2月も半ばを過ぎたというのに依然、厳しい寒さが続きますね

温暖な瀬戸内気候で 積雪は年一度あるかないかの大分市でさえ、
今年のバレンタインデーは、まさかの雪国に様変わり

愛車ミカン号も冷凍ミカンと化し


未曾有の事態にも関わらず、記念撮影




予報では今日以降またも積雪との事で、えらいこっちゃと昨日は買い出しへ


相方の大好物の けんちん汁をお鍋いっぱい作るなど、3~4日分の食料備蓄に
台所でひとり目を回していたんですが



だけど冷たいです。 どうぞ、皆さま暖かくしてお過ごしください


また、大雪で被害に遭われた皆さまには心よりお見舞い申し上げます

そんな寒風ふきすさぶ先日、相方は大分県中津市へ、またまた日帰り出張


前回に続き、今回も仕事の合間を縫って( 本当に合間を縫ってなのかは不明 )、
中津城の偵察に行ったらしく、現地よりメールにて中津城天守の撮れたて写真が
一枚届き、帰宅後は広峯神社の御師の如く?大河ブームに沸く城内の様子を
話してくれるものだから、トイレに行きたいのも我慢して 有難~く拝聴しました

なので今回は勝手ながら、福岡県嘉麻市の黒田二十四騎縁の地めぐり続編は
お休みさせて頂き、最新の中津情報を少しばかりお届けしたいと思います


黒田官兵衛孝高( 如水 )公42歳の時、秀吉さんの九州平定( 島津征伐 )戦の
先鋒を務めた功績で、豊前( 福岡県東部~大分県北部 )に6郡12万石を貰い、
九州で最初に造営した城郭 中津城

観に行った時よりも相当に増えてるとか。 ここは九州?と思うほどのあり得ない
極寒の中、本当に嬉しく、有難い事ですね




ところで中津城天守の望楼に

この方、今ちょっと話題の人なんだそうなんです

歩いている時に、頭上高く法螺貝の音が勇壮に響き渡り、見上げると観光客の
方々に囲まれて、この赤い陣羽織姿の武将さん

ヤングでイケメン揃いの武将隊とは一味違う、筋金入りの侍スピリットをお持ちの
サービス精神&癒しムードあふれる方の様


「 今回のニャかつ土産は兜最中ニャのだ 」

「 マンジ君、その兜最中の製造販売元・中津市京町の栗山堂さんはね、
官兵衛さんの側近中の側近だった栗山善助さんの子孫が営まれてるそうだよ


「 栗山善助さんと言えば、後の名は栗山備後利安。 官兵衛さんが最も信頼を寄せ
亡くなる時には実際に使用した合子形兜と鎧、黒田家の後事を託した・・・あっ


「 赤色ではニャいが、あ!官兵衛くんとお揃いのミニ合子形兜ですニャ~

「 官兵衛さんの兜は、福岡市博物館に所蔵されている真っ赤な朱塗合子形兜
( しゅぬりごうすなりかぶと )が印象的だけど、あれは福岡藩三代目の光之公が、
曾祖父である官兵衛さんを偲んで作らせたものだそうだよ、マンジ君 」

「 栗山堂さんが、その兜最中のモチーフにしているのは、朱塗合子形兜ではなく
白檀塗合子形兜( びゃくだんぬりごうすなりかぶと )と言って、官兵衛さんが
戦で実際に着用し、亡くなる時に栗山備後利安さんに託したアノ兜みたいだよ

色は黒っぽい赤。 今は、もりおか歴史文化館に所蔵されているんだって


あら、ふたりとも、栗山堂さんの兜最中を食べる前に
黒田官兵衛さんの兜についてのお勉強?偉いわね


白檀塗合子形兜は、官兵衛さんの妻・光さんのお父さん
播磨志方城主の櫛橋伊定( これさだ )さんより頂いた、
という言い伝えもあるみたいね


官兵衛さんが栗山家に託した その白檀塗合子形兜が
現在、岩手県の “ もりおか歴史文化館 ” に所蔵されてる
理由は、善助さんから兜を受け継いだ息子の栗山大膳利彰
さんが配流され、晩年を過ごした地だからだそうよ



栗山堂・兜最中の栞には、善助さんが建立した円清寺に
所蔵されている栗山利安さんの肖像画も載ってます

こだぬき君の話をよく聴いて、今日はとってもお利口な
マンジ君へ、あ!官兵衛くんと同じ色の可愛らしい
ミニ朱塗合子形兜も進呈しちゃいまーす


まーりたんも、これで心置きなくブログを書けます


我が家のヌイグルミの模範として、後事は宜しくねー

「 マンジ君、これで当分イタズラは出来ないね・・・ 」

「 まーりたんの正体は古狸かもしれニャい

中津市京町2丁目1521 栗山堂さんの兜最中。

栗山善助( 四郎右衛門・備後利安 )さんの人となりを思わせる、シンプルで
控えめな外装です。 ちょこんとひとつ白檀塗合子形兜のマークが入っている
ところも、チャーミングな善助さんぽい。 見た目は普通の最中ながら、中身は
ほんのり、それでいて香り高い柚子風味のこしあんで、洗練されたお味でした

大河ドラマ軍師官兵衛・第七話、ついに後藤又兵衛さんが登場しましたね

松寿丸( 後の黒田長政公 )とは、二人の将来を暗示するかの様に早くもポカスカ
やらかし



後、信長さんに認められ名刀・へし切長谷部を頂戴し、小寺氏の息子の代わりに
嫡男・松寿丸を人質に。 中国攻めの拠点に秀吉さんへは居城・姫路城を差出し、
先輩の荒木村重さんが謀反を起こせば、走れメロスの如く説得に奔走。 しかし、
主君に裏切られ そのまま有岡城に幽閉と、今後は怒涛の展開が待ってます

生涯を通し、お世辞にも上司に恵まれていたとは言えない黒田官兵衛さん

それでも品性を失うことなく乱世を生き抜きます。 学ぶことは多そうですネ

こうして見ると、官兵衛さんは高橋紹運さんみたく、やはり与え続ける人の部類?
●黒田官兵衛の兜については、KKベストセラーズ 歴史人2013年7月号
黒田官兵衛と軍師の真実( 小和田哲男監修 )、栗山堂の栞を参考にしました。
※本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。
記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます

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やはり大河ドラマのお蔭で中津も潤っているようで良いことですよね~(*^^)v
視聴率も18%~16%くらいで推移しているみたいですよ。
この兜型の最中美味しそうですよね~
全ポチ★
今日も一日お疲れ様でした。