びっくりさせてごめんなさい


ここは JR田主丸駅 カッパ駅舎2階に設けられている河童資料室です

まーりたんが持っているのは、魔除け・除災招福の河童面


後ろの本棚には、妖怪博士・水木しげる大先生の著書をはじめ、河童に纏わる
書籍がぎっしりと並んでいます。 さらに資料室の壁には古代、大陸から九州の
田主丸へ移り住んだと伝わる九千坊河童( 河伯 )について、郷土史家や九大
農学部助教授の考察レポ等も貼られており



踊り場の窓から眺める久大本線と夏の空。

資料室へ続く階段の壁や踊り場にも、日本最古の河童の画や文献の写しなど、
所狭しと河童関連資料が展示されているんですが、その中に水木しげる先生の
お姿を発見







鬼太郎に代表される水木先生のマンガやアニメも大好きですが、小学校の頃
繰り返し読んでいたのは、『 のんのんばあとオレ

背後からべとべとさんがついて来る気がしたし、トラウマになる位に面白かった

さて、前置きが長くなりましたが、こちらは資料室の壁に10枚編成で、紙芝居風に
紹介されていた、福岡は田主丸に伝わる 『 かっぱの総大将 九千坊物語 』。

一体どんな伝説なのか、拙ブログにも資料として残しておきたいので、ノーカットで
お届け&掲載させて頂きます。 宜しければ、どうぞご一緒にお楽しみ下さい



天地をも狂わす九千坊が神の怒りにふれ、九千メートルの威容を誇っていた
事から九千山と呼ばれた 今のエベレスト山に閉じ込められたのは、ずーっと昔。

神の怒りがとける時がようやく訪れます。 九千山のてっぺんに強い光りが
突きささり

飛び散る巨石と一緒に、インドのデカン高原まで吹き飛ばされてしまいました。

かっぱの総大将・九千坊が解放されたことで、世界中の河童たちは大変喜び、
九千坊は、崩壊で低くなった九千山を元通りにする事を生涯の目標にします。

世界中の河童を総括していた九千坊の幽閉中に、頭角を現したのが孫悟空の
兄弟で、中国の川に棲む河童・沙悟浄です。 沙悟浄は既に世界中の山や川を
支配下に置き、残すはヒマラヤだけとなっていました。

山の河童と、沙悟浄率いる川の河童との攻防戦は、来る日も来る日も続きます。

頭目カッパ同士が対峙したのは、パミール山地のタクラマカン砂漠でした。
新興勢力の沙悟浄も、九千坊に負けない実力の持ち主。 長老の提案により、
沙悟浄と九千坊は、九千山の崩壊時に吹き飛んだ巨石で力比べをする事に。

力比べもなかなか勝負がつきません。 しかし、九千坊が重さ九千トンもの巨石を
軽々と持ち上げ、遠くまで投げ飛ばしてしまったことで、沙悟浄はついに降参。

川河童の大将・沙悟浄を参謀役に、九千坊は河童の総大将に君臨します

九千坊たちは、砂漠に散らばった巨石を九千山へと運び、修復につとめますが、
巨石の間を埋める上質な栗石が必要です。 沙悟浄の助言により、九千坊達は
シルクロードを進み、中国、朝鮮を経て海を渡り、日本を目指します


九州は熊本、八代に上陸した九千坊たちは、そこから筑後川をさかのぼり、
田主丸を流れる支流・巨瀬( こせ )川の蛇渕に、本拠地を置くことに決めました。
ヒマラヤの雪解け水もさることながら、筑後の川水も神通力が冴えわたる美しさ。

九千坊は、九千匹の家来達を日本中の河川へと分散させ、
九千山が元の高さ九千メートルに戻る日を夢見て、毎日せっせと川底の小石を
集めては今も、ヒマラヤへ運ばせているんだそうです

お~しまい




古代、大陸から九州へ移住し、日本各地へ分散したという九千坊一族の話。
梅木利巳氏( 九州大学農学部助教授 )説では、九千坊は中国雲南省から
インド東北部一帯、温暖で豊かな水にも恵まれた肥沃なアッサム地方の出自。
火野平氏説は、九千坊はパミール山地( 中央アジア )タクラマカン砂漠を流れる
ヤルカンド河の源流に棲んでいたが、寒冷と食糧不足の為、二隊に分かれて
大移動をし、うち一隊はハンガリーの首都ブダペストに定住したと唱えています

JR田主丸駅の河童資料では、九千坊一族が日本へ渡海した後については次の
通り



五世紀初めに球磨川河口、八代の “ 徳の津の淵 ” に上陸、定住するものの
戦国時代に球磨川を追われ、筑後川へと逃げ延び、一旦は久留米水天宮の
護り役となる九千坊一族。 しかし、江戸時代の文化年間( 1804~1817 )、
久留米藩主・有馬家は、水神様を日本橋の蛎殻町へ移し、水天宮を祀ったことで
九千坊一族も下屋敷に近い海を離れ、後、隅田川で暮らすようになったとか・・・。
筑後川畔で生まれ、筑後川の水を産湯に使ったという筑紫次郎の伝説紀行には、
“ 筑後のカッパは、田んぼの水を汲み上げたり、害虫を駆除してくれたり、
それはもう良い事ずくめだった。 ただ、ちょっとだけ人間の女性に
惚れやすかったり、相撲をとろうとねだる以外は、人に悪さをする事はない ”
と御紹介されてます

久留米市瀬ノ下の水天宮総本社には現在、安徳天皇や生母の健礼門院など、
平清盛一族が祀られています。 だからなのか、田主丸を流れる巨瀬川に棲む
河童については、平清盛の化身で、九千坊の家来だとする伝説もあるんです

このお話は、これからスタートする 田主丸カッパ史跡めぐりの折にでもまた


河童に纏わる史跡が集中する巨瀬川のほとりを散策中、こちらに気づき、
「 今から飛び込むので、観ててくださーい

ポーズをきめ、不自然なほど人懐っこく叫ぶ元気な

ホンモノに出会ってしまった・・・

次回へ続きます

※本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。
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