大河ドラマ・軍師官兵衛がスタートしてから つねづね思っていた事なんですが、
黒田職隆(柴田恭兵さん)の弟 黒田休夢役の隆 大介さん、シブいですね~

第六話で、黒田官兵衛さんの妻・光( てる )へ 遠慮がちに鰻を届けるシーンでは
ちょっぴりコミカルな演技も光っていて、いぶし銀の存在感もさながら、ますます
好きになってしまいました

隆 大介さんは1985年に公開された映画 『 国東物語 』 で、主人公の大友義鎮
( よししげ ) = 若き日の豊後守護 大友宗麟公を演じていらっしゃるんですよね

映画・国東( くにさき )物語は、大分市出身の日本画家・高山辰雄画伯の長女
高山由紀子さんが、40代半ばの時に執筆された同タイトルの小説が原作で

ハイティーンの大友義鎮( 後の宗麟 )が、父との確執に悩み、様々な苦難の末に
豊後大友氏21代目当主となるまでの物語。 まーりたんは読んでいて、なんとなく
ジェームズ・ディーンのイメージと重なりました。 小説は2年前に古書フェアで購入
できたものの、映画は未だ観れてません。 日出町の老舗料亭・的山( てきざん )
荘を大友館に、国東の六郷満山など、映画は大分をメインに全編オールロケ

そのうちWOWOWで発掘映画として放送してくれないかな~なんて思ってます

映画・国東物語で青春時代の大友義鎮公を演じられた隆 大介さんは当時28歳。
ふと思い立って調べてみたところ


な~んと、お誕生日でいらしたんですね


おめでとうございます



ヘッドも良くお似合い。 観ていて今度は大友宗麟公とイメージが被ってしまう


さて、それでは嘉麻市役所 嘉穂庁舎から程ない母里太兵衛友信公の菩提寺
『 聖壽山 麟翁寺 』 探訪レポの続きに戻りたいと思います



大住職様が大分弁に近い親しみの湧くお国言葉で、あっけらかんと教えて下さった
「 アレ 」 の場所へやってきましたよ

可愛らしく咲いている蝋梅


大きさは違えど、大木の根本に仲良く並ぶ3つのお墓は、向かって左から

母里太兵衛友信公、中央の円柱形は太兵衛さんの息子・母里友晴さん、一番
大きいのが太兵衛さんの孫・母里友清さん、母里家3代のものだそうです


大友義統本陣跡の記事でも書かせて頂きましたが、母里太兵衛さんの正妻は
大友宗麟公の娘です。 太兵衛さんが側室を持っていた記録も調べた範囲では
見つからず・・・。 なので、もしかすると真ん中のお墓に眠る母里友晴さんは、
太兵衛さんと正妻の子、つまり大友宗麟公のお孫さんかもしれないんですね



こちらが

と、大住職様



麟翁寺では「 アレ 」で通じるらしい母里太兵衛( 母里但馬守友信 )公のお墓

こまい( 小さい )アレの他、2基のお墓についての詳細は訊きそびれましたが、
母里家3代、中央は大友宗麟公のお孫さんのお墓という事にしておこうっと


大友宗麟公の孫と言えば、大友氏22代義統( よしむね )公が秀吉さんの
朝鮮出兵時の失態を理由に豊後を改易された後、加藤清正公に預けられ、更に
黒田如水公に器量を見込まれて、徳川家の高家旗本となったラッキーボーイ

大友義乗( 大友義統の子・よしのり )さんが、まーりたんの知る限りでしたし、
母里太兵衛友信公のお墓があると聞いて訪れた麟翁寺でのオマケに感謝

母里太兵衛友信公のお墓傍の御影石に刻まれていた麟翁寺縁起略記


弘治2( 1556 )年に播州 加古川に生まれた母里太兵衛さん。
黒田節に謡われる、太兵衛さんが福島正則公から名槍・日本号を呑み獲った
天晴れ珍事件は天正18( 1590 )年1月3日、黒田家の年賀の使者として

京都伏見を訪れた時に起きた模様。 太兵衛さんはその時、え~っと34歳か


更に、後藤又兵衛基次さんが黒田家を出奔し、豊臣秀頼の家臣となり大阪城へ
入った後の慶長12( 1607 )年に、又兵衛さんの益富城( 大隈城 )を継いだ事、
8年後の慶長20( 1615 )年6月に他界された事、などが記されていました

母里太兵衛さんは、義兄弟の契りを交わした栗山備後利安( 栗山善助 )さんと
協力し合い、官兵衛さん、そして黒田家の危機をこれまた何度も救った方です。
秀吉さんの九州平定戦で黒田官兵衛さんが先鋒を任されたときは、島津方の城
豊前の宇留津城へ一番乗り。 滝をも制する?アノ槍使いで、がむしゃらに猛攻

大暴れして高い功績を挙げます


主君を決して裏切らない愚直な忠臣、しかも剛腕。 秀吉さんはそこを見込んで
太兵衛さんを直臣に欲しがったと云いますが、官兵衛さんに断られたとか

石垣原合戦では官兵衛さんの命令で、義理の兄である大友義統を諭し、降伏へ
導いた事からも、腕力だけでない太兵衛さんの直向きさ、誠実さが窺えます

お墓参りも済ませたし、墓地を出て山門へ向かおうとしたその時、
境内の犬小屋から麟翁寺のワンコくんが飛び出してきて、
杭から延びたリードに首を引っ張られた状態で立ちあがり、吠えるでもなく
しきりにシッポを振って、両前足でオイデオイデするのです・・・



近づいて、左手を差し出してみたら、両手( 両前足? )をこんなふうに乗せて
まーりたんの指先をくんくん。 その仕草がとっても可愛いので、ダウンコートの
右ポッケに仕舞っていたデジカメを出して、片手でパチリ


安心したのか、両手( 両前足? )は掌に乗せたまま、今度は完全リラックスモード。
シッポは絶えず振りながら、余程まーりたんを気に入ってくれたのかと思いきや、
このワンちゃんは、目の前にいるまーりたんを見てない事にハタと気付きました


かたく握手した手( 前足? )は依然そのままだけど、ワンコが真っすぐ嬉しそうに
見つめる先は何故かまーりたんの右肩あたり

太兵衛さんと義兄弟の契りを交わしたお兄さん・栗山善助さんゆかりの史跡・・・
もしかして、まーりたんから麻底良城の匂いがするとか? なら、このワンコが今
見ているものは




お顔の角度といい、まなざしといい・・・やっぱり似ています

・・・ということで、お待たせしました

次回は母里太兵衛さんが後藤又兵衛さんから受け継いだ黒田六端城の
ひとつ、嘉麻市の益富山頂に遺る益富城( 大隈城 )跡へ



・・・と行きたいところですが、ちょっとココへ寄り道しまーす



●参考文献・資料 : 八幡和郎著 「 軍師黒田官兵衛~その戦略と生涯 」
軍師官兵衛福岡プロジェクト協議会発行・福岡を創った男~黒田官兵衛
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