですな、次のよーなワケがあるのです。





名護屋城は廃城にされる際、御殿や櫓など建物を解体した後に残る礎石上に

厚さ30センチ以上もの盛土を被せ、建物の柱礎石はもちろんのこと、建物が

在った場所すら判らない程に、完全な埋め込み処理がなされたんだそうです

跡形も無く消し去りたい程、名護屋城の建物を忌まわしく思ってたのかな

名護屋城本丸南西隅櫓跡

例えば本丸南西隅の南西隅櫓跡。 往時を探る事も、破却当時の状況を

保存する事も同様に大切ですので、発掘調査をして礎石( 柱位置 )や建物の

規模等が解った後は元通りに盛土をし、地表面の同じ位置に疑似礎石を置き、

玉石が敷かれていたならば疑似玉石を配し、遺構の状態を地表面に再現表示。

建物の範囲は界線で、盛土が施されていた場所は赤色塗装で示しています。

名護屋城本丸南西隅櫓跡(解説)


名護屋城本丸・南西隅櫓跡から、本丸北西端の天守台跡を臨む。

白い界線上本丸西側には、多聞櫓が連なっていたらしい

名護屋城跡本丸南西隅から天守跡(西北)を臨む。当時はこの直線に多聞櫓あり

玉石で囲まれた右上は、地中にも玉石敷きが施されていた建造物跡









本丸南西隅櫓跡から、そのまま東へ移動してみると・・・

名護屋城跡・埋められた石垣(一部)南東側

本丸東南の地表から顔を覗かせる埋められた石垣。 この石垣は

廃城時に埋められたものではなく、420年程前、戦国大名らの割普請

名護屋城が築城されて間もない頃の拡張工事跡の様です 

埋められた石垣(解説板)

遺構が見つかりながら、未だ解明されてない謎もいっぱいの名護屋城址

02-26名護屋城本丸南西隅櫓跡・発掘調査時の写真

まーりたんの現在地は赤い丸印より、やや右です。

名護屋城の普請では縄張りを担当した黒田如水公も、きっとこの界線上を

何度も往復し、あっちから眺め、こっちから眺めしたんだろうなルンルン








本丸から見下ろす馬場櫓台跡 

名護屋城本丸跡より馬場櫓台と弾正丸を臨む

馬場は本丸の南側下にあり、三の丸と二の丸を繋ぐ通路にもなってます。 

馬場櫓台の向こうは弾正丸。 肥前・名護屋城の総取締役を担っていた

甲斐国( 山梨県 )の大名さんが居住されていた曲輪ですが、またしても

長い記事になりましたので、この続きは次回お話させて頂きます 






いつにも増して心ときめく肥前名護屋城の冒険 散策 

ご興味ない方は退屈ですよね、ほんとすみません

いい加減 次回で最終回にしようと思います・・・








本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます

関連記事

2013/02/18(月) 18:57 | コメント:7 | トラックバック:0 |
コメント

猛獣遣い : 感謝!

いつもながら素晴らしい解説付きで、とても良い勉強になります。
「名護屋城址」是非行って、実物を見てみたいです。

まーりたん : 猛獣遣いさんへ

猛獣遣いさん、ようこそ♪
ご訪問、温かいコメントをいつもありがとうございますe-446v-238

名護屋城、あまりに感動が大きすぎてi-183、どこからどう書いたら
良いだろうi-230と、最初は おっかなびっくりだったんですよi-201

それでも稚拙ながら自分なりに、何とかここまでご紹介できましたi-237
これも猛獣遣いさんが毎回お付き合い下さり、大変励みになるe-271
お言葉を掛けて下さったお陰ですi-228 心より感謝申し上げますv-421e-414 
肥前名護屋城、機会がありましたら是非、登城されてみて下さいv-410e-343 
私も次回は陣屋巡りをメインに、そう遠くない内に再訪する予定ですv-448e-266

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

へちま :

おはようございます。
ホントにスター軍団ですね。
同じ時期の大名だったとは改めて納得。
これじゃ時代小説の題材に事欠かないですね^^;
小西行長の気持ち「もう、止めようよ」、
なんとなくわかります(笑)

まーりたん : へちまさんへ

へちまさん、ようこそ♪
ご訪問、温かいコメントをいつもありがとうございますe-446v-238

名護屋城レポ、お付き合い下さって恐縮ですv-421e-414
へちまさんの仰る通り、私も陣屋跡の名前を見た時はe-317
あまりに著名なスター軍団v-354に、思わず身震いしたほどですi-179
しかも信長さんが全盛を極めてから、秀吉さんの朝鮮出兵v-232までは
30年間位ですから皆さんほぼ同期。ホントびっくりですe-330

文禄・慶長の役については、恥ずかしながらつい最近まで殆ど
理解してなかったんですがi-229、大分の戦国大名が小西行長公と同じ
キリシタン大名e-340の大友宗麟だったことで、その繋がりから
秀吉さんの朝鮮出兵についても学ぶ機会に恵まれましたe-454e-343
性格上、ざっくり大雑把な部分もあるかと思いますが御赦しをi-278

文禄の役も、最初の内は朝鮮の民衆が日本軍に味方して下さってた
様なんですけど、戦争が長引くと抗戦する方も増えたそうですe-351 
どんな理由があっても戦争はNGe-464ですねe-443

福ちゃん : ありがとうございます

名護屋城址の事が詳しく書いてあって、嬉しいです。
ぜひ、また名護屋へ遊びにいらして下さい。

名護屋城址ガイド 福ちゃん

まーりたん : 福ちゃんさんへ

福ちゃんさん、ようこそ♪
名護屋城ガイドの方からコメントを頂けるなんて感激ですe-349 

この度は登城させて頂き、ありがとうございましたv-421e-414
稚拙なご紹介記事に大変温かく、励みになるお言葉を下さり、
重ねて心より御礼申し上げますv-398

名護屋城址、本当に素晴らしかったですe-420
日本百名城めぐりe-496をなさっているブログ仲間の方も、
「 大手道から東出丸にかけての眺めが忘れられないi-228 」と仰り、
肥前・名護屋城址を大絶賛されていましたv-410e-343

自身は今回、名護屋城を見学し終えたら日が暮れ、陣屋跡まで
巡れなかったのでv-393、また是非とも伺わせて頂きますv-448e-266

ご覧の通りのブログですが、宜しければどうぞ、
いつでもお気軽にお立ち寄りくださいませe-287e-414 
心よりお待ちしていますv-410

この度は嬉しいお言葉、本当にありがとうございましたv-398e-414
コメントを投稿
名前
タイトル
メール
URL
コメント
パスワード
管理者にだけ表示を許可する


トラックバック

この記事のトラックバックURL
 

この記事にトラックバックする (FC2 blog user only!)
 
この記事へのトラックバック


HOBBY
icon icon icon icon
BOOKS
旅行・アウトドア
大分県中津より聖地の味
元祖中津からあげ・もり山さん監修☆日本唐揚協会認定カラアゲニストも推奨します
大分県臼杵の有機緑茶
映画 『 種まく旅人~みのりの茶 』 のモデル・高橋製茶さんの有機農法自然栽培茶
大分県のお酒
大分県日田の活性水素水
日田盆地の深い地層より汲上げた天然活性水素水。体内の活性酸素を除去する抗酸化作用で注目されてます
大分県の銘菓
産直品・グルメ
食品・生活
Oisix(おいしっくす) 永谷園通販トップページ グリコネットショップ 大丸通信販売 Dmall.jp (大丸ホームショッピング) 三越オンラインショッピング 日本直販のキッチン・家事・生活雑貨 リンベル<温泉 ホテル 食事の贈りもの>
ファッション
ベルメゾンネット ライトオンオンラインショップ TBS ishop
美容・健康
エコ&リサイクル
商品検索
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。