八幡餃子の王道


JR黒崎駅前から放射状に延びるアーケードのひとつ、新天街をぶらり散策


すると目につくのが “ 立ち呑みの店 ” と書かれた看板に赤ちょうちん

北九州には、店先で立ってお酒を飲む角打ちスタイルの酒屋さんが多いです。
新天街に入り




こうした “ 角打ちスタイル ” の飲み屋さんも八幡餃子然り、近代産業の発展を
支えた北九州工業地帯で、汗を流し働く方々に愛され、育まれてきた文化の様

ところでこの “ 角打ち ” という言葉、折角なので日本酒センター企画・発行の
日本酒小百科で調べてみたら


いました


まーりたんはピン

その堀部安兵衛( 堀部武庸・ほりべたけつね )さんが剣豪として名を挙げ、
赤穂四十七士にスカウトされるきっかけとなったのが、同じ堀内道場の門徒で
義叔父の菅野六郎左衛門を助太刀した事件 高田馬場の決闘だったんですね

時は元禄。 堀部安兵衛さんは義叔父の助っ人として この決闘に臨む際、
枡酒を ぐいっと引っかけてから馳せ参じた

枡酒を角から飲む = 角( かく )打ち という言葉が生まれたのだそうです

角打ちで一杯やれば、景気づいて出世もする、万事オッケーよ



八幡餃子が労働者の方々のお腹を支えて来たならば、角打ちは心を癒し、励まし
リフレッシュ。 堀川運河同様、立ち呑み店の看板に灯りが点いてるだけで、今も
多くの方がホッとしたり、元気を貰ったり、懐かしさに癒されたりしてるんだろうな

さて、そんな八幡西区 黒崎は江戸時代、小倉( こくら )の常盤橋を起点に
長崎へと続く、長崎街道の宿場として栄えてきた町でもあり、
しかも小倉の次。 オマチなわけです


案内板によれば、長崎街道は57里( 約224km )、街道沿いの宿場は
25か所。 鎖国体制が布かれていた当時の日本で、海外との窓口として
開かれた長崎より、西洋文明はこの長崎街道を通って伝わったんですね

文明の道、長崎街道はJR黒崎駅の南を横切っています



おや




この独特な

黒田官兵衛さんの御嫡男、初代福岡藩主・黒田長政公に違いない



黒田長政公が関ヶ原合戦で被り、その後も愛用したというレーダーアンテナ風兜

正式名称は 銀箔押一の谷形兜(ぎんぱくおし いちのたに なりかぶと)と言って、
珍しい形は、源義経が平家を攻める際に馬で駆け下りた崖 『 ひよどりごえ 』 を
イメージしていると言われてます。 長政公にとっては幼少期の命の恩人でもある
竹中半兵衛重治さんの形見の複製で、福島正則公から頂いたものだそう


それはともかく、黒崎をテクテク何処へ向かってるの? 長政くん、待って~


黒田長政公を追いかけて新天街を抜けたら、通りを隔てた正面に神社の鳥居

左手の電柱には、熊手2丁目。


JR黒崎駅前の歩道橋も熊手2号歩道橋だったし

熊サンが出没していたのか・・・




謎は、こちらの神社に参拝したら解けました

その名も、岡田神社



福岡→黒田長政とくれば今だけに、大河で黒田官兵衛を演じていらっしゃる
岡田准一さんを思い浮かべてしまう方は、まーりたんだけではないと思います

が、岡田准一さん縁の神社ではありません



由緒によれば岡田神社の名は古代、崗( おか )地方 = 旧遠賀郡を治めていた
熊族の方々が祖先神をお祀りしたことに由来。 黒崎駅から新天街を通り抜けて
真正面 八幡西区岡田町一番一号に鎮座する岡田宮は、地主神様との事


また、この岡田宮は、壬申の乱に勝利して即位した第40代・天武天皇が編纂を
始めた日本最古の歴史書・古事記に描かれる神武東征で、初代・神武天皇が
宇沙の次に立ち寄り、一年間滞在した地でもあるんですって


初代・神武天皇( カムヤマトイワレビコ )は、兄の五瀬命(イツセノミコト)と共に
日向の美々津( 宮崎県 )を舟出し、佐賀関の早吸瀬戸を海の女神の助けで
無事通過

それがここ、福岡県北九州市の黒崎だったとは・・・

イラストマップの黒田長政くんを追って岡田宮を訪れ、初めて知った次第です


元を辿れば、八幡餃子を追いかけてたら古事記の世界へ迷い込み・・・ですな


神武天皇は黒崎滞在後、九州を離れ阿岐、吉備、そして明石海峡を通り白肩津
(大阪湾の岸 )に上陸。 その際、土豪に阻止され初めての戦となり

亡くすも八咫烏の導き等で嶮しい冒険の旅を潜り抜け、初代天皇に即位します


本殿横の木は、平成五年の式年遷宮の際に植樹されたものの様

岡田宮には初代・神武天皇が、熊手宮には大黒様こと大国主命と、大国主命に
国造りの知恵を授けたスクナビコノミコト、そして神功皇后の三韓征討の際に
案内役を務めたという崗県主祖・クマワニノミコトがお祀りされていました

そっか~、宇佐の次は黒崎だったのか~

で、びっくりついでにもうひとつ


岡田神社拝殿には、綺麗な青い扁額が掛けられていますが
これを寄進された方は、黒田家譜を始め養生訓、筑前国続風土記などを著した
学者であり福岡藩士の貝原益軒さんなんだそうです!感激


宝永4( 1707 )年奉納。 なんてきれいな扁額なんでしょう

青い小袖に、愛馬の飾りに、今ブルーが一番似合うと云えば・・・

・・・だから、岡田准一さん縁の神社ではありませんって


イザナギ&イザナミに 始まり人類みな兄妹、全く縁が無いとも言い切れないけど


次回はJR黒崎駅のペデストリアンデッキから見える画像中央の城山、
黒田六端城のひとつ 黒崎城址へお邪魔します



どうぞお楽しみに


※本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。
記事を最後までご覧下さり、ありがとうございます

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八幡西区で時空を超えてすごい大冒険しちゃいましたね〜
仕事なので仕方ないのですが,黒崎も折尾も観光ってしたことがないんですよね…
どちらも歴史がある,おもしろそうな街ですね〜