『 島を愛し、島の人びとを愛した人が、この島を魚の宝庫として


わしらの手に渡したのだから、あらゆる手段をこうじて、つぎにくるものの手に、
魚の宝庫としての姫島を渡さなければならぬ義務が、わしらにはあるという事さ 』
大分県の姫島が舞台の物語 ふしぎな石と魚の島では、海岸寺の住職さんが
“ 百年先も、豊かな海の恵みで島民が幸せに暮らせることを常に視野に入れ、
島を愛する人々が、遠い昔から心血を注いできた歴史 ” を 線香の灯に喩え、
主人公の少年・村岡三五と春夫へ、ユーモアも交えて語り聞かせます


海岸寺は姫島に実在する名刹です。 椋鳩十先生の取材に対し、住職さんが
実際に線香の灯に準えて、お話をされたのか、それとも椋先生のアレンジかは
謎ですが、何故リレーのバトンや蝋燭の炎でなく、線香の灯に喩えたんだろう

やっぱりお寺だから線香なの

七不思議・浮田を後に、自転車を漕ぎ



姫島の東端、柱ヶ岳鼻 57メートルの断崖上に建つ姫島燈台の歴史は古く、
関ヶ原の戦いから5年後の慶長10( 1605 )年、小倉藩主の細川忠興公が
領国姫島に、かがり火を用いた和式燈台を設置したのが起源だそうです



関ヶ原合戦後、細川忠興公は豊前一国と豊後国東郡一円、それに速見郡の
一部を継嗣 細川忠利と共に30万石で拝領し、大分のお殿様になったんです

そして慶長5( 1600 )年12月、こちらも同じく関ヶ原の功で豊前中津を離れ、
筑前福岡へ移った黒田如水( 官兵衛 )&長政親子と、入れ替わりで中津入り。
慶長7( 1602 )年より豊前小倉城の造営を始めた細川忠興公は、居城を
小倉へ移し、豊前中津城は継嗣・細川忠利公のお城になります

大坂夏の陣で豊臣家が滅亡した元和元( 1615 )年、徳川幕府が発布した
一国一城令により、中津城は破却の危機に直面


ここで頑張って下さったのが細川忠興公

残して貰えるよう幕閣中心人物に掛け合って見事、残置が認められるんです

今日、中津城で官兵衛さんが築いた石垣を見れるのは 忠興公のお陰


因みに継嗣・細川忠利公は元和6年、父・忠興公隠居後に小倉城へ移った後、
寛永9( 1632 )年、改易された肥後の加藤家に代わって熊本城主に



では、お話を近代の姫島へ戻しまして

眩しいほどに白く美しい姫島燈台


建設は明治35( 1902 )年に始まり、2年後の明治37年3月20日に完成。
以降、瀬戸内海、豊後水道、関門海峡三航路の合流点で海上交通要衝の地
姫島沖合を航行する船の安全を守り続けて、百年以上にもなるんですね


解説板の終わりには、次のような言葉が添えられていました

『 この灯台が、点灯以来数多くの船人の命と貴重な財貨を人知れず
救って来たであろうことを想う時、これからも夜ごと美しい光を
沖き行く船に投げ続ける様、祈念するものであります。 』
まるで姫島燈台に心があるかのように綴られた、慈しみを感じる文章です。
小さな島の燈台から投げ続けられる、暗い海上を照らす美しい光

受け取って航行する沖合の船は、その光にほっとしたり、望みを感じたり。
この燈台も、島の方々にとっては大切な線香の灯なのかもしれないなぁ



線香って、ほんの少しの心無い力を加えただけで、簡単に折れてしまいます。
だけど、その灯は蝋燭の炎とは違い、少々の風が吹いたぐらいでは消えません。
弱さを知っている強い心には、慈しみや想像力、色んなものが詰まっている。
だから椋先生は、蝋燭でもバトンでもなく、線香の灯と表現されたのかしら


そう、姫島燈台が建つ この岬・柱ヶ岳鼻の下には、3つの大きな海蝕洞窟が
あるんですけど、海側からしか見れないので


海蝕洞窟の中、海面から2メートルほど上の辺りには、阿弥陀三尊の姿に似た
不思議な形の牡蠣が群生しているらしく、それは海水に浸かることがなく、
姫島七不思議 『 阿弥陀牡蠣( あみだがき ) 』と呼ばれてます


珍しいからといって獲って食べちゃダメですよ、お腹が痛くなるそうですから


というわけで、島の東端より、走ってきたひめしまブルーラインを振り返る


今度は島の北側の海岸線に出て、西の方角へ折り返しです


次回は姫島の女神さま御用達




●参考資料 : 豊田寛三・後藤宗俊・飯沼賢司・末廣利人著 『 大分県の歴史 』
大分県姫島村 企画振興課発行パンフレット 『 おおいた姫島ジオパーク構想 』
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100年以上も経っているとは思えない美しさですね。
蝋燭ではなく線香の灯,弱さを知っている強い心・・・
まーりたんさんの考察はいつも素晴らしいですね〜!感服いたしますm(_ _)m
私達もこの島(日本)の恵み・宝を次の世代へとしっかりと繋いでいかないといけませんね!
話が飛びますが…
自分だったら毛利につくか,信長につくかどうしたろうなぁって官兵衛をみながら毎週考えちゃいます(笑)