江戸時代、度重なる遠賀川の洪水対策と灌漑、水運の利便のために
福岡黒田藩によって開削工事が始められ、以降141年もの長い歳月をかけて
拓かれたハンドメイドの堀川運河は、この丘から見下ろす洞海湾に注いでます


1700年以降、藩の後押しで石炭採掘も盛んになり、堀川運河は開通後、石炭を
載せて洞海湾を経、積出港の若松を目指す いかだ舟 川ひらたで大賑わい...

禅海和尚さんじゃないけれど、車返りと呼ばれる堀川工事最大の難所400mを
9年がかりで切り貫き、最後に打ちつけたノミの刃先から 洞海湾の海水がじわり
滲み出した瞬間は、言葉にできないほど感慨深かったに違いありません

灌漑だけに・・・( ヒョォオオ~


そんな洞海湾を眼下に、美しい緑地公園として整備されたここは黒崎城址。

黒崎駅から近い八幡西区 屋敷一丁目9番地に登城口の看板が出てますが、
守りの堅さはなかなかのもので、登城口まで辿り着くのに意外と骨が折れます


黒崎城址( 城山緑地 )が在る小山は 黒崎駅から程ない場所に見えては
いるものの、麓の町割り?は、まるで昔懐かしいアナログゲーム・ポケットメイトの
ぐるぐる迷路



西側の舟町まで来たら、城山を左に半円を描く様に東の屋敷地区まで廻り込み、
JR鹿児島本線の高架橋が右手頭上に来たところで、ひとつ内側の道に入って、
西の方角へ折り返した住宅地の一角に、登城口の看板をやっとこさ発見

ナビに訊いても、「 目的地周辺です、案内を終了します 」の一点張りで

こんなわけで黒崎城址を初めて訪ねられる方は、どうぞ時間にゆとりを持って、
弧を描く様に行ったり来たりしながらのアナログゲーム、楽しんでみて下さい


黒崎城は 大隈城( 益富城 )、左右良城( 麻底良城 )と同じく、黒田長政公が
関ヶ原の功で筑前へ入封後、豊前国に対する備えの為に巡らせた黒田六端城の
ひとつで、黒田二十四騎の井上周防之房さんが城代を務めていました。
そうです



井上九郎右衛門さんは、天文23( 1554 )年生まれで、黒田官兵衛さんよりも
8歳年下ながら、官兵衛さんのパパ 黒田職隆( もとたか )に小姓として早くから
出仕しており、黒田職隆、官兵衛さん、長政公、忠之公と、黒田家4代に仕えた
古参の重臣です。 母里太兵衛さんや後藤又兵衛さんに比べると背も低く、ひ弱。
その分、理知的で面倒見が良く、賢者的ポジションで存在感を放ちます



黒田官兵衛さんが有岡城に幽閉された時には、商人の身なりをして探りを入れる
作戦を提案し


場所を確認

担いで救出しますが、これが成功したのも賢者・井上九郎右衛門さんあってこそ

そういえば昨年、黒田官兵衛さんが有岡城幽閉中に城主・荒木村重さんへ
宛てた手紙の写し( 京都・光源院所蔵 )が見つかって、話題になりましたよネ

織田信長さんへ反旗を翻した荒木村重さんの説得に、黒田官兵衛さんが単身
有岡城へ赴き、そのまま幽閉されてしまったのが 天正6( 1578 )年10月。
栗山善助さんによって救出されたのは、翌年の10月16日です

手紙の写しは、天正11( 1583 )年11月12日に書かれたものの様。
それによれば当時、荒木村重さんは京都の相国寺光源院から伯耆( ほうき=
現在の鳥取県 )の領地回復を頼まれており、黒田官兵衛さんに協力を依頼。
手紙の内容は、村重さんの依頼に対する官兵衛さんの返事で
「 秀吉様のお考え通りに進めるよう申し付けます。 姫路へいらした際は
お会いしましょう 」と、荒木村重さんとの円満な関係を匂わせるもの

幽閉中、余りに劣悪な環境下で黒田官兵衛さんは片足が不自由になり、頭髪は
皮膚病で抜けてしまいます。 が、官兵衛さんはその中で老成を遂げるんですね。
発見された手紙に花押は無かったそうですが、真実ならば、極限状態の中でも
私心を捨て信義を貫こうとする官兵衛さんの真骨頂を窺わせるものか、それとも
有岡城での幽閉生活はそれほど過酷なものではなかったのか、どちらでしょうネ


あらっ




北には洞海湾、南には八幡の街を一望できる黒崎城址

続いては、黒崎城の貴重な遺構や井上九郎右衛門さんの素敵なお話を・・・
と行きたいところですが、長くなりましたので、次回にしたいと思います

黒崎城登城レポ、もう少し続きまーす


※本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。
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