「

日の本一のこの槍を、飲み取るほどに飲むならば~

これぞまことの黒田武士


良い気色で黒田節を歌ってるからって、近所のコンビニで買ったお酒を一本
ぶら提げて、ふらふら鼻歌混じりに自宅へ戻ったところではありませんよ


ま、中年夫婦二人暮らしなので、そういうこともたまにやってますけどね

黒田武士とプリントされたレジ袋に入ってたのは
身の丈、六尺半( 197cm )あったとも云われるノッポの酒豪
黒田二十四騎( 黒田家重臣団 )のランドマークタワー
母里太兵衛さーん



・・・じゃなかった

太兵衛( TAHEI )という商品名の清酒です


筑前國 大隈益富( おおくま ますとみ )城下 大里酒造醸。
購入先の大里酒造さんは、福岡県嘉麻市 大隈町551番地に在ります。
黒田二十四騎・後藤又兵衛基次さんと母里太兵衛友信さん縁の地を巡り、
嘉麻市役所 嘉穂庁舎から再び国道211号線を通って小石原方面へ南下途中、
壁に大きく清酒・黒田武士と書かれた酒蔵を発見



酒蔵は、母里太兵衛さんが晩年まで過ごした益富(大隈)城址が遺る益富山を
背にしていて、国道を隔てた向かい側には、広い駐車場完備の直営ショップも
あったので迷わず立ち寄り、太兵衛さんの息遣いすら感じそうな益富城下にて、
お土産物色と相成りました。 ここが有名な大里酒造(株)と知ったのは入店後


大里酒造さんは、天保6( 1835 )年の創業以来、気配りの手造り製法に拘って
伝統の美酒を醸し続けているんだそうです

母里太兵衛さんが名槍・日本号を福島正則公から呑み獲った武勇伝

謡曲・黒田節の歌詞より命名したもの。 店内では、入り口正面のテーブルに
ボトルが並んでいて、自由に試飲もできます

ウチの相方はこういう時、まーりたんの持つ今回はお猪口に、表面張力で零れない
程度まで注いでくれます。 下戸だから飲めなくても別に・・・なのに嫌がらせ


吹き抜けの2階は、江戸時代の酒造りについて学べる休憩スペースを兼ねた
日本酒のミニ史料室になっていました。 焼酎のルーツは、泡盛の原型とされる
南蛮酒のラオ・ロンで、5百年前に九州に伝わり、九州から日本各地へ伝播。

じゃあ、日本酒が文献に登場したのは何時頃かといえば、やはり日本最古の
歴史書・古事記で語られるスサノオノミコトのヤマタノオロチ退治で、でしょうけど、
シビアな話あれは神話です

出して読み返してみたら、奈良時代( 7百年代 )に編纂された 『 播磨風土記 』
に 『 神に供えた糧が枯れてカビが生じた、すなわち酒を醸もさしむ 』 と
あるのが、お米を原料にしたお酒についての最古で明確な記述なんだそうです。
今年何かと注目の播磨。 太兵衛さんの酒豪は千年の歴史に支えられていた


嘉麻市大隈には鮭を祀った鮭神社もあって、酒に掛けているのかと思ったら、
かつては、この地区まで鮭が上ってきてたのだそう

鮭神社は国道211号線沿い( 小石原方面に向かって左手 )にありました


一階には商品と並んで黒田長政公の兜が飾られてました。



階段下には



折角なので、黒田節に謡われる母里太兵衛さんの武勇伝、
天正18( 1590 )年1月3日


大里酒造さんのHP

ご紹介したいと思います



『 酒は飲め飲め、飲むならば、日の本一のこの槍を、
飲み取るほどに飲むならば、これぞまことの黒田武士。
日本一の槍( 日本号 )を飲み取った黒田武士の名は、母里太兵衛友信で、
後藤又兵衛と並んで、黒田藩きっての大酒豪であり、槍の名手でもあった。
ある日、福島正則の所へ年賀の使者に立つことになったが
福島正則は無類の酒好きで、また荒大名で聞こえていたので、
黒田藩主・黒田長政は、面倒が起きてはと考え、太兵衛に
「 どんなに酒をすすめられても、絶対に飲んではならぬ 」と、
その日一日の禁酒を言い渡した。
正則は案の定いい飲み相手が来たとばかりに早速酒をすすめる。
太兵衛は主君の命があるので断固として断る。
それでもしつこく酒を勧める正則は、三升はらくにはいる大杯に並々と酒を
注ぎ、「 この酒を飲み干したなら、なんなりと好きなものを褒美にとらすぞ 」
と意地になって勧めるが、太兵衛は断固、断る。
業を煮やした正則は今度は挑発作戦にでた。
「 なんだ、酒豪だと言われる母里でさえ、この位の酒を飲む自信がないとは
黒田家の侍も大した事ないな。 腰抜け揃いの弱虫藩か、長政殿も気の毒に 」
太兵衛、己ばかりか、藩を侮辱することは許せない。
藩の名にかけて、と勧められる杯を手に取った。
杯と言っても直径一尺、三升入り漆塗りの大杯である。
太兵衛はそれを、一息の内に飲み干すと「 おかわり 」、又「 おかわり 」と
あれよあれよと飲み干した。
飲み終わると「 お約束のご褒美にはその槍を 」と、一本の槍を指した。
その槍こそ第百六代正親町(おおぎまち)天皇が、将軍足利義昭へ下付され、
義昭から織田信長へ、信長から豊臣秀吉へ、秀吉から福島正則へ譲られた
天下の名槍「 日本号 」であった。 正則も家宝ともいえる槍であったが
「 武士に二言なし 」と譲り渡した。 太兵衛は、槍を担ぐと藩歌「 筑前今様
( 現在の黒田節の元歌 )」を歌いながら、いい気分で帰ったという、
何とも戦国武将らしい剛坦なはなしである。 ( 引用ここまで ) 』

これぞまことの黒田武士な、太兵衛さん武勇伝。 いかがでしたでしょうか


さ、まーりたんも今夜は黒田節を歌いながら、心して開封2日目の清酒・太兵衛を
頂きたいと思います。 女性に好まれるフルーティーな日本酒が多く出回る昨今、
黒田武士TAHEI は完全なる辛口で、スパッと潔い程キレの良い

真っすぐな男っぷりを思わせる飲み口です。 そして今夜は太兵衛さんの義理パパ
大友宗麟公にも敬愛の念を込め、かつて府内の南蛮ガラス館で購入したウチの
骨董品・ぎやまん杯で頂きます。 すなわちコップ酒

まだまだ寒いですけど、皆さまもどうぞ楽しい宵( 酔い )をお過ごし下さい

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