『 地方にいると歴史の断面が見えてきます。
中央にいる人が書く、権力によって作られた歴史が “ 勝者の歴史 ”
だとすれば、地方には “ 敗者の歴史 ” が埋もれています。
そこに中央の歴史とは違った選択肢や、
ありえたかもしれない歴史が見えてきます。 』
上記は、福岡県久留米市在住の時代小説家 葉室 麟( はむろ りん )さんが
昨年2月、某紙のインタビュー記事で仰っていた言葉です

東日本大震災が発生した時にぶつかった、人が亡くなる話を描く事への迷いや、
自分に残された時間を想い自問自答したことなどなど、お話は続くのですが、
大きな渦に巻き込まれ、搾り取られ、疎外された歴史のかけらを拾い上げては、
ただ無心に、持てる限りの光を当てる

素朴な温もりが葉室さんの文言から伝わってきて、心に深く響きました


さて、懐かしの中津城探訪

宇都宮鎮房さんが祀られた 城井神社と、合元寺での事件で命を落とした
宇都宮氏家臣の方々を合わせ祀った 扇城神社をご紹介させて頂きます

( 神社の場所は、前回の記事 中津城旧地図・本丸拡大図を御覧下さい


神社参道の標上ではためく幟には、『 軍師 黒田官兵衛 最大の宿敵
城井 宇都宮鎮房 』 の文字


大分県の中津市と同じく、かつて豊前国だった福岡県築上町の観光協会および
商工会、そして宇都宮家累代の菩提所・月光山 天徳寺による制作の様です。
旧豊前では、大河の主役に決定した黒田如水( 官兵衛 )公と、豊臣政権樹立の
陰で散って行った宇都宮鎮房さんの両方を、同等に大切にされてるんですネ


ところで、秀吉さんの名軍師として余りに高名な黒田官兵衛孝高( 黒田如水 )
最大の宿敵が何故、一地方の地主なのか、不思議に思われる方もいらっしゃる
かもしれませんね

無駄な血を流さずに済むよう、例えるならば古事記の 国譲りみたいな調略法を
執りました。 しかし、信義を貫く事を自らの誇りとしてきた如水が、我が身可愛さに
初めてそれを逆手に取り、姑息な手段で滅ぼす結果となったのが、鎌倉時代より
豊前の土地を守り、領民からも慕われていた国人領主・宇都宮氏だったのです

よほど無念だったのでしょう。 宇都宮鎮房さんは黒田官兵衛( 如水 )と彼の息子
黒田長政の心を、生涯消えない自責の念で苦しめます。 それでいて、三英傑を
凌ぐとも賞される程に老成を遂げた 後世の私達が知るところとする黒田如水へと
導いたのもまた、この宇都宮鎮房さんに違いないと、まーりたんは思ってます



それでは、この地に眠る宇都宮鎮房さんにお参りして来ます




ここ中津城内の城井神社解説板に綴られている内容を読んで、これはちょっと
考えにくいなど、若干の違和感を覚えられた方もいらっしゃるかと思います。
それでも現地・旧豊前国では、このような状況下と経緯によって、
宇都宮氏は黒田氏により滅ぼされた、と伝えられているのです


宇都宮鎮房さんを祀る城井神社 右手前には、

合元寺事件で命を落とした宇都宮氏家臣の方々を合祀しています。


宇都宮鎮房さんは家柄、人望、智力、武力全てにおいて優れた勇将でした。
初めは如水の説得に素直に応じ、「 本領を安堵してくれるなら 」 と
秀吉さんの傘下に入る事を承知します

「 他の土豪はともかく、お前の居場所は豊前には無いヨ 」
と言われ堪忍袋の緒がプツリ


これは、九州征伐で功を挙げた豊臣配下の諸将を九州内に配置するに当たり、
後々扱いが面倒になりそうな有能な土豪をあえて怒らせることで孤立させ、
在地勢力の結束を解き、滅ぼす為の大義名分を創る作戦だったのかも・・・

如水自身も、宇都宮氏を早急に鎮めなくては、肥後国人一揆を鎮圧できずに
極刑に追い込まれた佐々成政公( 佐々氏が改易になった事で、加藤清正公が
隈本城へ入ります )と同じ運命 黒田家改易

19歳の長政を正々堂々と戦わせれば、宇都宮氏にひと捻りにされかねない。
厳しい乱世


・・・と、ネジの外れたオツムをひねって色々と考えてみた結果、まーりたんは
やはり、宇都宮鎮房さんが勇気を持って黒田氏を信じ、中津城を訪れたお陰で
黒田氏の今があるといっても過言じゃない様な気がします

宇都宮鎮房さんを黒田家が 神様




城井神社と扇城神社へ続く参道には、海上交通の神様

建立されています


石垣には往時、鉄板を用いた強固な扉付きの門 鉄御門があったそうです。
金刀比羅宮の拝殿横から、河川敷公園と中津川( 高瀬川 )を見下ろす。
木陰で独り、オカリナを吹いていらっしゃる高齢の女性が居ました


中洲を挟んだ対岸( 福岡県吉富町 )は、これまた宇都宮氏に纏わる悲しい
歴史の残る場所でもあるため、もしかすると鎮魂かなぁ・・・と思ったり。

また、この場所はかつて天守があったとすれば、その候補地でもあるんです

もしそうなら望楼からの眺めは、こんなだったのかな~。いや、もう少し高いか

風に乗って聴こえてくるオカリナの曲 『 上を向いて歩こう 』 に暫し耳を傾け


参道の方を振り返ると

大きなカラス君が一羽



立派なカラス君は、カァカァ鳴くこともせず、ただ石柱に堂々と留まって時折り
こっちをチラ見。 カメラを差し向けて、写真を撮っても逃げないんですよ~

このお社の主ですか?あなたは。 ま、大体見当はつきますけどネ


さすがに石段を降りる時には、カラス君は大きな翼を水平に広げ、スーッと滑空
して行ったものの、まーりたん一味が石段を下り終えて、参道へ降りると再び
戻ってきて、


お見送りしてくれてるの? もうちょっと中津城を探訪させて頂きますよ~



参道には、なぜか北斗七星

修験道が盛んだった求菩提( くぼて )山から近い寒田地区の城井川上流です。
『 ひとは大自然の微妙なバランスの上に辛うじて生かされている 』
求菩提資料館で頂いた資料( 求菩提資料館ジャーナル2012年3月号 )に、
修験道は、そうした大自然に感謝し、神様として崇める密教( 真言宗と天台宗 )
との関わりが深いと書かれていました。 宇都宮氏の菩提寺・天徳寺もかつては
天台宗だったそうです。 そうした事から、お星さまなのかしら


星は、社務所の壁にも描かれてるんですよね( カラス君の背景に写ってます )。
社務所の戸を叩き、 「 教えて下さーい


これまで豊前国でせっせと集めた手持ちの資料による推測です、あしカラズ


人間中心の発想でない自然信仰、もう一度 見直す時期に来ているのかも・・・

※本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。
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とってもこじんまりした綺麗なお城でお濠の周りは夏には蓮の花がとっても綺麗です。
また横の中津川は野鳥もたくさん来るので一石二鳥なんです(^^)v
大河はやく始まらないかな~待ちきれん(笑)
全ポチ★
今日も一日お疲れ様でした。