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まーりたん

Author:まーりたん
大分県で暮らす四十路主婦
“ まーりたん ” の
ブログへようこそ(*^^*)♪

日々を彩る ちょっと素敵な
出来事を我が家の笑導犬?
マンジ君と楽しくお届けして
ます。目下、郷土史に夢中♪
心躍る探訪をご一緒に。

臼杵の富士甚醤油マスコット
キャラ・とっくりこだぬき君が
仲間入りしてからは、嬉しさ
余ってマンジ君の“ 悪がね ”
ぶりもますますエスカレート。

そんなふたり(2匹)の様子も
併せてお楽しみ下さい(*^^*)

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びっくりさせてごめんなさい

でた!河童(笑)

ここは JR田主丸駅 カッパ駅舎2階に設けられている河童資料室です

まーりたんが持っているのは、魔除け・除災招福の河童面

後ろの本棚には、妖怪博士・水木しげる大先生の著書をはじめ、河童に纏わる

書籍がぎっしりと並んでいます。 さらに資料室の壁には古代、大陸から九州の

田主丸へ移り住んだと伝わる九千坊河童( 河伯 )について、郷土史家や九大

農学部助教授の考察レポ等も貼られており、毎度の事ながらつい熟読








踊り場の窓から眺める久大本線と夏の空。

田主丸河童駅舎の二階より
 

資料室へ続く階段の壁や踊り場にも、日本最古の河童の画や文献の写しなど、

所狭しと河童関連資料が展示されているんですが、その中に水木しげる先生

お姿を発見 上の画像中央の柱がある辺りで撮影された写真の様です

平成4(1992)年9月4日に水木しげる先生がいらしてました

先生は平成4( 1992 )年9月4日に、田主丸へいらっしゃったんですネ

鬼太郎に代表される水木先生のマンガやアニメも大好きですが、小学校の頃

繰り返し読んでいたのは、『 のんのんばあとオレ 』 でした。 夕暮れ時は

背後からべとべとさんがついて来る気がしたし、トラウマになる位に面白かった









さて、前置きが長くなりましたが、こちらは資料室の壁に10枚編成で、紙芝居風に

紹介されていた、福岡は田主丸に伝わる 『 かっぱの総大将 九千坊物語 』。

国指定・田主丸の河童伝説を学習♪河童の九千坊物語1

一体どんな伝説なのか、拙ブログにも資料として残しておきたいので、ノーカットで

お届け&掲載させて頂きます。 宜しければ、どうぞご一緒にお楽しみ下さい


九千坊物語2

天地をも狂わす九千坊が神の怒りにふれ、九千メートルの威容を誇っていた

事から九千山と呼ばれた 今のエベレスト山に閉じ込められたのは、ずーっと昔。 


九千坊物語3

神の怒りがとける時がようやく訪れます。 九千山のてっぺんに強い光りが

突きささり、頂上付近は大音響とともに崩壊。 幽閉されていた九千坊は

飛び散る巨石と一緒に、インドのデカン高原まで吹き飛ばされてしまいました。 


九千坊物語4
 
かっぱの総大将・九千坊が解放されたことで、世界中の河童たちは大変喜び、

九千坊は、崩壊で低くなった九千山を元通りにする事を生涯の目標にします。


九千坊物語5

世界中の河童を総括していた九千坊の幽閉中に、頭角を現したのが孫悟空の

兄弟で、中国の川に棲む河童・沙悟浄です。 沙悟浄は既に世界中の山や川を

支配下に置き、残すはヒマラヤだけとなっていました。


九千坊物語6

山の河童と、沙悟浄率いる川の河童との攻防戦は、来る日も来る日も続きます。


九千坊物語7

頭目カッパ同士が対峙したのは、パミール山地のタクラマカン砂漠でした。

新興勢力の沙悟浄も、九千坊に負けない実力の持ち主。 長老の提案により、

沙悟浄と九千坊は、九千山の崩壊時に吹き飛んだ巨石で力比べをする事に。


九千坊物語8

力比べもなかなか勝負がつきません。 しかし、九千坊が重さ九千トンもの巨石を

軽々と持ち上げ、遠くまで投げ飛ばしてしまったことで、沙悟浄はついに降参。


九千坊伝説9

川河童の大将・沙悟浄を参謀役に、九千坊は河童の総大将に君臨します

九千坊たちは、砂漠に散らばった巨石を九千山へと運び、修復につとめますが、

巨石の間を埋める上質な栗石が必要です。 沙悟浄の助言により、九千坊達は

シルクロードを進み、中国、朝鮮を経て海を渡り、日本を目指します


九千坊伝説10

九州は熊本、八代に上陸した九千坊たちは、そこから筑後川をさかのぼり、

田主丸を流れる支流・巨瀬( こせ )川の蛇渕に、本拠地を置くことに決めました。

ヒマラヤの雪解け水もさることながら、筑後の川水も神通力が冴えわたる美しさ。


九千坊伝説11

九千坊は、九千匹の家来達を日本中の河川へと分散させ、

九千山が元の高さ九千メートルに戻る日を夢見て、毎日せっせと川底の小石を

集めては今も、ヒマラヤへ運ばせているんだそうです

お~しまい








田主丸の馬場瀬神社に安置されている九千坊と名軍師沙悟浄の木像です。

河童の九千坊と沙悟浄

古代、大陸から九州へ移住し、日本各地へ分散したという九千坊一族の話


梅木利巳氏( 九州大学農学部助教授 )説では、九千坊は中国雲南省から

インド東北部一帯、温暖で豊かな水にも恵まれた肥沃なアッサム地方の出自。

火野平氏説は、九千坊はパミール山地( 中央アジア )タクラマカン砂漠を流れる

ヤルカンド河の源流に棲んでいたが、寒冷と食糧不足の為、二隊に分かれて

大移動をし、うち一隊はハンガリーの首都ブダペストに定住したと唱えています 




 

JR田主丸駅の河童資料では、九千坊一族が日本へ渡海した後については次の

通り これは各時代、九州で起きたどんな出来事を物語っているのでしょう

九千坊物語考3

五世紀初めに球磨川河口、八代の “ 徳の津の淵 ” に上陸、定住するものの

戦国時代に球磨川を追われ、筑後川へと逃げ延び、一旦は久留米水天宮の

護り役となる九千坊一族。 しかし、江戸時代の文化年間( 1804~1817 )、

久留米藩主・有馬家は、水神様を日本橋の蛎殻町へ移し、水天宮を祀ったことで

九千坊一族も下屋敷に近い海を離れ、後、隅田川で暮らすようになったとか・・・。





筑後川畔で生まれ、筑後川の水を産湯に使ったという筑紫次郎の伝説紀行には、

筑後のカッパは、田んぼの水を汲み上げたり、害虫を駆除してくれたり、

それはもう良い事ずくめだった。 ただ、ちょっとだけ人間の女性に

惚れやすかったり、相撲をとろうとねだる以外は、人に悪さをする事はない


と御紹介されてます





久留米市瀬ノ下の水天宮総本社には現在、安徳天皇や生母の健礼門院など、

平清盛一族が祀られています。 だからなのか、田主丸を流れる巨瀬川に棲む

河童については、平清盛の化身で、九千坊の家来だとする伝説もあるんです

このお話は、これからスタートする 田主丸カッパ史跡めぐりの折にでもまた

田主丸を流れる巨瀬川

河童に纏わる史跡が集中する巨瀬川のほとりを散策中、こちらに気づき、

今から飛び込むので、観ててくださーい 」 と、

ポーズをきめ、不自然なほど人懐っこく叫ぶ元気なカッパ 筑後っ子たち 

ホンモノに出会ってしまった・・・


次回へ続きます








本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます

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2013/07/24(水) 18:23 | コメント:5 | トラックバック:0 |
コメント

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香奈子 : 愛しき存在。

こんばんは(^。^)
小さい頃は、水木先生の作品は怖かったです。
でも、ならば見なきゃいいのに、見るんですよね〜
妖怪にも様々居るようですもんね。
河童は、居ると思っています。
龍とは、又違う形で、水という生きものには欠かせないものを
守ってくれているのかなと(u_u)

今も石を運んでいるのでしょうね・・・
そのうち、人が地球を汚す行いを改めなければ
河童たちが、痛い教訓を与えそう・・・。

子供たちの無邪気な勇姿に救われる思いがします☆

まーりたん : 香奈子さんへ

香奈子さん、ようこそ♪
貴重なお時間を割いてのご訪問、温かいコメント
いつも心より感謝していますe-446v-238

私も香奈子さんと同じで、水木しげる先生のマンガは
そのタッチからして独特で、これは夢に出てくるだろうな~i-230
分っていながら、読み始めると引き込まれてしまうんですよねi-229

只、おどろおどろしい画e-236で怖がらせるんじゃなく、ストーリーが
真理を突いていたり、心に響くからなんじゃないかなぁe-3v-410

九千坊は河童とは別物らしく、田主丸では河伯( 川の殿様e-496 )と
呼ばれ、その通り水神様として信仰されているみたいですe-416
その土地々々により龍だったりと、興味深いですネv-398

九千坊物語も読んで下さり、ありがとうございますe-466i-201
そうですよね、人間が調子に乗って生態系など自然のバランスを
好き勝手に脅かせば、かならずリバウンドは起きますv-393 
自然を守ることも壊すことも出来るのは人間だけですe-332

飛び込みを宣言する子供達へ 「 危ないよーi-201 」 とは言ったものの、
頭ごなしに「 やめなさい! 」とは言えずe-443、結局ハラハラしながら
一部始終を見守ってたんですが、さすが慣れたものですe-451 
深い淵へ移動して飛び込んで戻ってきてv-447、河童より上手かもe-330

しばやん : こんばんは

渡来人の記事に河童の伝承のコメントを頂いてありがとうございます。
渡来人についてはいろんな説があるようで、以下のサイトでは「縄文系の平均寿命は僅か 14歳、これに対して渡来系は 25歳である。」と書かれています。
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2006/10/000010.html

どちらも短いのは乳幼児の死亡が多いことを織り込んでいるためですが、渡来人の方がはるかに寿命が長かったことは確実です。とすると、禿げ頭の男性がいる確率が高まるわけで、渡来人が「河童」の絵のように描かれた可能性が理由がそこにあるかもしれませんね。

まーりたん : しばやんさんへ

しばやんさん、ようこそ♪
貴重なお時間を割いてのご訪問、温かいコメント
いつも心より感謝していますe-446v-238

しばやんさんが渡来人について考察された記事を拝読しe-317
瞬時に、田主丸に伝わる九千坊伝説を思い出してしまってe-451e-77

九千坊伝説の記事を御覧下さった上に、真摯なお言葉まで
頂き恐縮ですe-466 お手数おかけいたしましたe-330

ご紹介のサイト・縄文と古代文明を探求しよう!観ましたi-237

『 渡来系の人々は爆発的に人口を増加させる事によって、
あっという間に縄文系の人々の人口を追い越し、
福岡周辺の平野を埋め尽くしていったのだe-337 』

興味深いですe-266
大陸から河童の大群が八代に上陸しv-535、筑後平野に棲みついた
伝説は、ずばり、この事を言っているような気がしますe-284e-343

当時の日本人より寿命が長かった渡来人を、禿げ頭の河童と
繋げられるしばやんさんの発想にも、納得ですe-349

一方で、大分県 国東半島沖の姫島には垂仁天皇の時代、
大陸から一人のお姫様が逃げてきてv-232、稲作や機織りを
教えたという伝説が、島の名前にもなって残されていますi-228i-176

このお姫様も渡来人でしょうけど、こちらは筑後の河童とは
まるで正反対の少人数も少人数、女性ひとりですe-50

“ 考古学では「少数渡来」、人類学では「大量渡来」 ”

このくだりも面白く、興味深いですv-410
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