JR黒崎駅の北東、洞海湾を臨む八幡西区 屋敷1丁目の城山に遺る黒崎城址。

慶長5( 1600 )年12月の黒田家筑前入封後、十数年間に亘り城代を務めた
黒田二十四騎の一人で黒田家古参の重臣、井上九郎右衛門さんの法号から
城山は道伯( どうはく )山、黒崎城は道伯山城とも呼ばれている様です



大坂夏の陣から3か月後の元和元( 1615 )年7月、徳川幕府が発布した一国
一城令により本城・福岡城を残し、黒崎城を含む出城・黒田六端城は全て廃城

解説板によれば元文3( 1738 )年、破却された黒崎城の石垣は、黒崎駅付近
の護岸整備に使われた模様。 あっ、そういえば


途中、県道273号線沿いに黒崎城石という地区があった様な、もしやあの辺


ぱっと見、石垣が目につかないせいか、現在は緑地公園化されている道伯山頂
黒崎城址には、かつての城の面影はありません。 ですが、桜の木がいっぱい

八幡の街をパノラマで楽しめる絶好のロケーションポイントに加え


お花見の名所でもあるのかしら




春は桜


一夜城まつり




一夜城まつりは天正15( 1587 )年、黒田官兵衛さんを先鋒とする秀吉さんの
島津征伐( 九州平定 )時、益富山頂に一夜にしてきらびやかな仮城を築き


島津方・秋月氏のド胆を抜いて

嘉麻市の黒田六端城・益富城址で毎年秋に催されてますが、黒田六端城繋がり
でしょうか



また案内板には、これまでは殆ど残っていないと考えられていた黒崎城址の
遺構が、3度に亘る発掘調査で見つかってきているとの紹介も




そういえば、曲輪を囲む石垣の一段目かな?これは



城山緑地公園内を散策してみると、こうした列石や、破却された石垣っぽい
角の尖った大きな石や、穴の開いた石が、草むらの中にごろごろしています


顔を上げると、黒崎城址の東南に日本屈指の夜景の名所




黒崎城の姿は時代と共に移り変わっても、こうした山々は時を超えて往時のまま。
黒崎城主・井上九郎右衛門さんも朝夕、事あるごとに眺めたであろう景色です

黒田家が豊前国中津を離れ筑前国へ移った年、井上九郎右衛門さんは46歳。
程なく主君・黒田長政公より二万石を与えられて黒崎城代を任されます

黒田家に欠かすことのできない知恵者で、黒田二十四騎の中でも選りすぐりの
重臣 黒田八虎( くろだはっこ )を務め、80歳まで長生きした九郎右衛門さん。
その人となりも素晴らしく、徳川家康さんからも信頼され、惚れ込まれるほど。
九郎右衛門さんの息子・井上庸名は徳川家5千石の旗本に抜擢されています。
ですが、線が細く力も弱かった井上九郎右衛門さんは、戦場での経験が無く、
秀吉さんの朝鮮出兵では指揮官を務めるものの、非力さゆえに かげ口を
叩かれる事もあったとか...。 そんな井上九郎右衛門さんが一世一代の大手柄を
挙げるのが、朝鮮の役から8年後の慶長5( 1600 )年9月、九州は大分県
別府市の石垣原( いしがきばる )で、官兵衛さん率いる東軍・黒田如水軍と
大友宗麟の嫡男率いる西軍・大友義統( よしむね )軍が激突した石垣原合戦。
井上九郎右衛門さんは、黒田如水( 官兵衛さん )が本陣に到着するよりも前に、
秀吉さんから無双の槍遣いと賞されていた大友義統軍の将で名将・高橋紹運の甥
吉弘嘉兵衛統幸( かへえむねゆき )さんを、馬上一騎打ちで討ち破ります

これにより大友義統は降参する事になるんですが、この勝負には井上九郎右衛門
さんと吉弘嘉兵衛統幸さんとの胸締めつけられる恩義、友情秘話があるんです

石垣原合戦の大手柄で、非力さをなじられる事もなくなった井上九郎右衛門さん。
黒崎城から遥か山々を見つめ、主君の為に力の限り戦った後で他の誰でもなく
井上九郎右衛門さんにその首を獲らせた友・吉弘嘉兵衛統幸さんを想い出す事も
あったのではないかなぁ・・・と思います。

あっ、


ズームアップしたら、打ち上げ準備中の?シャトルが見えました



次回はついに?宇宙空間を超えて


戸畑・若松方面の幻の黒田六端城へご案内しま~す


まーりたん星の停車時間一日は、地球時間では何日に相当するんだ・・・

●参考文献、資料 : 八幡和郎監修 『 軍師・黒田官兵衛~その戦略と生涯 』
軍師官兵衛福岡プロジェクト発行 『 福岡を創った男・黒田官兵衛 』
※本文中の下線付き部分は、当ブログ内関連記事へのリンクです。
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矢穴痕、、、石垣に感激。初めて見ましたよー。
割る作業も大変だったんですね、あの作業の途中に、中断した作業者は、何を思ったかな?
そして、あちこちに、ゴロゴロされた石は、長い間、そのまま、そこにあって、、。
時間の流れの空間に、入り込んだようでごじゃりまする。