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まーりたん

Author:まーりたん
大分県で暮らす四十路主婦
“ まーりたん ” の
ブログへようこそ(*^^*)♪

日々を彩る ちょっと素敵な
出来事を我が家の笑導犬?
マンジ君と楽しくお届けして
ます。目下、郷土史に夢中♪
心躍る探訪をご一緒に。

臼杵の富士甚醤油マスコット
キャラ・とっくりこだぬき君が
仲間入りしてからは、嬉しさ
余ってマンジ君の“ 悪がね ”
ぶりもますますエスカレート。

そんなふたり(2匹)の様子も
併せてお楽しみ下さい(*^^*)

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九州制覇の野望達成まであと一息の島津軍は、秀吉さんの 惣無事令なんて

聞いてる場合じゃありません 天正14( 1586 )年7月10日、大友氏と

和議を結んだ筑紫氏の勝尾城( 佐賀県鳥栖市 )を開城させた勢いで、お次は

大友家臣・高橋紹運さんの岩屋城( 福岡県太宰府市 )へと、モーレツ進軍


一方で、天下人秀吉さんもこの日ついに九州平定( 島津征伐 )に乗り出します


正面は、高橋紹運さんの岩屋城がある四王子山

岩屋城は、正面の 四王寺山中腹に建つ、防衛拠点的な小さなお城です。

427年前はどんな景色だったのかな、など巡らせつつ、島津軍目線で一枚

クルマの屋根に腹ばいになってのカーアクション中ではありません、念のため







その数5万余りに膨れ上がった島津軍は同年7月13日、筑前太宰府に到着

岩屋城本丸より見下ろした 太宰府から二日市にかけての一帯は、丸に十字の

島津家を中心に、服属の豪族らの色鮮かな幟で埋め尽くされていたと云います。

天正14(1586)年7月13日、眼下・太宰府から二日市にかけては島津軍の旗で埋め尽くされた

高橋紹運さんは島津軍到着前に、老幼婦女子そして妻子を宝満城に避難させ、

自分はこの岩屋城で763名の城兵と共に、力の限り戦い抜く事を決めるのです。







義とプライドの為に戦って潔く散るのが武士の道?美学?とされていた乱世

命惜しさに無様に逃げでもすれば全て没収の上、後々まで叩かれまくりでしょうし、

時代感の違いもあるんでしょうけど、小市民まーりたんは、残された者の気持ちに

肩入れしちゃって、主君の為とか、意地で死なれちゃうのは、やっぱりNGです


岩屋城本丸跡解説

ただ、高橋紹運さんは、義とプライドは勿論ですが、それ以外にも思うところが

あった方だと思うんですね。 いえ、そちらの比重の方が高かった、かもしれない。

だから心を惹かれるのだと思います




これについては次回また改めて綴らせて頂こうと思いますが、島津軍5万に対し

大友軍は僅か763人。 それでも紹運さんは様々な策を凝らし、見込みを立て、

限界まで諦めず、島津軍に立て直しが必要なほどの大きな痛手を負わせ、

結果的に九州制覇を食い止める、という奇跡を起こしています





しかし、作戦を成し遂げる為には、玉砕を覚悟しなければならなかった・・・

現代においても、本気で何かに取り組んで、自分なりに納得いく成果を出そうと

する時には、背水の陣的な覚悟は必要ですよね。 実際には死ななくても。

紹運さんは義やプライドのためだけに、玉砕による最期を選んだのではなく、

自分の可能性を使い果たした上で、死に臨んだ方の様な気がするんです。





それに加えて平凡な親心が、結果として九州を守り抜いた? 小は大を兼ねる?

プラス、欲しがるばかりでは決して手に入らないオマケまで付いてきたという...。 

紹運さんの史跡探訪では、こうしたことを改めて教えて頂いた気がします

岩屋城・二の丸曲輪つきあたりは紹運さんの胴塚
高橋紹運さんと763名の城兵のお墓がある岩屋城二の丸曲輪跡 )






本拠地から遠く離れた筑前で、小さな防衛拠点を担わされた豊後大友氏家臣、

一人の青年武将に過ぎなかった高橋紹運さんの名は、その人となりを含め、

九州では名高い大名をしのぐほどに、語り継がれているんです 

勿論これは、まーりたんの知識が狭いだけで、紹運さんのような生き方をされた

先人の方は、数多くいらっしゃる事でしょう。 まだ片手で余る程度ですが、

遅かれでも、こうした方に出会える度に希望を感じ、満たされた気持ちになります。






今回はとりとめのない話ですみません

次回は、約半月にわたる岩屋城での籠城戦を、現地で入手したパンフレット

岩屋城[1586]玉砕覚悟の籠城戦 』 を参考に、日を追って詳しく紐解いて

みたいと思います。 ご興味ある方は、引き続き御観覧頂ければ幸いです 
 




紹運と宋雲尼【11】【12】【13





本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。

記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます





貴重なお時間を割いての温かいコメント、応援いつも心より感謝しています

所用でコメントのお返事、少し遅くなります、ご了承ください



関連記事

2013/10/18(金) 19:11 | コメント:9 | トラックバック:0 |
コメント

香奈子 : 素晴らしい武将!

こんにちは(^^)
まーりたんさんがご紹介して下さる先人方は、
どなたも素晴らしくて、伝え方も活き活きとしているので
時折、現代に生きているような気がすることが、
これまでも度々ありました。。
今回の紹運さんもそうです。義とプライド!
それだけではない人物だったとのこと、
素晴らしき方だったんですね!
最後まで投げ出さず、策をこうじた姿が浮かぶ気がして
少し切なくなりました。
次回も楽しみにしています☆

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まーりたん : 香奈子さんへ

香奈子さん、ようこそ♪
貴重なお時間を割いてのご訪問、温かいコメント
いつも心より感謝していますe-446v-238

西日本は雨模様の週末ですねv-464v-410
お身体、冷やさない様に充分お気を付け下さい、香奈子さんv-22

今回も真摯にお付き合い下さり、すごく嬉しいですe-454e-343
紹運さん、史料を読んで知れば知るほど本当に素晴らしい方でe-420
想いを馳せると、当時はこんな心境だったのではe-3と、もうありありi-228i-176

ま~毎度お馴染みの事ですがi-229、この逞しき妄想力のため
今朝トイレに入っている時に、本命の用を足すのも忘れi-278
突然涙がこぼれたりi-241 それが香奈子さんへ伝わったのかもi-179
官兵衛さんとの間で今、ハァトが非常に揺れておりますv-411e-2 

紹運さんの岩屋城の後方には、実子の立花宗茂さんと妻・誾千代さん
まだ10代の若夫婦が守る立花城e-496が控えていて、そこへ
ダイレクトに進軍e-282されるのを何としても阻止したかったのではないか、

そして志半ばで他界した恩師・道雪さんv-509の悲願にも、紹運さんは
きっと報いたかったでしょうし、秀吉さんの援軍到着まで待ってたら
九州は島津軍に間違いなく占領されてしまうしv-393、切ないですねe-263

次回も楽しみにして下さり、ありがとうございますv-398
紹運さんと763名の勇士の方々について知る事が出来た幸せに
感謝してv-425、冥福をお祈りしながら心して書きますi-220i-176

明日は出掛ける予定がありますので、更新は月曜以降になるかと
思いますが、宜しければまたお付き合い下さいませv-410e-266

mozqman : 大友家の忠臣

主君を裏切るのが当たり前の下剋上の世にあって、
道雪・紹運お二方(と御家来衆)の忠臣ぶりは素晴らしいですね。
褒めれば褒めるほど宗麟・義統が情けなく…。

最盛期の大友氏は港町博多と長崎~府内・臼杵を結ぶ
キリシタンベルトで持っていた。ところが肥前の龍造寺氏と
薩摩の島津が勢力を増すと博多を失い、ベルトは裂かれた。
臼杵市教育委員会の神田高士先生がお作りになった
1580年の九州勢力図を見るとよく理解できます。
だからこそ道雪・紹運の活躍は歴史的意義が高く、後世にも賞賛される。

博多と肥後の高瀬浦の貿易港を失うといくら海外貿易に長けたアジアン大名と言えども
硫黄の輸出ができない、硝石・鉛の輸入もままならなくなる。
また豊後水道を南下しても島津が待ち構えている。ヴァリヤーノも右往左往。
ついでながら毛利水軍に怯えながらやとこさ秀吉に謁たのでしょう。

絶対に筑紫地方を守らねばならなかった。その重要性を大友父子は
どの程度理解していたのか。宗麟は博多に何回訪れたのでしょう。
どこか貴族的で遠地の荘園経営感覚でしかなかったのでは。

タイムスリップされて岩屋城からの高橋紹運さんの実況リポート、
楽しみにしています。ヘルメットをお忘れなく。安全第一ですよ。

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まーりたん : mozqmanさんへ

mozqmanさん、ようこそ♪
貴重なお時間を割いてのご訪問、温かいコメント
いつも心より感謝していますe-446v-238 お返事が遅くなり、すみませんv-421

昨日は大分市東部へ出かけていてv-448、いつも中世ばかりに入り浸っている為v-490
たまには平成文明に親しもうかしらとi-278、2年ぶりぐらいにパークプレイスに
立ち寄ったところ、かれこれ40年来の親友に、まさかの確率でバッタリe-451
人目もはばからず抱き合って、喜びあってしまいましたe-266 
あるんですね、こういうことってe-454 閃きで動くと、やっぱり楽しいですe-77i-237 

紹運さんの連載記事に mozqmanさんから熱いエールを頂けて、光栄の極みですe-349
島津軍が府内へ攻め込んできた時にe-282、大友義統さんを安心院の竜王城まで
逃がしたのは高橋紹運さんの甥、吉弘統幸さん。
さらに吉弘統幸さんは、石垣原の戦いでこれまた義統さんのために・・・e-263
豊後高田の吉弘家は素晴しいですねe-354 
来年こそは吉弘楽を是非、見学に行きたいと思っていますv-410

また、豊後高田の屋山城址は、立花宗茂生誕の地v-511としてPRしても
良いんじゃないかナ、とv-398 知らない方が多いので勿体ないですe-330

九州平定直前の島津軍との戦では、紹運さんは筑前の岩屋城で、
豊後鶴崎では妙林尼さんがv-207、戸次では宗魚さんと四国先発隊の方々が、
ド根性で頑張られてv-220、大友宗麟公も臼杵城で名誉挽回の奮闘をする一方e-268
府内を棄てて逃げちゃった大友義統さんは、どのサイトを見ても
気の毒なほど叩かれまくりですねe-351

でも、義統さんが亡くなってしまったら、それこそ大友家再興は絶望ですしv-393
黒田官兵衛さんだって、小田原攻めの時は一時危機的状況に陥って、
息子の長政v-205を逃れさせようと、家臣に託しています。

また大友義統さんの気持ちになってみれば、不仲の両親には散々悩まされ、
離反者も続出するこんな大友家の為に、とても身体を張って戦う気には
なれなかったのではないかな~e-3とも思えて来たり・・・。

キリシタンベルトは、後に加藤清正公が整備した肥後街道ですよねv-540e-343
神田高士先生の1580九州勢力図は、図書館に行けば見れるでしょうかi-176
いつも貴重な情報を本当にありがとうございますv-421 凄く嬉しいですe-266

紹運さんの続編も楽しみにして下さり、重ねてお礼申し上げますv-398
矢玉除けのヘルメットを被りv-512、心して書きますe-149v-410e-414

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mozqman : 硝煙と十字架

こんにちは。またお邪魔いたします。
アサギマダラを追いかけていたら腰を痛めて…。
大友家臣団や筑紫での動きは不勉強でして
貴ブログを興味深く拝読しています。

『硝煙と十字架』という講演の中で、スライドの1コマです。
終了後よく理解できたことを告げますと、「キリシタン帯の横軸と
造龍寺と島津が直接対決する縦軸が作る十字の意味もあります」と、
明かしてくれました。こういう図を作るには史料集めに
相当なご苦労があったはず。笑顔の裏に読みとれました。
「宗麟は徳のある人とイエズス会は評していた」と締めくくられ、
晩年はそうだったのかと、私も含め会場は歓びの雰囲気でした。

どうも宗麟は性能の悪い石火矢をつかまされたようで、硝煙が不足していたのか
一度も使用されなかった。また大量殺戮に否定的な平和主義者だった?
幕末ロシアに渡ったもう一つのドンフランシスコ花押のある砲は府内産コピー物。
原料の青銅は破却された梵鐘と推測されると、答えて下さいました。

新居浜高専の鹿毛先生と臼杵の神田先生は豊後中世史研究の第一人者であり旬。
最新の成果を直接拝聴できて贅沢な気分でした。

大分市は頻繁にこうした講演会や講座を開いています。
アンテナをピンと張ってないとつい見逃してしまう。
来月はホルトホールで1時半から3時まで、
11月9日(土)豊後キリシタン史料との出合い
11月23日(土)ペトロ・カスイ岐部が遺した文化
申込みは終わりました。定員オーバーでしたが大きな会場に変えたり
二回講演の工夫で、聴講大歓迎のようです。まだ受け入れてくれるかも。

大友歴史発掘資料館でも
11月10日(日)大友氏と南蛮文化 10時から12時まで。
と、めじろ押し。さらに9、10日は『宗麟公まつり』忙しい秋になりそう。

信仰心の乏しい私でも、人との出逢いには「神様の存在」を意識すること度々です。
遠からず何処かで。

まーりたん : mozqmanさんへ

mozqmanさん、ようこそ♪
貴重なお時間を割いてのご訪問、温かいコメント
いつも心より感謝していますe-446v-238 お返事が遅くなってすみませんv-421

アサギマダラの素晴しいお写真e-420、今朝拝見させて頂きましたv-10
早速のアップ、ありがとうございますe-466
飛翔シーンには本当に驚きましたe-451  秋は動きが鈍いとの事ですが、
自身は羽根を水平に広げたところさえ撮れず仕舞いで・・・e-444

mozqmanさんの腕前の凄さは、日頃から高校球児さん達e-45の迫力満点の
お写真で存じているつもりでしたが、改めてぶったまげましたv-405
同時に中腰で奮闘されるmozqmanさんのお姿も浮かんでしまってe-330
やっぱり腰に来ますよねv-393 どうぞお大事になさって下さいe-287v-22

宗麟関連の講演会や講座、参加しようしようと思いつつなかなかe-351
ブログを書く時間をねん出するだけでも日々四苦八苦なものでi-282
休日は史跡を訪ねて飛び回るのが今は凄く楽しいしv-448e-266
でも都合がついたときには是非、参加を申し込みたいと思いますe-454
更にそこでmozqmanさんにお会いできた時は、もー感激でしょうねi-237

中世史研究をなさってらっしゃる先生方も、そうして活き活きと
素敵な笑顔で講演して下さるとv-410、聴く側も楽しくワクワクしますよねv-345
好きな事のために費やす手間や苦労は、元気の素でもありますしi-236 

以前、大友氏遺跡体験学習館で頂いた歴史教室資料にもe-56
「 日本の王侯中、もっとも思慮あり、聡明英知な人e-420 」と
ルイスフロイスは宗麟について語っている、と記されていましたe-446

キリスト教を心底信じ、熱心に庇護したせいも大いにあるでしょうが、
宗麟は、この時代に多かった強欲で人を人とも思わない戦国大名とは
明らかに異質だと私は思いますv-398 もともと大金持ちの御曹司だった事と
不遇な生い立ちから気性が荒く、我侭なところはあったみたいですがe-351
九州6か国の覇者となったのは世襲&重臣から期待された流れでe-3
天下統一なんて頭に無かったでしょうし、できるなら戦はしたくないe-443
宗麟の行動を辿ると、その心根の優しさや苦悩が痛い程に伝わってきますe-263

宗麟は戦国大名というよりも、アジアの国の王様的というか・・・e-354
全く肌に合わない戦国時代を、宗麟公はよくぞ頑張られたと思いますe-460i-80
長い禁教時代のせいで、存在や功績を今まで封印されていたのが気の毒ですね。

信仰心は私も薄いですよ、mozqmanさんi-236
ただ、思い立ったが吉日で動くとv-355、不思議な事や嬉しい事に遭遇する
確率が上がるみたいですi-237 それがまた心身の活力剤となり・・・e-271e-454
お陰で40を過ぎても中身はトトロのメイだと相方に言われますi-179
ほんと、遠からずどこかでv-410e-343
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